N.W.D -稲妻11別館-


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幸せのかたち


 鍵を回して開けた自宅は真っ暗で、足許に見慣れた靴がないことから、少しだけ期待していた自分に対して鬼道は自嘲気味に口許を歪ませると、小さく息を吐きだした。
 お互い忙しい身であり、昔のように気軽に相手の時間を拘束してしまうことに、いつからか後ろめたさを覚えるようになってしまっていた。ちゃりと手の中でキーケースが音を立てる。
 自宅と愛車と、そして豪炎寺のマンションの鍵がぶつかりあう、たったそれだけのことにさえ何とも言えない物悲しさを覚えてしまう。
 女々しいな。
 脱いだ靴を揃えて身体を起こした鬼道の呟きは音にならず、咽喉の奥へと飲みこまれた。
 忙しいのに無理しなくていい、と先に言ったのは鬼道の方だった。
 祝って欲しくないと言ったら嘘になるが、誕生日と言ったところで、ただ歳を一つ重ねるだけの、そんなことのために無理して欲しくなかった。
 別にこの先、一生逢えなくなるわけでもないのに、豪炎寺が倒れたりしたら、その方が耐えられない、とそこまで伝えていたなら、豪炎寺もあれほど激昂することもなかったのかも知れなかったが、現実にはそんなことを鬼道が口にできるはずもなく、出勤時刻を過ぎていたせいで、後ろ髪引かれる思いで鬼道の部屋を後にした豪炎寺もまた、思わず口にしてしまった言葉を撤回する余裕もないまま、実に気不味い状態で別れてから、互いに日々に忙殺されてメールもないまま今日を迎えてしまっていた。
 上着の胸ポケットに放りこまれたままの携帯電話を取り出して、画面を点灯させてみても、相変わらずそこには何の通知も示されてはいなかった。
 日付が変わると同時に送られてきた春奈からのメールを開いて読み返す。
 味気ないデジタルの字面にも拘わらず、まるで目の前に春奈がいて喋っているかのような錯覚を覚え、鬼道の表情が僅かに綻んだ。
 そして、その後も長い付き合いの友人たちから届けられた祝いのメールが並ぶ。
 今年こそ自分が一番か?と祝う言葉より先に書かれた佐久間のメールに残念ながら二番だったぞと今年も変わらぬ一行目で返してやったら、がっかりしたらしい絵文字が返ってきて、どこの女子高生なんだと脱力したのも去年と同じで、こういうことにはとんと気が回らなさそうな円堂からのメールには、これまた変わらぬサッカーやろうぜの文字が踊っていて、本題が一体何なのかと苦笑さえ浮かべてしまった。他にも懐かしい面々から届けられたメールが、それぞれの送り主らしさに溢れた文面で、けれども皆同じように鬼道の誕生日を祝ってくれている。
 大人になり、頻繁に連絡を取り合うこともなくなったのに、こうして未だに繋がりのあることに嬉しくなりながらも、どれだけスクロールしても豪炎寺からのメールがないことに、鬼道はまた一つ溜息を吐き出した。
 日付が変わるまで、あと十分もない。
 自分で言ったくせにがっかりしてるなんて自分勝手もいいところだ、と客観的に現状分析してみても、一度自覚してしまった寂しさは、どっしりと鬼道の胸の内に根を下ろしてしまっていて、そう簡単に消え去ってくれそうになかった。
 いつまでもこんな場所にいても仕方がないと思いながら、足が動くことを放棄する。携帯電話を握りしめ、鬼道は玄関先の壁に凭れる。
 馬鹿野……郎……。
 この場にいない豪炎寺に対してなのか、それとも自分に対してなのか、どちらとも説明のつかない苛立ちを抱えて鬼道はその場に座りこんだ。明かりが消えたままの薄暗い廊下の壁に背中を預け、抱えた膝の間に顔を埋めてしまうと、胸中に渦巻く寂しさから目を逸らすことはもうできそうになかった。
 カーテンを閉めていないせいで、リビングの窓から射しこむ外の明かりが、うすぼんやりと室内を照らし出す。
 表示の消えた真っ暗な画面を睨みつけ、僅かな躊躇いの後で徐にボタンに指をかけた。この後に及んでも躊躇する自分の安っぽいプライドを振り払って、リダイヤル画面に表示された名前を思いきって選び、発信ボタンを押す。
 規則的な発信音が静まり返った家の中に響く。
 手の中で、一度、二度、とコール音を繰り返す携帯をじっと見下ろす。まだ職場かもしれないと思うと、今すぐコールを止めた方がいいと思う自分とせめて声だけでも聞きたいと思う自分が鬩ぎあう。
 早く出ろ。
 八つ当たりだと分かっていても無情にもコールを繰り返すだけの携帯を苛立たしげに握りしめた。留守番電話サービスにも切り替わらないまま、コール音だけが延々と鳴り響く。流石に不自然に感じた鬼道が電源ボタンに指をかけたそのとき、カチャリと耳慣れた音がすぐ傍から聞こえてきた。
