変質者のがマシよ!


交渉決裂。

そう言えればまだ気が楽だったけれど、交渉らしい交渉なんて出来なかった上に自(みずか)らの手で携帯を破壊してしまった私が出来る事と言えばひとつしかなかった。


「……まるで、疫病神ね、」


はぁ、と重いため息を吐き出しながら、足元に転がる蜘蛛の巣状にひび割れた液晶画面へと視線を落とす。

バックアップを取ったのは結構前の話だ。それこそ機種変をした時に一度して、それっきりではなかっただろうか。

特に問題はないと思うのだけれど、それでもこんな精神状態で携帯ショップに足を運ばなければならないのはやはり気が重い。

しかし家に固定電話を設置していない以上、連絡手段として携帯を生き返らせる必要がある。


ああもう、何で手加減しなかったんだ数分前の私!


「…………誰、」


ぐしゃぐしゃと髪を両手でかき混ぜながら、叫びかけたそれを何とか飲み込めば、鼓膜に届いたインターフォン。

宅配便の予定はない。

来客の予定もない。

だとすれば、隣人か、はたまた下の住人か。

そんなに暴れ狂ったつもりはなかったのだけれど、携帯を壁に投げつけたから隣人の可能性はなきにしもあらずで、しかし横より縦の方が響くマンションという建物に住んでいる以上は床に携帯が落ちた音が想像以上にうるさくて下の住人が憤慨しているという可能性もまた然りだ。

どちらにせよ、こちらに非がある以上は謝るしかない。

はぁ、と再び重いため息を吐き出して、玄関へと向かった。


「はい、あの、うるさくし……っ!」

「っおい!」

「やっ、やだ!足挟まないで!来ないで!開けないで!やめて!」


がちゃり、ドアを開くと同時に視線を上げながら謝罪を口にすれば、上げた視界に写ったのは隣人でもなければ下の住人でもなく、私の携帯を瀕死へと導いたあの男。

確かめずにドアを開けた私が不用心だというのはもっともな意見ではあるけれど、しかし数分前まで電話で会話をしていた奴がさらりと訪ねて来ようとは誰が思うだろうか。

瞬時にドアを閉めたものの、ピカピカに磨かれた革靴が完全に閉まるのを阻止したものだから、生まれた僅かなその隙間からこじ開けようと五本の指がするりと侵入する。


「人を変質者みてぇに言うな」

「変質者のがマシよ!」


閉めたい私と、こじ開けたいこの男。

勝負と銘打つような事ではないが、それでも、どちらに軍配が上がるかなんてのは始まる前から決まっていた。


「涙華」

「っ」

「話がまだ途中だろ」


淡々と吐き出された抑揚のないその声に、思わずドアノブを引っ張る力が緩む。

しまった、などと思った時にはもう遅い。


「……涙華、」

「……話……なんて、もう……ない、」


勢いよく開かれたドアは、ガンッと壁にぶつかって蝶番(ちょうつがい)がミシリと鳴く。

あ、と思えど、するりと伸びた腕に身体を絡め取られてしまったせいでそこに向かわせれたのは視線だけだった。


「……涙華、」

「……はな、して……かえ……っ、てよ、」


身を捩り、押し返そうと試みるもさらに力を込められるという逆効果を呼んだだけで、ひゅるりと空気が喉を通る。


やめて。

触れないで。

あんたと離れてからの三年間を、私は無駄にしたくないの。


「涙華」

「……っや、だ、はな……っ、」


だから、お願いだから。


「言っただろ。何でもする、って」

「っ」

「利用しろよ、俺を」


なんて願ったところで無駄だって事を理解する為に、私はあと何度、同じ事を繰り返せばいいのだろうか。
 



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