シングン

吸血鬼パロ


 
 あのね、シンちゃん。切り出したグンマの唇は些か重いようだった。多分、少し迷ったのだ。
「……そういうね、些細なきっかけでイゾンショーとか中毒っていうのは始まるんだよ」
 小さな紙パックのトマトジュースに擬態したそれを握る手に少し力が入る。
 シンタローは、知っている。グンマには、そんなものよりも好むものがあることを。
「別に、俺はいーけど」
 軽く笑ったシンタローの声に、ごくりと鳴った喉の音がやけに響いて被さった。

 
 


 
 外の空気はすっかり蒸し暑くなったが、グンマの自室は日がなエアコンが効いていて少し肌寒くなっているくらいだった。
 シンタローは空けていた自室よりも先にグンマの部屋に、まるで部屋の主であるかのようにベッドに腰掛けていた。グンマは「シャワー浴びたの?」と眉をひそめたが、それくらいで大人しくシンタローの隣にやはり腰掛ける。なんとなく、こんなやりとりが日常になっていた。
 そして、冷えた紙パックのジュースを手のひらの中で常温に戻していたグンマの視線がふと、シンタローの方に向く。
「シンちゃん、それ」
「あ?……何だよ」
 深刻な顔をしたグンマが、シンタローの手首を掴んだ。薄い唇がわなわなと震えている。その感情が読めずにシンタローは顔をしかめた。
「おい」
「酷いよ、そんな奴に……シンちゃんの……」
 今にも涙をこぼしそうな瞳が、シンタローの二の腕を見つめる。震える指先がそこに触れたことで、ぶり返した。思わず、シンタローの手が伸びる。
「痒……」
「虫なんかに血吸わせるなんて!」
 もったいなさすぎる……。がっくりと肩を落としたグンマに、シンタローは慰める気も起きなかった。知るか。蚊にくらい、刺されるときは刺されるわ。
 ぼりぼりとさして躊躇いもせずにシンタローが掻いていると、腫れた皮膚はすぐに薄く裂けてしまいそうだった。こうして簡単に流れ出してしまうかもしれない、その赤を、グンマが欲して止まなかったことを思い出す。
「あ……」
 青い瞳が吸い込まれるようにシンタローの腫れた患部に縫いつけられている。
「ヨダレ、汚えんだけど?」
「うそ、出てないよ」
 あわてて口の周りを拭った指を、今度はシンタローが捕まえた。
「待……って、よ」
「できんの、我慢?」
 泣きそうに歪む顔が、シンタローの欲を満たしていく。唇を親指でなぞると、グンマがぎゅっと歯を食いしばった。
「我慢、するって、言ったでしょ」
「そーだな」
 ふにふにとグンマの唇を指で押して弄び続けているシンタローは、おおよそ聞く気がない。
 シンタローの身体から直接血液を摂取することを、グンマは我慢していた。
 初めて直接シンタローの肌に牙を立てた日から、しばらくはほとんど中毒のように彼の血を求め、一度シンタローと距離を置いたときには、他の血を飲む気すら失ったのだが、また考えが変わったらしい。
「やっぱり、癖になるし、シンちゃんが居ないときもあるし……絶対に見境がなくならない自信、無いよ」
 確かに、あの頃一切血液を摂取しなかったグンマは見るからに弱っていた。今後シンタローが家を空けている期間があれば、またそうなるか、最悪の事態を考えれば他から直接得ようとしかねない。
 ならば、安全な管理された血液を定期的に摂取する生活に戻そうとするのは至極道理に思えた。
 シンタローもそうグンマに告げられたときは、とくに異存もないような様子であるはずだった。
「どうせ無理だろ、もう」
 嘲笑うようなシンタローの声に、グンマは軋むほどに歯を食いしばる。自身の唇を食い破ってしまいそうだ。
 身体が、傾く。ゆっくりと押し倒されていくと、グンマ自身の理性も溶かされてしまいそうな気がした。ずるずると崖の端へ連れて行かれる。
 くらくらする。まだ、グンマの手のひらには、ぬるくなった紙パックがあった。
 そうだ、まだ、無理じゃない。
 あと一歩後ずされば、奈落の底に落ちていたところで、踵を踏ん張ったようだった。
 グンマは、逃げるようにシンタローに背を向けて、無我夢中で紙パックにストローを刺した。すぐに口をつけると、生ぬるい鉄の味が喉に広がっていく。
 あ、と拍子抜けしたようなシンタローの声が背中越しに聞こえた。
「……なんだよ」
 ばつが悪そうに、シンタローがこぼした。グンマは、肺の限りを尽くして紙パックの安全な血液を吸い込む。これは、単純な摂取だ。生きるための。あんな、快楽に満ちた味を知るべきじゃなかった。
 少し息を整えてから、グンマはなんとか言葉を紡いだ。まだ、シンタローの顔は見られそうになかった。まだ、いつでも、あちら側に落ちてしまいそうな場所に立っている。
 あのね、シンちゃん。

 


3rd.Nov.2020

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