わざわざ言う事じゃないかもしれない。だが私は敢えて言おう。
何の面白味もない人生だと思う。
「名前さん、こんにちは」
「……あー……こんにちは」
起きて、働いて、寝る。
端的に言えばこれの繰り返し。
そこに何かをプラスするとすれば、今しがた挨拶をしてきたこの男の事ぐらいだろうか。
「……今日も」
「ぶっかけです」
「と、ちくわの天ぷらですね」
昼休憩、と言っても書き入れ時を過ぎた十五時頃だが、賄(まかな)いのうどんを食べている私に毎日話しかけてくる。
とりとめのない話だ。
今日の賄いは何うどんですか?から始まって、今日も門前払いでした、で終わる。交わすのはそんな実のない会話ばかり。
「聞いて下さい、名前さん」
「……何ですか?」
「ついに、」
「……」
「ついに、許可が貰えました!」
「……へぇ、おめでとう」
あれはいつの頃だったか。
確か一年くらい前に、取材をさせて頂きたいのですが、と彼が店に来たのがこれの始まりだったと思う。
セルフの店が増えて機械が主流になりつつあるこのご時世に、未だ手打ちである事にこだわりを持つ頑固親父の元には何度かそういう話を持ち掛けて来る人が居たからそれ自体は珍しくもないのだけれど。
食って分からねぇならうどんを語るんじゃねぇ!と門前払いされるのもまた珍しくはないのだけれど、諦めずに通い続けたのは彼が初めてだった。
「ありがとうございます!」
来る日も来る日も、客足が落ち着き始めた頃にやって来ては注文して完食して頭を下げていたこの男。
たかだかうどん屋の取材で何をそんなに躍起になっているのだろうかと最初こそ疑問を抱(いだ)いたものだが、僕の人生が掛かってるんです!と叫ばれたその日にそんな疑問は捨てた。
この男と私は絶対に相容れない存在だと直感したからだ。
曾祖父の代から続くうどん屋を営む両親の間に産まれたせいで、うどんという食べ物を憎めずとも愛せなくもなった私。
頑張って大学も出たというのに許された仕事はうどん屋のみ。
一人娘という立場のせいで当然嫁ぐ事は許されず歴代の彼氏には必ずフラれる始末。
勿論、全部が全部、家業のせいではないのだろうけれど。
それでも、彼氏にフラれた時や食べに来てくれたカップルやファミリーを見る度に思ってしまうのだ。
普通のサラリーマンの家庭に産まれていれば、きっと私の歩む道は違っていたのだろうな、と。
「というわけで名前さんっ!」
「っえ、ちょ、何」
なんて、目の前でやたらキラキラした笑顔を振り撒く男から目と意識を逸らしていれば、唐突に握られた左手。
びっくりして手を引いてしまったのだが、これが男女の差とで言いたいのか、少し動いただけで残念ながら解放はされなかった。
「結婚してください!ぼ……っぐ、」
頭、わいてる?
男の振り撒くキラキラ具合も相俟って割りと苛ついたのでとりあえず空(あ)いている右手で視界に写っている野郎の顎を下から殴ってみた。
「手ぇ離して下さい」
「いっ、嫌です!」
なのに。
涙目になりながらもやはり左手は目の前の男に捕らわれたままで、解放の気配もない。
「一目惚れなんです!だから今日までずっと通っていたんです!名前さんにプロポーズする許可をお義父さんに頂く為に!」
「…………は?」
「勿論、僕が婿養子に来ますので心配しないで下さい!」
決めた。
次は蹴りをおみまいしよう、下半身の中央部分に。
わざわざ言う事じゃないかもしれない。だが私は敢えて言おう。私にだって選ぶ権利はあんだよクソッタレ!