俺はやっぱりきのこ派




 三年生の教室に行って宍戸さんに会えるのは嬉しいけれど、いつからか、それだけじゃなくなっていたんです。

 彼女は宍戸さんと仲が良いようで、以前からよく一緒にいるのを見ていました。彼女は初対面の時から俺にすごく親切にしてくれて、とても優しい方で。そんな、友情なんて言うのはおこがましいですけど・・・それが恋というものに変わっていくのはあっという間でした。
 彼女を見る度、胸が掴まれるように苦しいのに何度も会いたくなるんです。彼女の晴れ晴れとした笑顔を見る度に、俺も彼女以上に嬉しくなるんです。
 そんな幸せな毎日を過ごしていたある日、俺は見てしまったんです。

 お昼休み、宍戸さんと彼女に会いに行こうと三年生の教室に行くと二人とも席を外していたので他の方に聞いてみると、二人してどこかへ行ったというので屋上を探しに行きました。今日はお昼を一緒にする約束をしていたので、先に食堂に行くはずないと思って。
 俺の勘は当たっていたようで、扉を開けたら二人の声が微かに聞こえました。その声を辿って二人の姿を見つけ声をかけようとした瞬間、俺は咄嗟に物陰に隠れていました。
 彼女が、泣いていたから。そしてその隣に、彼女を心配そうに覗き込む宍戸さんの姿があったから。

『ぐすっ……』
「安心しろ。俺は何にも見てねーぜ」
『……ありがとう』

 二人の様子をそっと覗くと、宍戸さんがトレードマークの帽子を彼女へ深々と被せ、周りから顔が見えないようにしていました。いつもならすぐにでも声をかけるんですが、その時二人を包んでいた空気に俺は足がすくんでしまいました。怖かったんです。二人が何しているのか聞くのが。あの空気感はまるで……傷付いた恋人を慰めているようだったから。
 ショックも勿論あるんですけど、正直「やっぱり」という気持ちもありました。お二人はすごく仲が良いので。お二人が何か内緒話をしていて、そこに俺が現れて焦っている様子に少し疎外感を感じたこともありました。でもそれ以上にお二人は優しいので、あまり気にしていなかったつもりなんですが。
 しばらくは彼女のすすり泣く声だけが聞こえる中、宍戸さんが思い出したように声を上げます。

「やべっ、長太郎待たせてたの忘れてたぜ!悪い!いったんアイツに断り入れてから……

 そこから先の言葉は聞いていません。俺はできるだけ静かに、できるだけ速く走って自分のクラスまで戻りました。しばらくしてから宍戸さんが俺のクラスに「悪い! 急用が出来ちまって……」と謝りにきたので、できるだけ笑顔を作って答えました。

「大丈夫ですよ」

 全くそんなことないのに。

「また今度埋め合わせするからよ!」
「はい、楽しみにしてますね」

 宍戸さんに嘘をつくのは心が痛みます。

「おう! それじゃ、またな!」

 でも、この胸の痛みは宍戸さんに嘘をついてるだけじゃないのは分かっています。俺は、俺自身にも嘘をついているから。


****


 その日から、俺はお二人からの誘いをなんとなく避けるようになりました。お二人の間に途中から割って入ってしまったのは俺だから、邪魔しないように。寂しいですが、仕方ないんです。

「おい、鳳。最近なんかあったのか?」
「何で? 急にどうしたの?」

 日吉のこんな話しの切り出し方、珍しい。

「宍戸さんが心配してるぞ。お前が最近変だ、て」
「で、こっそり聞いてほしいって言われたんだ」
「まあな」

 宍戸さん、日吉にこっそりなんて無駄ですよ。俺が笑うのを我慢していると、日吉は不満そうに眉間に皺を寄せます。

「で。どうなんだ」
「特に何もないよ。委員会の仕事とか、クラスのこととか、やることが少し重なってただけ」
「フン。なら、それを自分で宍戸さんに伝えるんだな」
「そうするよ。心配してくれてありがとう、日吉」
「心配なんてしてない」

