騒動というものは得てして、人が認識する前に火種としてバラ撒かれそして芽が出るものである。 "これは騒動だ"と認識できた時点で、既に退路は断たれているのだ。 橋の上にて浪人が浪人を相手に剣を使い斬り裂いた瞬間を目撃したハジは両目を目一杯見開き、震える腕を無理やり左手で押さえつけた。 「――っ……!」 悲鳴をあげかける口を噛み千切らんばかりの力で縫い付け、人斬りに己が存在を悟られないように気配を薄める。あの浪人が恐ろしく見えて仕方がない。もし、あれが自分に気付いたらと思うと身体が震えあがる。己の身分をかなぐり捨て、目尻に涙を浮かべ必死に祈った。 早く、この場から消えてくれと。 「これは記念として頂いていくよ、桂小太郎殿」 幸いにも、桂を斬った人斬りは腰を屈めて切れ味の良い剣を振るい、血を流し地に伏せる桂の髪を切りそのまま去っていく。 「ハ、ァ――!」 無意識に止めてしまっていた息を吐きだし、ハジは冷や汗によって全身が濡れてしまっている事に漸く気が付いた。 「か、桂さん!」 そして今も尚どくどくと血を流し動く様子が見られない桂の元へ駆け、身体を抱き起す。 「ぐ……ぅ、お主は……?」 「良かった……生きてるでやんすね……っ!ごめんなさい、あちき何も出来なくてっ……」 「……いや、いい……お前が庇いに出た所で、殺されていただけだろう」 限りなく真実に近い予想を突きつけられ、ハジは奥歯を噛みしめて俯き耐えた。反論することは出来ない。それを他でもない自分が認めている事が悔しくて仕方がない。力のないか細い声を発す桂が立ち上がろうとしている姿に気付き、ハジは慌てて顔を上げ制止する。 「ダメでやんす、ちゃんと治療をしないと!」 「ほう……指名手配犯の攘夷志士を、この桂小太郎を、こんな深夜に受け入れ治療してくれる心優しい方がいるとでも」 「いる!!先生はアンタを見捨てたりなんかしない!!」 先程とは違い力強く言いのけたハジに桂は僅かに動きを止め、口元だけ微かに笑みを浮かべた。 「……それは有り難いが、迷惑をかけるわけにはいかんのでな」 「何を言ってるでやんすか!アンタテロリストでしょ、もう人様に迷惑かけっぱなしの癖に!」 「いや確かにその通りなのだが……あだだだだ!待て待て、辻斬りにやられた憐れな被害者に何をする!」 此処は周囲の民家があり、人の目につきやすい橋の上。自分のように偶然見かける通行人がいる可能性がある上に桂は重傷人だ。ずっとこの場所で話しあっているわけにはいかないと、ハジは桂を黙らせる為に一発桂の耳を引っ張る。 「黙れテロリスト!アンタの身柄はこのあちき、ハジが押さえた!とやかく言うな!」 桂とハジではあからさまに体格が不釣り合いだが、そんなことは関係なかった。桂の腕を自分の首に回し、力の限りを尽くして脳裏に浮かんだ場所へ連れていこうとする。 「ハジ……?お前、まさか雪成さんと一緒にいる所を見かける、あの岡っ引か……」 「目も霞んで碌に見えてないでやんすか、ハンッ」 「……無理はするな。非力な女子では敵うまい。第一、俺を助けようとするこの姿を他の同心に見られでもしたら――」 「ハジ、何をしている!その男は誰だ!?」 普段はハードボイルドを気取った、余裕があるように見せかけたいらしい話し方がやや剥がれた声色で、何時の間にか前方に現れた男から声がかかった。男はどうやら焦っている様で、武器、恐らく十手を構えている事を桂も把握する。 「ほらみたことか。フン、だから言ったのだ」 桂は橋の向こうにいる男を見遣り腰に収めた刀に怪我で震える手を伸ばす。だが、鞘から刀を解放する直前でハジは腹の底から言葉を吐きだし、男と桂の行動を止めた。 「アニキ、コイツは怪我人でやんす!先生のとこに連れていくから手伝って!」 「何だと?ハジ、それは本当か」 「マジもマジだから早く!あちきだけじゃ無理!ほらさっさと肩貸して!」 「オイ待て、待つのだハジ殿。こやつがそのような事を聞くわけが」 ない、と続ける前に桂は目の前の光景に目を見開いた。 「踏ん張る女を前にして、それを無下にするような真似をすれば男が廃る。カミュ」 「ハハッ、腰めっちゃ引けてるじゃないでやんすかアニキ」 「これは武者震いだ」 「はいはい、じゃあ武者震いで滾ってるアニキ、一人で頼むでやんす。あちきは血を拭っとくんで」 アニキと呼ばれた男は十手を腰に戻し、あろうことかハジが頼んだ通りに桂を運ぼうと隣に立ち支えたのだった。同心や岡っ引が使用する十手を持っている事、岡っ引であるハジがアニキと呼称し親しい様子を見せている事から目の前の男も犯罪者を取り締まる側である事は明白。だというのに、ハジもこの男も、己を助けようとしている。 