鵺式。
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「先輩方、」

それまで仙蔵の腕の中に収まっていた喜八郎が、するりのその腕を抜ける。何を思っているのか読めない凡庸とした目で仙蔵を見、文次郎を見て、ぺこりと頭を下げた。

「助けていただいてありがとうございました」
「ああ」
「いや、気にするな」

仙蔵と文次郎にもう一度目礼を返すと、では、と喜八郎は踵を返し歩きだした。

この時喜八郎の頭の中には、文次郎が現れた時の仙蔵の表情が焼き付いていた。
他のどんな表情とは似ても似つかない。恐らく文次郎にだけ向けるあの表情。これまで見てきたどの仙蔵よりも破格に美しい、あの表情。それはきっと、これまでの喜八郎には知りえなかった、恋だとか愛だとか名前のついた感情なのだと思う。あの二人は恋仲だと聞いているから。
今の喜八郎には到底理解の及ばないものだが、美しいことはわかる。わかるのだけれど、その美しさを引き出しているのが、ほんの少しも喜八郎の琴線に触れてこない潮江文次郎だということに、喜八郎は酷く苛立っていた。気に食わないのだけど、やはり美しいものは美しいので、喜八郎にはそれを壊すことなどできない。

(あの人嫌いだけど、立花先輩を美しくするのはあの人だから、意地悪はしない)

悪戯は、まあするけど。
喜八郎はほくそ笑むと、さっそく企みを実行しようと軽い足取りで廊下を駆けていった。

喜八郎を見送って、仙蔵はふ、と息をつく。顔をあげると、ばちっ、と文次郎と視線が合った。文次郎が何か言いたげに口を開きかけたのを遮るように、仙蔵は自ら文次郎に垂れかかる。

「遅い」
「…ああ」
「私は恐ろしかったよ、文次郎」
「よく言う…」

言いながらも文次郎は仙蔵を優しく抱き留め、仙蔵のすべらかな髪に顔を埋め息づく。それにくすぐったそうに身を捩って、仙蔵はくすくすと笑った。

「後輩か?」
「ああ、部活のな。愛らしかろう?」
「…まあ、顔はな」

文次郎は苦虫を食い潰したように顔を僅かに顰めた。
確かに容姿は大変愛らしい部類だろう。同じく容姿端麗な仙蔵とは全くタイプの違う愛らしさ。仙蔵が秀麗な百合なら、喜八郎は華麗な薔薇といったところだ。しかし薔薇には刺がある、とでも言うのか。
文次郎はさきほどの喜八郎を思い返す。喜八郎が仙蔵へと注ぐ、先輩を慕う健気な後輩には到底見えないような熱い視線。そして一転して、文次郎にほんの一瞬だけ注がれた、殺意にも似た敵意に満ちた視線。

「面識はなかったはずだが…俺は随分嫌われている」
「ふふ、あの子は今私に夢中だから」

上機嫌で笑う仙蔵のまんざらでもない様子に、文次郎はほう、と意外そうに相づちを打った。

「珍しく、随分気に入りみたいだな」
「ついかまいたくなってしまう」

愛らしいと語るその表情は、犬猫を可愛がるようなそんな優しげなものではなく、どこか毒のある悪い顔をしていた。百合にも、その優美な外見からはわからぬ毒がある種もあるという。
びり、と痺れるような感覚を覚えて、文次郎は微かに身震う。それを知っていてなお、いや、知っているから、文次郎はこの華に溺れるのだ。この華の毒は甘露、一度味を覚えてしまったらこの毒なしには生きてはいけまい。そして、その毒を享受するのを他ならぬ華に許されたのは文次郎ただ一人だ。毒は燻る強烈な制服欲を呼び起こし、沸騰させる。
たまらなくなって仙蔵の白い首筋に食らい付くと、ふる、と華奢な身体が震えた。

「あっ…、」

仙蔵は文次郎に縋りつき、声を殺して痛みに耐える。ふ、と鉄の香りが鼻孔を掠め、ああ喰われる、と思って全身が痺れた。

(そう、食らえ。欲望のまま食らい尽くせ)

文次郎をさらに煽るように、仙蔵は魚の腹のように白くすべらかな足を文次郎の足に絡ませ、華奢な腕を蛇のように文次郎の首に絡ませる。仕上げに文次郎の胸板に自身の胸を擦り付け、首をのばし耳元に生暖かい息を吹き掛けてやれば、文次郎は怒気を発散するようにくそ、と一言吐き捨て、乱暴に仙蔵を抱き上げ足早に歩きだした。
仙蔵は文次郎の首筋に顔を埋め密かにほくそ笑む。期待に疼く身体を持て余しながら、ひっそりと後輩である綾部喜八郎を思った。
仙蔵が喜八郎を気に入りなのは、喜八郎が愛らしいから、というだけではない。喜八郎は他人に対して潔癖なところが仙蔵に似ていた。そして大切なものに対する執着の仕方が文次郎にも似ていた。だからあまり他人のように思えなくて。

(私達二人に似ているなんて、まるで私達の子供みたいじゃないか)

仙蔵はくつりと笑った。それは冗談としても、しかしだからこそ、仙蔵は喜八郎のことを思う。
仙蔵と文次郎の、最も難儀な要素を同時に併せ持つとなれば、それはそれはこの先苦労することだろう。出来の悪い子はその分可愛い。仙蔵は喜八郎を案じていた。けれど仙蔵と文次郎に通じるところがある喜八郎は、誰よりも美しくなれるのだ。

(いずれ―――)

そう、いずれ。大丈夫、今に喜八郎にもこの酷い渇きを癒す水のような男が現れる。
その時は、まぁせいぜいいびれる玩具が増えたと喜んでやろうじゃないか。

文化祭も幕を閉じようかとする日の傾きかけた午後、仙蔵と文次郎は人気のない作法部の部室の中に消えていき、内から静かに錠が降りる音がした。





10.01.27
モブ男の末路は聞かないお約束^q^
あややと誰を絡ませるか未だに迷っている…タカ丸?
同室はたきちゃんです

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