 こんな言い草だけど、俺の言葉を聞くと少し安心したように眉間の皺が薄くなる日吉は、やっぱり俺のことを心配してくれてるんです。
 その様子を見て、忘れかけていた胸の痛みを思い出します。

(皆に心配させて、俺は……)

自分の情けなさ、弱さに腹が立ちます。

(……よし)

 俺は決めました。
 この恋心を封印すると。お二人のことを、心から応援すると。

 俺はそう決めた足で宍戸さんのクラスに向かいます。

「宍戸さん!」
「うお、どうしたんだ長太郎?」
「日吉に聞きました。宍戸さんが俺のこと心配してるって」
「若、あの野郎……」
「俺は大丈夫ですよ、宍戸さん! ちょっと最近忙しかっただけなんです。だからまた、お昼誘ってください! ……よければですけど」
「当たり前だろうが! こいつも心配してたんだぜ!」

 そう言うと、宍戸さんの背中の影から彼女がひょっこり顔を出してきました。大丈夫、俺はもう決めたから。

「心配かけてすみません」
『気にしないで! 私何かしちゃったかな、て思ってたから……』
「まさか! 有り得ません!」
『よかった』

 その笑顔に掴まれ苦しくなる胸を、俺は必死に押さえつけるしかありません。

「じゃあこの前の埋め合わせしようぜ! 明日、お昼一緒に食うぞ!」

「はい!」

(これで良かったんだ)

 宍戸さんの幸せが、彼女の幸せが、俺にとっての幸せだから。


****


「俺ちょっと用事があるから、そろそろ行くわ」
「じゃあお開きにしましょうか」
「まだ時間あんだろーが! 二人で喋ってろ!」
「でも……」
「俺に気使わなくていいから! じゃあな!」

 最近何故かこんなことがよくあります。お昼を一緒にして食後に話していると、宍戸さんがこう言って輪を抜け出すことが増えました。

「宍戸さん、最近どうしたんでしょう……」
『さ、さあ……何か忙しいんじゃないかな?』
「何か聞いてますか?」
『えっ!? えっと……特には……』
「そうですか……」
『あ、あの……』
「どうしました?」
『これ』

 そう言って彼女が差し出してきたのは、宍戸さんがよく食べているきのこの山でした。

「あ! これ、宍戸さんが好きなやつですよね!」
『えっ、鳳くんは好きじゃないの?』
「そんなことないですよ! 宍戸さんが食べているのをよくいただいています。美味しいですよね、これ」

 彼女が少し驚いたような顔をしていたのが気になりましたが、彼女はお菓子の封を開けて俺にそれを差し出してくるので、今度は俺の方が驚いてしまいました。

「このお菓子、宍戸さんにあげようと思ってたんじゃないですか? いいんですか? 俺なんかが食べちゃって……」
『いいの。鳳くんにあげようと思って買ってきたんだから』
「え、」
『ほら、食べよう』

都合のいい言葉にすぐ反応してしまう自分が情けないですが……差し出された箱から一粒のきのこを掴み口に含むと、甘いチョコとサクサクとしたクッキーの味が広がります。

「やっぱり美味しいですね、きのこ」
『鳳くんはきのこ派?』
「もちろんです! 俺は争いは嫌いなので……向日さんがたけのこ派なのは辛いですが……」
『ふふ。鳳くんは優しいね』

 どうしてでしょう。宍戸さんという恋人がいるのに、どうして彼女は俺の心を揺さぶることばかり言うんでしょうか。封印すると誓った恋心が疼くのを感じながら、俺は苛立ちを感じていました。

「……あまりそういうことを軽々しく言うのはよくないですよ」
『え?』
「すいません。今日はこの辺で失礼します」

 俺は最低です。自分が我慢出来ないからといって彼女に八つ当たりなんて。
 でも……そうでもしないと、この気持ちを抑えることが出来ないんです。背中に刺さる彼女の視線に気付きながらも、俺は振り返ることはせず、その場を後にしました。



