中篇 | ナノ

きみよりこわいもの


目覚めると、よく見知った白いリノリウムとは間逆の造りの天井が視界いっぱいに広がった。
二日酔いに沈む脳みそでなんとか記憶を逆行させるが、思い出せるのはあまり楽しい事ばかりではない。
ふと、何よりも恐ろしい事は、人の心を覗いてしまうことだ、と書かれた本をロックオンは思い出す。
遅かれ早かれ、こうなってしまう事は目に見えていた。
どうせそうなってしまうのなら、何事も無かったように終わってしまえばいい。
それならこれは想定していた内のどの終幕より、とても綺麗な終わり方だ。
だから何も言わずに、短い寝息を立て続けるアレルヤの隣から這い出る。
動いたせいではだけたブランケットを肩まで掛けなおして、その部屋を後にした。

あれからというもの、二人の間には不穏な空気が漂った。
繰り返される事務会話ですらどこか耳を伏せたくなるような怒気を孕んだ声で、あの優しい二人が話すものだから、まわりのクルー達は「喧嘩でもしたのか」と考えるが口には出せずにいた。
どちらかと言えば怒気より、気まずさによる切羽詰まったような声、と言った方が適切なのだろう。が、そのような曖昧なニュアンスはあまり関係が無かった。

過去に二人が和やかに談笑する様子を幾度か目撃した事のあるスメラギは、ある違和感に気付く。
それは戦術予報士としての職業病からなのか、ただ単に鑑査対象であるマイスター同士の感情の変化だったからなのか…それは解らないが、多分、彼女とエクシアのマイスターである刹那は、その二人が明らかに異常だと気付いた。

確かにあの二人は仲がいい。
ただしそれは二人が同じ場に居合わせた時だけで、世間一般に言う「仲のいい友達」のように、頻繁に声を掛け合ったり、共に食事を取ったり、何気なく歓談するような関係ではなかった。
そもそも二人の場合「友達」という関係の表現は適切ではないとスメラギは考える。
少なからず、マイスター同士の仲間意識は初期段階より確実に芽生えている筈。
その筈では在るのだが、それはロックオン・刹那・ティエリア間にだけ限定されたもので、いつもアレルヤは三人の後ろでその穏やかな微笑を浮かべているだけだった。
機体の特性上単独行動が多いキュリオスのマイスターであるアレルヤは、ガンダム全機出動時でも最年長であるロックオンに全てを一任して先陣を斬って出るのだ。
このトレミーでも、アレルヤは率先して他者の手伝いに出てくれている。
マイスターでありながら、夜間の常務航行もする。
だが今考えるとどうだったのだろう。
スメラギは思考を走らせる。
あの三人の「場」にいる事が、アレルヤにとって息苦しく気まずいものだったのでは無かったのだろうか?
アレルヤは弁えている。
いや、己を過小評価し過ぎなのだ。
自らを非力なものと思い込み、本来の能力が伸び悩んでいる。
スメラギはアレルヤをそう判断し、納得していた。

朝、グリニッジ標準時間であれば太陽がやっと顔を出す時間帯。
食事を取る為に食堂に向かう最中、刹那はロックオンを見付けた。
緩やかな巻き毛が、空調による微風と重力になびく。
「よう、おはよう刹那。早起きだな」
先を行っていたロックオンは刹那の視線に気付いたのか振り返って、立ち止まり、その髪に指を差し込んで頭を撫でる。
自分の撫でる手も、その微笑の仕草も、普段と変わりない。
変わりないが、目の下には少し隈が出来ていて、くたびれたような表情をしていた。
「ああ。そっちは…寝不足のようだな」
本来なら他のクルーより一時間早い時間だ。
基本的にグリニッジ標準時間を基本にして生活しているトレミー内ではあるのだが、その仕事内容と宇宙という空間のせいか、乱れた食事・睡眠時間になってしまう。
その為緊急時以外は皆決められたタイムスケジュールで動いているのだ。
しかし、他人との接触を極力避ける刹那は、皆より一時間早く食事を終える。
早番のクルーとはたまに顔を合わせる事は度々あったが、朝食は基本一人で取る事が多かった。

