木場カナ(ペンタゴンシンドローム)

「ねえ、カナさん、構ってよー、暇だよー」
「はいはい」
「構ってくれないとティーカップに毒入れるよー」
「はいはい」
 レポートの締め切りに追われ脇目もふらず頑張る私の腰に、図体の大きな音がまとわりついていた。この男、一見普通の男に見えるがその正体はホワイトタイガーなのである。嘘だ。でも今思いついただけにしては一理ある例えだと思う。
「こんなギリギリでレポートやってるなんてカナさんは本当にだらしないね」
「年中夏休み気分などこかの誰かさんが四六時中束縛しないでくれればもう少し早く終わせたんですけどね」
「僕と一緒に遊びながら終わせないカナさんが悪いよ。その隙に殺しちゃうよ」
「やめて下さい。木場君のこと呪い殺しますよ」
「あ。それ興味ある」
 転がった鉛筆を弄びながら何やら素振りをしているこの男を木場君と呼んでいる。様々な紆余曲折を経て晴れて男女の付き合いを始めた私達の何気ない日常シーン、のはず。常に付き纏う死の気配さえ除けば。
「でも先に殺した方が勝ちでしょ、普通。そういうわけで、僕の勝ち」
「はいはい、木場君の勝ちでいいです」
「君が泡を吹きながら悶え苦しむところが見たいなー」
「木場君すごく暇でしょ、今」
「うん、暇」
 かつて私と同じ大学に在籍していた彼は、やむを得ない事情で大学を中退し舞台関係の仕事に就くため目下療養中の身だ。療養によりこの迸る殺気が抑えられていなければいけないのだが、現在の状況を見るにまだまだ改善はされていないようだ。それがいつのことになろうとも、私はずっと彼の傍に在り彼を支え続ける。大切な人達と、約束したから。
「……遊びましょうか」
「お」
「といっても、映画か舞台のどちらかでしょう?」
「違うよ、買い物」
「どこで?」
「アニメイト」
「ゆめめさんと行けばいいじゃないですか」
「君と一緒がいいの」
 手を恋人繋ぎのように力いっぱい絡めてきて、木場君は笑う。不敵な笑みが少しずつ、無邪気なものになってきている気がする。それを思うと嬉しくてちょっと切なくて、幸せになれる。
 帰ったらレポートを終わそう。そう考える間もなく、彼の腕に引き寄せられ、白い部屋を後にした。
 


2015/03/04 02:56



 再会(ファタモルガーナの館)

 ポーリーンと、はぐれた。拷問博物館でへろへろになったポーリーンを流石に哀れと思って美術館に行ったら、いつの間にかポーリーンが隣からいなくなっていた。正確にはまだ美術館に入館していなくて、豪勢な正面玄関に着いたところだった。
 どうしたんだろ、あいつ。迷子になるようなタイプではない。良い子ちゃんだから、無断ですっぽかすわけもない。考えられるのは、ナンパに捕まった、とかだ。度を越したお人好しにつけこまれて。人種の違いとはいえぱっと目を引くし可愛い容姿だから、この賑やかなパリの街では格好の餌食だろう。
 何処で捕まったのだろう。あたしがポーリーンから目を離していたのは、少し前に歩いたブランド通りだ。シャネルやグッチを眺めるのは、鈍器や武器を見るみたいに胸がドキドキする。その時に、ポーリーンにドキドキした男がいたのだろう。そうに違いない。腑抜けた男なら殴ってやろうと思いながら、あたしは歩きを早めた。
 狭い路地にはみ出すカフェのテラスの横を過ぎようとして、いきなり熱い液体が胸元に降りかかった。服にじわじわと染み込む渋い茶色とほろ苦い匂いで、すぐにコーヒーだとわかった。
「……っと、何だ、この段差は! 私のコーヒーが零れてしまったじゃないか! おいウェイター、すぐに代わりを持ってこい!」
 横を見ると、まだ湯気が立ち上るカップを手に持って立ち、傍にいた店員に怒鳴る男がいた。ひとしきり怒鳴った後に、黒い癖毛をしたその男は足を組んで椅子に座り、苛々とした表情のまま新聞を開く。
「……何が、零れただよ」あたしは怒りを率直にぶつける。
「あんたさぁ、人にコーヒーぶっかけといて知らんぷりはないだろ! 見なかったふりしてんじゃねぇよ!」
 癖毛の男が、あたしを一瞥する。帽子を被っていてよく見えなかった顔がちらりと見えると、数時間前にあたしにぶつかった男だと気づいた。そのふてぶてしい驕った態度も、思い出した。
「……君は、広場で私にぶつかってきた女だな? ハッ、早速罰でも当たったんじゃないのかね」
「はああっ!? あれ、よく考えたらあんたからぶつかってきたんじゃん。それなのに態度もすっごく悪くてさあ、サイテー」
「勘違いも甚だしいな、浮かれていた君が私にぶつかってきたのだ。口を慎め、田舎娘」
 あたしは、真剣に思った。こいつを殺したい、と。
 癖毛の男に近づいて、力強く握りしめた拳を振り上げたところで、それを止めたのはポーリーンだった。
「やめてーっ、マリーアッ!!」
 悲鳴と共に突き飛ばされたあたしは、石畳に頭を打った。時々ポーリーンはすごい力を出すな、と青い空を眺めながら、ぼんやりと思ってしまった。

