シングン




RRR


 明滅する小さな光を視界の端に捉え、グンマは机の端に置いていたそれを手に取った。はあい、と応答しながらグンマは部屋を移動する。用件はいつだって知れていることだからだ。間もなく、耳に馴染んだ声が決まりきった言葉を回線に乗せてくる。
「コタローは?」
「はいはい、大丈夫ですよ〜。うん、寝てるよ。気持ちよさそ〜にね」
 毎度、同じような回答を繰り返している。それでも実際にすやすやと眠る赤子の顔を確認しなかったときには、電話の向こうからの苛立ちを隠されなかった前例があるため、グンマはわざわざ端末が明滅する度にこうして部屋を移動してやっていた。
 ガンマ団有数の実力者として数えられる彼は戦場に赴かなければならないとき、家に残した弟が気にかかって気にかかってたまらないらしい。それで、シンタローはこうして毎日のようにグンマへ連絡を寄越した。
 彼の弟が生まれるまで、こんな風にしょっちゅう回線を通して連絡されたこともない。それが不思議な気分だったのも最初のうちだけで、今ではほとんど業務連絡のようなものだ。
 そうして今日も、グンマは従兄弟の安堵のため息を回線を通して聞く。オトウトって、そんなにも心配でたまらないものなんだろうか。
 グンマには兄弟どころか二親等以下の親族と呼べるものが無いのでわかりようもなかった。シンタローにわざわざ聞こうとまでも思わない。自分に実感としてわからなくたって、相手にそういう思いがあるということくらいは理解できる。それで、この親愛なる四親等の従兄弟氏が御満足頂けるなら安いものだ。実際には逆らえる余地がなかった現実からは目を逸らし、グンマは自身の懐の広さに深く頷く。
 じゃあな、と用件が終わるや否や早々と回線を切断しかけたシンタローの背後からの声を、運悪く回線が拾ってしまった。おそらく、戦場の部下か同じ隊の仲間だろう田舎っぽい訛りを隠してもいないその声の主をグンマは知らないが、その物言いに思わず笑ってしまった。
「シンタローさん、よく電話してっけど。彼女だべか?」


「いつからぼくはシンちゃんの彼女になったのかな?」
「……おう、帰ったらかわいがってやるよ」
 軽口に込められた暴力の匂いにグンマは肩をすくめる。こんなの、完全にとばっちりじゃないか。
「てゆうかさ、おじさまに頼めば……」
 シンタロー自身以上に忙しい身の上とはいえ、彼を溺愛している伯父の顔を思い出せば、こんな機会を教えれば嬉々として電話を取るだろう。しかし、返ってくる声は想像よりもずっと固く、冷たいものだった。
「気持ち悪いし、信用できねえ」
 いちおう、ぼくはシンヨウされてるわけね。それ以上グンマは深く考えることはしなかった。結局、自分には三親等からしか家族のことはわかりようもないのだ。最初から諦めるしかなかったその実感まで追及しようという思いは、とうに枯れていたようだった。