「んー…最近寝付きが悪くてな」
刹那の問い掛けに、ロックオンはばつが悪そうに答える。
乾いた笑みを浮かべてまた刹那の頭を撫でた。
「そういう事なら俺ではなく医者に報告すべきだ」
その虚ろな笑みが腹立たしくて、刹那はその手を払いのけた。
払いのけられた手をどう引っ込めるかロックオンは考える間も無く、リノリウムの床を蹴る。
「だな。そうするわ…………、」
食堂までは残り3メートルも無く、少し床を蹴っただけでその手は食堂の扉まで辿り着いてしまう。
しかし扉が自動で開かれたにもかかわらず、そこで立ち往生を続けるロックオンの背中に、後続していた刹那はぶつかってしまった。
「急に立ち止まるな!……アレルヤ?」
その視線の先には、大きい食卓に備え付けてある椅子に深く腰掛け、一口一口ゆっくりと食事を摂るアレルヤが佇んでいた。
その姿を見つめ続けるかのように、ロックオンは呼吸も、瞬きもしない。
咽喉が詰まっているのか、と心配するほどに、ただ無言が続く。
だけれどアレルヤを見るその瞳がどこか憂いを帯びているのだ。
ロックオンの視線に気付いたのか、それを鏡のように反射して、アレルヤも曇った翳りのある瞳を此方に向ける。
そして立ち上がったかと思えば、挨拶も儘ならぬまま擦れ違うようにしてそそくさとアレルヤは食堂を出て行った。

「……何かあったのか?」
「いや…なあ。」
否定をしつつ、言葉を濁す。
何かあったと言われれば、あったのかもしれない。
けれどあれは正体をなくす程酒に酔いしれた者が晒した酔態だ。
だから「何も無かった」と言われれば、それまでの話だった。
「言わないと解らないぞ」

刹那のその言葉がロックオンに突き刺さる。
何気なく発した自分の文言はこんなにも応え辛いものだったのだろうか。
無知だった。
知らず知らずに人を傷付けておいて、そればかりか自分を受け入れてくれ、だなんて、愚かにも程がある。
「アレルヤってさ」
自分の愚かさが嫌になった。
苦しい思いをしているのは誰も彼も同じなのに、人の心の隙間に付け込んで、誘導した。
言うにはかなりの勇気が必要だ。
言葉にするにはたくさんの知識が必要だ。
伝えるにはそれだけの力量が必要だ。
だから、嬉しかった。
「ああ」
ロックオンの瞳が深い深碧に移り変わる。
何かを悟ったようにその瞳を細めて、アレルヤの名を口にした。

「優しいだろ」
至極当然そうにロックオンは言う。
刹那の中のアレルヤのイメージと、ロックオンの発する形象の言葉のイマジネーション。
あまりにも自然と結びつき過ぎて、刹那は一瞬その言葉が正しいのか悩んだ。
「?ああ…」
少し首を捻り、刹那は応える。
たしかにアレルヤは優しい。
他者に気を配り、一歩引いた視点で他者をよく観察している。
どちらかといえば我の強い、悪く言えばアクの強い成人組の中で、アレルヤのその優しさは際立っていた。
第三者的観点から見れば、ロックオンも「優しい」の部類には入るのだが、アレルヤの「優しさ」とは部類が違っていた。
それは、「弱さ」や「逃げ」から訪れるものでは無いのだろうか…
「だからさ…なんて言ったらいいのかね。…きっと、ぶつかっちまったんだろうなーって」
「ぶつかる?」
「磁石に+極と−極ってあるだろ、あれみたいに、反発しあったっていうか…」
ロックオンの言葉で合点が行く。
ロックオンの優しさは信念がある優しさだ。
強くも厳しくも、逞しさもある。
だから両者は知れず知れずに行き違いになってしまう。
優しさが迷いになって、お互いに絡み付いていた。
「うん、俺でも何言ってるかわかんねー。すまん、刹那。忘れてくれ」
自分の中で腑が落ちないのか、ロックオンは自分の頭をかき乱し刹那へ背を向けた。
後ろでに手を振るその背は、どこか寂しげだった。
「……ロックオン、朝食は」
思わずロックオンを引き止めてしまう。
食事を摂らなければ元気にはなれない、とトレーを二枚持って刹那は無言の主張をした。
珍しい刹那の引止めに、ロックオンは振り返って目を丸くする。
必死げなその表情は、どう自分を慰めようか試行錯誤しているようで、その中で彼が導き出した結論の心遣いが、ロックオンには彼の心の成長にも取れた。
「や、後にしとくわ…仮眠とって来るな」
しかしその心遣いも虚しく、だるく重い身体を宙に浮かせてロックオンは後ずさる。
今この場で居残ってしまったら、きっとあの日以上に暴走してしまう。
心の中で叫び続ける幼い自分が、その壁を壊し今にも這い出そうな気持ちだった。
胃と食道のちょうど中間地点でぐるぐると胃酸が回り続けている。
みょうな嘔吐感と頭痛がする。
思考回路の闇に囚われていた。


