鵺式。
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※仙と綾が女の子
  モブという名の当て馬あり





清々しく澄み渡る秋空を背景に建つ、大川学園。
普段は授業中のこの時間、唯一学生達で騒がしいグラウンドも大きな校舎に遮られ校門は閑散としているところだが、今日だけは違った。大川学園の制服を着た学生、私服を着た一般人、はたまた他校の制服を着た学生で溢れ、中には仮装までする生徒も見受けられる。華やかで活気ある雰囲気。
地元では言わずと知れた、大川学園一大イベント、文化祭である。
大川学園は初等部、中等部、高等部と一貫したエスカレータ式のマンモス学校で、各部それぞれ校舎は違うものの同じ敷地内にあり、更に全生徒が集まっても余裕ある広大なグラウンド、体育館、クラブハウスを備えた各運動部の専用運動場、各文化部の並ぶクラブ棟、食堂兼購買棟に、設備の行き届いた寮棟まで完備していた。まるでそこに一つの山があるような印象を与える、地元では知らない者はないほどの有名私立である。
その大川学園の文化祭と言えば、初等部、中等部、高等部が一同に会す数少ないイベントの一つで、教員の最低限に留まる監督のもと、生徒達の完全な自治により行なわれる大川学園の花。もちろん一般にも開放される。普段は荘厳な学園も、今日ばかりはサーカスのようなどんちゃん騒ぎだ。

そんな中、中等部一年、綾部喜八郎は鬱屈としていた。
一般人も参加する今日だけは普段趣味にしている悪戯、主に落とし穴を、全面的に禁じられたのである。だからと言って騒ぎに加わるような性分でもない。やむを得ない場合でない限り強制参加のうっとおしいこの行事を仮病で休むつもりだった寮生の喜八郎は、悲しいかな、同室の生徒に仮病を見破られ、結局こうして学内を歩いているわけである。当然、クラスの出し物など知ったことではない。喜八郎は不貞寝を決め込んだ。
騒がしいところを避け、校門から一番遠いクラブ棟を歩く。この棟には喜八郎の所属する作法部があり、そこならなんのイベントも催していないため静かなはずだ。
しかしいつまでも消えない背後の気配に、喜八郎は更に鬱憤を募らせる。いつの間にか、喜八郎は一人の男に後をつけられていた。
最初はどうでもいいかと放っておいたが、どうにも雲行きが怪しいような気がする。一端引き換えして撒いたほうがいいかも、と思ったところで、一定の距離を保っていた気配が急に近づいてくるのを感じた。

「ねえ、君可愛いねえ」

下世話な声が頭上から降り掛かった。仰ぎ見て、これは醜い、と表情一つ変えず喜八郎は思う。喜八郎と目が合って、男は下品に頬を弛緩させにやにやと笑っていた。
これが鼻の下を伸ばす。なるほど、これは人を酷く不快にさせる。
喜八郎はほとんど感情を表には出さない。こういった下品な表情など、生き恥を曝すようなものだと常々思う。昔からこうした視線に曝されてきた喜八郎は、人間という生き物にいい加減辟易としてきていて、気が付くと無表情が顔に張りついていた。
けれど最近、喜八郎は表情というものは醜いばかりではないことを知ったのだ。

「おい、何をしている」

喜八郎と男の間に、一人の少女が割って入る。すらりと線が細く、肌は雪のように白い。切り揃えられた黒髪がさらりとその首筋を流れ、喜八郎の鼻先を掠めた。
途端酷く甘い香り。それだけで、今の今までじくじくと燻っていた感情が一瞬のうちに吹き飛ばされていったのに、喜八郎は爽快さすら覚えていた。

「立花先輩」

立花仙蔵。中等部三年生。喜八郎の所属する作法部の二つ上の先輩で、部長。
物臭な喜八郎がわざわざ部活に入ったのは、他ならぬ仙蔵が誘ってくれたからだ。
仙蔵は美しい。凛とした立ち振舞いが、流れるような所作が、誇り高い言葉使いが、喜八郎の目を奪う。現に今だって。

