朱に染まる夏
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時は流れ、季節は巡り、初めて青桐兄妹と接触してから三度目の夏がやってきた。
和真も小学四年生になり、成長期というのもありぐんぐん身長は伸びた。
その年は珍しく嘉隆も帰郷しており、三年ぶりに港家の面子全員が揃う夏となった。

嘉隆は初めて青桐兄妹を見た時、ただ呆然と居間に立ち尽くしていた。目を大きく見開き、ひたすらに凝視する。
和真が軽く背中を叩けば、「悪い悪い、その……あまりに似てたもんだから」と、彼にしては珍しく居心地悪そうに苦笑し、頭を掻いた。
そうして夕食までの時間一人ソファに座り込むと何やら真剣な顔で悩み始めた。

だが、その後はいつもの調子に戻ったのか、可奈を執拗に追いかけ、避けられ、凹み、茜に泣き付くという子供のような所業を繰り広げていた。
時折可奈に避けられる鬱憤からなのか由香を担ぎ上げ、振り回し、本人は遊んでいるつもりなのだろうが毎度叶夜に本気で怒られるという痴態を晒し、それでも懲りないあたり、やっぱりこの父親は馬鹿なんだなと、和真は一人頭が痛かった。

そんな毎日が続いたある日のこと。
和真は夕食後突然嘉隆に呼び止められた。

「和真、ちょっといいか」

「……なんだよ」

「いいからいいから、ちょっと下来い」

悪戯っ子な笑みに不信感を抱きつつも、呼ばれたからには行かなければならないと、重たい腰を上げ、和真は嘉隆の後に続いた。

連れて来られたのは一階の奥まった部屋の前の廊下だった。
嘉隆の書斎らしいこの部屋は、普段は鍵が掛けられていて入る事が叶わない。
なんでも嘉隆の仕事関係の本があるらしく、大事な資料が多いから立ち入り禁止にしているらしい、のだが、正直和真は父親の仕事になど微塵の興味もなかった。

嘉隆は部屋には入らず、扉の前でなにやらごそごそとズボンのポケットの中をあさり始めた。
やがて、目当てのモノを掴んだのか、「あったあった……」と独り言を吐かし、それを取り出した。

「なんだよそれ……」

あからさまに和真は眉を潜めた。
嘉隆が取り出したのは二十センチ程の茶色い紐の付いた銀色の鍵だった。

「この部屋の鍵だ」

視線を上げた先にある顔は、ぞっとするほどに真剣な顔だった。
普段はへらへらと馬鹿みたいに笑っている男の真顔は、思っていた以上に童心の和真には応えた。
なんでここでこんな真面目な顔をするのか、理解出来なかった。
ただ分かったのは、なにか大事な事を伝えたいらしい、という馬鹿でも分かりそうなことだけだった。

「いいか、和真」

諭すように口を開く。

「いつか、いつかの話だぞ。お前にこれが必要になる日が来るかもしれない。出来れば俺はこの鍵を使わない事を祈ってるが……な、和真」

「なんだよさっきから勿体ぶって」

「まあまあ、老体の楽しみを奪うな」

嘉隆はおどけたように笑った。
そうして、僅かに距離を詰め、小声でとんでもない事を言ってのけた。

「お前、由香ちゃんの事好きだろ」

「ばっ!?」

「青いなぁー!いやー、若いって素晴らしい!」

豪快に大声で笑い、ぐしゃぐしゃと顔をゆでだこのように赤くしワナワナと震える和真の頭を乱雑に撫でる。
咄嗟に和真は父の腕を振り払っていた。

「笑いに来ただけなんだったら、俺は帰るぞ」

「悪い悪い、からかいたい訳じゃなくてだな。……ちゃんと大事な話だ」

優しく笑みを浮かべ、嘉隆は再び先程の鍵を和真の前に差し出した。
長い紐に吊るされた鍵は銀の光を僅かに放ち、ただ音もなく静かに揺れていた。

いつになく真剣な嘉隆に、息を呑んだ。

「もしもの時のために、お前にこの部屋の鍵を渡しておく。お前が本当に困った時、この鍵を使えばいい。……だが肝に銘じておけ。この扉の向こうにあるものは、いつか必ず己を滅ぼす事になる」

「……なんで、そんな物騒なもんを俺に」

「……いずれ分かるさ」

訳がわからず混乱する和真に無理矢理鍵を握らせ、嘉隆は乱雑に息子の頭を撫でた。
その顔は、和真がこれまで見た事のない、恐ろしく引き締まり、殺意すら感じさせる無表情だった。

