星が降る島


おかしい。
黙々と歩き続け、体感時間はすでに三時間ほど。けっこう前から感じていた違和感を、カリオンはついに明確に形にする決意をした。
おかしくない? 島には森しかなかったはずなのに、山に登ってない? しかも、けっこう高いし。まだ頂上でもないのに巨木の森を見下ろしてるんですけど。
魔物に遭遇し、狼男や人魚、魔女にもいっぺんに出会った。“魔海域”も体験済みだ。もう些細なことでは驚かないつもりでいたカリオンだが、さすがになかったはずの山に登っている現状には困惑を隠せない。しかも、誰からも説明がない。
真っ先に教えてくれそうなテピは、巨木の根をよじ登れず何度も転がり落ち、草に足をとられては転倒し、沼地では沈みかけ、可愛いと喜んで見つめていた猿に食べかけの木の実をぶつけられ、もう傍目から見ても踏んだり蹴ったりで、今はラドに背負われてぐったりしている。もともと、テピ以外には口数が少ないラドは冷めきった表情で正面を睨んでいるし、ベラトリアスも切羽詰まった表情をしている。兄妹ふたりして、話しかけづらい雰囲気を醸し出していた。
とりあえず、黙ってついて行くか。
訊くのを諦め、疑問を溜息に変えて吐き出す。と、背後にいたラドに小声で名前を呼ばれる。
「おい、カリオン」
「ん?なに?」
「なんで黙りこんでんだ。気まずいだろうが」
あいつもなんか静かだし、と彼は前を歩くベラトリアスをちらりと見る。
「疲れてんじゃねえのか? 休憩するように声かけろよ」
「……自分でかけたら? てか、俺だってさっき声かけたけど、大丈夫だって断られたよ」
「ならせめて背負ってやれよ。魔力はえげつねえけど体力はないぞ、あいつ」
心配しているくせに、兄としての接し方がわからないからとカリオンに押し付けようとするラドに、さすがに呆れる。
「ああもう、面倒臭いな……。ベラ!ラドが大丈夫か、って言ってるよ!無理すんなだって!」
「あ、てめ!」
振り向いたベラトリアスは、肩で息をしつつ、驚いたように目を丸くしていた。
「あ、いや、別に」と慌てているラドを見て、彼女はぽっと頬を赤らめる。照れているのかもしれない。
お互い、仲良くしたいと思っているのだろう。
ならそうすればいいのに。世話のやける兄妹だな、とカリオンは肩を竦めた。
「……ありがとう。でも大丈夫よ。星族の領域に入ったから、あともう少しだもの」
「……ならいいけどよ」
少しだけ歩み寄りはじめた兄妹の会話を右から左に聞き流しながら、カリオンはここが“星族の領域”だということを知った。“魔海域”と似たような、現実には存在しない空間なのだろう。
それからまたしばらく山を登り、ようやく頂上に辿り着いた時には、カリオンはさすがに疲労を感じていた。一息つきたい。休めそうな場所はないかと視線を動かした刹那、駆け出したベラトリアスが目の前を通り過ぎた。
「ジスリーク!」
どこにそんな元気があったのだろうか。そんなことを考えてしまうほど大きな声を出して、彼女は大きな岩が積み重なっている場所へ向かって、背丈ほどもある草を掻き分けて進む。
「追えよ」
その声が聞こえるよりも早く、カリオンは草を掻き分けていた。
目を凝らす。岩場の上がうっすらと青く光っている。人の形をした輪郭が見えた。誰かがいる。
「ジスリーク、ジスリーク……!いや、行かないで!」
「…………ベラトリアス?」
岩を登ろうとする彼女に、差し出される手。それに掴まって岩の上に立ったベラトリアスは、勢いよく彼に抱きついた。
がっしりとした男の体が彼女を受け止める。心底驚いた、といった様子の男の顔が、ようやく見える位置にカリオンも辿り着く。
青い髪に青い瞳の精悍な顔立ちの男は、人間のようでいて人間ではないことはすぐにわかった。全身が青く光り輝いていたからだ。彼が星で、ベラトリアスの心友の、ジスリーク。
「ベラトリアス、どうしてここに?今日は、隣国へお見合いをしに行くんじゃ……」
「そんなもの!あなたに比べたらなんの価値もないわ!」