「この子は私の後輩ですが、何か?」

仙蔵は喜八郎を庇うように立ちはだかった。言葉こそ荒げてはいないが、その切れ長の目は隙無く男を威嚇している。

「怖いなぁ別に何もしてないよー。君も凄く可愛いね、二人とも一緒にお茶でもしない?奢るからさー」

しかし男は怯むことなくしつこく食い下がった。仙蔵は侮蔑の目で男をねめつけ、結構、と一言に切り捨てると、喜八郎を振り返る。

「行くぞ」

喜八郎の腕を取って、仙蔵は男に背を向け歩きだす。喜八郎もそれに従うが、しかし後ろから唐突に肩を引かれ視界ががくんと揺れた。

「つれないなぁ、ちょっとぐらいいいじゃない、ね?」

痛いほどに肩を掴まれ、力任せに引き寄せられたのだ。肩の痛みと視界のブレからくる不快感に思わずぎゅっと目を閉じる。背中から男に抱き留められ、瞬間ぞわりと全身の肌があわ立った。
かちり、喜八郎の頭の中のどこかが切り替わる。
このまま足を後ろにはねあげればそこには男の股間があるだろう。それは抵抗にはあまる殺意、爆発寸前の嫌悪感。喜八郎のこれまでの経験からくる、こういった輩に対する容赦ない対抗策だ。一瞬のうちに巡らせた思考を実行しようと、喜八郎は閉じていた目を開けた。

「汚らわしい手で触れるな、下衆が」

あ、と思う間もなく仙蔵の白く華奢な腕が喜八郎の顔のすぐ横を走る。ぐしゃ、ともごき、ともつかない音を立てて、仙蔵の小さな拳が背後の男の顔面を正面から捕えた。男は聞くに耐えない呻き声をあげながら地べたに転がる。
ああ、喜八郎は息をついた。この華奢な外見に惑うなかれ、仙蔵はその辺りのチンピラ風情よりもよっぽど腕が立つ。生まれが格式高い旧家だとかで、作法部長の名に恥じないあらゆる作法、それこそ華道や茶道のみならずドレスコードにテーブルマナー、護身術の域を遥かに越えた格闘術まで、立花仙蔵という愛らしい姿に隠し秘めているのだ。

(ああ、先輩が怒っている)

喜八郎は恍惚に頬を上気させ、震えるようにまた息をついた。
この人の感情は美しい。何者をも寄せ付けない、冷たい高嶺の華といった雰囲気を纏い冷笑する仙蔵。そうかと思えばまるで菩薩のように穏やかに、目を細め微笑む仙蔵。あるいは思わず腰が砕け這いつくばりたくなるような、薄い嘲笑を浮かべる仙蔵。そして全てを釘付けにするほど香り高く、肌が焼けるほどの怒りを撒き散らす仙蔵―――。
喜八郎は、こんなにも美しい生き物を他に知らない。あれほど忌々しく思ってきた感情や表情が、こんなにも美しくもあれるなど、立花仙蔵に出会うまでは考えも及ばなかった。

「喜八郎、」

仙蔵は右手の拳を解かぬまま、棒立ちになっていた喜八郎の腰を空いている左手で掴むと、ぐい、と引き寄せた。喜八郎は引き寄せられるままに仙蔵に抱き込まれると、自ら仙蔵の腰に両手を回し縋りつき、世辞にもふくよかとは言い難いが形のよい胸に顔を埋める。途端鼻腔に広がる甘い香りに、興奮に火照った身体がぴりりと痺れた。

「いけないな、喜八郎…?」

耳元で小さく囁かれた声を仰ぐと、艶やかな笑みを浮かべた仙蔵の視線が喜八郎を捕える。喜八郎は蜘蛛の糸にからめとられた蝶のようにその視線から逃れる術を知らず、ただ悩ましげに眉を寄せた。
この全てを見透かすような目も美しい。もっと、見たい。もっと美しい立花仙蔵を。どこまでも貪欲に渇き溺れ、なお求める喜八郎は、すでに立花仙蔵という存在にある種恋をしているのかもしれなかった。

