日吉の髪ってサラサラだね




『日吉の髪ってサラサラだね』

 そう言って彼の髪に手を伸ばした瞬間、パチンと手を弾かれた。驚いて彼の顔を見ると、弾いた本人も驚いた顔をしている。

『ごめん! 勝手に触ろうとして……』

 とにかく謝らなくてはと謝罪したものの、拒否されたというショックがじわじわと広がっていく。

「いや、俺も悪かった……驚いて……」
『いやいや! 急に触ろうとした私が悪いから! ごめんね!』

 彼も動揺しているようだ。この空気を何とかしなくてはと、とりあえず明るく振舞ってその場を凌ぎはした。
 しかし、二人の間に流れる微妙な空気。

 結局、この日を境に、私は日吉と話しにくくなってしまった。

****

 あのことがあってからしばらく、事務的な用事でしか日吉と話していない。とは言っても、事務的な用事なんてほとんどない。つまりあの日からほぼ、彼とは会話をしていない。日吉のことが好きな私としては辛いが、一度あんな風に拒否されると二度目が怖くなり、自分から彼を避けてしまっている始末だ。

「うーん……日吉は君のこと、嫌いなわけないと思うけどなあ……本当にただ驚いただけだと思うよ」

 うーん、と首を傾げる様子は本当に大型犬のよう。日吉と同じ部活の鳳くん。とても親切な人で、日吉への恋の相談を度々彼にしていた。

『そうかもしれないけどさあ……』

 彼の机で駄々をこねる私をまあまあ、と宥める鳳くん。こんな私の愚痴を一切嫌な顔せず聞いてくれる彼には、本当に頭が上がらない。

「とりあえず普通に話しかけてみたら? 案外大丈夫なもんだよ」

 日吉も素直じゃないから、とクスクス笑う。そうは言われてもなかなかすぐ勇気が出るものではない。うんうん唸っていると、鳳くんが急に私の髪の毛に指を通す。驚いて彼を見ると、先程とは空気が一変している。

「……俺なら、君をそんな風に悩ませたりしないよ」
『……え?』

 髪の毛を指で流しながら微笑み話す彼はいつもの彼じゃない。何と答えたらいいか分からず固まっていると、

「おい!」

 急に視界の外から声が聞こえる。声がした方を見ると、教室の扉のところにすごい形相をした日吉が立っていた。

「鳳……これはどういうつもりだ」

 日吉は足音を立てながら私たちに近付くと、私の髪の毛を触っている鳳くんの腕を掴んだ。その顔は怒っているような驚いているような、よく分からない表情をしている。鳳くんは日吉を見て、挑発的な笑みを浮かべる。

「日吉には関係ないよ」
「何だと」

 そんな鳳くんに、日吉も冷たい表情で見下す。

「日吉。とりあえず手、離してくれない?」
「ダメだ」
「俺は彼女に大事な話しをしているんだよ」

 そう言って鳳くんは掴まれている手とは反対の手で私の頬に手を伸ばした。その瞬間、

「こいつに触るな!!」

 聞いたこともないような日吉の怒った声に、私に触れようとした鳳くんの手がピタリと宙で止まると同時に、私の体もビクリと跳ねる。
 張り詰めた空気に、これからどうなるか怖くて息苦しい。そんな空気を割くように、急にクスクスと鳳くんが笑いだした。

