松陽が子供に誘いをかけるのはよくある事、というより常套手段だが、屋敷に住まわせてまでというのは初めてだった。

「増えた費用は私持ちですから」
「たりめーだ」

誓約書を紙飛行機にして室内に飛ばす。

「……一つ、聞いても良いですか?」
「何だよ」
「私を受け入れた事を、後悔したりしてませんか」
「別に」

数秒間宙を彷徨った紙飛行機は呆気なく墜落する。真っ直ぐに進まなかったな。ちゃんと折らなかったからか。

松陽は割とよく喋る。だが、これ以上口を開かない。違和感を感じた俺は身体を起こしへそと頭、足の方向を松陽に向けた。

「お前が変だってことは最初に会った時から分かってたし、今更だろ」
「……」
「草履も舐めます」
「反省してますので止めてください」

あの時の真似をしてやれば松陽は頬を赤くしていた。珍しい表情なのでよくよく観察してみる。クソ、男の癖に嫌味がましいレベルで整ってやがる。体格がもうちょっと矮小なら女に見えるってのに。

「ねえ、雪成」
「あんだよ」
「私を君の弟子にしてくださいません?」
「ア゛ァ!?」

嫌味か?嫌味なんか、テメェ。

「……駄目ですか?」

何でんなマジな声で言うんだよ。訳が分からねえ。

「……何でだよ」

思わず、理由を聞いてしまっていた。

「雪成が立派な先生だから」
「なわけねえだろ」
「なわけねえです」
「中途半端に真似んな」
「すみません」
「……」
「……」
「実力も知識も、アンタより下だぞ、俺ぁ」

それなりにできてる先生役も、そもそも生徒に勉学を教える方法は松陽が彼奴等に教える様子を見て猿まねしてるだけ。御大層な先生としての志を持ってる訳じゃない。んなもんは面倒なだけだ。

「君は……貴方は」
「あ?」
「私に常識を教えてくれました。知識だけしか知らなかった私に、本物を識らせてくれた」
「まあ、頭を下げるってだけであんな事してたもんな」

さっきも話題に出た土下座を思い出す。相当追い詰められて出ねえ筈の言葉をぽんぽん出してた。

「実は私、ある意味箱入りなんです」
「ふうん」
「籠の中で本を沢山読んで世の中の常識を沢山学んだつもりでしたが、矢張り本は本。実際に見て学ぶ程ではありませんでした。籠から飛び出して、本物を見て学んでいたんですが……」
「が?」
「人に物を頼む時は頭を下げると、貴方は私に教えてくれた」

そこで戻るのか。

「それだけじゃない。干物の美味しい作り方、暖かい布団の干し方、風呂の楽な焚き方、沢山教わりました」

「私も子供たちと一緒に学びたいんです。だから松下村塾を作った」

「松下村塾として屋敷を使って良いと貴方が許してくれた時、本当に嬉しかった」

「だから、ありがとう。そして、お願いします」

「私にもっと楽しい事を教えてください。もっともっと共に私は学びたいのです」



「バーカ。んなもん、弟子にならなくても教えてやるよ」

「……そうですか」


 * * *


銀時はろくに字も書けず、読めなかった。親無しの孤児が増えまくってる情勢不安定の世の中だ、そう珍しい事ではない。

「上手く書けてんじゃねーか」
「おう」

最初は間違えまくっていたねとわ、ぬとめもきちんと書けている。

「ひらがな免許皆伝だな」

ぽん、と手作りの判子を押す。よくできましたと掘られている。黒インクより赤インクの方がそれらしいと思うが、赤インクは手に入らなかったから黒だ。

「次はカタカナだ」
「……いくつあんの」
「ひらがなと同じだ」
「りょうてとりょうあし、あたまたしてもたりないってことか」
「当たり」

足し算と引き算は松陽の担当だが、そっち方面もちょっとは進んでるみてえだ。

「なあ」
「ん?」

事前に用意しておいたカタカナ表を用意しながら返事をする。

「しょうようと、おまえの、なまえは」
「……漢字はまだ先だぜ」
「なまえ」
「画が多い、お前にゃまだ難しい」
「なまえ!」
「……チッ」

うるせえ餓鬼だと舌打ちをうちながら反古紙に「吉田松陽」「松下雪成」と隅っこに書て見せた。

「よしだ、しょうよう」
「舌ったらずだな」

回っていない舌に思わず笑うと銀時は不機嫌になる。

「よしだしょうよう」
「まだまだ」
「善しだ、しょうよう」
「最初の言い方が違うな」
「吉だ、しょう酔う!」
「最初は良い、最後が違う」
「吉だしょーよー!」
「全然駄目」
「4しだ症よう!!」
「カス」
「うがー!!!」

両手をあげビタンと茣蓙の上に倒れた銀時はじたばたと手足を動かす。おい、刀振り回すな。俺に当たったらどうする。

「クソが!」

後日、悪態吐く時だけやたら流暢になる銀時の姿を見た松陽が俺が悪影響を与えたと両頬を引っ張った。餓鬼がうんこだのちんこだの下ネタ系の単語を覚えるのが早いのを同じアレだろ、アレ。俺の所為じゃねえ。


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