「ぐ、ぉ、…こん、の…クソアマあッ!」

地べたに這いつくばっていた男が悪態をつきながらふらりと立ち上がった。表面から叩き潰された顔面は腫れあがり鼻血を垂れ流して、目は血走っている。怒りに塗り潰された悪意が、男からは漲っていた。
それもそうだろう、喜八郎や仙蔵のような華奢な女子をどうにかしようとする軟派なプライドを持つ優男が、当の華奢な女子に文字どおりそのプライドごと鼻っ柱を叩き折られたのだ。

悪意を全身から漲らせる男を前に、仙蔵は内心舌打ちしていた。並な男であれば意識を飛ばしてもおかしくない、下手をすれば鼻骨も砕けるような一撃を見舞ったつもりだったが、思ったよりも男は頑丈であったようだ。仙蔵の初撃をくらって立ち上がった者は久しくなかったというのに、と仙蔵は密かに歯噛みする。
遊んでいないでさっさと逃げるか、とどめをさすべきだった。べったりとまとわりついて離れないこんな状態の喜八郎を抱えながら男の相手をしなくてはならないか。
ゆっくりと二人に迫る男を前に、仙蔵は嘆息する。面倒なことになった、思いながら、そこで仙蔵は男の背後にいつの間にか現れた人影に気付き、悪戯っぽく笑んだ。

「ああ、」

呟いたのが後か先か、男は声をあげる間もなく一瞬のうちに地にひれ伏し、完全に伸びていた。背後から男を殴り倒して現れたのは固く握った拳を構えた青年だった。青年は拳を解くと、足元に転がる男を容赦なく踏み越え仙蔵と喜八郎の前に歩み寄る。

「…居ねえと思って探しに出てみれば、なんだこれは」
「文次郎」

潮江文次郎。高等部三年生。個性派揃いの学園高等部を統べる生徒会の会計を勤め、その仕事ぶりから会計の鬼とも呼ばれる青年だ。さらに空手部長も兼任しており、全国一、二を争うような実力者でもある。精悍な顔つきにくっきりと刻まれた目の下の隈が特徴的で、さらに常日頃から眉根を寄せていることと相まってその存在感は並みではない。中等部では近寄り難い孤高の男として、密かに憧憬と尊敬の的となっているのだった。
仙蔵の腕の中になお抱き込まれながら、喜八郎は記憶の中から文次郎の情報を引き出す。基本的に他人に興味がなく、かつ人間嫌いが男に偏っているところがある喜八郎にとって、ここまでの個人情報を記憶しているのは大変珍しい。しかし喜八郎とて好きで覚えたのではない。気に入らないから覚えたのだ。
すっかりいつもの小憎たらしいような素面に戻った喜八郎は、上目遣いに仙蔵を見つめる。その視線に気が付いた仙蔵は、喜八郎の柔らかな髪を優しく撫でつけた。その心地好い感触に、喜八郎は目を細め猫のように仙蔵に擦り寄った。喜八郎が本当に猫だったなら、くるくると喉を鳴らしてしっぽをくねらせていただろう。
喜八郎の髪を優しく梳きつつ梳きつつ、仙蔵は演技掛かった仕草で憂いの息をついた。

「状況もわからず殴り倒したのか?…まぁお前にしては懸命な判断だったな。可愛い後輩達が暴漢に襲われていたんだ、見過ごすわけにもいくまい」
「暴漢、なあ」

文次郎は地べたに伸びている男を見下す。男の顔面を見るところ、暴漢にあったのがどちらなのか疑問ではあるがと、自身を棚に上げてぼんやりと考えた。
背格好から恐らく他高校の生徒であろう。それにしても他校の文化祭にわざわざやってきて、一見か弱い女生徒に手を付けようなど言語道断、男の風上にも置けぬ。
伸す前にもう二、三発入れて腐った性根を叩き直してやるべきだったかと、文次郎とて内心舌打った。




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