「……ベラトリアス……」
戸惑うようにさ迷っていたジスリークの手が、彼女の背中に回された。
これは、見ていていいのだろうか。ラドとテピが時々醸し出すものと似ている空気に、カリオンは胸を押さえる。
「ベラトリアス……。もう会えないと思っていた。すまない、ずっと傍にいると誓ったのに、君に嘘をついて、純粋な君をひどく傷付けてしまった」
「……ほんとよ。ひどい、ひどいわ、ジスリークの嘘吐き……」
泣きながら責めるベラトリアスを見下ろす彼の表情が、悲しげに歪む。
ベラ、頑張れ。言いたいこと、ちゃんと伝えろ。
そのために、ここまで来たんだろ。友達に会うために、頑張ったんだろ。
カリオンの念が伝わったのか、ベラトリアスは顔を上げ、ジスリークの目をしっかり見つめた。
「嘘よ!清々するなんて、嘘だから!悲しい、あなたがいないなんてすっごく……悲しい……!行かないでよぉ……!」
わあ、と決壊したように大泣きするベラトリアスは、魔力を持っていようと、顔に濃い化粧を施していようと、ただのひとりの少女だった。
「ごめんな……。ごめんなあ、ベラトリアス」
化粧が落ちてどろどろになった彼女の頬を包み、親指で止めどなく零れ落ちる涙を何度も何度も拭いながら、ジスリークは謝る。だが、その表情はひどくやわらかく、泣いてくれるベラトリアスの存在が嬉しいのだと、いとおしいのだと雄弁に語っていた。
「永遠に近い時を生きていたくせに、自分の終わりに気付けないなんて、おまえの先生も失格だよ、俺は」
終わりとは、寿命ということだろう。星にも寿命がある。ジスリークは、それを知ったから、ベラトリアスに別れを告げたのだ。
「俺は自分自身のもとへ戻らなければならない。もう長いこと生きたけれど、消滅するのははじめてだ。でもな、ちっとも怖くないんだ。なんでかわかるか?」
何も聞きたくないというように、ベラトリアスはただ首を振っている。そんな彼女の頭にキスを落とし、ジスリークは微笑んだ。
「何億光年も離れたこの星に、ベラトリアス、おまえがいるからだ。遠く離れた場所にいる俺のことで泣いてくれる心友がいるからだ。俺はずっとおまえと共に在り続ける。それはこの友達の証に誓う」
額にもキスをして、ジスリークはベラトリアスから離れた。
ベラトリアスは慌ててすがりつこうとするが、ジスリークはちらりとカリオンを見て、彼女を岩から突き落とす。
なんとなく、そうするだろうと予想していたから、カリオンは落ちてきたベラトリアスを難なく受け止めることに成功した。
「待って、いやよ、ジスリーク!待ってよお……!」
がむしゃらに暴れ、必死に手を伸ばす彼女ににっこり笑って、ジスリークはふわりと宙に浮かぶ。
「ベラトリアス、大好きだ!」
その言葉だけをその場に残して、彼は夜空へ消えた。
ジスリークのあとを追うように、無数の星が流れる。
「綺麗だな……」
高い山の頂上からは、海に映る流星も見ることができた。
上も下も流れ星。流れ星の中にいるような島。
だから“星降り島”なのかな、とぼんやり考えていると、横抱きされたままのベラトリアスが、ぽつりと呟いた。
「あなたの魂も、浄化されるでしょうね……。こんなに美しいんだもの」
彼女は、ジスリークを引き留められないことを知っていた。この美しくも悲しい流星を見ることになると知っていた。
ベラトリアスはお別れを言うために、ここへ来たのだ。
「そうだな……」
そうだといい。腕の中にいる、この少女と共に在り続けるためには、穢れたままでは駄目だから。
ジスリークは、きっとカリオンにベラトリアスを託した。そんな気がするのだ。そしてその想いに応えたい、彼の代わりに彼女の傍にいたい。そう思う。
夜が明けるまでこの星空を見上げていたいと思っていたカリオンの耳に、無粋な足音が届く。
「いたぞ、姫様を返せ、この誘拐犯!」


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