RRR


「ああ、シンちゃん。お疲れさま」
 明滅した光を捉えて間もなく、グンマは答えた。おう、とだけ返答する回線の向こうに先んじて、彼の欲しい言葉を紡いでいく。
「変わりないよ。もしコタローちゃんに何かあったらすぐ連絡するから」
 心からの言葉だった。彼の気がかりもわかるし、自分自身にしたって同じだった。
「あいつは? 大丈夫そうか」
「キンタローは、どうかな。少しは落ち着いてきたかと思うけど。まあ、すぐにはね」
 もうひとりの家族を、まだ少し持て余しているのは誰もが同じようだった。彼自身もどう生きるかを選択しなければならない。時間をかけていくべきことなのだろう。それを束縛しない程度に支えていくのは、簡単に「大丈夫」などと言えることではなかった。
 そうだな、と静かに応えたシンタローは今いったいどんな景色を目にしているのだろう。組織を変えるべく飛び回っている新総帥となった従兄弟の重責を、グンマには肩代わりすることができなかった。
 やるせない気分のまま、昏々と眠り続けている弟の柔らかな髪に指を通す。自分自身の髪にもよく似ている。何故、少しも気づいてやれなかったのだろう。シンタローも、何も言わない。グンマは、また一人の家族を思い浮かべた。
「てゆうかさ、おとーさまにも連絡してあげたら? ……おとーさまも喜ぶだろうし」
「気持ち悪ぃから無理」
 シンヨウは、もうしてるのね。以前よりも温かい声に思わず少し頬が緩んだ。こんな顔見られたら、また殴られそうだな。緩んだ表情が回線の向こうまで伝わる前にグンマは首を振った。
「まあいいや。そういえば、昔もこんなことしてたしね」
 ふ、と回線の向こうが初めて笑う気配を感じた。
「ああ。じゃあ、そっちはよろしくな」
 回線が柔らかな声を残して切断された。なんだか昔の誰だかの言葉を借りれば、彼女並の働きだなと自身に少し感心する。部屋に残された規則正しいコタローの寝息を聞きながら、グンマは端末をそっとポケットにしまい込んだ。
「さっきのシンちゃんの顔、ちょっと見てみたかったね」
 答えるはずもない弟に語りかけてしまう自分にグンマは苦笑いした。起きていたところで、そんなこと言われても困るだろうに。








RRR


 回線を繋ぐなりそう遠くない距離で爆発音が聞こえた。映像回線は繋いでいないものの、グンマは思い切り眉をひそめた。
「ちょっと、戦場で通話はどうなのかな」
「あー、ヘーキヘーキ。こりゃ俺の出る幕もねえよ」
 そんな不真面目でいいわけ、総帥様が。また爆発音。どうやら文句も上手く伝わりそうにない。定例的な回答だけ伝えてグンマの方から回線を切った。





RRR……RRR……RRR……
RRR……RRR……RRR……

RRR


「おい。出なかったけど、なんかあったか?」
 少し焦りの混じった回線越しの声に、グンマは先程見たばかりの着信履歴が脳裏に蘇る。胸がいっぱいになる。それらを全て込めて、精一杯の声を絞り出した。
「ああ、あの。ごめん……ごめん」
 こちらの胸に充満しているそれを汲み取ったのだろうか。シンタローの声は低く、同じ質問を繰り返した。
「なんかあったか?」
 グンマは、詰まっている罪悪感をさらに吐き出した。今日ばかりはコタローの寝顔が平和なもののような錯覚を覚えた。ついさっきまで、ぼくもそちらに居たからね。
「えーと……寝、寝て」
「よーしわかった」
「ごめんってば〜!」






RRR


 はい、という応答の声が上手く喉から出てこなかった。うん?とシンタローのほうから珍しい声が漏れた。
「なに、お前風邪?」
「ちょっとね。まあ大したことないよ」
 控えめに咳払いをしたグンマに、シンタローが存外に愉快そうに笑っているらしい。
「バカのくせに風邪ひくなよなあ〜」
「言いたいことはそれだけでしょ〜か」
「バカ、拗ねんなって」
 体調悪いながらも回線を繋いだ親切な親戚にいったい何回バカと言う気なのだろう。
 最終的には、風邪に効くレシピなどを御教授頂きながらも自らやる気はしないので適当に頷いていたグンマに、シンタローは「お前やらねえだろうから早めに帰ってやるよ」と何やら朗らかに回線を切った。






RRR


 コタローが眠り始めてから、シンタローが総帥を引き継いでから、こんな電話のやりとりを再開してから、とうに季節が一巡りしてしまっている。窓の外に見える葉が見事に紅葉しているのを眺めながら、グンマは端末を耳に当てていた。
「コタローちゃんが起きたらさ、みんなでどっか出かけたりしたいね」
「そーだな」
 どこがいいかなあ、なんて軽い妄想だ。いつかきっと、という願いが叶う保証はどこにもなかった。それでも彼が希望を捨てない限り、グンマにもそういう道は無いのだ。
 最近は、キンタローも積極的に読書などを始めていた。誰しもが、少しずつでも前へ進むべく足掻いていた。






