幸せな夢を2 | ナノ



 祭り当日、ワタルは本当に休暇を取りシルバーと共にエンジュへと赴いていた。

 カリンと買い物をした日の夜、シルバーは甚平を見せながら一連の出来事をワタルに伝えたが、その時はワタルは本当に休暇となるか分からないと苦い顔をした。
 ワタルにとって、確証がない約束をしてシルバーに期待を抱かせてしまうのは不本意だったらしい。すぐにカリンの元へと足を運んだワタルだったが、カリンに何やら言い込められたらしく苦笑を浮かべて帰ってきた。
『…もし、行けなかったら』
『その時は、いつもと同じようにおまえの部屋にいる、から』
 そんな会話をして、ワタルに泣きそうな顔で抱きしめられたのはまだシルバーの記憶に新しいが、何をどうやったのかリーグ本部は祭りの日にワタルに休暇を出し、ワタルは驚きながらも喜んでシルバーに手ずから甚平を着せたのが一刻前のことだ。

「良く似合っているよ。髪も、可愛い」
 甚平だけでなく、シルバーは普段と異なり髪を一つに括っていた。伸びた髪は甚平には似合わず、あまり髪を結んだ経験がないシルバーは悪戦苦闘しながらもどうにかこうにか括ったのだ。露になったうなじを這うワタルの指を容赦なく叩き落としたシルバーは、並ぶ屋台を一望してほう、と息を吐いた。
 初めて見る屋台の活気と提灯の薄明かり、遠く近く聞こえる御囃子の音はシルバーの胸を掻き立てて止まず、シルバーは手をぎゅうと握り締めた。
「何か食べたいものはあるかい?」
 ワタルはそんなシルバーを見て微笑み、ゆるりと肩を抱いて歩を進めた。何か買って良いのかと弾かれた様に顔を上げたシルバーに首を傾げて見せると、シルバーは興奮にほんのりと頬を染めて出店を指差す。その様は確かに子供らしく、ワタルは胸の内でカリンに謝辞を述べるとシルバーが指差したわたあめの屋台へと足を向けた。
「わたあめ、好きなのかい」
「違う。見たことないけど、なんか、…嬉しそうに食べてるから」
 ワタルの問いに首を振ったシルバーは、わたあめに群がる幼子を見てその眼に追憶を浮かべているようだった。シルバーはあまり気にしていないようだが、ワタルはシルバーが祭りとは無縁だった事を突き付けられた気がして、胸が締め付けられたように痛むのを感じる。
 まっしろな、ふわふわの飴菓子。
「美味しいよ、きっとシルバー君も気に入るさ」
 どうしてか泣きたくなるような感覚を覚え、それを隠すようにシルバーの肩に回した腕を滑らせその手を絡め取ると、意外にもシルバーはワタルの手を握り返してきた。楽しそうな横顔が愛おしい。屋台でわたがしを頼む際に、誰よりも大きなものが欲しいと冗談を言ってわたがしを作る初老の男性とシルバーを笑わせ、そして本当に大きな大きなわたがしを渡されたシルバーが驚きながらも本当に嬉しそうで、ワタルは遂に耐えきれず零れ落ちた涙をシルバーに見えないよう袖で拭い、繋いだ手指に力を込めた。

