08.選んだもの
「……はぁ」

朝、伊吹は自室のベッドの上で、天井を眺めながら盛大に溜め息を吐いていた。
自室と言っても、あの日ユウに案内された無駄に豪奢な客間、つまり夢の中の自室。
未だに夢は覚めないまま。
いつまでたっても、この夢は終わる気配を見せない。

先日、ユウに呼び出された後レボルトに遭遇した。悩みの相談をすれば何故か嫉妬され、キスの雨を降らされた。
明らかにレボルトは危険人物だ。
未婚の女に、しかも未成年に対してこの仕打ちはひどい。
ここが夢の世界でなく現実なら確実に通報している。

そんな人物に、一瞬でも気を許してしまった。
そんな自分がイヴは情けなく、それと同時に恐ろしかった。

(……あいつは不審者。それ以外の何者でもない)

それなのに、どうしてこんなにも気になって仕方ないのか。

あれからおそらく一週間程度。
アダムと遭遇するのが恐ろしかったので、この自室からろくに出ていない。
レボルトとは、しばらく会っていない。

会っていないおかげで大分冷静さを取り戻してきたが、それと同時に今まで散々ちょっかいをかけてきたくせに、急に距離をとってきたレボルトが腹立たしく思えてきた。

間違いなく今の自分は正気ではない。
そう断言できた。
それでも、レボルトに会って一言物申したかった。
どうしてしばらく会いに来なかったのか。
そして確かめたい。

(レボルトは、私にとってどういう人なのか……)

伊吹はバシバシと、自分の頬を軽く叩くと、ベッドから起き上がり、レボルトが案内してくれたあの庭園へと足を進めた。

あそこなら、きっとレボルトに会える気がした。
だから向かったのだが、庭園について早々に踵を帰そうかと思った。

「お前は………」

「……アダム」

庭園にいたのは、レボルトではなく、赤毛の男アダムだった。
ベンチに腰掛けていた男は先程まで眠っていたのか、少し目な半開きだった。

(……部屋に戻ろうかしら)

内心引き気味になってしまう。

伊吹はアダムが苦手だった。
それというのも、アダムはいつも何を考えているのか、全く分からない。
張り付けた様な無表情。
人形の様に無感動な彼は、伊吹にとって酷く恐ろしく感じられた。
それに、血の幻覚の事でこの男はなんとなく受け付けなくなっていた。

「…なんだ。俺になにか文句でもあるのか?」

アダムはギロリと伊吹を睨み付けた。

実際は睨んでいるわけではないのだが、幾分顔付きが恐ろしい為、伊吹にはそう見えいる。
数歩後ずさると、その行動に、顔には出さないが少なからずショックを受けたらひいアダムは、なんとも言えない微妙な笑みを浮かべた。

「……随分嫌われたものだな」

「え……と……、ごめんなさい」

アダムはいい人だ。
それは最初メイドが言っていた通り。
この一週間でなんとなく察した。

困っている者がいれば、身分に関係なく救いの手を差し伸べる。
ユウではなくアダムに忠誠を誓っている使用人は、少なくない。
実際、伊吹にも優しいと思う。
だがアダムを見ると恐怖を感じるのだ。
とにかく苦手な事に変わりはない。

「……とりあえず、座ったらどうだ?」

「ええ……」

ここで帰るのは失礼というもの。
立ちっぱなしだった伊吹は、仕方なくアダムが座っているベンチの横に、縮こまって座った。

庭園の花は美しい。
これを管理しているのがレボルトというのは、意外だ。
人は見かけによらないとは言うが、彼はその代表なのではないかと思う。
伊吹はアダムを出来るだけ、意識しない様に花に集中していた。
恥ずかしい、とかではなく純粋な緊張と恐怖から。

