別に気にしちゃいない。 良い女はうじうじしない。 うるさい奴は黙らせればいい。 でも心のどこかが痛い。 じくじくする。 私は天下のかぶき町の女王だ。 「うぅーっわ」 「またお前かヨ」 「そりゃこっちの台詞だ」 せっせと真っ白な部分を黒くしていると、出入り扉から嫌な気配がした。案の定ドSがいるし。此処に来ると結構な頻度で会うから嫌になるアル、サボってんじゃねーヨ無能警察が。口論に発展しかけて、眼下のプリントが目に入った。 「今回は私がごしょうして我慢してやるアルネ、お前を構ってる暇ないからな」 「ハッ、譲歩だろーが。勉強の意味ねえな」 「うるっさい!!」 反射的に睨みつけ、あいつから見えないようにプリントをズラす。あの野郎に修正されるのは非常にムカつく。先生ならそんなことないのに。タイミングも虫の居所が悪い。 「……チッ、とっとと出てけヨサド」 私が移動するのは癪に障りまくるからこいつがさっさとどっか行けと念じながら存在をシャットアウトさせる。無視無視、と筆を持ったが、無視する前に何も反論がなかった。チラッとだけサドを見る。 (おわ) 意外な事に憎たらしい顔であるわけでも何か意地の悪いことを考えるような感じでもなく、なんというか何て判断したらいいか分からない顔でサドはこっちを見てた。でも目は合わない。焦点はどっちかというと私よりもプリントだ。 (これはこれで鬱陶しいアルな) 一対一でいる時にすることは腕だろうが口だろうが喧嘩だけで、ただの会話で終わるのは滅多にないし、なによりこんな顔をしているのは初めて見る。居心地が悪かった。 「なんか用でもあるアルか」 「別に」 折角こっちから!やってやったのに!この野郎即答だった。しかも目が一切合わない。業腹である。もう良い、こっちだって完全無視だ。態々話しかけてあげただなんて流石私は優しいアルと自画自賛しながら筆を動かす。 先生は集中力が大切だと言っていた。無視しようとしなくても自然と音が聞こえなくなって、気が付いた時にはあっというまに時間が過ぎてる。遊びの時間によくあるそれが勉強の時間でも起こるようになって、それから。 馬鹿にする輩の口を利けなくしてやればそれで良かった。 ブチのめしてこっちが上だと分からせてやれば不愉快なことは言わなくなった。 でもそれだけじゃ、此処ではやっていけない。 「タ」 「あ!?邪魔すんなサド!」 いつのまにやら目の前に来て堂々と覗き込んでいた。何言ってんだコイツという目で見ながら殴ろうと右手を繰り出すが避けられる。二発目を打ち込んでそれも避けられて、サドがプリントの一角を指差した。 「だーからタにしか見えねえつってんの」 「どッ、何処がアルか目ん玉引き千切ってやろーか!」 自覚していた事を言われ一瞬鈍ってしまう。言い返してからプリントを見つめる。本当なら夕方や夕飯の夕の筈なのだが、何度練習しても自分ですらカタカナにしか映らない。天敵に指摘されたことがなによりの屈辱に感じ頭に血が昇る。 「この違い分かるか」 私が持ってた筆を勝手に奪い、私のプリントに夕とタが書かれた。馬鹿の癖に字だけは達筆でどっちがどっちかの判別がつき腹が立つ。 「この程度で天狗になってんじゃねーヨ、チンピラチワワ」 「……タは最後のてんをちょっと突き出して夕は出ないようにすりゃ良い。差別化を図れ。それと、こうだ」 勹の二画目は地点を少し下にさげてから書き始めるが、タは下げることなく綺麗に繋いで勹が書かれ三画目のてんは食み出た。逆に夕は通常と同じように勹と書かれ、三画目のてんは食み出ない。 「やってみろ」 「なんでお前なんかに言われてやらなきゃいけないアルか!!」 「あ、オイ!」 成程と思ったが、思ったことがムカついた。怒鳴りながら睨みつけプリントと筆を持って教室を出る。怒りと焦りで目の前がよく見れておらず、誰かとぶつかって尻もちをつく。 「おや、大丈夫ですか神楽ちゃん」 「先生!」 ぱちぱちと瞬きして先生の顔を認識してからさっきとは違った居心地の悪さが襲う。見つかったら怒られると分かっている行為が親に見つかってしまったような感覚だった。先生はきっと普段と違う様子の私が分かってただろうけど、何も言わないで微笑むだけ。 「今日はもう帰りますか?」 「……今日は…」 「分からない事があれば遠慮なく聞いてくださいね」 「うん」 ちょっとだけ気分が落ち着きさよならの挨拶をしてから門に向かう。家に帰ろうとしていた足が止まる。サドが門の扉を背凭れ代わりにして立っていた。小癪にも先回りしていたようだ。 「……別に、馬鹿にしたわけじゃねえから」 「…えっ」 「じゃあな馬鹿チャイナ」 早足してるわけでもないのにあっという間にさーっと消えて行った。結局今日は喧嘩の体にもならない罵倒だけで終わってしまった。 (……何アルか、訳わかんないアルヨ) 勉強は好きじゃないから教養はない。 それを馬鹿にされることはよくあった。 でも、投げかけられる言葉の中で許せないことがあった。 『母ちゃんがあんなのじゃなきゃ看病に使う時間の分ちょっとでも勉強できたろうにな』 『お前もほんとは思ってんだろ、邪魔だって』 うるさい奴は黙らせればいい。 好きじゃないからしないのであって、親は関係ない。 何も知らない奴が勝手に邪推するな。入ってくるな。邪魔なんか思ったことない。 でも心のどこかが痛い。 じくじくする。 「あー!酢昆布食べたいアルな!!」 腹の中でぐるぐると逆巻く何かが鬱陶しくて、なんとかしたくて、どうすればいいか分からなくて。 叫びながら家に帰った。 戻る |