「えっ?ちょっと待てハジ、この怪我人意外と重いんだが」 「ちゃちいこと言う前に足動かせ!!」 「はいっ!」 互いの力関係が伺える、何処かで見かけた事があるような会話を繰り広げられ、桂はこの場に似合わぬ微笑みを作り、懐に忍ばせた己の急所を護ってくれた教本に触れるのだった。 ―――――― ―――― ―― 「大事はありません。防犯チョッキかそれに似た何かを身に着けていたのでしょう、致命傷は避けられていました」 「良かった……」 客間の一室に用意された敷布団の上で、怪我を負った部分を中心に包帯を巻かれた桂は目を瞑り穏やかな表情で横になっている。ハジは桂を見て胸を撫で下ろし、重傷を負った桂を治療した人物、そしてこの客間含め寺子屋を無償で提供した人物、松下雪成に頭を下げた。 「ありがとうございます、先生。真夜中に尋ねてテロリストを押しつけた挙句治してくれだなんて。図々しいにも程があるのに」 「頭を上げなさい、ハジちゃん。この方は私の昔からの知り合い、同心に報告せず真っ先に私の所に預けて頂いたのです。感謝するのはこちらの方ですよ」 「あちきは別に、自分が気に食わないことをやりたくなかっただけでやんす」 瞼を閉じて脳に浮かぶのは今は亡き両親が奉行所の手によって連行される後ろ姿。攘夷志士を匿うという大罪を犯したという理由でろくに調べもせず鉄の檻に封じ込め処刑したあの連中は、血反吐を吐くほど嫌いだった。攘夷志士は国を想い戦った英雄なのに。それを見捨てたのは国の上層部。 彼らを志士ではなく浪士として扱い、血も涙もない悪漢共なのだと世論を操作した奴等の事が憎い。それでも結局、己は幕府側として攘夷志士や犯罪者たちを捕縛する立場でいるわけだが、と自嘲を浮かべる。しかしそれも直ぐに取り止めた。今大事な事は己のことよりも、己の上司の事だ。 「……やばいのはアニキだ。桂小太郎を助けたのがバレたら……」 両手の拳を握りしめ、表情を歪ませる。彼の姿を認識した途端安心して思わず肩を貸せなどと口走ってしまっていた。只でさえ部下の失態は上司の失態だというのに、更には上司本人までも片棒を担がせてしまった後悔が、事態が一旦落ち着き冷静になってから湧き上がってくる。 「なあに、バレなきゃいいんですよ。バレなきゃ」 「……」 「目撃されないように最大限気を付けて此処まで来たのでしょう?なら後は私が無事に彼を護り通せば良いだけです」 雪成は優しげにハジの頭を撫でる。大きく暖かい掌に、ハジは少し安心した。 「でも……」 「小銭形さんにも選択肢はありました。無視して上に報告するか貴女を助けるかの二択が。それで、小銭形さんは後者を選んだ」 「……あちきが無理やり選ばせたのかも」 「小銭形さんは未成年の貴女と違い責任ある立派な大人ですよ、自分のケツは自分で拭かねばなりません。どんな理由にしても、彼は既に選んでいるんです。後から貴女がそんな鬱々とした顔で愚痴を言っても仕方がないでしょう」 厳しげな声を受け自然と目線が畳まで下がる。そうだ、こんな事は今更だ。時間は巻き戻せない、選択は為された。 「後悔するのは悪い事ではありません。己を見つめ直す事は推薦されるべきものです。ですが、それよりも今はやるべき事がありますよね。ハジちゃん」 「やるべき事……?」 もう一度橋に戻って、桂が流した血が松下私塾までの道に残っていないか洗い直すこと? 何食わぬ顔をして同心と岡っ引の休憩所に入り、桂を殺めかけた人斬りの情報を探すこと? 他に何かあるかと第三の想像をしようとしたハジに、雪成は何時も通りの笑顔を向けた。 「小銭形さんがご飯を作っています。早めの朝ご飯をとって、それから眠りなさい。布団は敷いておきますので」 ポカンと口を開けて面食らう。 「…………アニキ、料理できたでやんすか」 たっぷりと間があきながらやっと返した返事は今までの会話とは違いなんとも日常的なもので、口に出してから何をしているんだと内心自分で自分を蹴る。 「いえ、奥さんに任せっぱなしなようですから料理スキルは皆無でしょう。なので冷凍庫に入った冷凍食品を解凍するだけの作業だけしている筈です」 「うっわアニキらしい、絶対それでやんす。今時の男も手料理の一つや二つできなきゃ幻滅されますよ」 「ふふっハジちゃんは手厳しいですね」 「事実を言っただけですから」 なんてことのない話を続け、小銭形がいるであろう台所までの廊下を歩く途中でハジは胸に手を当てた。桂を助けようとした瞬間から心に圧し掛かっていた重しが軽くなったことを自覚する。桂を治療してくれた雪成と桂を運ぶ手伝いをしてくれた小銭形を想い、笑顔を浮かべようとしてへたくそなものを作り上げるのだった。 (1/2)→ 戻る |