「……俺は、結婚の話は断ろうと思っている」

「え……?」

唐突なアダムの言葉に、伊吹は惚けた反応を返してしまった。

「そういえば…そんな話もあったわね。」

「なんだ…忘れていたのか?」

当事者だろ?と呆れながらこちらを見たアダムに、イヴはあははと乾いた笑いを返した。

「……いや、実感が沸かなかったっていうか……嫌すぎて意識の外にやってたというか」

今は、嫌いながらも普通に話しているものの、出会った当初は本当に生理的に受け付けなかった。
今は中身が分かっている為それ程ではないとはいえ、やはり苦手といえば苦手。

「……酷い言われ様だな」

アダムはまたしても微妙な笑顔を浮かべていた。

「……ごめんなさい」

こんなにもいい人なのに、何故自分はアダムを嫌うのだろうか。
伊吹は、自分で自分が分からなかった。

「気にするな。……俺は、誰にどう思われようが構わない」

アダムはそう言うと、立ち上がった。

「帰って寝る。後は、好きにすればいい」

捨て台詞を吐くと、アダムは庭園を後にした。
伊吹は、そのまま、城へ向かって歩いて行くアダムの背中を黙って見送った。

「……最低よね」

伊吹は自分に向かってそっと悪態を吐いた。
何もかもわからなかった。
普通なら、中身的にアダムに懐いているだろうに、どちらかというとレボルトに惹かれている。

(あの人っていいところあったっけ……)

よくよく考えてみればないような気もする。
というより、謎な部分が多すぎる。
レボルトの行動は奇異だ。

「やぁ、こんにちは。イヴ」

「!?」

驚いて、思わずベンチから立ち上がる。
後ろを振り向いた所にいたのは、無邪気に笑うユウだった。

「ユっ……ユウ!急に話しかけないで!」

「あはは。いやー、イヴの反応は一々面白いから、ついね」

ユウは、にこっと笑うと、伊吹の手をギュッと握った。

「……それより、結婚の話、受けてはくれないの?」

「……聞いていたの?」

「不可抗力だってばー」

盗み聞きしていたのかと問い詰めても、ユウの反応はあっけらかんとしたものだ。
両手を軽く上げて、へらへらと笑う様子からは全く反省の色が伺えない。

これ以上何か言っても無駄だろうと、イヴは軽く溜息を付きながら仕方ないと、渋々口を開いた。

「さっきアダムも言っていたでしょう?私達に結婚の意思はないわ」

「ふーん、本当にアダムがそう思ってると思う?」

「……違うって言うの?」

ユウの眼が鋭く光った。
責めの色を含んだそれに、イヴは本能的に下手な事を言うのは避けた方がいいのだろうと察した。

「だって、アダムが君に気を使っているとは考えないの?」

(……ないない。それはない)

「気を使われるほど、私達は親しくないわよ」

アダムとは、数えきれる程しか話をしていない。
それなのに、そこまで気は使われないだろう。

「君がそう思っていなかったとしても、彼は君を大事にしているかもよ?」

「はぁ?」

「ね、君、何か忘れてない?」

ユウの言葉に何故か心臓を貫かれたような痛みが走った。
なにもこちらに非はない。
その筈なのに、本当になにかを忘れているような、大事な事を思い出せていないような、肌の上を羽虫に覆われるような、不気味な感覚。

「早く思い出しなよ、僕の為にも、アダムの為にも、そしてなにより君の大好き『だった』レボルトの為にも」

「な――」

なにを

そう言おうとして、喉を震わせたものの、気が付くと目の前にユウの姿はなく、風のように消え伏せてしまった。
ユウが居たはずの場所にはなにも彼の痕跡を残す物はなく、ただ地面が広がっているだけだ。

「イヴ様ぁぁ!」

呆然とその場に立ち塞がっていると、遠くからエフィアの声が聞こえた。

しばらく遠くを見つめていると、必死にイヴを探しているとエフィアの姿が目に入った。
その様子はさながら、主人に甘える犬。
尻尾があったのならば、確実にパタパタと、激しく動いていただろう。

