駄目。触らないで
避けようのない現実は、結局、自分の中で折り合いをつけて消化していくしか道はない。
無論、最初から無抵抗だっというわけではないけれど、それでもそれが無駄かどうかぐらいはそれなりに理解出来るわけで、無駄な事ほど疲弊するものはないのだからと容赦なく訪れる日々を流れ作業の如く噛み砕く。
「あ、そうだ。隼汰」
「……ん、」
「はい、これ」
キッチンで倒れていた、とされたあの日から四日目の今日。
夕食を終え、シャワーを借りる、と通算五回目になるそれを律儀に告げに来た彼に用意しておいた紙袋を渡せば、何故か目を見開かれた。
「……え、」
「どうせ、今日も泊まるんでしょ?ただでさえソファーで寝てるのに、ずっとスーツだし……疲れ取れないだろうから……せめて部屋着ぐらいは……ね」
言葉で表すならばそれはまさに、きょとん、だろう。
受け取りはしたものの、そこに落ちた彼の視線は上がりもしなければ左にも右にも動かず騒がず、小さくあいた口は音を吐き出すわけでもないのに閉じる気配がない。
どうしたの?とわざわざ問いかけはしないけれど、それを含ませた視線を向ければ、タイミング良く彼の視線が上がる。
かちりと合わさった互いのそれに、あ、と小さな音が口内で響いた。
「……っ」
「駄目。触らないで」
揺れる、空気。
咄嗟に身体を下がらせれば、伸ばされた腕の先にある指は空(くう)を切る。
三年間離れていたとはいえ、彼が衝動に駆られた時の空気感をどうやら身体は覚えていたらしい。
「……悪い……つい、」
「……」
「……ありがとな、これ」
「……うん」
吐き出される謝罪と感謝。
しかしそれよりも前に、ぴくりと微かに動いた眉根がおそらく本音だろう。
自分の思い通りにならないと機嫌が斜めを向く。出会った時から彼は既にそうだった。
惚れた弱みと言うべきか、我が儘でしかないとうのに拗ねたようなその仕草さえも愛しく感じるのだから恋心というものは本当に恐ろしい。
そしてその感情を跡形もなく消したいと思っているのに、完全に消せていない自分は滑稽としか言いようがない。
嘲笑う事さえ、出来ないほどに。
「……シャワー、借りる、な、」
「……うん」
くるりと向けられた背中を見つめながら、刷り込まれたその記憶に、早く消えてよ、と静かに願った。
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