虫の知らせ、という奴だった。やたらと目が冴えて寝つけない。身体を起こし、縁側で腰をかけながら月を仰いで淹れたての茶を啜る。

「……」

門の方面から人の気配がした。風に乗って同時に鼻に届いたのは鉄の臭い。門の前で佇んでいる人の気配は暫くの間、中に入る事もその場所から去る事もせずに立ち竦んでいた。

「……ふっ」

雪成は鼻で笑いながら飲み終えた茶を置くと、冷え切った草履を履いて気配の元へ向かう。

「…………何してんだろうな、俺」

気配の正体は男だった。頭や身体には包帯が巻かれ血の存在を漂わせている。"松下私塾"と書かれた看板を眺めていた男がガシガシと髪を掻き、ポツリと呟いた。門の蝶番を外して男の前に姿を晒し、これも日常の中の一時でしかないと認識しているかのような声色で雪成はその男に話しかける。

「何をしているか分からないのでしたら、うちに寄ってきません?」
「なっ……!」
「今夜は私も寝つきが悪くてね……どうですか、万事屋さん」

扉を開け、万事屋・坂田銀時の目一杯開ききった瞳孔を一身に受けながら親指を立てて自室がある背後の方向を指差す。

「……いや、俺は…………」
「拒否権はありません。来なさい」
「え?ならなんで聞いたの?」

銀時の腕を引いて無理やり門を潜らせる。離れている目と眉が比較的近付いており普段と違う表情をしている銀時は少しばかり迷う素振りを見せたが、結局は雪成に逆らう事無く連れ回され、隣同士で縁側に腰掛けた。雪成が淹れた茶を受け取ると何を話すという事もせず黙々と口に含める。

「今日は月が綺麗ですね」
「……ああ」
「あ、告白の方じゃありませんよ?月見の意味ですからね、勘違いしないでくださいね」
「お前にツンデレは似合わねェなァ」
「そうでしょうか?」
「昔っから素直だったろ、お前はよ」

銀時は目を細め、雪成の姿を視界に収めた。だがその双眸に映り込んだものは目の前いまの雪成ではなく。

「銀時?」
「万事屋さん?」

「――ぁ」

我に返った銀時は、ゆっくりと瞬きをして遠い昔かこの雪成を打ち消した。目の前で座る雪成と向き合い、やや間を空けて口を開く。

「あのよ」
「はい」
「……腹、減った」
「でしたらアレですかね」

事前の連絡もなく深夜に尋ねてきた挙句遠回しに食事を要求してきた銀時に雪成は何も言わず、一旦姿を消すとそれほど時間を経たずに戻って来た。

「はい、どうぞ」

笑顔と共に銀時へ差し出したのは干物だった。

「……お前さ」
「はい?」
「暇さえありゃあこれ作るよな」
「良いじゃないですか、干物。保存食ですよ、長持ちしますよ」
「普通はよォ、おにぎりとかじゃね?口ん中の水分とられんだけど」
「文句を言う上に茶の代わりも御所望ですか。とことん面の皮が厚いようで」

もそもそと干物を噛む銀時に雪成も軽口を返す。そこで会話は途切れ沈黙がこの場を包むが雰囲気は穏やかだった。口から生まれてきたような男は黙々と干物を食し、春風駘蕩を具現化したような男は隣に座る彼を優しげな眼で眺めている。

「っ」

ふとした瞬間に、雪成の左手が銀時の頭の上に乗せられる。そのままゆったりとした動きで左右に揺れ、撫でる形になった。

「銀時」

途端、銀時はまるで喉に何かが詰まったかのように声を出せなくなり、疲労が浮かぶ萎びた顔で雪成を見つめる。

「お疲れ様」

頭から離すと、雪成の指先が銀時の治療をされた痕が残る頬にそっと触れる。傷に接触され鈍い痛みが走ったが、銀時は声を上げず見つめたまま。

「今回もよく頑張りました。私の誇りですよ」
「……そう、か」

なんとか絞り出した声はとてもじゃないが聞き取れるような物ではなく、小さくか細かった。だが今の時間帯は深夜。二人以外は誰も居ない空間。銀時が発した音を難なく拾いあげた雪成は愛嬌したたる笑い顔になる。

「さ、どうぞ」

ぱんぱんと膝を叩き、待ちの態勢で銀時に向けて手を広げた。

「……」

銀時は沈黙を貫いたまま重く鈍い頭を雪成の膝の上に乗せ、仰向けになる。天井の代わりに雪成の顔を眺める事が出来た。

「硬ェ」
「そりゃあ男ですから」

骨ばった身体に加え、戦争が終わり先生という身分でいる今でも身体を鍛え続けている雪成の膝が柔らかい訳が無く、女性の柔和さとは縁遠い。

(こんな硬ってェ膝枕で安眠できる奴なんざよっぽどの馬鹿だな、こりゃ)

内心悪態吐きながら瞼を下した。

(別に野郎の膝枕が良いってわけじゃねェ。つうか嫌いだこんなもん)

硬いしやってる奴は男だしやられてる俺も男だし男同士で膝枕とか最高にサムいし、と続けるが、直ぐに止めた。目を閉じていても分かる。今もどうせこの男は男を見て何時も通りの優しげで、暖かい、護りたい笑顔を浮かべているに違いない。

(……コイツだけは、まあ、悪かない)

この男の場合は例外だった。決して膝枕にだけ限った話ではなく、それはこの男が関する様々な事に対して適応される。ハグも食べさせあいっこも、挙句の果てにはキスでさえもこの男が相手ならば、別に。……いや、矢張りキスは気の迷いだと眉間に皺を寄せた。何を考えているんだ俺は、と叱責する。

(ん……やべ、アホなこと考えてたら、眠……)

数分も経てば銀時は急激に押し寄せてきた睡魔に負け、安らかな表情で眠りにつく。

「ふふ」

銀時が先程想像していた通り、優しげな笑みを浮かべている雪成は深い眠りに入った銀時の腹を幼子を相手にするようにぽんぽんと二度擦った。

「疲れたのなら何時でも頼ってくださいね」

また些細な事を切っ掛けとして大騒動に巻き込まれにいったのであろう銀時率いる万事屋メンバーの姿を思い浮かべながら月を仰ぐ。とても静かな夜だ。夜空に浮かぶ月が美しく映える。

今夜、銀時はこの場所に訪れた。より正確に言えば、この場所にいる雪成の元へやってきた。

その理由はきっと……

万事屋の面々を信頼していない筈が無い。あの子たちは銀時の家族であり守るべき者。しかし、それとこれとは話が別なのだろう。駄目な部分や弱い部分を曝け出した身内だとしてもあの二人はこの役割を担っていない。今は、まだ。

何時か身も心もあの二人に預ける事が出来る日が来るだろう。しかし、それまではこの兄貴分だけの特権だ。

吉田松陽あのひとが居ない以上は、松下雪成わたしだけが、坂田銀時にとっての最後の砦。

「おやすみ、銀時」


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