 結局服はコーヒーで濡れたまま、ポーリーンの現状を聞くこととなった。ポーリーンは東洋の男に声をかけられ、立ち話をしてしまったのだそうだ。それで遅れてしまい、あたしを追いかける途中で、あの場面に出くわした。
「ごめんね、マリーア……頭痛かったよね、ごめんね……」
「大丈夫だって。それより心配したからさ、無事で良かったよ」
 真面目に必死に謝るポーリーンをなだめながら、そんなポーリーンを隣でじっと見つめる東洋の男の不気味な雰囲気が肌に刺さる。
「……で、そのナンパ男はちゃっかりついてきている、と」
「ち、ちがうよ! この人はナンパ男じゃないんだよ。私と何処かで会ったんじゃないかって話しかけてくれたの」
「それナンパの常套句じゃん」
 東洋の男は、ひたすら無口で無表情で瞳だけがギラギラと光って、ナンパではないにしてもますます不気味に見えた。
「フン、ナンパでも何でも構わんが、何故私のテーブルに全員座っているのかね」
「決まってんだろ、あたしの服弁償してもらうかんな。あとみんなにコーヒー奢ってくんない?」
「はぁ? 自分で飲みたまえ、自分で」
「あんたのそのお高そうなスーツにコーヒーぶっかけるぞ」
「……チッ、まあ金に余裕のある私がコーヒーぐらい平民に振舞ってやらねばな」
 癖毛の男は常に愚痴を言いながらも、服の弁償代とコーヒー代を払ってくれた。案外押しに弱い奴なのかもしれない。さっきまでこいつを殺してやりたいと思っていたあたしも、愉快な気持ちになってきた。

 名前はヤコポ・ベアルザッティだと、その男は名乗った。
「マリーア・カンパネッラ……やはり君はイタリア人か」
「あはは、思いっきり訛ってるかんねー、あんたもあたしも」
「君はともかく、私は違う」
 不思議なことに、あたしとヤコポは落ち着きつつあった。向こうも、不思議に思っているように見えた。こんなにムカつく相手なのに、気になるのは……。
「あんたとあたし、どっかで会ったことある?」
「…………ない、な」
「だよねー。こんなムカつく男に会ってたら嫌でも覚えるって」
「こっちだってこんなに粗暴な女に会ったら忘れるものか。女のくせに髪は短いし」
「うっわ今時そんな差別言うサイテーな奴本当にいんだー、うっわー」
「女は慎ましくあるべきだろうが」
「やっぱ一発殴らせろ」
「だが断る」
 互いに喧嘩腰だが、まるで気を許しあった親友のように気安いのは、同郷だからという理由以上のものがあるような気がする。こんなにムカつくのに。運命の王子様ならぬ、運命の喧嘩相手だとでもいうのか。笑える冗談だ。
「ところで、早くあいつらと一緒に私の視界の外に消えてくれないか」
 ヤコポが親指で指差した先には、いつの間にか隣のテーブルに移動したポーリーンと東洋の男が座っていた。先ほどの不気味さは何処へやら、爽やかさまで感じられるような穏やかな態度をした東洋の男と、少し頬を染めたポーリーンが親しげに話している。先ほど会ったばかりとは思えない親密さだ。
「なんだやっぱりナンパか。でもまあ、軽そうな奴じゃないし別にいっか」
 夢見る乙女なポーリーンちゃんも少しは男を知っておくべきだと、老婆心から放置を決める。
「何の関係もないし私にはどうでもいいんだがな、正直言って目障りだ」
「はっはーん? あんた、あたしと同年代っぽいけど、素人童貞でしょ?」
「しっ、素人、どうて、いだと……ッ!?」
「嫉妬してるの見え見えだし、でもその上余裕みたいな顔してるし。うわーかっこわるーい」
「う、うるさいッ、黙れ! 私をよくも侮蔑したな! 品の欠片も無い野蛮人め!!」
「ふん、そうやって偉ぶってるけどそっちだって上品とは言えないね。卑しさが見え見えだよ!」
 先ほどの落ち着きはどこへやら、あっという間に喧嘩沙汰になったあたし達を、ポーリーンと東洋の男がなだめた。

