中篇 | ナノ

差分


そこは世界で一番恐ろしいところ


日付 2011年01月19日←おぃい?


眼を逸らしたい事があった。
指先のトリガーを引いた感触が脳髄を駆け巡る。
眼を逸らしたかった。
だけど僕は涙を流したままで、君は瞬きすらしなかった。
まるでその眼に焼き付けるように。
くずおれる身体。
燃え上がる楼閣。
流れ出る同志の血。
忘れてはならないことだった。


体の反応が鈍く、重くとも、やはり病状はただの発熱のみだった。
大人しく医務室へ向かったアレルヤは、Dr.モレノの診察を受けていた。べ、と出したを引っ張られ、咽喉の奥を覗かれる。脇に挟んだ体温計は、十秒もしないうちに音を立てて計測を終わった。
過度の疲労によるものだと、医務室でモレノに診断された。病原菌によるものなら、狭い宇宙船の中だ。即隔離された医療ポッドで治療になるだろう。
(まあ、ウィルス性じゃないだけマシだったかな…)
アレルヤはほっと安堵の息を心中で吐く。
この熱に理由が付いた事で、なんとなく解放されたような気分になる。お守りにと処方された効く筈のない解熱剤を携えて、Dr.モレノが見守るなかアレルヤは薬品の匂いで充満するその部屋を出ようとした。
感知式の扉は、ある程度近づかないと開かない。アレルヤが扉に腕を伸ばした瞬間、その扉はアレルヤを感知するよりも先に開いたのだった。
来訪者はロックオン・ストラトスだ。
「「…うわぁっ」」
予想外の登場だったのか、二人は扉が開いた瞬間に驚きの声を発する。
「また客人か…。ロック、お前はなんだ?風邪か?」
二人のその声に部屋の奥のカーテンからDr.モレノがひょっこりと顔を出した。
「あ、いや!…ティエリアから、アレルヤが病気だって聞いて!」
間髪いれず言葉を返すロックオンの声は上擦って、普段よりも大きいものだった。戸惑ったようなロックオンの視線が、アレルヤを射抜く。
思わずアレルヤは視線を逸らし、白いリノリウムの床に落とした。
「そんな大層なもんじゃないさ。…まあ、仲間を気遣うのは感心感心」
やはり兄貴分として見られがちになるロックオンは、モレノのその言葉で少し、困ったような表情を返す。
そう見られてしまうのはマイスターの最年長として避けられない事とはいえ、内心、あまりそういうのはロックオン自身は好まなかった。
言ったって、誰にも分かってもらえないだろうが。
「ロックオン……」
まさか自分を追い掛けてくれたのか、とアレルヤは淡い期待ばかりしてしまう。
先ほど逃げるようにして食堂を出た。
食事も取らず、己の事を気に掛けてやって来てくれたのではないかと、僅かに胸が痛む。
期待と申し訳無さによる痛みだ。
彼は優しいから。
アレルヤはそう自分に言い聞かせた。
言い聞かせながらも、逸らした視線が彼へと向かってしまう。熱っぽい視線を向けてしまう。……ああ、熱のせいだろうか。アレルヤは熱に視界が霞む事を感謝しながら、言い訳の如くロックオンを見詰めた。
「ティエリアに、アレルヤの様子見て来いって…」
アレルヤの濡れた月の銀盤がロックオンをじっと見ていた。その熱さから逃れるようにして、ロックオンは目線を泳がし、天井のミミズ模様の法則性を探す。
たくさんの四角の天井板の集まりは、どれが同じ板なのか判断がつかない。
(嘘だ。”行け”なんて言われてない。馬鹿やろう…するならもっとマシな嘘を付けよ)
とっさの嘘が嫌になる。事実、具合が悪いのはお互いのようで、ティエリアにも、アレルヤにも、言えはしなかった。
もうこれ以上アレルヤに己の弱い所を知られたくなくなったのだ。
これ以上己を曝け出せば、アレルヤが弱みになる。言い訳にしてしまいそうで怖かった。
「様子も何も、熱っぽいだけだ。自室で安静にしてりゃあすぐ下がるさ」
「え、そうなの?あー、…」
吐く予定じゃなかった嘘≪ミッション≫に、返答を与えられた。
ロックオンはなお、自分の病状を訴えるのを忌避してしまう。

「丁度いい、ロックオン。アレルヤを部屋まで送ってやれや」
「はっ!?」
Dr.モレノからの新しいミッションだった。
それにロックオンは過度のリアクションで返す。
「道中で倒れられるよりマシだろう。それに、未成年者を保護するのが年長者の役目ってもんだ」
そこまで悪い病気なのか!?とロックオンはつっこみたくなるのだが、十中八九、譲歩して七割八分、この部屋から追い出したいのだろう。
「いやコイツ……!」
ロックオンは反抗する。
(だってこいつはもう子供じゃない、大人なんだ。大人の保護なんていらない。あるだけ無駄、されるだけ不快)
……よく分かってるじゃないか。
嘘でも気になっていた。
熱だけと聞いて、内心は安堵していた。
そして同時に恐れたのだ。
そんな他人に溺れる自分を。
「ほらほら出てった出てった。本当に具合悪い奴が来れんだろう」
しかしそんなロックオンの心情をつゆ知らず、二人医務室から追い出す。
扉を締めながら、「早く仲直りしろ」、と忠告の言葉だけが廊下に残った。