 はっ、と鬼道が顔を上げたのと重厚な扉が音もなく引かれたのはほぼ同時で、明かりを消したままだった家の中にマンションの廊下の灯りが射しこんだ。
「鬼道……?」
 少しだけ息を乱した豪炎寺が驚きの表情を張りつけて、ドアを閉めるのも忘れて立ちつくす。その手に握りしめられたままの携帯電話を確認して、鬼道はほっとしたように通話終了ボタンを押した。
 コール音がぱたりと途絶える。
「電話」
「あ……」
「さっさと出ろ」
 馬鹿……。
 ぽつりと呟かれた言葉を遮るように、乱雑に靴を脱ぎ捨てた豪炎寺が鬼道の身体を抱きしめるように手を伸ばした。ぎゅっと引き寄せられた身体は、力なく豪炎寺の腕の中に収まる。
「悪い……」
 遅くなった。
 シャツ越しに感じる少し汗ばんだ肌に額をぐっと押しつけて、鬼道はもう一度、おまえは本当にいつも遅いな、と泣いているとも笑っているとも言えないくぐもった声で呟くと、豪炎寺の返事を待たずに顔を寄せた。
「んっ……」
 噛みつくように押しつけられた口唇の柔らかさをゆっくりと味わいながら、腕の中の鬼道をさらに強く抱きしめる。
 久しぶりに味わう口唇の感触にどちらからともなく、さらに口づけが深まっていく。舌先でノックするように突くと、待ち侘びていたかのように薄く開かれた隙間に舌がねじ入れられた。
「ふっ……」
 深まるキスに息が漏れる。
 いつも通りにきっちりセットされていたであろう髪の毛が少し乱れているのを視界の端に捉えて、鬼道はふっと目を細めた。
 口唇は重ねたまま、僅かに汗ばんでいる生え際を指先でなぞると、その感触に伏せていた豪炎寺の瞼が押し上げられる。
 薄明かりの中、二人の視線が交差した。
 真っ直ぐに自分を見つめる瞳に鬼道は胸中に蟠っていた言い様のない不安とも寂しさともつかない感情がゆるゆると溶けていくのを感じて、ほっとしたように目を閉じた。
 絡めた舌に積極的に応える鬼道の様子に豪炎寺の表情が緩む。
 鬼道の気持ちも分からないわけではなかったし、恐らく自分がその立場であれば同じように言ってしまった気もしていたが、それでも余りにも自分自身を蔑ろにしがちな鬼道に苛立ったのも事実だった。十年近い付き合いの仲で、そんな鬼道の性格も十分に理解していたが、だからと言って納得できるものでもなかった。
 仕事に追われてもっと長期に亘って会えないときもあったけれど、十日にも満たないこのたった一週間足らずが酷く不安だったのは多分、お互い様だろう。
 この程度で切れてしまうような柔な関係ではないと互いに思っていても、いつまでも子どものままでいられる年齢ではなくなってしまった。相手をただがむしゃらに最優先させられていた時間は終わってしまったのだと弥が上にも痛感させられるたびに、早く大人になりたいと思っていた子どもの頃の自分にそんなことはないと言ってやりたくなる。
 息苦しさを覚えたのか、鬼道が先に口唇を離した。
 久しぶりの接触に紅い瞳が欲に潤んでいるのが薄明かりの中でもはっきりと分かる。
「何考えてた……」
 余所事に気を取られていた豪炎寺を咎めるような口調に、くすりと豪炎寺の口許が緩む。
 その余裕に鬼道の眉が顰められた。
「オレたちのことだ」
「?」
 きょとんと目を丸くした鬼道の素の表情に豪炎寺はさらに笑みを深める。
「まだ間に合ってるよな?」
 問いかけるような口ぶりで、けれども豪炎寺は自身の上着の袖口に視線を落として時計を確認した。
 文字盤の上で、あと幾らもしないうちに二本の針が重なろうとしているのにほっと息を漏らして、豪炎寺は鬼道に向き直った。
「誕生日おめでとう」
 はっと鬼道が息を呑む。
 その言葉を確かに待っていたはずなのに、豪炎寺の顔を見た瞬間、そんなことはもうどうでもよくなっていたことを思い出した。けれども、改めて告げられたその言葉にじわりと胸が温かくなるのが分かる。
 豪炎寺の顔を直視していられなくて俯いてしまった鬼道の後頭部に手を当て、ぐっと自身の胸に引き寄せると、豪炎寺はさらに囁くように、室内には二人の他に誰もいないのだからそんな必要はなかったのだけれど、鬼道の耳にだけ届くようにひそり、それから、と付け加えた。

「生まれてきてくれて、オレと一緒にいてくれて、ありがとう」

 耳に馴染んだその声に、鬼道はじわりと目尻が熱くなるのを感じながら、ぎゅっと豪炎寺の手を握りしめて、こくりと小さく頷いた。

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