20.過保護
「明日からだそうです」

風呂から上がって、リビングで、ソファで寛いでいたレボルトに告げられた最初の言葉がそれだった。

「明日からって……何が?」

いきなり言われても分からない。
そう思い聞き返すと、レボルトは呆れ顔でイヴを睨んできた。

「小間使いの話ですよ。リリス様が早くイヴ様を寄越せと煩いらしいですから」

想像して、イヴはタオルで自分の髪を吹きながら思わずぶっと吹き出した。
確かに自分を溺愛してくれている姉らしい台詞だ。

「リリス様はとても嬉しがっていましたよ、これで貴方よりもイヴちゃんと一緒にいられるわー!……とか、勝ち誇った顔で言ってましたね」

「わ……私としては微妙な心境だわ」

「いいではありませんか。楽できますよ」

「……そこが問題なのよ」

リリスはイヴに甘い。
普段はその優しさについつい甘んじているが、成人を迎えた今は一応大人。
リリスからお茶にしようと言われれば無碍に断る事もできないし、かと言ってそれはサボりに含まれるのではないかと、言われれば何も言い返せない。
どうしても、親しい人の下だと甘えてしまいそうで恐ろしい。

その点、レボルトにそう言った意味での心配は皆無だ。
彼はイヴに甘いが、公の場ではきちんと区別している。

「……姉様は私に甘すぎるのよ」

「俺も優しくしているつもりなのですが」

苦笑しながら告げられた言葉に、イヴは顔を少し赤く染めながら必死に頭を振った。

「そ、それはそうなんだけど!……レボルトは仕事とかだと……特別扱いしたりしないじゃない」

実際、イヴは彼に勉強を教わっていたが、レボルトはかなりのスパルタだった。
普段の甘やかし方が嘘のように鬼畜になる。
間違えたら正座等日常茶飯事だった。
その代わり、出来がいいとその分褒めてくれた。
教師としてのレボルトは、その職業柄から教える事が多いのか、人嫌い、とはいえ非常に優秀だった。
だから、彼の下で働きたいと願っていたのだが、それは無理だと身に沁みて理解している。

「とにかく私は、仕事だっていうのなら真面目にこなしたいのよ」

「ユウ様に是非とも聞かせて差し上げたい台詞ですね」

「確かに」

何処か遠い目をして言ったレボルトに、イヴは苦笑いで返した。
あの放浪癖のある産みの親は、もう少しアダムの負担を考えるべきだと思う。

「まぁ、……そこまで貴女が気負う必要はありません。名目上役職に着いて頂くだけで、誰もイヴ様に即戦力は期待していません。遊びに行く感覚でいいんですよ」

タオルでわしゃわしゃと頭を掻き乱されながら告げられたレボルトらしからぬ不真面目な言葉に、イヴは後ろめたさを感じた。

「いいのかしら、それで」

「いいんですよ」

レボルトは、これでこの話は終わりだ、と言わんばかりに、イヴの頭を無言で拭き出した。
長い髪は乾かすのに時間が掛かる。
イヴ自身は切ってしまっても一向に構わないのだが、レボルトが切らせてくれないので渋々伸ばしている。
結構な時間二人共黙っていたが、特に気まずいとは感じなかった。むしろ、沈黙が心地良かった。

「そういえば」

イヴの頭を拭き終わると、レボルトは唐突に切り出した。
声音からは隠しきれない不機嫌な感情が滲み出ていた。

「ユウ様が、そろそろ部屋を別の場所に移したらどうか、と仰っていましたよ」

「あ……」

言われてみればそうだ。
もうイヴも大人。
いつまでもレボルトに、おんぶに抱っこ状態はまずいだろう。

そもそも、年頃の少女が育ての親とはいえ、血の繋がらない男と一つ屋根の下というのに問題があるのは明らかだ。

(……レボルトはそういうのじゃない)

第一、こんな貧弱な小娘をレボルトが相手にする訳がない。
レボルトの横に並ぼうと思うのなら、リリスのような豊満な美女の方が相応しい。
そもそも、イヴはレボルトに仄かな憧れを抱いてはいるが、そういう対象じゃない。

(ない、絶対ない。常識的にない)

