中篇 | ナノ

後篇


それが僕の進化論だとでもいうの。
お願いどうかここから助け出して。
もうこれ以上沈んでしまいたくないの。









「……ふしぎ、まだ熱い」

 もつれるようにして僕達は海面に倒れていた。波は足元から上がって既に頭まで浸り呼吸の為だけに顔を出した状態で浮いている。水平線には太陽が半分近く沈み、頭上には満点の星屑がちりばめられていた。ぱしゃ、ぱしゃと寄せては帰す波を体全体で感じて、まるでとても大きな揺籠にいれられていると錯角する。今、僕達は一つになっている。触れ合う肌と肌でさえもどかしく、目の前に揺らぐ彼を狂おしいまでに求めた。

「まるで夢みたいだ」

 ぽつりとロックオンが呟く。ばしゃ、と腕を海面から出して僕の頬を優しく撫ぜた。そのエバーグリーンの瞳は赤く充血し、僅かに目元が腫れている。僕は震える腕を持ち上げて、顔を上げている彼の両頬を包みこんだ。熱いのは、彼のせいだ。手を伝った涙や海水でさえ、熱に変わる。

「夢じゃないよ……ちゃんと現実です」

 不安なのだろう。ロックオンは、否、僕自身が。これは夢では無いのだと自分にもいい聞かせる。愛しい人が目の前に存在る、それだけでもこの世の幸福だと思っていたにも関わらず、彼がこちらを見て微笑ってくれる、泣いてくれる、感じていてくれる。まさに天にも昇る心地に舞い上がって、僕は彼を苦しめていたのだが。気持ちの表現が上手く出来ないのは最早仕方が無いが、それで彼が傷付いていたなら僕も嫌になる。なら、せめて彼の前では微笑おうとした。今僕は上手に微笑えているだろうか。

「本当にいいのか」

 結婚するのが?とは言わない。彼がそれで満足するなら、僕にとってそれこそ本望だ。口約束で満足出来る、なんて儚く脆い関係だろうか。頬が熱いのはきっと恋をしているから。確かに彼を愛している、そう思いたい。だから、海水に濡れて邪魔な前髪を耳に掛けた。

「今更。本当に貴方は、僕を追い詰めるのが得意ですね」

 僕を追い詰めて追い詰めて、離さない逃がさない。案外彼は独占欲が強いのかもしれないと脳の片隅で考える。驚くロックオンを両目で見据える。久し振りの両目での視界は、遮るものが無くクリアにロックオンが映っていた。赤く燃えていた夕陽はもう海に沈み、地球の裏側へと旅立った。二人が波に揺らぐ海面は月明りに淡く照らされる。僕の世界はただ闇に浮いていた。

「本の表表示と裏表紙、コインの表裏。どちらかが欠けていれば、それらは成り立たない。……まるで僕達みたいだと思いませんか?」

 僕の両頬に手を添えているロックオンと同じように、僕もロックオンの頬を両手で包みこんだ。風の噂に、ロックオンには家族が、双子の弟が居たと聞いた。血縁も無く半身を己の肉体に宿す僕と、肉親に己の半身を持つロックオン。真逆の僕達は秘密越しに惹かれ、そして背中を預けた。

「貴方がいるからこそ、僕は僕でいられる」

 なら、どうしてくれようか。秘密さえ打ち明けるという約束を遂げられるのだろうか。それでさえ、まるで夢幻。決して僕達は結ばれる事は無いと僕達は心の何処かで想っている。唇を重ねるたび、指と指が触れ合うたび、これは嘘だと言い聞かせている自分がいた。ゼロ距離で交わっても、とても遠い場所にいる貴方がとても恋しかった。

「ひとつ、お前だけに捧げよう」
 ロックオンは苦しそうに微笑む。
「友愛、情愛、家族愛、すべての愛を教えてあげる」

 だから信じてくれ。俺もお前を信じる。

 その言葉が、どれほど嬉しかっただろうか。一生を添い遂げられなくとも、彼は僕を全力で愛してくれていた。想いが本当に繋がっていたのだと思えた。





それが俺達の進化論だった。
お願いだから忘れてくれないか。
もうこれ以上愛されても返せないから。





 口付けは、あまりにも短いものだった。目を瞑って3秒も掛からないのに、まるで永遠だとアレルヤは想ってしまう。海に浮かぶ二人だけが世界に置いて行かれてしまったかのように、波が時間を刻んだ。

「ひとつだけ、我儘を言っていいですか」

 抱き合った二人が波に揺れ、海面に映る星屑がまたひとつ、散らばった。ニールは初めて見たアレルヤの両の瞳を、今空に煌めく星のようだと思った。見上げるようにしてこちらを見詰める瞳はとても綺麗だった。それが自分だけのものだと思うと尚幸せに満ち溢れた。

「なんだ?」

 続く言葉に、ニールは息を飲んだ。これ以上の幸福が、一日にこう何度も続くだなんて、自分は今にも運を使い果たして死んでしまいそうだ。

「いつか、この戦いが終わったら、……僕を貴方の故郷に連れて行ってください」

 返事の代わりに、ニールはまたアレルヤに口付けた。
二人を祝福するのは一羽の蒼い鳥の羽根だろう。
星が揺れる岸辺にはそれがひっそりと落ちていた。




09/03/29 UP



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