「…………」
「…………」
沈黙。会話不全。交流不可能。
「すみません……僕、一人で帰れますから…!」
金切り声でアレルヤは呟く。
目をあわせてなどくれない。
「あっおい!」
「!?」
ロックオンがアレルヤへ腕を伸ばしたその時だった。
右足を屈折するように薙いで、アレルヤはロックオンの視界から消えた。
「…ったく、本当に具合悪いのかよ…っ」
ぎりぎり掴んだ左手のお陰か、アレルヤは膝を突いた状態でなんとか転倒は免れた。
「大丈夫です!今のはちょっとフラついただけだから!ぼく、未成年じゃないし…っ」
見詰められる碧眼が嫌いだ。
こんなにも真摯に向けられて、僕の本質を覗かれてしまいそうで怖かった。
厚い本革の手袋から逃れようと手を振り解こうとした。







「じゃあ提案」
ばつの悪そうなロックオンの笑顔が向けられる。
「……?」
ロックオンは眉は顰め、汗をかいていた。
ちがう、これは、苦しいのを我慢している表情だ。
「俺を部屋に連れてってくれ…」
アレルヤが合点したとたん、糸が切れたようにふつりと、アレルヤの手を握ったまま巻き込むようにして倒れた。
他に助けてくれるものなど、誰も居はしない。


「…ごめ、ん」
頬を伝った汗が、背負っているアレルヤの鎖骨へと流れた。
肌寒さにがたがたと揺れているのはもうどっちがどっちか解らない。
アレルヤは異常に冷たいロックオンの手を握って、背中で半分背負い込んだまま遊歩を続けていた。
息だけが熱く、アレルヤの耳朶を撫で上げる。
「何がですか」
「色々と」
たんたんと尋ね、そして返答が帰ってくる。
(あったかい…)
触れた場所から熱が伝わっていた。
この熱のように、言いたい事も思っていることも、すべて簡単に伝われば、世界はどれだけシンプルになるんだろう。
「今この現状についての謝罪は?」
「滅相もございません」
はぁ、とアレルヤは音を立てて嘆息する。
謝るくらいなら、気に掛けてくれなくても良かったのだ。
無性に苛立ちが募る。
少々乱暴だが肩が抜けないように、ずり落ちてきたロックオンをアレルヤは背負いなおした。
「……具合が悪いなら、さっき診察してもらえばよかったのに…ッ」
「ほら、俺って意地っ張りだから」
ロックオンは乾いた笑みを浮かべる。
「否定はしないけどね」
彼のエゴイズムの片鱗は、この間見たとおりだった。
それをどうとか、アレルヤは決して思わないし、嫌だとも思わない。
エゴのもっと内側が、彼の本質であるから。
それを変えてしまったなら、もうそれは彼ではなくなる。
「なあ、アレルヤぁ、」
あまったるい猫なで声だった。
こちらの様子を伺うように、わざと出されたその声は、か細く、掠れた次の言葉を紡ぐ。
「俺のこと、嫌いになっただろ」
「あんな情けないところみせちまったし、…お前が、俺のこと、信頼してくれてたって知ってるから、あ、これは俺の勘違いかもしれないけど、なんていうか、幻滅させちまったかなって」
「きら…い?」
その言葉を最後に、アレルヤは押し黙る。

(何も、言わない?)
俯いたまま何も返答をしてくれないアレルヤをどうしたらいいか解らなかった。
ロックオンはもう一度考え直し始める。
(俺は、アレルヤのこと、どう思っている。)
自らに質問を投げ掛ける。
("どう"…って、アレルヤは誰にでも優しくて、戦闘能力だけなら誰よりも強くて、気遣いが出来て、いつもみんなの事心配してて、……いつも傍に、)
いてくれたのは、アレルヤ。
いつも微笑をくれたのは、アレルヤ。
今更気付く。
"お前の笑顔は、まだ見たことが無い"って。
(見ていなかったのは、俺のほうじゃないか……!)
眼中に無かった。いや死角だったのかもしれない。
アレルヤの笑顔がフラッシュバックする。
色んな笑顔がそこにはあったのに、通り過ぎる景色のようにロックオンはそれを見逃していた。
乾いた咽喉を鳴らす。
咥内に唾液はもう一滴も無いくらい、カラカラだった。
頬だけ真っ赤になって、今までのアレルヤの声や表情、触れた手の大きさや、がっしりしてる背中と、腕の中が頭の中でグルグルと目まぐるしくシャッフルリピートされていた。
(ど、どうしよう、何を言おう、何を…!)
ドクドク脈打つ鼓動が早さを増す。
五月蠅いくらいにバクバクする心臓を今にでも握りつぶしたかった。
「これじゃあまるで、恋してるみたいじゃないか……」

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