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面倒な場
廊下を歩きながら、すんすんと辺りの臭いを嗅いでみた。
確認するまでもない。累々たる妖怪の匂いがそこらじゅうで漂っている。
獣の匂い、水の匂い……あぁ、なぜか納豆の臭いもする。誰かが食べているのだろうか。
なんにせよ、以前よりも鼻が効くようになっていることは、確かみたいだ。
「……はぁ」
自分の微妙な変化が慣れなくて、庭のほうに顔を向けて臭いを嗅いでみた。
ただそれだけなのに、森の中で起こっているできごとが手に取るように解る。
咲く花の匂い、茸の匂い、雛の匂い、獲物を探す獣の匂い。
まるでその場にいるみたいに、目を閉じれば光景が思い浮ぶ。
匂いだけでこんなに解るとは驚きだ。これは真冬でも食料探しに困ることはないだろう。
(……ここに居られたらね)
そもそも、なぜ烏天狗はおれを睨んだのだろう。
あの烏の大将が変なことを言いださなければこんな面倒なことにならずに済んだのに。
皆のまえで発言するなんて考えただけでも眉間に皺が寄ってしまう。
あぁ面倒だ。本家の奴らが帰るまで山でも散策していようか? 無理か。牛鬼が困ってしまう。
考えているうちに、目的の部屋にきてしまった。
「――――失礼するよ」
面倒だと立ったまま片手で襖を開け放つ。
中にいた面々は談笑を止め、驚いた顔でおれを見る。
……あれ、なんででこんな不作法なやりかたを……
礼やら作法やらにうるさい人間たちと暮らして、一応礼節も身についているはずなのに、そうしようとは思わなかった。
可笑しい。普段のおれならちゃんと正座して、一声かける。
「閃、そこに座れ」
相変わらず鋭い目線でおれを睨んだ烏天狗は、小さな手で部屋の真ん中に敷かれた座布団を指さす。
あそこに座れということだろうが、それよりも先にすることがある。
いったんその言葉を無視して、牛鬼を探した。匂いはするが、どこにいるか判らない。
座布団を囲うように妖怪たちは座っているが、その中に彼はいない。
――――そばにいてくれると言ったのに。部屋をでたのだろうか。
「誰を捜してるんだい」
聞きたいのは二代目の声じゃないんだがな。
陽の当らない隅に、彼は楽な姿勢で座っていた。
膝と肩までは見えるが、そのほかは影がさしていて見えにくい。
二代目の奥でなにかが動く、どうやら彼のほかにもうひとりいるらしい。
(あぁ、いてくれたんだね)
薄暗い影の中、正座をしている牛鬼はじっとおれを見ていた。
いつもと変らない静かな目線の奥にあるのは、気遣う感情。
「閃」
ったく、烏天狗は気の利かない奴らしい。
それかさっさと始めたいのだろう。うんざりとした気分にはなったが、顔にはだすまい。
「先の無礼といい、申しわけない」
そう適当に謝って、らしくもなく乱暴に腰を落とした。
脈々と血が身体を駆け回る。まるで、全力疾走したあとみたいだ。
その身体の熱さに困惑しながらも、おれは烏天狗が口を開くのを待った。