だから、こうも不自然に顔が赤くなるのは気のせいだ。
レボルトがあからさまに不服気なのが、こんなにも嬉しいと感じるのはおかしい。

「リリス様が、私のところに是非にと言っていましたよ。俺の所を出て、そちらに行きますか?」

「あっちは夫婦なんだし、私がいると色々と問題があるでしょ」

「では、お一人で住むおつもりですか?」

「ここを出るとなれば、当然それしか道はないでしょうね」

そもそも一人で住むと言っても、この城の一室を借りるだけの話だ。
こんな娘に夜這いを仕掛ける馬鹿はいないだろうし、安全性は大丈夫だろう。

「……貴女はまだまだ子供だ。危なっかしくて見ていられない。という訳で、俺は貴女の独り立ちを許すつもりはありません。ユウ様にも、そう報告しておきます」

「何よそれ」

元より許すつもりがないなら、そもそも聞くなと言いたい。
ぶっとつい吹き出すと、レボルトから思いっきり睨まれたが気づかないふりをした。

「昨日も言いましたが、俺は貴女を邪魔だとは感じていません。ずっとここにいても一向に構いません」

「そ……その話はもう勘弁してください」

それに関しては今朝の事といい、重々承知している。
他人が聞いたらほとんど口説いているも同然の事を平然と言ってのけるので、卒倒するかと思った。
この人はたまに突拍子のない事をするから困る。

(まぁ……それは私も同じか)

正しくはレボルトに似たのだろう。
変な所で、ちゃんと親子なんだなーと、イヴは妙な感慨に浸っていると、レボルトが不意に咳払いをした。

「仕事の話に戻りますが」

「あ、はい」

「イヴ様の仕事は、アダム様の手伝い……と、ついでにリリス様のおもり」

(あー、それも仕事なんだ)

「勤務時間は特に決まってません……が、俺の仕事が終わり次第迎えに行きますので、それまで待っていてくださると有難いです」

「いやいや、そこまで過保護にしなくても大丈夫よ」

仮にも執事長である彼にそこまでしてもらう必要はない。
復帰したばかりで唯でさえ多忙だろうに、子守までさせる訳にはいかない。
というか、それではリリスとアダムのところがまるで託児所ではないか。

「駄目です」

「……あのね、私一応大人って事になってるんだけど」

「大人は泥酔した挙句みっともなく泣いたりしません」

「うっ……」

そう言われてしまえばもう何も言えない。
レボルトの過保護さには慣れているつもりだったが、ここまでだとは思わなかった。

「分かりましたね」

「いやでも」

「分かりましたね?」

断固として言い張られてしまえば頷く以外出来ない。
イヴが渋々頷くと、レボルトは満足気に微笑んだ。

「過保護」

「当然の事をしているだけです」

「親馬鹿」

「親馬鹿で結構」

「死ねロリコン」

最後の言葉を聞いた瞬間、レボルトが思いっきり噎せた。
咄嗟に駆け寄り背中を撫でると、レボルトがイヴの背後を絶対零度の眼差しで見詰めていた。
庇うようにイヴを背後に押しやりながら、レボルトは地を這うような声で恨み深そうに言葉を零した。

「……貴女はイヴ様の前で一体何を」

「あら、図星じゃないの」

「姉様!?いつの間に!?」

本当に全く侵入に気が付かなかった。
リリスは勝ち誇ったような顔でレボルトを鼻で笑うと、イヴに向けて聖母のような笑顔を向けた。

「うふふ、愛のなせる技……というのは冗談で、ユウ様をおど……じゃなくて、頼んでここに連れてきて貰ったのよ」

(今絶対脅してって言おうとした!この人!)

綺麗な笑顔で誤魔化しているが、全然穏やかじゃない。

「やっぱり明日からなんて耐えられる訳ないわ。そもそも、こんな鬼畜男とイヴちゃんが一緒にいる事が耐えられない」

「俺も貴女のところにイヴ様をやるのには一抹の不安を覚えますね」

「あら!その心配は無用よ!貴女なんかよりよっぽど私の方がイヴちゃんを大事に出来るわ。ねー、イヴちゃん。姉様の事好きよねー」

「確かに姉様の事は好きだけどーー」

「ほら聞いた!?言質は取ったわよ。という訳でユウ様、イヴちゃん奪還作成成功よ」

言葉を遮るように、無理矢理抱き寄せられた。
確かに、リリスの事は好きだが、やはりレボルトの方がイヴの中での比重は大きい。
そう言いたかったのだが、姉が満足しているならもう何も言うまい。

(ユウ様?)

リリスが呼び掛けた空に目線を向けると、さっきまではそこにいなかった筈のユウが、いつの間にか苦笑いで立っていた。
この人ならどこへ現れても不思議ではないので、驚きは薄い。

「……ユウ様」

戦闘態勢に入りあからさまに殺気を飛ばすレボルトに、ユウは深く溜息をついた。

「……恨まないでよ。僕もリリスに頼まれてやってるんだから」

「さよなら、レボルト。イヴちゃんは貰っていくわ。安心なさい、イヴちゃんが帰りたいって言うのならすぐに返してあげるから」

その言葉を最後に、イヴの意識は飛んだ。

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