中篇 | ナノ

2話



別れた後まっすぐ職場へと向かったのだが、心配になって仕事が手につかず、何かと理由を付け早めに病院へと向かった。
アレルヤは大人しく待合室でリスと遊んでいてくれたらしく、後ろから現れたおれに気付きもしなかった。
精密検査の結果は――身体的な異常はなし。
あたまのたんこぶ以外は至って健康だし、精神異常の類いは(リスに話し掛ける以外の事は)見当たらなかった。

「動物やぬいぐるみに話し掛けるのなら、幼児帰りなども考えられるんですけれど。多少感情的で情緒面に不安は見られますが、ブレの範囲内です。論理的・理知的な考え方も持ち合わせていますし……まあ、常識は、無いですが」

今日はなんと水槽の水を飲もうとしていたらしい。話を聞けば住んでた森ではこうやって綺麗な川や湖の水で生活していたとのことだ。
あれ、姫じゃないのか、と突っ込みたくもなったが、お伽話のお姫様も最初からお姫様なもんは最近は少ない。
そう思えば多少サバイバルチックな話であろうが驚きはしなかった。
水槽の水を飲もうとしたのにはさすがに引いたが。

(もちろんすぐに看護婦が止めさせて大事には至らなかった)

*

「まあ健康で何よりだ。さあて、昼飯にするか」

今朝渡したお金は持ってる?と聞くと、あたまの上に疑問符を浮かべたように首が傾げられる。
ふわりと下ろしたままの黒髪が揺れた。

「ホラ、これくらいの!ジョージ・ワシントンが……えっとオッさんが描いてるやつ!!ホラ!!!」

財布から同じものを取り出して見せる。

「ああ!この紙なら欲しがってるおばあさんがいたのであげました!そうしたらこれを下さったんです」

「……ハトの餌……」

本日何度目か分からない頭痛がした。ついでに眩暈も。おれも一度病院で診てもらった方がいいかもしれないと思ったが、愛息子の為に頑張ればならないのだ。せめて大学は卒業させてあげたい。
それなりの金額を渡していた筈ではあったが、この数時間でハトの餌に成り代わってしまった。

*

ランチは公園の近くにあるオープンカフェですることにした。
先日の雨とは打って変わって快晴で風もなく、暖かな日差しを感じる。

「――少しは何か思い出した?」

「え?」

「ホラ、お家の事とか、家族の事とか」

「家族はこの子だけですよ」

そう言ってアレルヤはリスにランチのバゲットを千切って与える。
大きな公園なので野生のリスもいるのだが、このリスとは種類が違うようだ。
背中に黒い縞模様があるリス──ハレルヤは、アレルヤからもらったバゲットを頬袋に貯めることなくそのまま飲み込んだ。

「……じゃあ、結婚相手の事は?」

「結婚……相手?」

「初めて会った時、結婚式がお城であるって言ってただろう?どんな王子様なんだ?」

相変わらずの調子であったので茶化しながら尋ねた。

「金髪碧眼にカボチャパンツだったり?」

「あ、ええと……」

堂々とリスを家族だと言った割には、少し眉を顰めて俯いてしまった。
初めて見る表情だった。
見知らぬ土地に来たと言ったわりに、飄々と――というか、何にも不安になど思っていなさそうな顔ばかりしてたのに、突然。
銀色の瞳が曇っていく。もともと切れ長の瞳ではあったが、節目がちになり笑顔が曇る。

「……政略結婚だったり?」

それなら彼女は、心機一転、新天地で暮らす事が出来ることを喜んでいたのではないのか?
あのウェディングドレスは偽物の、安い作りの衣装などではなかった。
失礼だとは思うが少しサイズが小さいようだった(だってあまりにも、胸部が苦しそうなくらい張り詰めていたから目が行って仕方がなかったのだ)が、オーダーメイドのように上質な絹で織られた生地をふんだんに使っていたし、裁縫もとても丁寧だった。

「?せい……」

「あ、ええと、誰かに言われて無理矢理結婚させられた、とか」

「そんな、ちゃんと愛しています!」

きっぱりと。先刻の翳りはなんだったのかというほど真剣にアレルヤは言う。
幸せそうに、少し頬を染めて。

「付き合ってどれくらい?」

話を変えよう、と思ったが自分の事を話す訳にも行かず、結局、質問攻めになってしまう。

「一日です」

「すごく愛してるから、そうな感じる?」

「いいえ、本当に一日なんです」

「冗談だろ?」

「帰ったら、二日になります」

「一日で恋に落ちて?一日で結婚するのか?」

「そうなりますね」

「じゃあ……デートとかは?」

「なんですか?それは」

「映画館や美術館に行ったり、レストランでしょく……、二人だけで会って、おしゃべりする」

恋に落ちた二人だけで、一緒になにかをするんだ、と説明した。
注文していたパスタとビザを定員が運んでくる。
うっとりとするアレルヤは気にもとめずそのまま頭のおかしい発言をぶん投げて来た。

