N.W.D -稲妻11別館-
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Clap一緒に暮らそう
つい先日オープンしたばかりの水族館は平日の朝だというのに、思った以上に混み合っていて、鬼道は僅かばかりの驚きを持って館内を歩いていた。
水槽内にトンネル上に設置された通路の周囲はぐるりと水で覆われ、上下左右、全ての方向に様々な魚が泳いでいるのが見て取れる。
しかし、平日の午前中からいい歳をした男がスーツ姿で一人水族館にいるというのはやはり目立つようで、先刻からちらちらと向けられる奇異の視線に鬼道は胸中で小さく苦笑した。
人に見られることには慣れている、とはいえ、普段とは異なる環境で浴びる視線はやはり少し違和感を生じさせるのは事実で、分厚いレンズの下の瞳を僅かに曇らせる。
「まったく……」
大きなエイが頭上を通過していく。
「こっちの都合を全く気にしないところは変わってないな……」
突然、送りつけられてきたチケットは、一枚の簡素なメッセージが添えられていただけで、差出人名がなかったら間違いなく悪戯かと思うようなデートの誘いだった。
「しかも今時、手紙とはな」
古風といえば聞こえはいいが、それにしたって筆まめでもないくせに何をしているのかと鬼道は呆れてしまう。
案内板の表示に従って、さらに奥へ足を向けると途端にフロアが開けた。
薄暗い照明に慣れていた目にガラス窓越しとはいえ、突然の陽光は少し強い。
「鬼道」
こっちだ、と周囲の目など全く気にした風もない耳に馴染んだ声の方に、鬼道が顔を向けると、見慣れた男の姿が外に広がる柵に寄りかかるように立っていた。
「豪炎寺……」
手元の時計にちらりと視線を落とせば約束の時間には少し早く、けれども鬼道は、すまない、待たせたか、とやや大股で歩み寄った。
「いいや」
豪炎寺はあっさりと首を振る。
「今さっききたばかりだ」
「そうか……」
本当か嘘か確かめようのない言葉に、鬼道はそれ以上口を挟むことなく、小さく頷いた。
「それで」
豪炎寺のすぐ横まで行って、鬼道は数日ぶりの男の顔を見た。
互いに会う暇もないくらい多忙と言ってしまうにはやや大袈裟だったが、最後に顔を合わせたのは先週の半ばで、それも取材の席でたまたま一緒になっただけだったからプライベートとなると、随分久しいことに鬼道は思い至る。
「こんなところに呼び出すなんて珍しいな」
「鬼道が見たいんじゃないかと思って」
豪炎寺の声に誘われるままに柵の向こう側に鬼道は顔を向けた。
「懐かしいだろ」
「ああ」
皇帝ペンギンの群れの姿に鬼道はレンズの下の瞳を眩しそうに細める。
「水族館自体、久しぶりだしな」
最後に来たのはここではない別の水族館で、けれどもそのときも横にいたのはこの男で、懐かしいと思うと同時に、変わってない、と口許を綻ばせた。
手摺についた手の甲に豪炎寺の掌がそっと重ねられる。
「なっ……」
おい、と僅かに非難の色を滲ませて豪炎寺を見た鬼道だったが、吸いこまれそうな深い漆黒の瞳の前にそれ以上の言葉を失い、小さく息を飲んだ。
まっすぐな瞳に見つめられ、身体が硬直したように動かない。
外のフロアまで出てくる客は少ないのか、周囲に人はいない。
けれども、ほんの少し離れただけの館内からはガラスでしか遮られておらず、決して少なくはない来館者の目から二人の姿は丸見えだった。
遠目には接近しているようにしか見えないと思ってみても重ねられた掌に鬼道の体温が上がっていく。
「豪炎寺……」
手をどけて欲しいと理性は警告しているのに久しぶりに感じる男の体温に本能が跳ね除けることを拒む。
「鬼道」
豪炎寺の声にぞわりと背が泡立つ。
今、そんな声を出すのは反則だろう、と内心で責める鬼道に構わず、豪炎寺はもう一方の手をゆっくり眼鏡に伸ばした。
あっと言う間もなく、取り上げられたレンズの下から剥き出しの紅玉が豪炎寺を見つめる。
宝石のような二つの赤が幾許かの困惑を秘めて豪炎寺を見つめていた。
「鬼道」
豪炎寺はもう一度、名前を呼ぶ。
「一緒に住もう」
「……は?」
何を突然、と顔一面に困惑を広げた鬼道に、豪炎寺はくすっと口許を緩める。
「言葉のままだ」
人の目があるのは豪炎寺とて重々承知の上で、抱きしめたい衝動をぐっと堪え、重ねた指先に微かに力を籠めるに止めた。
「こうも会えないと鬼道が足りないんだ」
躊躇いもなく言い切られた言葉に、鬼道は声を失い、呆然と豪炎寺を見つめるしかできない。
ただ、ああ、だから水族館だったのかと働きの鈍くなった頭で納得した。
告白されたのも水族館だったと思い返して、あのときはペンギンの前で、互いにもっといっぱいいっぱいだった、と懐かしさに口角が緩む。
「まったく……」
おまえはいつも唐突だな、と普段は秘されている瞳を惜しげもなく晒して、鬼道はゆるりと笑う。
「いいぞ」
「……本当か?」
半信半疑といった様子で問い直す豪炎寺の胸元に、ぽふんと額を押しつけて、鬼道は、ああ、とはっきりと同意の声を返す。
「おまえが足りないのはオレも一緒だからな」
柵から離した手をしっかりと繋ぎ直して、鬼道は豪炎寺をまっすぐに見つめる。
豪炎寺が嬉しそうに、ありがとうと笑ったのに、こちらこそ、と鬼道が満足げに微笑んだ。
ざわりと風が二人の頬を撫でていった。
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