 あれやこれやと見て回る最中、カランカランと下駄を鳴らして歩いていたシルバーが不意に立ち止まったのに気付きワタルはシルバーの顔を窺い見た。
 シルバーは慌てて何でもない、と首を横に振り先へと行こうとワタルの手を引いたが、ワタルはそれを許さない。丁度人が余りいない場所に来ていたのもあって、ワタルはシルバーの正面へと回って膝を折り、白い足から下駄を抜き取った。
 片足を持ち上げられてバランスを崩したシルバーがワタルの私服である、黒いワイシャツの肩を掴んで皺を作る。
「…痛かっただろう。何で黙っていたんだい」
 その皺に負けないくらい、シルバーの足を見聞していたワタルの眉間に深く皺が刻まれていた。声音は怒っているというよりも、心配をしているものだ。シルバーの足、親指と人差し指の間の皮膚は履きなれない下駄の鼻緒ですっかり擦れてしまい、皮が剥けてじわりと血が滲んでいた。
 今し方出来た傷ではなく、かなり前から痛みはあっただろう。咎められたシルバーは言い難そうに視線を逸らす。
「…だって、痛くて歩けないって言ったら、おまえ、帰ろうとするだろ…」
 シルバーは気まずいのかワタルと視線を合わせようとしない。どうやら隠していたことがばれ、ワタルに心配をさせてしまったことを気にしているらしく、それを悟ったワタルは仕方がないなと苦笑し、一旦シルバーの足を地へと置いた下駄の上へと下ろし、そのまま体ごとシルバーに背を向け腰を屈めた。
「…え?」
 それは覆い被され――要はおんぶをしてあげるよとシルバーに伝えるものだったが、これまでワタルはシルバーにそれをしたことがなく、またシルバーも実父にされた経験がないと言う。戸惑い、恥ずかしいからとうろたえ乗る気配のないシルバーにワタルは首だけ振りかえり、早く、と急かして見せた。
「おいで。まだ、帰りたくないんだろう?」
 おんぶをすることは、足が痛くて歩けない、でもまだ帰りたくないシルバーの希望を叶えるためのワタルの譲歩だった。言外に乗らなければ帰るよと告げると散々迷った後に心を決めたのだろう、ワタルの背に暖かな体温と重みが加わる。
 シルバーの腕が首に回されるのを待ち一挙動で立ち上がると、急に高くなった視界にシルバーは驚き、そして笑った。
「……楽だし、悪くない」
 祭に来て、甘いものも食べて今日は少し素直になっているらしいシルバーは、ワタルの後頭部や肩口に頬を擦りつけて甘える仕草を見せた後、そう言った。
ワタルも未だ、シルバーの足を懸念する思いはあったがこれはこれで役得かと思い直す

 並ぶ提灯に導かれるままに奥へ奥へと進み、途中でシルバーが目を留めた林檎飴を購入してから、人が少ない町はずれに備え付けられたベンチへと腰を下ろす。
 普段、夜はしんと静まり返るエンジュの街だったが、消えない灯りと活気に包まれ、どこからか澄んだ鈴の音までもが聞こえてくるような気がした。もしかしたらそれは、御囃子の音だったのかもしれないけれど。
「ワタル、ほら」
 歩かなくても人混みでさすがに疲れたのだろう、ベンチに腰を降ろしてほっと一息吐いていたシルバーがワタルの口元へと飴を寄せてくる。林檎を丸々一個使った飴は大きく、一人では食べきれないらしい。それならばと遠慮無くワタルは飴の薄くなった箇所に歯を立て、飴の温度が移り仄暖かい林檎を咀嚼した。反対側からは、シルバーもちまちまと鼈甲を舐めている。
「なあ、口、赤くなってる」
 一つの林檎飴を二人で食べる光景は、傍から見ればこれ以上なく睦まじい恋人同士に見えていることだろう。ワタルは他者にシルバーとの関係を隠す気もなかったし、また敢えて今の状況をシルバーに言いこの雰囲気を壊すのも勿体無いと思い、時折シルバーの柔かな髪を撫でていたが、シルバーの言に我に返る。
 見れば言うシルバーの舌も飴に付けられた薄赤色に染まっており、ワタルとシルバーは互いに舌を見せあい唇を寄せた。
 落としてしまわぬよう林檎飴はワタルが受け取って、そっとシルバーの唇を食む。
 こんな、誰が通るか分からない場所で口付けを交わすなどとシルバーの胸中に一抹の羞恥が去来したが、目を開けてワタルを見てみれば間近で優しい瞳で笑まれ、慌てて瞼を降ろしながら今だけはそれを忘れても良いかもしれないと思い直した。
 祭りの空気に浮かされたのかも知れない。舌を吸われる度に熱い互いの口内が甘い飴の味に満たされ、その内シルバーは他所事を考える事を忘れていった。

 明日からはまた、ワタルは仕事に追われるのだろう。
 多忙を極めるワタルの中で、今日の事が少しでも気を安らげる要因になればいいと、シルバーはぼんやりと考えた。
 長い口付けはまだ、止まない。


END
幸せな夢を見たら手をつなごう


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -