明日から始まる下剋上




 幼稚舎の頃、氷帝学園中等部テニスコートで見た光景。あの人の、テニスの美しさに魅了されテニス部への入部を決めたあの日。
 最近、そんな遠くて近い昔の記憶が脳内に何度も甦ってくる。


 この二年間、最後まであの人を超えることは出来なかった。背中を追い続け、遂に捉えたと思ったこともありはしたが、結局俺の手をひらりと掠めて離れていく。あの余裕な笑みを浮かべながら。
 非常に腹立たしいことこの上ないが、あの人の背中を追い続けた結果辿り着いたのは氷帝学園の頂点。今まで俺の視界にはあの人の背中しか写っていなかったはずなのに。いつからか、気付けば沢山のアイスブルーたちが俺の視界を埋めつくしていた。
 あの人の席を狙うのはもうやめた。下剋上を諦めた訳ではない。その前に、やらなければならないことができただけだ。それを達成した後でも遅くはないだろう。そのアイスブルーの中で、一際輝くキングを打ち倒すのは。

****

「俺たちは今、氷帝の頂点にいる。しかしどうだ。俺たちは先輩たちに勝ってここにいる訳じゃあない。あの人たちが引退したからにすぎない。この事実、お前たちは悔しくないのか?」
「え? そりゃあ悔しいけど……」
「樺地はどうだ」
「……悔しい、です」
「そうだ。そして俺たち氷帝は、今年成し遂げられなかった全国制覇を来年こそは達成しなければならない。氷帝の名を全国へ知らしめるんだ」
「もちろん!」
「ウス!」
「そこでだ。まずは先輩たちへの下剋上が先決だと思わないか? あの人たちを実力で超え、本当の意味で氷帝の頂点になることが、全国制覇への第一歩に繋がると思わないか?」
「そうだね。あんなに強い先輩方でも全国制覇を成し遂げられなかったんだから……俺たちは、その上をいかなきゃいけないよね」
「ウス」
「ということでだ」

 背後にあるホワイトボードにペンを走らせていると、唾を飲み込む音が聞こえそうな程の緊張感が後ろの二人から伝わってくる。

「三年生卒業までの……下剋上計画?」
「今からテニスの試合を申し込み全員に勝つ……と言いたいのは山々だが、卒業まで時間もない。そもそも、そんな簡単な人たちじゃないからな。まずは先輩たちが卒業までに達成できる下剋上からだ」
「すごい現実的だね」
「言っただろ。そんな簡単な人たちじゃない。それにそれは、全国制覇した後にとっておいてやるんだよ」
「はは、日吉らしい」
「よし、お前ら。まずは卒業までに、先輩たちにひと泡吹かせてやるぞ」
「うん。俺だって、いつまでも宍戸さんの背中を追いかけてちゃダメなんだ。追い抜かなきゃ」
「勝ちたい、です」

****

 やる気を出した鳳がボードにサーブの口癖である「一球入魂」と書いたのを見て樺地もペンを握り書いた「ウス」もいつもの口癖。それを指摘すると「日吉だって下剋上が口癖じゃん」と鳳に言われたが、俺のは口癖じゃない。座右の銘だ。

「宍戸さんは確かビーチフラッグが得意だったな。じゃあそれで宍戸さんに勝つぞ」
「ええ……でも宍戸さんの瞬発力は日吉もしってるでしょ? 本当に凄いんだから」
「おい。先輩たちに勝つんじゃないのか? そんな弱音言っててどうする。追い抜くんじゃなかったのか?」
「……そうだね。ごめん、日吉。俺、弱気になってた。勝つよ、俺。宍戸さんに。ビーチフラッグで」
「ずっと近くで見てきたお前ならやれる」
「ありがとう、日吉」
「じゃあ『宍戸さんにビーチフラッグ対決で勝つ』、と」
「忍足さんが負けたくないものってなんだろう? あ、型抜きが得意なんだっけ?」
「……型抜きはいい」
「え、何で?」
「うるさい」
「あの、」
「どうした、樺地? 何か案があるのか」
「……忍足さんに、ジュース代、返してもらってません」
「あの人……なんだかんだ言って躱して誤魔化すつもりだな、クソ」
「忍足さんはそういうの上手いよね」
「樺地、卒業までになんとしても返してもらえ」
「ウス」
「『忍足さんにジュース代を返してもらう』、と」
「じゃあ次は芥川さん……」