RRR


 疲れてる? なんて聞くまでもない。わかりきったことだ。
 シンタローが今回の遠征に出て既に二月以上が過ぎている。ほとんど、ああ、とかそうか、とかそんな応答しかできないシンタローの声を、遠く離れているグンマには如何ともしがたい。
 グンマは、部屋の窓を薄く開けた。夜風がコタローの眠る部屋にここちよく滑り込む。いつもより明るく見える月がグンマと、相変わらず眠り続けている弟の顔をくっきりと照らし出した。
 ねえ、シンちゃんと呼びかける声に、シンタローが今にも眠りに落ちそうな声でぼんやりと応えた。
「今日さ、すっごい月がよく見える日なんだって。そっちでも見える?」
 暫しの無音。おそらく、シンタローも空を見上げたのだろう。
「ああ、多分。見えてる。マジだな」
 ほとんど音としては聞こえなかったが、シンタローが薄く笑っている様子がグンマの目に浮かんだ。
「はやく、みんなで見たいね」







RRR……RRR……RRR……
RRR……RRR……RRR……
おかけになった番号はただいま……

RRR……


「親父。グンマは?」
「もう大丈夫。すまない。油断していたようだ」
 かつて覇王と呼ばれた父の固い声に、シンタローは顔を歪めた。
「俺も行く。座標送ってくれ」





RRR


 耳に慣れた着信音を聞いた気がしてグンマは目を覚ましたが、それが夢であることはすぐに思い出せた。使い慣れた端末が目の前で叩き潰された記憶のほうが夢であったなら無論喜ばしい限りだったが、見知らぬ場所に転がされている今の状況からして、その賭けは勝ち目に乏しいようだ。
 ため息をつく。毎日見ることを欠かしていなかったせいか、もう気になって仕方がない。あのただ広い部屋で眠り続けている子どものことを、グンマは見ていてやりたい。そうして彼の気持ちを少しでも和らげてやりたかった。
「コタローちゃん、大丈夫かな」
「バカが」
 弾かれたように床に落としていた視線を声のした方に向ける。回線越しでもない。すぐ頭上から声はした。
「シンちゃん?」
 大柄なシンタローに比べると華奢なグンマの体は、軽々と抱き起こされる。想像よりも色々と言いたそうだ顔を正面から眺めて、グンマの喉の奥にも言葉が引っ込んでいった。
 シンタローが、顔を歪めている。なんて顔だろうと思う間に、そのまま体をぎゅうと抱きつぶされていた。シンタローは、何も言わない。グンマはそっと太い首に顔を埋めた。汗臭いな、と少し笑う。
「おかえり、シンちゃん」





RRR
RR
RRR



 通信端末のショップで、それぞれの機器の着信音を鳴らして回っているグンマに、たまらずシンタローが顔をしかめた。
「お前完全にただ遊んでんだろ」
「いや〜遊んではないよ?」
 機器の出来は音の出方によってもだね、とかなんとかグンマが言う間にシンタローはグンマから視線を外して他の端末を見るために移動している。
「あれだな、お前はこれでいいんじゃねえ?」
 指し示されたのは、明らかに幼児向けのいわゆる「あんしんケータイ」なるものだ。ほう、とグンマは顎に手を添えてシンタローの顔を見上げた。
「GPS機能付きなんて、高松じゃないんだから。シンちゃんまでやめてよ〜」
「はあ? お前いつまで経ってもオコサマなんだから、なんなら迷子紐でもつけてたらどーだ?」
「だからやめてってばも〜」
 罵声も暖簾に腕押しというグンマの様子にシンタローも諦めたように適当な端末を手に取り始める。
 あれから、グンマはとくにシンタローから抱きしめられたことはない。特別な言葉を言われるようなこともない。ただ、傍にいることは増えたような気がする。
 これで前に進んでいるのかは知らないけれど、変わらないように見えて、何も変わらないわけではない。
 そう思えば、いつかキンタローやコタローともこんなふうに端末を選ぶ日が来るのかもしれない。きっといつまでも悲しみや苛立ちを闇雲に受け止めてばかりもいられない。ときには柔らかな空気を微睡む様に貪って、その日を待つような気持ちに浸るのもいい。
「おい、グンマ」
 シンタローがグンマを呼んだ。
 はあい、とグンマが間延びした声でそれを受け止めた。
 



21st.Mar.2018

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