嘉隆が去っても、和真はしばらくその場を動けなかった。
勿体ぶって話していたが、どうせしょうもないものが入っているだけだ。
ただの脅しだ。
願う事ならそう信じていたかったが、初めて見た父の無表情にはただならぬ雰囲気があり、迂闊に父の忠告を無視する事は出来なかった。
鍵を片手に扉に一歩、二歩と近付いて行く。
後少しで鍵穴に鍵が入るというところで、和真は息を呑み、鍵を握っていた腕を下げた。
あれだけ脅されれば流石に開ける気にならない。
和真は溜息を吐くと、乱雑にハーフパンツのポケットに鍵をしまい込んだ。

夏が終わると同時に、港嘉隆は仕事があると、青桐兄妹と共に日暮町を去って行った。

そうしてまた季節は巡り、四年目の夏がやって来る。
ただでさえ身長の高かった叶夜は中学に上がり、一気に身長が伸び、早めに声変わりがすんだこともあり、これまでの美少年という雰囲気から一転、大人びた美青年に成長を遂げていた。
そんな叶夜の成長に、成長し小学三年生となった可奈が騒がない訳がなく、何時にも増してキャーキャーと叶夜にまとわりついていた。

由香の方も高学年になり、以前よりも可愛らしさに磨きが掛かっていた。
だが、初恋を拗らせに拗らせまくった和真が素直に美辞麗句を並び立てられる訳もなく、結局口を吐いて出たのは「お前も身長伸びたな」という、なんともそっけない台詞だった。

そうして、楽しい夏は今年も呆気なく過ぎていく。
変わる事のないこの日常が、永遠に続いていくのだと、この時の和真は本気で信じていた。
また季節は巡り夏は来る。だが、港家にかつてと同じ夏が来る事など、ありもしない幻想でしかないと現実に気付かされたのはその年の秋の事だった。

その年の夏の終わり。
最早毎年恒例となりつつある夏祭りでの出来事だった。
その年は日暮町にしては珍しく不審者が多発していると大人達の間で嫌な噂が流れていた。
だから和真も何時にも増して気を配っていたつもりなのだが、気が付けば由香の姿が見えなくなっていた。

「あの馬鹿……っ!」

本当にあの少女は何度迷えば気が済むのか。
思えば初めてここに来てすぐに迷っていた事を思い出す。
叶夜と可奈と和真、三人で探すのだが一向に見つからない。
三人で固まって探していても仕方ないと、分担して探す事にするも、待てど暮らせど由香の現れる気配はない。

会場を走り回る最中、意識が散漫としていたせいか、誰かにぶつかった。
視線を上げて、和真は絶句した。
眼前にいたのは、自身より少しだけ身長の高い、金髪の少女だった。
そのあまりの美しさに、和真は言葉を失っていた。
赤い目に黒のゴスロリを纏う少女は、驚きに目を大きく見開くと、焦ったように口を開いた。

「ご、ごめんなさい……!」

額から盛大に汗を零し、少女はあたりをキョロキョロと見渡すと焦ったように和真と反対の方向に全速力で走り去って行った。

少女の姿が見えなくなった頃、ようやく和真は正気を取り戻した。

(こんなことしてる場合じゃねぇ!)

全速力で駆け出し、恋焦がれる少女を探す。
その時、脳裏を過ぎったのは初めて少女が迷った時のこと。

まさかと思いながら、祭りの会場を逸れ森の中へと全速力で走り出す。
全身から汗が溢れ、息も絶えだえとなった頃、森の奥、探し求めていた少女を見つけ安堵の息を吐いたのも束の間。
和真はあまりの事態にその場から動く事が出来なかった。

(なんだよ……これ……)

それは、子供にはあまりにも衝撃的な光景だった。
最初に見たのは由香の泣き顔だった。
男に木の幹に両腕を押し付けられ、やめて嫌だと泣き喚く。
お気に入りだと可愛らしく笑って自慢していた茜からのお下がりの着物は無残にも引き裂かれており、年端も行かない未発達な少女の裸体が破かれた着物の隙間から覗いている様は酷く、欲情的だった。
助けなければと思うのに、体は言う事を聞かない。ただ息を飲みその場に立ち尽くす事しか出来ない。