****


「これでほとんど書けたな。後は……」
「跡部さんだけだね。日吉、頼むよ」
「お願い、します」

 跡部さんへの下剋上。そんなの最初から、入部を決意した時から決まっている。俺はボードに躊躇いなくペンを走らせた。

「……『跡部さんより美しくなる』? どういう意味なの、これ?」
「いいんだ、これで」
「……まあ、日吉がそう言うなら。ね、樺地」
「ウス」

 鳳も樺地も、ハッキリとは分かっていないだろうが、何かを察しているのだろう。
 完成したボードを前にして、俺たち三人の中に新たな連帯感を感じる。

「先輩たちに下剋上だ」
「一球入魂! だね!」
「ウス!」

****

 気付けば既に日は傾いており、下校時刻が迫っていた。俺は携帯に入っていた一通のメッセージを確認する。

「先に帰るぞ」
「一緒に帰らないの? ……あっ」
「なんだ」
「いや、なんでも。じゃあまた明日ね」
「お疲れ様です」
「ああ、じゃあな」

 後ろでヒソヒソ二人が何か話している声が聞こえないこともないが、どうせくだらない話しだろう。俺は早足で校門に向かい、そこで暇そうに暗い空を見上げている人物を見つけた。

「待ったか?」

 首を横に振る彼女は嬉しそうで、暗い辺りの中で不思議と少しキラキラ光って見える。きゅっと掴まれるような苦しさを胸に感じながら、隣同士で歩みを進める。
 頻繁ではないが、時間が合えばこうして二人で並んで帰ることもある。今日一日何があった等、特段代わり映えのない話しをしながら。どこにでもいる普通の恋人同士の風景だろう。彼女と付き合う前まではそんな時間は無駄だと思っていたが、そんな代わり映えのない日常が、悪くないとは思っている。

「明日から先輩たちへ下剋上の毎日だからな」

 これは部活が忙しいのかという話題への返答だが、言わずとも彼女の顔には『どういう意味?』と書いてある。経緯を説明すると次はスッキリした顔。こういう分かりやすいところは自分にはないところなので新鮮だ。何度見ても飽きない。

「手伝い? そんなもの、出来ることないだろ。俺より高く飛べるのか? 野鳥を早く数えられるのか?」

このように、少し無鉄砲なところも。

「ああ、でも。滝さんにはカラオケを挑むつもりなんだ。だから、その……」

 察しがよくて気が使えるところも。何度見ても飽きない。
 込み上げてくる笑いを堪えられず思わず口から息が漏れてしまうと、振り返った顔には『何で?』と書いてあり、次は笑いを堪えることが出来なかった。

「よく考えれば、俺が先輩たちに絶対に負けないところがもう既にあると思ってな」

 首を傾げる肝心なところは察しが悪い彼女に、今日なら普段は絶対に言えないようなことでも言える気がした。

「恋人の可愛さ」

 なるべく聞こえないよう小さく呟いたのに、こんな時に限って車通りも音も少ない。隣で黙ったままの彼女の顔を見ることが出来ないまま無言で歩いていると、遅すぎる車がようやくご登場だ。すれ違う瞬間、眩しいヘッドライトが俺たちの顔を照らす。思わず目を細めて顔を背けた先には、俯いた彼女の真っ赤な横顔が。
 一瞬のその景色はまるでドラマのワンシーンのようで、脳裏に強く焼き付いて離れてくれない。激しく高鳴る心臓は全身に響き、その音に邪魔をされて正常な思考が働かない。
 ハッと気付いた時には左手に、人肌以上に熱い温もりを握りしめていた。少し汗ばんだそれがおそるおそる俺の手を握り返してくると、電流のようにピリッとした刺激が走る。

 その刺激で思い出した。
 沢山のアイスブルーで埋め尽くされた視界に、一つだけ他とは違う光があることを。それはとても暖かい色をしていて、近くにいると安心するもので。いつの間にかそこにいて、俺の視界から外れてくれない。気付けば離れられなくなっていた。
 だから俺はその光を守ることに決めた。

「俺は誰よりも強く……美しく、なる」
「来年。頂点から見れる景色を楽しみにしておけ」

 全てを背負い背負われ、その高い山、登りきってみせる。
 これから始まる下剋上物語と、固く結んだこの手に誓いを込めて。




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