幸せな夢を | ナノ



 梅雨もそろそろ開け、夏も盛りに入ろうとしていた。
 連日続く暑さに負け、子供らしくなくクーラーの効いた室内に籠りきっていたシルバーを外へと連れ出したのは、予想外にもカリンである。同僚として仲が良いらしく普段から行動を共にすることが多いイツキの姿も無くシルバーは首を傾げたが、成程イツキがいないから自分を呼んだのだと理解し溜息を吐いた。
 バトルが強く、またその芯の太さもシルバーはカリンを嫌いではなかったが、厄介事を持ち込まれることも多く多少の警戒を見せる。そんなシルバーにカリンは笑って見せ、その腕を引き強引に飛行タイプのポケモンを出させると空へと舞い上がった。
 抵抗の無意味さを悟り大人しく付いてくるシルバーに並び、にっこりと笑いながら行き先を指差す。その指は遠くに聳えるコガネシティのビルを指していた。
「アナタ、部屋から出ないんだもの。ワタルもアナタが傍にいて嬉しいんでしょうね、注意する気配も無いし、アタクシがこうして遊んであげてるのよ。今日一日付き合いなさいな」
「誰も遊んでくれなんて頼んでないだろ…」
 シルバーが小さくぼやくがカリンは歯牙にもかけない。出かけたばかりだというのに疲労を感じ、シルバーは今はいないイツキに対して胸中で呪詛を吐いた。

 兎も角連れてこられたコガネデパートでカリンの買物に付き合わされたシルバーだったが、カリンは人目を引く容姿をしているし、シルバーもまた整った顔立ちをしているために嫌でも店員に可愛がられ早々に逃げ出した。喉が乾いたからと嘯き休憩スペースに行くと、そこに張られたポスターがシルバーの目を引いた。まじまじと見つめるのはどうしてか恥ずかしい気がして、シルバーは自動販売機でミックスオレを買いながら隣のポスターに目を遣る。そこには近日、エンジュで祭りがあることが書かれており、シルバーはふと、生まれてこの方祭りと言ったものに行った事がないと思い至って俯いた。
 行く必要も、機会も無いと思っていたが、今のシルバーにはそういったものを楽しむ余裕が出来ていた。実際、リーグ内で行われたパーティ――と言う名の就任式であったりするのだが――にもワタルに連れられ数度参加したことがあるのだ。
 縁日、出店、花火、といった知識でしか知らない祭りの特徴を脳裏に描いていると、背後からぽんと肩を叩かれシルバーはびくりと大仰に背を震わせ勢いよく振り返った。
 見ればカリンがぽかんとした表情で、しかしすぐにニヤニヤと笑みを湛えて立っていた。シルバーの驚きようが面白かったのだろう、隠しもせずに笑われたシルバーは羞恥に苛まれカリンを睨みつけた。それすらも可愛らしいのだろう、カリンはまだ笑っている。
「なァに、祭典があるの?」
 一頻り笑ったカリンはシルバーが先刻熱心に眺めていたポスターを見て首を傾げる。行きたいのかと問われ、咄嗟に否定出来なかったシルバーに今度は柔らかく笑いかけ、カリンは赤い髪をそっと撫でた。
「行きたいなら行ってらっしゃいよ」
 カリンも、シルバーの心身の成長を知っている存在だ。その生い立ちまでは詳しく知らないにしろ、人を信用せず一人で生きていくと息巻いていたシルバーが、ワタルに見守られ子供らしさを取り戻していっているのは良く分かっている。
 シルバーがポスターを眺めていた理由も何となく察したのだろう、そのまま髪を撫でる手を止めないでいると、シルバーは居心地悪そうにゆっくりとカリンの手から逃れ、もう一度祭りのポスターを見て俯いた。
「でも、祭りって何か…浴衣とか着るんだろ。おれ、持ってないし、それに」
 シルバーがカリンの表情を窺い見ると、カリンは優しく笑んでいた。カリンもワタルも、こういった表情の時は話をきちんと聞いてくれるのだとシルバーは知っている。勿論いつだって話を軽く聞き流される時の方が少ないが、シルバーにとって大人が浮かべる慈しみの笑みは、まるで洗い浚い胸の内を話してしまいそうになる刷り込みのような意味を持っていた。
「それに?」
 言ったきり口籠ったシルバーをカリンが促す。こういった時、ワタルは次を口にするまでいつまででも待つが、カリンは話せるよう促すのだなとシルバーはぼんやりと考え、そして口を開いた。
「ワタル、…忙しいだろ」
 シルバーが言うとカリンは数度目を瞬かせ、そして破顔してシルバーの髪を撫ぜた。 先刻とは違う、力を込めてぐしゃぐしゃと髪を乱されシルバーはカリンの手を慌てて払いのける。それでもカリンは今度はシルバーの頬をつつき、そしてもう一度髪を撫ぜて口角を上げた。
「アナタ、当たり前のようにワタルと行くつもりでいたのね。ふふ、アタクシ、ヒビキ君やコトネちゃんと行くとばかり思っていたから驚いたわ。…そうよね、ワタルと行きたいわよね」
 カリンの口調こそシルバーをからかうものだったが、その目はシルバーを優しく見ている。そのままカリンは顎に指をあてて暫く考えていたが、やがてシルバーに悪戯染みた笑みを向けた。言い知れぬ悪寒を覚えて一歩後ずさったシルバーの腕をしっかと掴み、カリンは歩き出す。
「いいわ、アタクシがなんとかしてあげる」
 梅雨も明けた時期からリーグは一段と忙しくなる。滅多に休みも取れない状況なのだ、シルバーがワタルは忙しいと言った理由もそこにある。今日もイツキがいないのは、カリンと一緒の休みを取ることが叶わなかったからなのだろう。四天王でさえ休みを取るのが難しい状況であるから、チャンピオンであるワタルは全く休みがない状態なのだ。
 カリンに引き摺られたシルバーは、デパートの一角に時期の専用コーナーを設けた浴衣売り場に放り込まれた。店員とは顔なじみであるらしいカリンが一言二言告げると、満面に接客の笑みを浮かべた店員がその手に何着も浴衣や甚平を持ってシルバーへと迫ってくる。
 色鮮やかなそれらをあれやこれやと着せかえられ、結局シルバーがどうにか色の落ち着いた甚平を選んだ頃にはとっぷりと日が暮れていた。
「…いいのか、金、とか」
 手に甚平の包まれた紙袋を抱き、上目で伺う視線を向けてくるシルバーにカリンは笑う。こういったところで律義な子供なのだと知っていたが、もうからかう気にはならずにいいのよと一言言い、カリンは脳内で己のスケジュールを確認するとシルバーの背を軽く叩き前を向いた。
 陽が落ちた空には、中途半端な大きさの月が浮かんでいる。
「ワタルと、行ってらっしゃい。…行くべきよ、ワタルの仕事ならアタクシがどうにかしてあげるから」
 笑みを含まない、真剣な声音だった。シルバーの方を向かないカリンの視線の先は、ただ空に向けられている。カリンが何を思っているのかシルバーには計りかねたが、それでもカリンがシルバーを思って言っている事は分かりシルバーはこくりと肯いた。





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