 あれから部活終わりまで、ずっと心のモヤモヤが晴れません。恐らく事情を知っているであろう宍戸さんは特に俺を追求することはせず、「元気出せよ」と背中を叩いてくれました。謝らなければいけないのは分かっています。俺の気持ちを知らない彼女からすれば、ただ親切をしてくれただけなのに。

「長太郎! 俺、今日は用事あるから先に帰るぜ!」

 そう言って早々と帰ってしまった宍戸さん。いつもなら寂しいですが、今日は正直安心してしまいました。一緒に帰ったところで、何を話せばいいのか。そんなことを考え、地面を見つめながら歩いていた時です。

『鳳くん!』

 名前を呼ばれ振り返った先には。

『あの……よければ今日、一緒に帰らない?』

 俯き気味の彼女がいました。宍戸さんを差し置いて俺が一緒に帰ってもいいのか、それは浮気にならないのか。色んなことが頭を駆け巡りました。

『話したいことがあるの』
「……途中までなら」

 それが、俺の妥協点でした。


 俺たちは無言で歩きました。いつもなら何も考えずに交わされる会話も、今はどれだけ考えても何も言葉が出てきません。彼女の方をちらりと見ると俯いたままで、俺の高さからだと表情は確認することができません。俺は早く彼女に謝らなければならないのに、喉につっかえたようになかなか言葉が出てきてくれません。

『鳳くん』

 振り返ると、気付けば俺の数歩後ろで立ち止まった彼女が難しい顔をして俺を見ていました。

『ここで少し話さない?』

彼女が指差す先には公園。

「……そうですね」

 中へ入ると、もう暗いためか人もほとんどいません。俺たちが空いたベンチに少し距離をとって腰掛けた途端、

『ごめんなさい!』

 間髪入れない言葉に驚いて思わず彼女の方を見ると、何とも言えない表情で揺れる瞳と目が合います。

「……何に謝ってるんですか? 先輩は謝るようなことは何もしていませんよ。謝らなければならないのは……俺の方です」
『でも私、鳳くんに嫌な思いさせちゃったんだよね?』
「あれは俺が悪いんです。俺が……弱いから……」

 口にする度に情けなさが募り、彼女の顔が見れません。

「……ごめんなさい」

 遂には落ちてしまった視線の先の地面を見つめながら謝罪の言葉を口にすると、背中をポンと優しく叩かれました。

『元気出して。ね?』

 その瞬間、部活の時に「元気出せよ」と背中を叩いてくれた宍戸さんの姿、そして今現在俺の背中に置かれている彼女の手から感じる熱が、一気に俺の脳を焼き尽くしていきました。

「やめてください!」

 彼女の手を払い除け立ち上がると、高音の細いピアノ線にそっと触れたような繊細な緊張感が張り詰めます。
 しばらくの静寂後、『ごめん……』と今にも消えそうな声で彼女が呟きました。その言葉を聞いて、握り込んだ親指の痛みに任せた勢いで続けます。

「どうして……! どうして貴方はそうなんですか!」
「いつも無神経に、俺の心に土足で踏み入ってくる……!」

 彼女の悲痛に歪む表情を最後に、俺の視界は段々と歪んでいきました。自分は涙脆い方だと自覚していますが、こんなに胸が張り裂けそうに苦しいのは初めてでした。この苦しみが恋によるものなら、俺はもう嫌です。こんな思い、もうしたくない。

「お願いです……」

 このまま心臓を抉って取り出せればいいのに。そして、全く別の心臓と取り替えることが出来ればいいのに。

「これ以上、好きにさせないでください……」

 目から溢れる雫が一層勢いを増して流れていきます。喉が苦しくなって満足に息が出来なくて。

「苦しいんです、もう……」

「宍戸さんのことも先輩のことも……お二人とも大好きなんです……お二人には、幸せになってほしいんです」
「なのに……俺の心が汚いから……俺が弱いから……」

 ごめんなさい。
 その言葉は、嗚咽に紛れて消えていきました。全てを言ってしまった後悔と爽快感で頭はぐちゃぐちゃ。まともな思考回路は数少なく、既に壊れてしまった回路では、何故か向日さんと宍戸さんがきのこたけのこ論争をしている姿が浮かんできました。「こんなことになってしまった以上、これから俺はたけのこ派、宍戸さんの敵になるのか」なんて訳の分からない考えがぼうっとした脳内に巡っていた瞬間、俺の手が温かく柔らかい感触に包まれました。

