会いたい、な、
言葉にするならばきっと、バタバタだとか、ドタバタだとか、そんな言葉になるのかなとまるで他人事のように思った。
怒涛の、なんて表現を使うのは語弊があるように思える。
しかしそれに似た日々を過ごしたせいか、気付けば病院で目を覚ましたあの日から二ヶ月という時が経過していた。
正確には、二ヶ月と六日。
生まれてから死ぬまでという概念で見れば短いとも言える期間ではあるけれど、私個人の価値観で言えばそれは決して短いとは思えなくて、二ヶ月と六日目の今日にしてやっと、私は、私でいられていると実感した。
平日の午前、人気(ひとけ)のない公園のベンチでぼんやりと遠くの空を眺めていても、帰りましょうとは言われない。
公園のベンチで輪郭のはっきりしていないぼやけたものを考えていても、何を考えてるんですか?とは聞かれない。
二ヶ月と六日経ってようやく持てた独りの時間をどう過ごすのが正解なのか分からないけれど、誰にも干渉されない時間を欲していてのは確かだったから、どんな過ごし方をしても私はきっと満足するだろう。
心配だからと仕事のシフトや休日までもを同じにした槌谷くんは、週に四回ほど私の家に泊まる。
入院なんてしてしまったから心配をかけてしまったのは重々承知しているのだけれど、正直なところそんな現状に少しだけ疲弊していた。
考えたところで分からないものは、考えても仕方がない。
それでも考えてしまうのが人間というもので、意図せずに思案してしまうのならそれはもう自分でさえも止めようがなくて、だからこそ、それを心行(ゆ)くまで出来る時間と空間が私は欲しかった。
涙華さん、涙華さん、と連呼する彼のいない日常。
同じに職場で働いているのだから、恋人関係にある今と同僚でしかなかった過去とはそう違いなどないように思えるのだけれど、何故だか感じてしまう懐かしさ。
忘れているものは何なのか。それが判断出来ない私は今しがた感じたそれや、たまに感じていた違和感が正解なのか不正解なのかが分からない。
だから、だろう。
時折、思うのだ。
もしかしたら、あの人の━━橘さん以外の事も何か忘れていたりしないのだろうか、と。
無論、記憶がないのをいいことに嘘をついて私を騙すような人なんて居ないだろうし、その行為から得られるメリットも皆無だろうから、きっと、私の考え過ぎでしかないのだろう。
けれど、どう頑張っても拭えない日々のそれらに思考は支配される。
「……私は、本当に、私……?」
あの日を境に減ってしまった、私の過去。
失われたその中にはきっと、頭の中から消えてくれないあの人の事が詰め込まれているのだろうけれど、今の私に知る術(すべ)はない。
一度、槌谷くんに、知っているの?と尋ねはしたけれど彼は苦笑いを浮かべただけで明確な答えはくれなかった。
聞くな、と言葉にこそされはしなかったけれど、暗にそう語る彼のはぐらかし方を前に食い下がれるほど私は無神経な子供ではない。
しかしだからといって、もういいや、と簡単に投げ捨てられるほど切り替えの早い大人でもない。
「…………会いたい、な、」
ぽつり、呟いたそれは意図せずに滑り出た本音。
ここには自分だけだと、周りには誰も居ないと、知った上での独り言。
だからなのか、ゆらり、揺れて、滲む視界。
「……っ、たち……っばな、さん、」
耐えきれずその名前を吐き出せば、ぽろりと目尻から溢れて零れたそれ。
ぽた、ぽたぽた、と頬を滑り、顎先から落ちて行くそれを眺めていれば、ジャリ、と自分が立てたものではない音が背後から聞こえた。
「…………涙華、」
「っ」
同時に、背後から聞こえた私の名前を紡ぐ声。
え?どうして?何で?と脳内を飛び交う疑問符のせいで、振り返る事はおろか、返事さえ出来ない。
なのに、そんな私の心情などお構い無しだと言わんばかりに一定のリズムで奏でられる靴音。
「……何で、」
「……っ、た、たち、ばなさ」
「泣いてんだ」
落としたままの視線の中に入り込むように写る、磨き上げられた革靴と地面に触れる曲げられた片膝。
交わる視線の先には、僅かに細められた瞳。
「……っ、」
「て、おい、」
それらを認識したから、なのか。
詰まった言葉の代わりに、ぼろぼろと目尻から水分がまたしても溢れて零れた。
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