「何を笑ってる」
「……やっと本音言えたね、日吉」
「…………は?」


 笑っている鳳くん。先程までの空気はどこへ行ってしまったのか、いつもの優しい鳳くんだ。

「本当に世話がやけるなあ」
「お前っ! まさか!」
「日吉が素直じゃないから悪いんだよ。君にも、嫌な思いさせてごめんね?」

 心底申し訳なさそうに眉を下げる鳳くんと、顔を真っ赤にして口をパクパクさせている日吉。状況が全く呑み込めない私。なかなかにめちゃくちゃだ。

「役目は終わったし、俺はもう行くね。それじゃ日吉、あとは頑張って」

 そう言うと荷物を持って席を立ち、止める暇もなく私にヒラヒラと笑顔で手を振って本当に行ってしまった。ますます訳が分からない。

『ねえ日吉。なんなのこの状況。どういう意味? 何で鳳くん帰っちゃったの?』
『というか日吉が何でここにいるの?』

 全く状況に付いていけていない私は、気まずさなんて忘れて日吉に畳み掛ける。
 しかし私の質問に答えないし目も合わせない日吉。

 しばらく静寂の後、日吉はゆっくりとこちらを向く。彼は口は閉ざしたまま、でも何かを決意するように一度だけ目を瞑り、その涼し気な目を私に向ける。
 久しぶりにぶつかる視線に胸が跳ねる。しばらく睨み合った後、日吉は小さく息を吐き、ぽつりと呟いた。

「アイツと何してた」
『え? いや……別に……』

 まさか日吉のことを相談していたとは言えず、下手な誤魔化しをしてみるが、日吉相手にそんなもの通用するはずもなく。

「別にじゃないだろ。あんなことされて」
『あんなことって、髪の毛触られただけじゃん』
「"だけ"とは何だ。男と二人きりで……お前には危機感というものはないのか?」
『日吉には関係ない。別に付き合ってる訳でもないのに……』

 何故こんなことを言わなければならないのか。自分で言ってて悲しくなる。


「なら付き合え」
『……は?』
「付き合ったら関係あるんだろ」

 この言葉は、誰よりも私が切望していたはずなのに。
 あまりの雰囲気のなさ。ちょっとコンビニに付き合えくらいのテンションで言われたが、文脈から考えればそんなわけもない。
 
『いや……その……』

 何か言おうとすればするほど言葉につまる。すると、日吉の指が私の髪の毛を掬う。日吉の指が私のすぐ側に。彼の香りが鼻を掠めて、一気に心拍数が上がる。
 頭上からふう、と息を付く音。

「……好きな相手が他の奴に触られて、許せるわけないだろ」

 きっとこれは、待ち望んだ言葉。
 だけどまるで諦めたような、降参したかのような言い草に不安になる。もう少しで手が届きそうなのに、一歩間違えればバッドエンドになりそうな。そんな不安が喉に詰まり言葉が出ない。でも、あと少し。あと少しで。勇気をだして生唾と共に不安をごくりと飲み込む。ゆっくり一言、一言確かめるように。

『それは、どういう意味?』

 冷や汗が流れる。心臓は早鐘を打ち、体は熱いのに、芯は冷えているような。一秒、一秒がとてつもなく長く感じる。

「お前が、好きだ」

 その言葉を聞いた瞬間、胸で何かが大きく弾けた。喜怒哀楽全ての感情が吹き飛び頭が真っ白になる。

『うっ……』

 そして我慢する暇もなく、目から涙が溢れ出てくる。止めようとしても止まらない。

「おい、泣くな……」

 私の涙を指で拭う日吉。
 しかし、拭っても拭っても溢れる涙に困ったように笑うと、ハンカチを差し出してくる。それを受け取り涙を拭いていると、体が強い力で引っ張られ、何かに包まれる。鼻を掠めるのは、ハンカチよりもっと強い日吉の香り。抱き締められていると理解した途端、またボロボロと涙がこぼれる。日吉は手を私の髪の毛に通すと、指で髪の毛を滑らせながら優しく頭を撫でる。

「この前は悪かった」

 素直に謝るなんて珍しい。泣いて声も出せず、首をぶんぶんと横に振って意思表示する。何度も何度も私の頭の形に沿って撫でる手に、段々と気持ちが落ち着いてきた。

『ひ"よ"し"……』
「フッ……酷い声だな」
『うるさい……』
「で、何だ」
『日吉の髪、触ってもいい?』
「……ああ」

 顔を上げると、なんだか見たことない表情。日吉って、こんなに優しい顔してたっけ……
 おずおずと手を伸ばし、日吉の髪の毛に指を通す。触れると、何の引っ掛かりもなく流れる指。

『やっぱり、日吉の髪ってサラサラだね』
「特に嬉しくもない感想だな」

 それでも日吉は私が満足するまで、頭を傾けてくれていた。





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