Lord's absence

 
主は不在。

とはいえ、何もしなくていいのかといえば決してそうではない。


「…………まぁ、乗られるのは嫌いではないが」

「っだ、だったら、ぬっ、脱いで下さい」

「断る」


花をよろしくね、と。

ルーシィの制止をまるでないもののようにあしらい、ノア=マーシャルにエスコートされ外出なされた我らが主。

彼女の気紛れに振り回されるのはもう慣れたのだが、"キャット様"の直属である彼女の突如として発揮される行動力にはまだ慣れないでいる。


「っ、でしたら、私が脱がすまでです!」

「……」

「でっ、出来ないと思ったら大間違いですからね!貴方の上に居る私の方が有利なんですから!」


"キャット様"の指示通り各部屋へ鉢や花瓶を運び、ようやく最後の運搬を終えたと思えば、不意を突いたかのように突き飛ばされた身体。

無論、避ける事は可能だったが敢えてそれは受け入れた。

その理由はふたつ。

突き飛ばされた身体の倒れるであろう場所がベッドだと確信していた事と、己という人間が使えるものは親の仇でも使う主義だという事。


「……ひとつ、聞いてもいいか?」


押し倒されたベッドに肘をつき、上半身を僅かに起こせば、当然のように跨がり服を脱がそうと躍起になっている彼女の眉根が寄った。


「……何です?」

「ベッドにしか誘えないのか?」

「……」

「あんたが娼婦ならそれで問題はないが、生憎俺は女に金を払う趣味はない」


あからさまに息を吐き出せば、服に固執していた彼女の手が止まる。

ぐ、と噛み締められる下唇。寄せられた眉根の下には細まり潤んだ瞳。

露になった動揺に乗じて上半身を完全に起き上がらせれば、耳にかけていた彼女の髪がさらりと落ちた。


「……だって……セックスだけ、でしょう……?」

「……何がだ」

「男が、喜ぶ事……女に……求める、事は」


おそらくは、生きてきた過程がそうさせたのだろう。ベッドの中でしか囁かれる事のない愛を、目の前の女は真実だと信じている。

疑問を抱いた形跡すらない彼女の物言いに思わず苦笑した。


「…………他の男がどうかは知らないが、」

「……」

「少なくとも俺は、女を抱くより人を殺す瞬間の方が興奮する」


くつり。

小さくそれを浮かべれば、細まっていたはずの瞳が忽(たちまち)ち丸みを帯びる。

だがそこに、生まれるかと思えた侮蔑の色は現れていなかった。


「……貴方の事を、もっと知りたいと思うのは……オカシイかしら……?」


ねぇ、と。

普段の抑揚のない事務的な口調とはまるで違う甘ったるい声を吐きながら、人差し指で"キャット様"が付けた口端の傷痕に触れるルーシィ。

普段は意図的に隠しているのであろうそれを惜しみ無く出す事が、男を惑わすのに最も効果的なのだと彼女は理解しているのだろう。


「……何をどう思うかはあんたの勝手だ」


無論、相手を選びさえすれば、の話だが。


「だから、手始めにひとつ教えてやる」

「……何……?」

「俺を知りたいなら、旨いコーヒーが必要だ」


分かったわ、と。

無防備に微笑む目の前の女はこの先も、たわいもない陳腐な言葉に顔を綻ばせ、偽りさえも真実だと語るのだろう。


「……すぐに、用意するから、」

「……ああ、」


躊躇う事なく床に降り、部屋を出て行く彼女の背中を見ながらまたひとつ苦笑を浮かべた。
 

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