「ちょっと! 何してるんですか! やめてください!」

 俺はショックでたまりませんでした。よりにもよって宍戸さんの彼女さんと浮気のようなことをしてしまったこと、そしてあの先輩が……こんなことをするなんて。

「離してください!」

 力ずく、と言っても怪我しないように彼女を引き剥がそうとしましたが、握った手をなかなか離してくれません。

「ちょっと、本当に『違うの!』
「……違うって、何がですか」

 この時はもう彼女の行動のショックで涙は止まっていました。俺のあからさまに不審な声音にも彼女は臆することなく、真っ直ぐと俺を見据えてきます。

『鳳くん、勘違いしてる』
「勘違い……?」
『私、宍戸と付き合ってない』
「……今更何を」
『もちろん、宍戸はすごく好き! でも、それは友達として。私が本当に好きなのは……鳳くんだよ』
「……」
『信じて』

 急にそんなことを言われても、すぐに信じられる訳ありません。しかし、その言葉に動揺しているのもまた事実でした。

「……でも! 俺見ましたよ! 少し前のお昼、屋上で泣いている先輩を……宍戸さんが慰めているところ……」
『あれは……うちで飼っている犬が体調を崩して、宍戸に相談乗ってもらってたの……』

 予想斜め上をいく彼女の返答に言葉が出ませんでした。もし彼女の言う通り、あれが俺の勘違いだとしたら。その先は考えたくもありませんでした。

『だから! 私が本当に好きなのは「ま、待ってください!」

 真っ直ぐ俺を見つめるその瞳に迷いはありません。それが、彼女が嘘なんかついてないことを証明していました。

「正直、まだすごく混乱しています。でも、そこから先は少し待ってください!」
「まず、俺の勝手な早とちりで先輩を傷付けてしまって……本当にすみませんでした」
「そんな俺がこんなことを言うなんて……そんな資格ないことは分かっています……でも!」
「好きなんです……先輩のことが。好きです」
「先輩、俺と、付き合ってください」

 流れていく大粒の雫で、肝心の彼女の顔は滲んで見えません。

『私も、鳳くんが好き』

 でも、顔が見えなくても俺の手を包んでくれる彼女の手と何かを堪えたように詰まる声から、これ以上ない優しさが伝わってきました。


****


「という訳で……先輩とお付き合いすることになりました。宍戸さんにも、沢山ご迷惑をおかけしてすいませんでした」
「迷惑なんてかけられた覚えねーよ! そんなことより、よかったじゃねーか、長太郎!」

 まるで自分のことのように喜んでくれる宍戸さん。こんな人を疑っていたなんて、過去の自分が恥ずかしいです。

「よし、お祝いにこれやるよ!」

 そう言って差し出されたのはきのこの山。その時、あの屋上での出来事がふと思い出しました。

「この前、先輩にもきのこの山をいただきましたよ」
「ああ、あれ。俺がアドバイスしたんだぜ!」
「えっ」
「お前きのこの山好きだろ? いっつも美味しそうに食ってるじゃねーかよ! 俺にも買ってきてくれるしな!」
「あ、ああ……そうですね」

 俺がきのこの山を好きなのは宍戸さんがくれるからで、宍戸さんに買うのはいつも貰っているお礼のつもりでした。それがまさか、そんな捉え方をされているとは。あの出来事のまさかな真相に、思わず苦笑いが込み上げてきます。愛情を伝えるというのは、こんなにも難しいことなんですね。

「どうした?」
「いえ。俺はやっぱりきのこ派だな、と思って」
「おっ! 分かってんじゃねーか」

 口の中で溶ける甘いきのこは、俺にとって色んな意味で一生忘れられない味になりそうです。




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