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風邪

今日私がちょうどシズネさんとの打ち合わせのため席をはずしている間に、ヤマトさんは薬局に訪れたらしい。
薬局の奥につながる薬剤室にいるときは、いつも受付の子が気を効かせて私に声をかけてくれるけれどいない時は残念でしたってことになる。
私が帰るやいなや、彼の対応をした子が教えてくれた。

「さっきヤマトさん来ましたよ。インフルエンザにかかったみたいでしんどそうでした。」


そして今、私は息を切らし恋人の家へと急いでいるのだ。
早く駆け付けたくてしょうがなかったのだけれど、薬剤部でもインフルエンザは大流行。
で、人手不足で残業。

吐く息が白い。冬だけど、走ってたら熱くなってきちゃった。
合鍵をガチャリと回すと、いつもと違う違和感にあれ?となった。
鍵がかかっていなかったのだ。
彼らしくない行動に驚いた。
ああ、これは、そうとうしんどかったのだろうな。

キッチンには薬を飲んだ形跡が残されていた。
今年のこの流行病は、初めの方こそ高熱が出て苦しむが薬を飲んで一晩寝たらだいぶと容体は落ち着く。
ちゃんと薬も飲んだようだし、きっと明日の朝には身体も楽になることだろう。

ホッと胸を撫で下ろした私は洗面器に氷水を張り、手ぬぐいを用意して、そっと彼の寝室のドアを開けた。

ヤマトさんは苦し気に眠っていた。
息を浅く吐き、上気したように赤くなった頬。
額と首元に光る汗から、彼の熱の高さがうかがえる。

手ぬぐいをきつく絞り、額にのせた。
すると、彼の眼はうっすらと開かれた。

「起こしてしまってすみません。大丈夫ですか?」
「……あんまり、大丈夫じゃないかもしれないな。」

彼は私の問いかけに途切れがちに弱弱しく答えた。
あともう少しで冬も終盤だっていうのに、かかっちゃうなんてついてない人。

「私にできることがあれば言ってくださいね。」

身体拭くとか、飲み物の用意とか、風邪の時って他人にしてもらうと助かることがいろいろとある。
そう思っての発言だったのだけれど、彼の要求は私の予想しないものだった。

「じゃあ、キスして。」

なんで今それ?

「いやですよ。病気移ったら困りますもん。」
「……もういいよ。」

彼はぷいと私から顔を背けてしまった。

「そんなに拗ねなくてもいいじゃないですか。」
「…………。」

無視だ。臍まげちゃって。
もー、めんどくさいなあ。

「だって、薬剤部でもインフルエンザが流行っちゃて、人手不足で大変なんですよ。私まで倒れるわけにはいかないもの。」

そして、ヤマトさんの手を優しく握った。

「ね?」
「じゃあ、好きって言って欲しい。」
「たまに言ってるじゃないですか。」
「たまにじゃないね。全然の間違いだよ。」

今更改まっていうのも恥ずかしいじゃない。
まあ、たしかに最近めっきり言ってないかもしれないけれど。

「好きよ。」

すると、熱でトロンとした目はふにゃりと笑った。
可愛いなあ。

「じゃあさ、ずっと一緒にいてくれるかい?」
「はいはい。」

あら、熱で弱って甘えたモード発動なのね。

「本当にいてくれる?」
「はいはい。」

「なら、僕の奥さんになって。」
「はいは……え、本気?」

「もちろん。僕の家族になってよ。」

え、え?これってもしかしてプロポーズ?
途端に早鐘を打つ心臓。

やだ、顔が熱い。
熱のせいで少し潤んだ彼の瞳は私の返事を待っている。

緊張しちゃう。ばか、自分の心臓ちょっと落ち着いて!
自分を落ち着かせるために、彼から目線を無意識に逸らしていた。

そんなの、もちろん、返事は……

「……………はい。」

言っちゃった。
いつかヤマトさんと家庭を築けたらってずっと思ってた。
凄く凄く嬉しい。

でも、チラリとヤマトさんを見て私は拍子抜けした。
だって、彼はスヤスヤと眠っていたのだ。

あれ、やだ、今寝ちゃうの?
なんなのよもう。

―――

なんだか、凄く幸せな夢を見た。
大好きな彼女に将来の約束を申し込む夢。
心では思っていても、職業柄なかなかあと一歩が踏み出せず伝えることができない僕。

昨晩は意識朦朧とした状態でなんとかベッドに潜り込んだが、睡眠と薬のお陰でだいぶ身体が楽になったな。

もう少し寝よう。
もしかすると、あの夢の続きを見れるかもしれない。
おしくも名前が緊張した面持ちで僕に返事を言うところで目が覚めてしまったからね。
夢の中で彼女からのyesを聞きたい。

枕に顔を埋めると早くも僕の意識は夢へと飛んでしまったようだな。
だって、キッチンからトントントンとリズミカルにまな板を叩く包丁の音が聞こえるんだ。
昨夜の夢の続きを、と思っていたがこれも悪くない。
病気の僕を労って食事を用意する彼女。
そんな夢もいい。

と、思ったが、
……………あれ、違う。
これ夢じゃない。
なんで、いるの!?
えっ!?まさか!?夢じゃない!?

僕は慌ててベッドから這い出てキッチンへと向かった。


バタバタとヤマトさんは足音を立ててやってきた。
あらら、寝癖がすごいですよ。
そして彼は目をまん丸くして、キッチンに立つ私を凝視した。

「どうして君がいるんだい!?」
「どうしてって……彼氏の看病しに部屋を尋ねたらいけないんですか?」
「いや、もちろん大歓迎だけどさ…。」

この様子だと、昨夜のことはきっと覚えてないな。

「あのさ僕…何か変なこと言ってなかった?」

ほら、やっぱり。

「変なことって?」
「なんていうかな…凄く大事な話、かな。」
「うーん、どうでしょうねえ。」
「え、え、やっぱり言ってたのかい?え、僕言ってた?」

おろおろしちゃって。思わず笑いが漏れてしまうよ。

「ふふ、なんちゃってね。なんにも言ってなかったですよ。」
「……そうか、そっか。うん。でも、それにしてもリアルな夢だったような。まあいいんだ。うん。」

まるで自分に言い聞かせるように頷くヤマトさんを見て私の口元は緩んでしまう。

楽しみはまたにとっておこう
好きな人に2回もプロポーズしてもらえるかもしれないな。
私は幸せものだ。

待ってるよ、家族になろうね。

おしまい