「ハレルヤ…僕は、人でなしだ…」
駆け足のまま嘆きの音を吐く。
挨拶もせずに、瞳が合った途端逃げ出してしまった。
『あんな事』を言ってしまった癖に、どう彼と向き合い、話せばいいのか解らない。
彼と向き合うのが怖い。
あの瞳の色で、氷のように冷たく射抜かれる。
あの薄い色は、甘く濁る深遠を見詰めていた。
(ハハッ、どうせ上辺だけの付き合いなんざ早々に壊しちまえばいいんだよ!)
嘲笑うかのように、アレルヤの頭の中にハレルヤの声が響いた。
そうだ、どうせ上辺だけだったのだ。
彼の心の内も知らない。
あの日あの時、ほんの一瞬だけ繋がれただけのこと。
僕の気持ちなど知る由も無い、とアレルヤは嘆くよう考えるのを止めようとする。
「これで、良かったかい…?」
あのような気持ちを伝えて、良かったのだろうか。
それだけが気懸かりでならなかった。
「アレルヤ・ハプティズム」
アレルヤの背後から声がかけられる。

「!…ティエリア」
透き通るような中性的な声の主は、同じマイスターであるティエリアだった。
その真紅の瞳がアレルヤを睨む。
鋭い眼力がアレルヤには少し居心地が悪かったが、ティエリアらしいその表情はアレルヤにとってよく見知ったもので、安堵の息が自然と吐かれた。
「道端で何をブツブツ言っている。通行の邪魔だ」
痛いところを突かれる。
考えている事をすぐ声に出してしまうのは、アレルヤのよくない所だ。
その大半がハレルヤとの会話の為、他者にはよく奇怪に見られることが多かった。
「あっ…ご、ごめんね!」
即座に謝罪の言葉を述べて、道を譲る。
「……具合が悪いのか?」
「え?別に…!?」
顔色がわるい、とティエリアはアレルヤの顔を覗き込む。
そしてこつり、と額と額を軽くぶつける。
少し不器用な体温の測り方だった。
「…熱があるようだ。医務室に行く事を勧めておく」
「えっと…?」
額を離して、指で眼鏡を少し持ち上げる。
ティエリアらしからぬその行動で、アレルヤはキツネにつままれたような面持ちで、疑問を声に出した。
「ああ…ロックオン・ストラトスが、いつも刹那や私にこうするもので」
「…なるほど」
彼らしい他人との接し方だった。
こんなにも彼は人の心に残っているのだと思い知る。
「……そうだね、医務室に行くよ…ありがとう、ティエリア」
思い知るたび、彼との差が大きく感じる。
やっと追いついたつもりでいた筈なのに。
アレルヤは苦く笑う。
体調が喜ばしくないのは、事実だ。
(だからかな、そうやって彼と一緒にお酒に溺れたかったのかもしれない)
ほんの少しの平穏を彼と分け合いたかった。
(それでもやっぱり僕は、彼のなんの足しにもならない)
それが酷くアレルヤには身を切られるほど痛く、苦しかった。
抱きしめてもらえるような、細く小さな身体も、抱きとめる柔い肢体も、アレルヤは持たない。
抱きしめるだけなら、きっとこの手で彼を壊してしまう。
数日前に自らの腕の中で涙を零す彼の姿が、どんな風に映っただろう。
押さえ込んでいた感情の名前すら知らず、酒の力により暴走する脳量子派で激情のまま彼を傷つけた。
(こんな僕で、彼のために何が出来る?)
フラフラと、熱で覚束無い足でアレルヤは医務室へ向かう。
考えているほどより、この熱は厄介なものだ。
思考が覚束無いくらい、彼で満たされている。
近くに彼が居ないから、とても穏やかな気持ちで彼の香に浸っていられる。