 ひとしきり会話を交わしたポーリーンと東洋の男は、互いに連絡先を交換した。あたしとヤコポは金銭のやり取りだけで、それ以上は聞かなかった。ポーリーンはしきりに「後悔するよ?」とか言ってきたけど、むしろ連絡先を交換した方が後悔すると思う。そうに決まってる。
 もう二度と会いたくないな、あんな男。帰りの電車にポーリーンと一緒に乗りながら、情緒とは程遠い思いをパリの街に抱いた。でも、何かまた会う気がしてならない。その時はせめて、もう少し、仲良くなれたらいいかなと柄にもなく反省した。


2014/05/30 06:24



 ルーシ一家(APH)


「ロシアちゃーん、ベラちゃーん、ボルシチが出来たわよー」
テーブルを拭いたりテーブルクロスを敷いたりしていると、台所から姉さんの呼び声が聞こえた。僕は姉さんから大きな皿を受け取り、こぼさないように気をつけて配膳する。ナイフとフォークも全員分用意してから、庭で雑草を抜いているベラルーシを改めて呼びに行く。額に玉のような汗を浮かべたベラは、泥だらけの手のままで僕の胴に無言で、素早く、抱きついた。僕はびっくりしている余裕も無いまま、後でこのコートを洗わなきゃと思いながら、そのままベラを引きずりながら居間に戻る。
「あらっベラちゃん、手が泥だらけ。お姉ちゃんと一緒に手洗おうか」
「一人でいい」
これは至極当然な対応だとは思うけど、姉さんはとても心配そうにしていた。もうあんなに大人になっているのに、特にベラのことは可愛いのか、すごく子供扱いをし過ぎている。
「ロシアちゃんのお皿には、ソーセージやじゃがいもいっぱい入れたからね。まだまだ大きく育つもんね」
「うーん、これ以上は育たないよ、姉さん」
……やっぱり、僕のことも子供扱いしている。それも仕方が無いのかもしれない。姉さんは、僕とベラルーシの親代わりのように、僕らに接してきたのだから。そう、途中までは。
ボルシチは珍しく冷製だった。夏は冷製にすることがたまにあったが、とても久しぶりに感じた。
「今年の夏は熱いから、冷たくした方がちょうど良いと思ったの」
スープを掬い上げる姉さんの指は、絆創膏でいっぱいだ。裁縫で失敗してるのだろうか。爪先の絆創膏に滲む血の痕が、目から離れない。
「ベラちゃんはどう?美味しいかな?」
「普通」
いつものそっけないベラ(僕以外に)に苦笑いするも、とても幸せそうにしているのが姉さんだった。
久しぶりに姉さんの手作り料理が食べたいなあ、と言うのは決まって僕だ。ベラルーシはそんなこと言い出すはずも無いし、姉さんはいつも忙しくて顔を合わせてくれないことが多いし。こうでもしないと、僕達が団欒する機会が殆ど無くなってしまった。昔は、朝から晩まで、それこそ本当の、人間の家族のように、いつも一緒だったのに。
窓から見える遠くのヒマワリ畑の緑が、ゆらゆらと揺れる。もうすぐ黄金が輝く真夏になるだろう。その時にはまた、姉さんの手作り料理をお願いしちゃおうかな。
「姉さん」
「なあに、ロシアちゃん」
「今日の姉さん、何だか綺麗だね」
絆創膏だらけの指が、固く握りしめられる。少し乱れたピン留めと、首筋にかすかに残る、赤い花。潤んだ瞳に、熱を帯びた頬。
「……ありがとう、ロシアちゃん」
その声が震えていたのは、僕の所為だろうか。満面の笑顔を作ろうとしてくれたけど、残念なことにちょっと眉が下がっていた。それだと困った顔に見えちゃうよ、姉さん。よく見せる、姉さんの困った顔。

何も無かったように食事が終わり、ベラと一緒に姉さんの家を出てベラを何とか家に送り届けてから、一人家に帰る道でヒマワリを手折る想像をするんだ。そして、今度ぐらいは目の前の人ばかり見ていないで、料理の味をよく覚えていたいなと思うんだ。口に広がる味覚が、なんだかしょっぱくなっちゃったから。


2014/05/24 01:10



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