「朝食の用意が整いましたよ」

「……ありがとう、エフィアさん」

「いいえ、もったいない御言葉です。……それより、どうかなさいましたか?」

イヴが何かに気にしているのに気付いてか、エフィアが心配そうにこちらを覗き見ていた。

「……なんでもないわ」

少しユウの事は気になったが、今更気にしたところでどうしようもない。
イヴは頭を少し横振り、作り笑いを浮かべた。

「それでは参りましょう。冷めてしまいますから」

優雅な笑みを浮かべて、エフィアは伊吹を城へ案内した。この人と話すのも何度目かもう分からない。
エフィアは話してみると、見た目の印象とは異なり、案外可愛らしく、時としておっちょこちょいな人だった。
そんな彼女が、なんとなく現実の友人の千里と重なって見え、伊吹は彼女に対して親近感を抱いていた。
そうこうしている内に、食堂の前に着く。

中からは、香ばしい紅茶の香りが漏れており、それが余計に伊吹の食欲を煽った。

この城の食事は、絶品だ。
よっぽど、シェフの腕が良いのだろう。
夢の中とはいえ、テンションも上がってしまう。
伊吹は嬉々として、扉を開けたエフィアに続いた。

席に着いた瞬間に、料理が運ばれてくる。
至って普通のサラダにパン、そしてスープ。
伊吹が現実で食べていたメニューと同じ内容。

なのに味は高級フレンチ並みに絶品。

(私ももうちょっと料理の腕を上げなきゃね……)

現実に帰ったら料理の腕を磨こう。
そう決意し、伊吹はスープに口を付けた。

結局、レボルトは見つからなかった。
エフィアに聞いてもレボルトの居場所は知らないとの事だった。
どうせ、食後もやることはない。

(午後もレボルトを探しましょうか)

伊吹は、早々に食事を終えると、案内をしようかというエフィアの誘いを断り、レボルトの探索に乗り出した。

(……レボルト、何処に行ったのかしら)

ここ一週間、本当に一度も彼を目にしていない。
城の中は隅々まで探した筈だ。
それなのに、どうしても見つからない。

どうしようかと廊下を歩いていると、不意に見覚えのない廊下が目に入った。

(こんなところあったかしら……)

その奥まった廊下は、異様な空気を孕んでいた。
他の廊下には窓から絶え間なく光が降り注いでいる。それなのに、その廊下には窓がひとつもなかった。
暗く薄汚れた、この城には相応しくない廊下。
気味の悪い筈なのに、不思議と心地よく見覚えのあるように思えた。

気が付けば自然と足がそちらに向かっていた。そして、一歩そこに足を踏み入れた瞬間、強烈な目眩に襲われた。

(な……)

次の瞬間には周囲の景色が瞬時に変化していた。
牢獄のようなそこに、イヴは思わず何度も瞬きを繰り返した。
そんな時、背後から声が聞こえた。

「イ……ヴ……?」

振り返った場所にいたのは、レボルトだった。まじまじと久しぶりに見る顔を見つめていると、彼の頬に一筋血が滴っているのが見えた。

「……レ……ボルト?貴方怪我っ!」

咄嗟に駆け寄ると、噎せ返るような血の匂いがレボルトの体から漂ってきた。

「貴方……一体なにを……」

レボルトは、なにも口にしようとはしなかった。
その目からはなんの情も伺えない。

「答えて!貴方は何者!?その血はなに!?ここ数日何処で何をしてきたの!?」

襟首を掴んで思いっきりレボルトの体を揺すった。
レボルトはきっと自分の知らない所で、なにか恐ろしい事をしてきたのだろう。
どうして、レボルトがそんな事をしているのか。本当は彼は何者なのか。
気になって仕方がなかった。
どうしても、彼の口から直接聞きたかった。

「それを、貴方が聞くんですか」

何を言っているの。

そう言おうとして微かに開けた口は、気が付けばレボルトの唇により塞がれていた。
壁に押し付けられ、無理矢理口をこじ開けられる。
気が付けば、最初に出会った時と同じシチュエーションだ。
なにかを、飲まされそうになっている。

これを飲み込むことによってなにか変わるのだろうか。
なにか、分かる事があるのだろうか。

どうして、レボルトはこのことにこだわるのか。

(私は……)

悩んだ末、今度はイヴは、

飲み込む事に決めた。

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