「…ティエリア?」
「ロックオン」
普段なら険しい顔をしている時ならば、後ろを通ってそっとしておくのだが、さっきの刹那が妙に優しいせいで、思わず声を掛けてしまった。
ティエリアもロックオンの登場が予想外だったのか、眼鏡の奥で目をまんまると見開いていた。
「どうかしたのか?」
医務室の近くでたむろってるなんて、具合でも悪いのか。と両手でティエリアの頭を捕まえて、親指で髪を掻き分ける。
熱は無い。顔色も良好、では何故?
「いえ…今丁度アレルヤと」
ティエリアは言葉を濁らす。
アレルヤと一緒に居た事は別にやましい事ではない。
それなのにロックオンにそれを伝える事を躊躇してしまう。
先程のアレルヤの、ロックオンの真似をした後の妙な表情がティエリアの中で引っかかっていた。
何故あのような表情をするのだろうか。
「……アレルヤが、何?」
薄く、銀盤に張る水の膜が脳裏を掠める。
「…………今日はまだアレルヤ・ハプティズムと会ってないのですか?」
ティエリアは一考した後、ロックオンに尋ねる。
「、いやさっき食堂で顔を合わせたけれど」
予想外の言葉が返って来た。
この男なら気付かない筈は無い。
率先して他者と関わりを持とうとするこの人間が、気付かなかったのだろうか?
だけれどこの様子からして、きっとアレルヤの状態を知らないのだろう。
(僕や刹那なら、真っ先に気が付いただろうに)
少なくとも、ティエリアはロックオンとアレルヤの関係は良好なものだと思っていた。
ここまで希薄なのは、何かあったのかと知らず知らず勘ぐってしまう。
マイスターの中で、ロックオンが来るまで共に戦っていた仲だ。
だからこの四人の中なら、一番よく人柄を把握してる。
ロックオンだってそこまで酷い人間性では無いと知っている。
「先程アレルヤ・ハプティズムに発熱症状が現れていたので、医務室に行く事を薦めて置きました」
頼れるのは貴方しかいない、とティエリアは内心思ったが言葉にはしなかった。
あくまで事務的な言葉で辛辣に述べ、その碧眼を睨みつける。
「へ?なんで俺に言う?」
「……それもそうですね。でも一応報告だけしておきましたので」
しかしその意図まではロックオンに伝わらず、間の抜けた声が上がる。
アレルヤに関して、この男は無頓着だった。
「…………?」
ティエリアはそっぽを向いて、ロックオンを置いていく。
ロックオンは行く当ても無く、疑問を抱えた。


(今日はまだ、って、なんでそんな事を聞くんだ)

(アレルヤ、ティエリアに一体何を言ったんだ?)

あの日のこと?
俺はとんでもない最低な人間で、マイスターには相応しくないって?
そんな事、言われなくても自分が一番知っている。
本来ならここに立てるような人間じゃない。
ほんの少しだけ人より優れていただけで、このくらいのレベルの奴なら他にも居るし、もっと優れている人間だってたくさん居る。
嘔吐感が激しさを増す。
心なしか頭も痛くなってきた。
(アレルヤ、本当は俺のこと、どう思ってる?)
俺はお前の事を、欠片も知らない。
独りよがりな気持ちを押し付けて、勝手に距離を取っていた。
もっと近寄りたい。傍にいて、抱きしめてなんて言わないから。
ただ寄り添って、その温もりを感じていたい。
わがまま過ぎる。
今すぐ会いに行きたい人が、心の中でも笑ってくれない。
(こんな俺を知って、どう思った?幻滅した?)






11/01/08 UP

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