「そうですね、一緒にトロール狩りはしましたね」

「「!?」」

定員が動揺して、思わずパスタを落としてしまいそうな言葉だった。


***


その夜。

「あの……」

ゲストルームから静かな足音でアレルヤがやって来る。
刹那はもう寝てしまって、リビング兼書斎にもなっているので部屋は誰にでも出入りできるのだが、おれはまだアレルヤのいる生活に慣れなくて無駄に驚いてしまった。

「うわ!?え!?何かあったのか!?」

「驚かせてすみません、ちょっと、お話を聞きたくって」

「話?」

「昼間の……ことです」

昼間?何を話したかを思い出そうとする。

「あの、デートって、二人でどんな話をするんですか!?」

「刹那がいるってことは、デートをしたんですよね!?」

「……ああ、あー、そうだな、その話な……」

詰め寄られて、誤魔化す事が出来なかった。
本当なら誰にも聞かれたく無い話だ。
当の本人さえ、覚えているかどうかあやふやなくらい。
ふう、と細い息が溜息のように出てしまった。

「おいで、ここに座って」

備え付けてあるデスクの椅子を引く。キャスターがコロコロして、背中のスプリングが軽く軋んだ。
そのままリビング側のソファに深く腰かけ、アレルヤを招きよせる。
それに従じたアレルヤがすぐ隣に腰を据える。その軋みには重みは感じられない。

「何処から話せばいいかなあ、そうだなあ、まず、勘違いしてるんだけど、刹那はおれの実子じゃない」

昼間、話そうとしなかった事だ。
外出先だったということもある。
あまり他人に聞かれて──他人が聞いていい思いをする内容ではない。
アレルヤの夢を壊さぬよう、改めて細心の注意を払い、刹那との関係を話した。

「え?」

「まああれくらいの子供、いても不思議じゃない歳ではあるけどな。アンダレイシアでは、白い肌の親から黄色い肌や黒い肌の子は生まれる?」

こくり、と。彼女の黒髪が揺れた。
表情は先ほどの明るい顔とも、昼間一瞬見せた陰りも無かった。
真剣な表情は、黙したままじっと左目だけがこちらを見ている。

「そうか、魔法の国だもんなあ」

「でも、ニューヨークはそうじゃない。アメリカも、ロシアも、中国もアフリカも。両親が白い肌なら、基本的に白い色をする。」

「瞳の色も――大体そんな感じだ。隔世遺伝とかあるけどな」

おれの両親は緑色の瞳をしていると言った。
銀色が瞬く。ぱちくりと、あまり理解をしていない様子だった。

「刹那には、一応両親はいる。……覚えてるかわからねえけどな。だけどその両親はおれじゃないし、おれには子供を作ってくれるような伴侶もいない。」

「じゃあ、何故あなたはお父様なんですか?」

アレルヤのなかでの疑問とは、単純明快でもあった。

「これもお前さんには難しい話になるけどなあ、親権……親の権利、ってもんが、この国にはある。

正しい親からの愛情が受けられない子供は、その愛情を与えてくれる新しい親の所にいくんだ」

「そんなことが……」

信じられない。
きっと言葉にするのなら、そういった表情だ。
きっとその信じられない気持ちは、新しい親という概念へのものではなく、あるはずの揺るぎない愛が、与えられない事への驚愕なのだろう。
全くもって、思考回路が不可解だった。
あまりにも純真無垢すぎて、不思議な生き物を見ているようにも時々思える、

「まあそんな訳で、おれはお前さんに教えられるような事は、そんなに知っちゃいないってコト」

そこでやっと誤魔化しを入れられた。
……話そうと思えば、話したかもしれない。
それこそ目の前にいるアレルヤが、本当に刹那の母親になってくれるのなら、今この場で打ち明けても良かった。

──バラバラになった肉片の中で、泣き叫ぶ子供の姿。
自爆テロだった。本当は親子で死ぬ筈だった。
そしてその運命を狂わせたのは、狙撃手をしていた頃のおれだった。
命を惜しんで、助けようとして。
命令のあった心臓や頭は狙わなかった。
赤子と見まごうほど痩せ細った子供を抱き抱えていたから。
火薬が足りなかったと言われたけれどそれでも遣る瀬なかった。
そこでやけに、銀色の視線がじっとこちらを向いている事に気付く。

「……なに?」

「刹那はすごくいい子なのに、」

そんなの可哀想、と。
まるで自分が悪者にされているような言い分だったが、彼女にとっては親からの愛情とは無条件に与えられるものだと信じてやまないのだ。
仕方ない事だと思う。
価値観の違いは言って直せるものでも許せる事でも無い。
お互いが譲歩し会うしか無いのだ。

