N.W.D -稲妻11別館-


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無理ばかりする君に、だけど休めとは言えないから


 かちゃり、と鍵を回して、ドアを開けた豪炎寺は玄関に見覚えのある靴を見つけて、おや、と首を傾げた。見返すまでもなく、それは鬼道の革靴で、きっちりと揃えて並べられているところが、本当に鬼道らしいと思った。
 朝、出たままの室内は、ドアの外と変わらず、この季節独特のむわりとした温い空気に満たされていて、仕方ないと思ってみても不快感は拭いきれない。梅雨の谷間の青空、と朝の天気予報は言っていたが、雨が降っていないだけまし程度の晴天で、からりとした五月晴れがすでに恋しかった。
 そこまで何の気なしに考えてから、いや、違うな、と豪炎寺は苦笑する。
 恋しいのは晴天でも爽やかな陽気でもなく、ただ一人だけ。
 その相手が一枚ドアを隔てた先にいると思った途端、纏わりつくような梅雨の湿気も気にならなくなるのだから、なんて単純なのかともう一度、苦笑いを浮かべた。
 しかし、一人暮らしを始めたときに合鍵は渡してあったから、鬼道が家にいること自体は不思議でもなんでもなかったが、勝手に使って構わないと何度も言ったにも拘らず、これまでは立ち寄る際にも必ず前もって連絡をしてくるのが常であり、今日のようなことは初めてで、だからこそ豪炎寺も驚いたわけだが、大学生の一人暮らしに分相応なマンションのドアは鬼道の家と違って、それほど消音設計が優れているわけではない。近所とのトラブルは遠慮したかったから、勢いのままに閉めたりはしていなかったが、開閉音は室内にいれば当然分かるはずなのに、何の反応もないことにもう一度、軽く首を傾げてから、豪炎寺は、まあ、いいか、と呟いた。
 数冊の教科書とファイルの入ったバッグを持ったまま、洗面所で手を洗う。生温い水にも構わず、ばしゃりと顔も洗うとタオルでぐいと拭った。
「ただいま」
 形ばかりの廊下と部屋を繋ぐドアに手をかけて、実家を出てからは滅多に口にしなくなった単語を若干の期待を籠めて発してみた豪炎寺だったが、残念ながら目的の相手はテーブルに突っ伏して寝ていた。ま、そうだろうな、と半ば予想していた豪炎寺は特に落胆することもなく、バッグを床に置いて、鬼道に近づいた。
 ベランダに面した窓は鬼道が開けたのだろう、陽が暮れて少しだけ気温の下がった風は、何もないよりかは心地好い。
 朝、干して出かけたはずの洗濯物は影も形も見当たらず、どうやら自分が帰宅するのを待っている間に鬼道が取りこんで片付けてくれたらしかった。
「鬼道」
 テーブルの上には空のビール缶が二本転がっているだけで、他には何もない。
「また、摘まみもなしに……」
 やれやれと肩を竦めると、豪炎寺は鬼道の肩に手をかけた。
 洗濯物を片付ける気を回すぐらいなら、摘まみぐらい作れば良いものを、と自分のことを蔑ろにしがちなところは相変わらず変わらない、と少しだけ腹立たしさも覚えながら、鬼道の身体を軽く揺さぶった。
「鬼道」
 どうせ寝るなら、ベッドに行って寝ろというつもりで、揺すった豪炎寺だったが、完全に熟睡しているのか、ぴくりとも反応しない鬼道に、珍しいな、と眉を顰める。
 アルコールにも決して弱い方ではないから、高々缶ビール二本程度で酔い潰れるとも考えにくく、もしかしなくても一週間ほど、メールもぱたりとなかったことから容易に導き出された推測に深い溜息を一つ溢した。
「まったく……」
 頬にかかった髪を掬い上げるように払うと、今はしっかりと伏せられているせいで見ることの叶わない宝石のような赤を瞼の下に想い描く。
「無理しすぎだ」
 豪炎寺自身も学業とサッカーの二足の草鞋は忙しかったが、鬼道はそこに財閥の仕事が加わる。
 口で無理をするなと言ったところで、聞く耳持たないのは嫌というほど分かっていたが、それでも人の家に来て潰れるなんて、怒って欲しいということだろうから目を覚ましたら説教だな、と実際、目を覚ました鬼道に対して本当に説教できるかどうかは別として、胸中で誓った豪炎寺は、丁寧な手つきで鬼道の身体を抱き上げた。
「んっ……」
 ゆらりと身体が揺れる感覚に、鬼道の瞼がぴくりと動く。
「そのまま、寝てていいから」
 鬼道の耳に馴染んだ声が落とされる。
 学生の間にしかできないことがあるから、大学の間は自分のことを優先するように、と養父には厳命されていたけれど、自分が係わったプロジェクトに問題が発生したと知って、それを他人に丸投げできるほど鬼道は要領が良いわけでも無責任でもなく、運悪く必修単位のレポート提出が重なったせいで一週間ほど人間らしい生活から遠ざかっていた。メールを打つ時間があったら、一行でも書き進めた方が良かったし、声を聞くために電話するぐらいなら、さっさと問題解決のために奔走した方が早い。
 しかし、頭では分かっていても心が疲弊するのはどうしようもない。食事も睡眠も倒れない最低ラインは維持していたが、豪炎寺だけが不足していたなんて、けれども、いざ本人を前にしてしまうと口にできるはずもなかった。
「本当は言ってやりたいことが山のようにあるんだが」
 少し低い声は怒っているときのもので、多少なりとも自覚はあったから今日ぐらいは説教も聞いてやろうと思ってみるが、ゆるゆると耳朶を擽る響きに、浮上しつつあった意識が再び微睡み始める。
「真っ先に来てくれたから、今回はそれでいい」
 額に押し当てられた柔らかな感触は随分久々で、けれどもそんな子供騙しではなく、別の場所に触れて欲しくて、豪炎寺、と名前を呼んだつもりだったが、口唇は鬼道の意思に反して微塵も動かない。
 だが、届かぬ声を拾ったように、豪炎寺は鬼道の身体をベッドにそっと下ろすと、そのまま覆い被さるように顔を近づけた。

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