N.W.D -稲妻11別館-


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特別な一日も大切なことはいつも変わらず


 日に日に空が白むのが早くなった。
 もうすっかり明るくなった世界をカーテンの開けた窓の向こうに見た鬼道は、ほぅと息を吐き出してから視線を傍らに戻す。
 まだ起きる気配もなく寝入っている豪炎寺の頬に、そっと片手を滑らせた。
 指先に感じる温かな体温に、ふっと口許を綻ばせる。
 あと幾らもしないうちに目覚まし時計が鳴ってしまうだろう。昨夜も遅かったのだし、今日はオフなのだから、セットしてあるアラームをオフにしてこのまま寝かせてやりたいと思いつつ、せっかくの天体ショーなのだから一緒に見たいと言って強引にスケジュールを調整したのも知っていたから、せめて無粋な機械音で無理矢理起こされたりしないように、鬼道は頬に添えた片手はそのままに、枕元の目覚まし時計にもう一方の手を伸ばした。
 かちりと音がして、解除されたことが伝えられる。
 二人一緒の朝に携帯電話のアラームは使っていないのは知っていたから、そちらには手は伸ばさない。どちらか一方が遅く、他方が先に出てしまうような朝も基本的には朝食だけでも一緒にするようにしていたから、豪炎寺がその小さな機械の力で起きることはあまりない。勿論、鬼道が不在の日には使っているのかもしれなかったが、歳を重ねるに従って、寝起きが悪くなった気がする豪炎寺が果たしてこれだけできちんと起きられているのか少し心配になる。けれども、どうしても外せない仕事で鬼道が自宅を留守にした朝も豪炎寺が寝坊したなんて話は一度も聞いたことがなかったから、豪炎寺の寝起きが悪いのは鬼道が横にいるときだけらしい事実に心が擽られる。鬼道自身、何もないのであれば、このまま温かな腕の中に戻ってしまいたい気もして、しかし、一刻の誘惑に駆られて、あとで後悔するのも馬鹿馬鹿しい話だったから、甘い誘いを断ち切るように頭を軽く振った。
「ん……」
 身体のすぐ近くで動く気配に豪炎寺が身動ぐ。
 ぴくぴくと動く瞼の上に鬼道はそっと口唇を近づけた。
 左右の瞼に一度ずつ、触れるだけの微かな接触。けれども、皮膚の上に感じる気配、顔の上に落ちた陰に、豪炎寺の瞼がゆっくり押し上げられる。
「おはよう」
 ぱちりと開いた瞳に映る自身の姿に鬼道は動じた様子もなく、今度は額にキスを落とした。
 前髪をさらりと指で払い除け、露わになった肌に触れるだけの甘やかな接触に、けれども豪炎寺の瞳が不満の色を浮かべる。
「それもいいけど」
 ここにしてくれ、と寝起きとは思えないはっきりとした声とその要求に鬼道は苦笑を隠さずに、突き出された口唇に促されるままに自身のそれを重ねた。
「んんっ……」
 鬼道の後頭部に豪炎寺の手が回される。
 ぐいと引かれ、おはようのキスだとは言い訳できないくらい深まる口付け。夜の間に乾燥してしまった表皮を潤すように絡められた舌が互いの口中を行き来する。
 ガラス越しに射しこむ陽光がさらに室内を満たしていく。
 豪炎寺の顔の脇についた腕に力を入れて鬼道は自身の身体を支えながら、口内を蹂躙する刺激を甘受した。
「ふっ……」
 これ以上はダメだ、というように鬼道がぐいと肘を伸ばす。
 濡れた音を立てて、離した口唇から互いに吐息が漏れた。
「程々にしておかないと、せっかく休みを取ったのに」
 見逃すぞ、と窓を視線で示した鬼道に、豪炎寺も口許を歪ませる。
「別にいい」
 そんなの口実だから、とさらにキスをしようとする豪炎寺に鬼道が肩を竦めて、バカ、と眦を下げると、自分も実は同じようなことを考えていたなんてことはおくびにも出さず、豪炎寺の口唇に人差し指を押し当てた。
「そんなこと言っておいて、後悔しても知らないぞ」
 鬼道の見すかしたような声に豪炎寺はむすりと口を引き結び、やれやれと身体を起こす。
「そうだな……」
「今日は長いんだ。続きは日食が終わってからでも」
 できる、と続けようとした鬼道の言葉に、きょとりと豪炎寺が小首を傾ける。
 その様子に鬼道の目が柔らかく細められた。
「午後からどうしても外せないアポが入っていると言ってなかったか?」
 怪訝な豪炎寺の口調に、数日前の夕食の席での会話を覚えていたのか、と鬼道は驚き半分、嬉しさ半分でさらに表情を和らげて、せっかくだからなと笑う。
「日食をだしに休暇を取ったのはお前だけではないということだ」
「鬼道……」
 見る間に嬉しそうに緩められた豪炎寺の表情。
 きりりと引き締まった真剣な表情も勿論好きだったが、ふとした瞬間に見せるこういう綻んだものも何度も目にしていながら、見惚れるというのはまさにこんなときに使うのだろう、と鬼道は柔らかく目許を細めた。
「さ、顔を洗って準備しよう」
 視界の端で時計のデジタル表示が切り替わる。
「太陽が隠れ始めるまでもう数分もない」
「ああ……」
 鬼道の言葉に豪炎寺も時計に目を向けた。
 昨夜のニュースでも何度もアナウンサーが伝えていたタイムスケジュールと、平和な話だ、と苦笑していた鬼道の表情も一緒に思い出しながら、本当だな、と昨夜と同じ相槌を心の中でもう一度繰り返す。
「鬼道」
 言葉通りにさっさとベッドを降りようとしていた鬼道が、豪炎寺の声に、ん、と振り返る。
 豪炎寺はその手を掴み、額にちゅっと音を立ててキスを一つ送ると、口にしそびれていたおはようの言葉を舌に乗せた。
 太陽が隠れるまではもうあと僅かだった。


 原理を知っているのと実際に目にするのは全く別物だ、と互いに声もなく眼前に広がる光景に見入っていた。
 東の空に面した窓を全開にした室内には朝の爽やかな空気が流れこむ。やや薄曇りだったが、危惧されていたほどには天気は崩れてはいない。だが、太陽が陰り始めたのとほぼ時を同じくして、少し肌寒さが増した気がした。地上に降り注ぐ陽光の減少をこんな風にはっきり感じるなんて、と知らなかった感覚に少し驚きを覚える。
 数分前から少し雲が厚くなり始め、レンズ越しにもうっすらと膜がかかったように月の陰のせいだけではない光量の低下が見られた。
 けれども、太陽を隠していく月の姿がはっきりと見える中、僅かに、けれどもくっきりと光の線は残る。
 円弧を描く光が、ゆっくりと右上にも伸びていき、そしてリングが完成するのとほぼ同時に、ぎゅっと握られた手に鬼道はびくりと一瞬身を強張らせ、そして自らも指先を絡ませるように温かな掌を握り返した。
 見始めたときより高くなった太陽を見上げるのは少し首が疲れ始めてきていたが、それでも二人は手を握ったまま、天体ショーを見つめ続ける。
 数分間にわたって存在し続けたリングは右上からラインが膨らみ始めたのを切欠に、緩やかにその姿は失われていく。それと同時に二人はほぼ同時に詰めていた息をゆっくり吐き出した。
 まだ日食は続いていたが、豪炎寺は専用眼鏡に手をかけると、おい、という鬼道の制止を無視して外してしまう。
「まったく……」
 せっかちだな、と苦笑混じりに鬼道もまた眼鏡を外すと、それを待って豪炎寺が腕の中にその身を引き寄せた。
「ベッドに籠ってなくて良かったな」
「ああ……」
 肩口にこてんと顎を乗せるようにして、からかい気味に言った鬼道の言葉に豪炎寺も苦笑を隠さない。
「一緒に見られて良かった」
「あと数年早かったら、あのリングにかこつけてプロポーズしたところだけどな」
 冗談なのか本気なのか分かりにくい豪炎寺の言葉に、鬼道は一瞬、目を丸くしてから、くくっと口許を歪める。
「あんなでかいリング、指から落ちてしまうだろう」
「だから贈らなかっただろ」
 その言葉に、鬼道はさらに目を細めて、バカ、と顔を赤らめた。
「鬼道?」
 二人の間では珍しくもない言葉遊びのようなやり取りに、けれども鬼道は少しだけ口唇を尖らせる。
「そんな口説き文句、あちこちで使っていたら許さないからな」
 背に回した腕にぎゅっと力を籠めた鬼道のこんな時間には珍しく甘えたような声に、豪炎寺は、当然だ、と耳許で囁いた。
「オレが口説くのは、後にも先にも鬼道一人だけだ」
 眼鏡を外してしまった二人には、欠けていったときとは逆の流れで満ちていく太陽の姿を見ることはもうできない。
 段々と光を取り戻していく世界に逆行するように立ち上がり、寝室に足を向けた豪炎寺が鬼道に誘うように手を伸ばす。
「休みなんだから」
 いいだろ、と笑った豪炎寺に鬼道もニヤリと口許を歪ませた。
「こんないい天気なのに自堕落だな」
「晴れてようが、雨が降ってようが関係ない」
 一緒の休日なんて滅多に取れないんだから、と言いきった豪炎寺に、鬼道は、ふっと頬を緩ませる。
「違いない」
 伸ばされた手に応えるように鬼道は豪炎寺の手を握り返した。

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