「やめ……て……!!いや!いやいやいや!いやだ……!やめてよ……っ!お願いだから……!!」

顔をぐしゃぐしゃにして必死に抗っているが、股の間に足を挟み込まれろくな抵抗になっていない事は傍目に見ても明らかだった。
それを分かっていてなお、少女は抗わずにはいられなかったのだろう。
悪趣味な事に、抵抗すらも楽しんでいるらしい男は少女の胸を揉みしだき、執拗に首筋を舐る。
どこからどう見ても、間違いなく強姦だった。

「だって、悪いのは全部由香じゃないか」

戦慄が走った。
今まで見えていなかった男の顔が、角度が変わったせいで和真の方から微かに伺い見える。

男は、間違いなく青桐叶夜だった。
そうして、笑う。妹の痴態を前に愉快だと笑う。

ぞっ、と背筋に鳥肌が立った。
四歳も年下の、しかも血の繋がった実の妹に対し、確かに叶夜は欲情していた。
片手で由香の両手を抑えたまま、邪魔だと眼鏡をズボンのポケットに乱雑にしまいこみ、何度も何度も首筋に口付を落とす。

「自分だけ、幸せになるんだ?」

「お、にいちゃ……っ!」

そうして

「許さない」

赤く目を輝かせ、由香の首筋に思いっきり噛み付いた。
目の前の現実を受け止められなかった。
周囲に満ちるのは、吐き気のする程の血の芳香。
止めなければと足を動かそうとする。

(……動けよ)

こんな事をしている場合ではない。
これは夢じゃない。現実だ。

喉元を鳴らし、血を啜る音が鳴り響く。
苦痛からか、少女の顔は歪み痛々しい。

(……動けよ!!)

カチカチと、恐怖からか歯が鳴っている。
うるさい程に心臓は躍動を続け、悔しさから爪が食い込むほどに両手を強く握り締めた。
唇からは血が滲む。
だが、そんなものは些細な事だ。
眼前の状況は、異様だった。

四年間、片思いを続けている少女が穢されようとしているところを黙ってみているのか。
そんな事、我慢ならない。
決意を固め足を一歩踏み出した時、視界が一気に黒に染まった。

現れたのは、四年前に見た男だった。

それは、長い黒髪と黒いコートをはためかせ、殺意を隠そうともしなかった。
風のように華麗な動きとは裏腹に、獰猛な牙を少年に向ける。
憎悪と怒りに赤い目を鋭く輝かせ、今まさに少女の花園に手を伸ばそうとしていた男の首を遠慮なく掴み、天高く掲げ、勢い良く地面に叩き付ける。
衝撃から、地面には穴が空き、叩きつけられた少年は血を吐いた。

あまりの精神的ショックからか、叶夜から開放された由香は、気を失いその場に倒れ込んでいた。
和真は倒れる事も出来ず、ただただ唖然と眼前の光景に向き合い続けていた。

そうして思った。

ああ、由香が気絶していてよかった、と。

それは獰猛で、残酷で、純真な少女が目にするにはあまりにも血生臭い所業だった。
鬼の形相でその手を振るい揚げ、躊躇うことなく叶夜の腹部に拳を刻み込む。
ドンという人間ではありえない重たい音を立て振り下ろされた拳。
胸骨の砕ける音と、有無を言わせぬ狂気的なまでの圧倒的な力に、為すすべくもなくただ吐き気を堪えその場に立ち尽くす。

目が合ったら最後、間違いなく死ぬ。殺される。
だが、逃げる事さえ出来ずに、ただ叶夜が痛み付けられる様をまざまざと見せ付けられる。
ワナワナと震え、自身の歯が鳴っている。

叶夜であったモノが、最早ただの肉片となり果てた頃。ようやく気が済んだのか、男はその手を止めた。
そうして、ゆらりと顔を上げ、血にまみれた両腕を拭いもせず、真っ直ぐに血に飢えた赤い眼差しで、和真を射抜いた。

殺される。

冷たい無表情に、そう本能的にはっきりと察知した瞬間、和真は逃げ出していた。
ここにいたら殺される。

臆病な少年が選んだのは、初恋の少女ではなく、自分自身の身の安全だった。
それは、誰にも責める事の出来ない、強者と対面した時の生き物としての自然な本能であった。

走った。無心で走った。
吐き気を必死にこらえ、頭のなかにこびりついた先程の光景を振り払うように、ただ走った。


「どうした!?そんな、顔を真っ青にして……!」

山道を出てすぐ、見回りのはっぴを纏った年配の男性に腕を掴まれた。
あまりの衝撃に、何も考えられなかった。
和真は震える体に歯を食いしばり、泣きそうになりながら無言で先程惨劇の行われた場所を指差すことしか出来なかった。

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