N.W.D -稲妻11別館-


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嘘吐きな口唇


 ソファに座っていた鬼道に背中越しに、ただいま、と声をかけたのが数分前。
 明け方まで仕事に追われていたのか、少し眠そうな目許に軽く触れるだけのキスを落として、おはよう、と付け加えた豪炎寺に、んん、おはよう、と返した鬼道が、つい、と腕を持ち上げ、汗ばんだ髪の生え際をなぞるように指が這わされた。
 朝晩はまだ冷え込むとは言っても、早朝からランニングに励んだ身体にはそんなことは関係なかった。繊細と呼ぶには男らしく、それでいてバランスの取れた綺麗な指が、湿り気を帯びた髪の感触を楽しむように、つつっと皮膚との境を撫でていく。
「鬼道……?」
 時々、稀ではあったが、普段は計算の上で行動している鬼道が豪炎寺の想像もしていない行動を突然する。それらは大抵、鬼道にとっては特に意識してのものではなかったが、豪炎寺の心拍数を跳ねあげるのには十分過ぎた。
「別に」
 指の腹にじわりと伝わる熱を感じながら、鬼道は呟いた。
 口許が持ち上げられ、軽い笑みが浮かぶ。
「なんとなく」
 二度、三度、と繰り返し動かされる指先。
 驚きはしたものの、豪炎寺はその行為を遮ろうとはしない。
「なんとなく、そんな気になっただけだ」
 素っ気ない口調でそう言うと、鬼道は始めたときと同様に前触れもなく、指を引っ込めた。
 触れられていた間は擽ったさに目を細めていたが、いざ指が離れてしまうと物足りなさを覚えて、豪炎寺は鬼道を見る。
「鬼道」
 決して細くはない手首を掴んで、豪炎寺はその身体を引き寄せた。
「鬼道」
 もう一度、名前を呼ぶと怪訝な眼差しが返される。
 外では絶対に外されないレンズは室内では身につけられておらず、剥き出しの紅玉の瞳の上でゆらりと揺れる戸惑いの色。他人には決して見せないそんな不安定さも含めて全てが愛しいのだ、と口にするのも今更過ぎて、豪炎寺はじっと瞳を当てた。
「好きだ」
 ぐるぐると胸中に渦巻く感情をたった一言に集約させると、強く鬼道の身体を抱きしめる。
 走ってきたせいで汗をかいているのに、と今更なことを思い出し、鬼道は怒っていないだろうかと不安になったが、拒絶されないことをいいことに首筋に顔を埋めて、ちゅっと軽く口付けた。
 ぴくり、と小さく鬼道は身を震わせる。何度も身体だって重ねているのに、そんなことは微塵も窺わせない初心な反応。
 つけっぱなしのテレビから聞こえるアナウンサーの声が、そのニュースの内容同様にどこか遠くの出来事のようだった。
「シャワー」
 止まった時計が動き出すように、鬼道が徐に顔を上げて、とんと豪炎寺の胸を押すように身を離す。
「汗、かいているだろう……浴びてこい」
「ああ……」
 その声はいつも通りの鬼道のもので、豪炎寺の言葉に照れるでも、行動を咎めるでもない。
「それとも」
 淡々と紡がれる言葉に、僅かばかりの不満を覚えて、もう一度、鬼道、と呼ぼうとした豪炎寺を遮るように鬼道はにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「一緒に浴びるか?」
「っ!」
 顔を寄せ、耳許で囁かれた予想もしていなかった言葉に、豪炎寺が真っ赤になったのを見て、鬼道は珍しく声を上げて笑い出した。
「な……」
 いつもは豪炎寺が一緒に入りたがっても頑なに拒否してばかりなのに、一体どういうことか、と頭の中に疑問符がぐるぐると渦巻いて、返す言葉を見つけられないまま呆然と見つめ返してくるだけの豪炎寺の姿に、鬼道の笑みがさらに深まる。
 優に五分は経つ頃、どうにか口許に手を当てて、笑いを殺しながら鬼道が口を開いた。
「エイプリルフール」
「……」
 決して知らない単語ではないのに、鬼道の口から聞かされるとは思っていなかったせいで耳の上を上滑りしていく。
「気づいてなかったのか?」
 きょとんと首を傾げる鬼道に、ああ、と豪炎寺は頷くのがやっとで、と言っても普段から口数が決して多いとは言えないのが幸いしてか、鬼道は、そうか、と少し表情を正した。
 ちらりと壁にかけられたカレンダーに視線を向けると、月捲りのそれはつい昨夜、新しい頁に変えられたばかりで、艶やかな桜の写真が時季を主張していた。
「そんな表情、久しぶりに見た」
 笑ったせいで僅かに滲んだ目許を指先で拭いながら、懐かしいとでも言うように、鬼道は口許を綻ばせる。
「とりあえず、シャワー浴びて来い」
 その間に朝食の準備だな、とキッチンに足を向けた背に、一緒に浴びてはくれないのか、と少し悔しげに豪炎寺は言葉を投げる。
 振り返った鬼道はにやりと口唇の端を持ち上げ、気が向いたらな、とはぐらかす。
 そんなことを言って叶えられた試しはほとんどない。
 ベッドの上で意識を飛ばすほどに抱き潰してしまったときに抱えるように湯船に入るのが精一杯で、もう何年も一緒にいながら、豪炎寺の願いは棚上げされてばかりだ。
「期待している」
 いつものリップサービスだと分かっていながら、豪炎寺も諦め半分、すっかり舌に馴染んだ返答を呟いて、廊下に通じるドアに手をかけた。
 鬼道に言われるまでもなく汗をかいた身体のままでは気持ち悪い。
「そうだな。あまり期待せずに待っていろ」
 エイプリルフールだからな、と付け加えられた言葉は、閉じられたドアに遮られて、豪炎寺の耳には届かない。そして、恐らく聞こえていなかったのであろうことに気づいていながら鬼道は一層楽しげに朝食の用意を進める。
 数分とかからずにすぐに食べられる物だけを用意した鬼道は、最後にミルに豆をセットし、電源を入れた。
 浴室のドアをノックもせずに開けた鬼道の姿に豪炎寺が驚きの声を上げたのはそのすぐあとの話である。

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