「そうだな、おれもそう思う」

「どうしてあなたが本当のお父様じゃないんでしょうね」

「う、ううん……」

「僕は、あなたはとてもいい父親だと思いますよ。義父や継母でも、いい人はいっぱいいますから!」

「御伽噺にママハハはつきもんだもんなあ……」

「僕の知ってる人だと、白雪姫の……」

「ああ、そーいうのは今度、刹那にしてやってくれ」

「そ、そうですよね……」

あはは、とアレルヤは小さく笑って。

「ほらもう夜も遅いから。おやすみ。」

「はい、おやすみなさい。」


***


昼間手につかなかった仕事を持ち帰ってその夜は処理していた。
事務処理がほとんどではあるが、最近は在宅でも仕事が出来るデジタル化様々だ。
珍しく通る風が心地よくて、軽く窓を開けていた。
不思議だ。いつもは排気ガスの匂いしか感じないのに。
まるで魔法が掛かったように、いつもと気分が違う。
月ですら近くに感じてしまう。
眠らない街といわれるほどでまだ窓の外には明るい喧騒が垣間見えるのに、ほのあたたかい。

「お、ハレルヤ。今帰りか?」

小さく開いた窓の隙間からハレルヤが入ってくる。
それなりに高層のマンションではあるのだが、その壁を登ってきたのだろうか。
呼びかけにハレルヤは白々しく目配せだけしてツンとそのままリビングを抜けていった。

「……おれらしくないな」

動物に話しかけるなんて。
……あの話を、他人にするなんて。
自分らしくない。
そんな風に思ってしまった。
もう寝てしまうとリビングのライトを消してハレルヤの後を追うように自室へと向かった。
ゲストルームの前を通った時、物音がした。

「アレルヤ?まだ起きてたのか?」

「……ったくあの熊親父め……」

おやすみと言って大分経つ。つまり夜もかなり更けていて、それまでは早寝早起きと刹那と同じようなサイクルで寝起きをしていたから、不思議に思い部屋のドアを開けてしまった。

「なっ……」

黒い、人影が。
大きい。男だ。元SWATとしての判断力は鈍ってはいなかった。
しかし、その黒く大きな男は強盗などではない。
見覚えのある髪の色、肌の色。切れ長の瞳。長い睫に縁取られるそれは銀色ではなく、鬱金。
姿かたちが似ている、というレベルではない。
同じ形の唇が、少し薄桃に染まったそれに重ねられていて。

「だれだ、なんて言わねェのな」

ただ言葉が出なかっただけだった。
まるで本当に魔法を目の当たりにしたかのように、体もまた動かなかった。

「……ハレルヤ、か」

一見すれば屈強そうな成人男性ではあったが、それに比べて声は若干の高さを持っている。
実際にリスから姿を変える瞬間を目撃したわけではなかったが、直感的にそう思った。

「なんでリスの姿に変身してたんだ?」

「オイオイ、本当に魔法の世界でも信じ始めてきたか?」

「変身・させられて・たんだよッ」

誰が好きであんな姿を、とハレルヤと唸る。

「クソめんどくせえ呪いだ……このオレが解除方法を見つけるのにこんなに時間がかかるたぁ」

「”真実の愛のキス”?」

何年か前に流行ったアニメーション映画の、呪いを解く方法を揶揄してみた。

「お姫様の呪いは解けなかったようだがな」

「……クソ面倒だ、あの女を捜すしかねェのかよ……」

ハレルヤは頭をがしがしと掻いて、姿を薄く白い霞に変えるように、またリスの姿に変えた。

「またリスに戻るのか?呪いは解けたんじゃないのか?」

「この世界はこっちのほうが動きやすいからなァ……オレはしばらくいなくなる。アレルヤの事は適当によろしくな〜」

そうして扉の隙間からまた外へと向かっていった。

「……ほんとうに魔法の世界から来たんだなあ……」

自分が変わってしまったのかと思った瞬間、見知らぬ世界を突きつけられて、それが現実なのだと理解する。
一瞬近くに感じた人が、やはりどこか遠い人なのだとも。

「……しょうどく」

その薄桃色は微かな呼吸を繰り返して。

「本当、おれ、どうかしてるな」

独り言をつぶやいて、部屋を後にした。


その夜、アレルヤに白い薄靄が掛かる。

アレルヤの呪いとは。





次回
「確か、あの時は、二人で……ふたり?ふたりで……いや、四人だった。四人で……ドラゴンを………………」

地味にここから原作からそれていくので、纏めて上げるかで悩んでたら一年経った。

prev / next
[ back ]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -