───ライブ当日。

 会場となる天空門ホールへ開演の数時間前に入ったミハエルたちは、パフォーマンスの段取りの確認を終えて、ステージ裏で雑談をしながら時間を潰していた。
 このホールから出るわけにもいかず、かといってEX-ギアに着替えるのは早すぎる。そんな中途半端な時間なのだ。
 そんな中、ただ一人メカニックとして強制的に連れ込まれたセシルは、どんよりと濁った目で虚空に視線を投じていた。

「……なあ、ルカ・アンジェローニ……」

「なんですか?」

「俺……帰っちゃダメかな……」

 生気のない声で発された問いは、これでもう何回目だろうか。

「ダメですよ。ミシェル先輩に『俺達が撤収するまで待機』って言われてたじゃないですか。僕の独断では帰せません」

「アクロバット飛行が終わっても、しばらくはカメラ代わりにライブ中継やるんだろ……? 真面目に死ぬぞ俺は……」

 そこまで言うなら適当な理由付けてサボれば良かったのに、と言いそうになって、ルカはその言葉を呑み込んだ。
 セシルにとって最悪と言っても過言ではない環境だが、それでもこれは彼の中では『仕事』のひとつなのだ。たとえ押し付けられたものであっても、それが『仕事』であればセシルは途中で放り出すことはしない。最後まで完璧にこなそうとする。口では散々に文句を言いつつも、だ。
 それがわかっているから、おそらくミハエルもこのアルバイトを手伝わせたのだろう。セシルにしてみれば災難以外の何物でもないだろうが。

「……ライブ会場なんてただの凶器だ……わざとやってるだろあの色ボケ野郎……」

 少し離れた所で女性を口説いている真っ最中のミハエルを恨みがましい目で睨むセシルに、ルカは同情混じりの苦笑を返すしかない。

「よくやりますよね、ミシェル先輩。どういう神経してるんだか」

「知るか。興味もないね。そういうのは、そこの歌舞伎上がりに訊けよ」

 そう言ってセシルが一瞥したのは長い髪を結い上げた少年だった。会話が聞こえたのか、彼はセシルを睨みつける。
 その険のある視線を気にも止めず……というより興味もなさそうにセシルはそっぽを向いた。

「アルト先輩はこんな所でも落ち着いてますよね。やっぱりお家が『ああ』だとこういう雰囲気には慣れっこで……」

「…っ!」

 ルカがそう言った次の瞬間、少年の───早乙女アルトの眉が吊り上がった。しまった、という顔になったルカが数歩後ずさる。
 アルトの実家はフロンティアでも有名な歌舞伎の名門なのだが、それに触れるような話をアルトは極端に嫌っているのだ。

「ルカ……今度言ったら…!」

 低く唸りながらアルトがルカに詰め寄った時、彼ら同様にステージの裏手で会場準備を進めていたスタッフの動きが僅かに乱れた。

「……?」

「主賓のお出ましらしいな」

 その気配に気づいたアルトたちが動きを止めてざわめきの中心となっている方向を見るのと同時に、セシルが呟いた。
 たった今到着したのだろう、そこにいたのは『銀河の妖精』だった。
 天空門ホールの責任者らしきスーツを着た男性やスタッフと軽い挨拶を交わしていたシェリル・ノームは、離れた所にいたセシルたちに気づいて微笑みながら会釈をする。

「わあ……シェリル・ノームですよ…!」

「良い女だねえ。ほら、見ろよセシル。生じゃ滅多に拝めない『銀河の妖精』サマだぞ」

「お前いつの間に……。興味ないって言ってるだろ。大体、俺は生身(ウェット)には……、」

 ナンパから戻ってきたミハエルに脇腹を小突かれ、嫌そうにシェリルを見遣ったセシルの声が途切れた。

「? どうした?」

 首を傾げたミハエルがそう尋ねるが、セシルは返事をしない。その代わりにたった一言、吐息とともに囁かれた言葉がミハエルの鼓膜を振るわせた。



     、、、、、
「………素晴らしい……」



 その瞬間、まずい、と条件反射でミハエルは思った。知り合ってから一年と数ヶ月、コイツがこんな風に喋る時は大抵ろくなことがない。

「セシル、ちょっと待っ……」

 肩を掴もうと伸ばした手をすり抜けるように、それまで硬直していたセシルが動いた。
 つかつかと、迷いのない足取りでフロンティアに来艦した歌姫の元へ向かって行く。

「お、おい! セシル!」

 慌てて声をかけるも、止まる気配は微塵も感じられない。

「せ、先輩……」

「くそ、あの調子じゃ聞こえてないな」

 何か思い当たる節があったのか、「ちょっとこれまずいんじゃ……」と青ざめるルカに頷いて、ミハエルはセシルを足早に追う。
 そしてセシルはミハエルの予想通り、ただ一点を除いたすべてをシャットアウトしていた。ミハエルの制止も、戸惑ったような男たちの姿も、シェリルに付き添っていた軍人らしき女性の険のある声も、関心の無いものは例外なくだ。


 彼が見ていたのものは、たったひとつ。


 邪魔な人の壁を押しのけ、ついにシェリル・ノームの前に出て来たセシルは、警戒を露わにする歌姫に構わず手を伸ばす。
 衣服越しに感じる女性的なラインの肩をがっと掴み、これ以上ないほど真剣な顔と声で重々しく言った。


「俺に……、俺に解体させてくれないか?」





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