週が明けて月曜日。学校の近くでももえとジュンコと会ったわらしは、揃って歩き始めた。二日ぶりの会話に花が咲く。
「そういえば聞きました? 先週、一年生の女子生徒が校内で倒れているのが発見されたのですって」 「え、初耳。金曜日?」 「えぇ。学校に救急車まで来て運ばれていったみたいですわ」 「どうしたのかしらね。大丈夫かしら」 「最近暑くなってきたし、熱中症かな?」
相変わらず情報通なももえの話に、わらしはジュンコと顔を合わせる。 確かに5月に入って気温は急上昇、紫外線の量も一気に増えたと感じるこの頃。わらしは忘れずに日焼け止めを塗っているが、もう少ししたら日傘も必要かもしれない。 そんな感じで話をしながら校門をくぐると、わらしたちの横を通りすぎる遊作の姿を見付けた。あ、と声にならない声で呟く。その背中にはまだ精霊の姿はない。
(声を掛けたいけど、迷惑かな……何かあまり良く思われてないかもしれないし)
しかしそのままその背中を見送ってしまうのは何故か躊躇われて、わらしは口を開いた。遊作に届くよう、少し大きめの声を出して。
「おはよう、遊作くん!」 「!」
遊作はわらしの声に一瞬驚いたようだったが、振り替えってわらしの姿を認めると、少し遅れて「あぁ…」とだけ返事をした。そしてすぐに前を向いてしまう。それだけで十分だった。
「わらし、今の一年生知り合い?」
遊作の姿が少し離れたところで、ジュンコが尋ねた。
「うん…友達、かな。私が一方的にそう思ってるだけかもしれないけど」 「あら、そうなのですか? 確かに先程の返事は随分と素っ気ない感じでしたけれど」 「うーん、彼少し人見知りするところがあるから。でも、優しいよ。私が困ってた時に助けてくれたもん」 「へー。イイ奴じゃない」
何となく、遊作との関係を二人に説明しがたかったが、ももえとジュンコは訝しむ様子もなく、わらしの話に耳を傾けていた。
一方で、遊作はわらしに話し掛けられたことで内心動揺をしていた。 先週、校内で迷っていたわらしを助けたとはいえ、その態度は良くなかったと自覚している。そんな自分の性格を鬱陶しがって、二度と声を掛けられることはないと思っていたからだ。それも、友人たちのいる前で。
(屋敷わらし……変わったひとだな。俺みたいな奴にわざわざ声をかけるなんて)
彼女はきっと遊作が思う以上に優しいのだろうと、少しだけ心に暖かさを感じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(どうしてっ…こんなことに…!)
放課後の校舎を駆け抜ける。背後から、わらしの名前を呼ぶ男たちの声が廊下全体に響き渡っていた。
「屋敷さん!」 「待ってください! ちょっと話を聞いてくれるだけで良いんで!!」 「お願いします!」 「できれば俺とメアド交換してください!!」 「おい、抜け駆けは許さないぞ!」
「絶対…待たないからー!」
何人もの男たちに追いかけられながら走り続けるわらし。すれ違う生徒たちが何だ何だとその様子を見ている。わざわざ教室の外にまで顔を出してくる野次馬までいた。
「屋敷さーん!」 「待ってくださーい!!」
「っもう、スカート走りにくい…!」
自慢の駿足で逃げ切ってしまいたいわらしであったが、スカートの中身を気にして全力で走れない。さらには、今は何とか一定距離が保たれているものの、多勢に無勢である。もし挟み撃ちでもされたら逃げられない。 奇異の眼差しを向けられる羞恥心に耐えながら、とっとと学外に出てしまうのが無難だろう。 そう思って走っているのだが、実は今どこを走っているのかわかっていない。一週間で必要な教室とそのルートは何とか覚えたのだが、まさか校舎を縦横無尽に駆け巡ることになるとは思っておらず、既に頭の中の地図は消失していた。 そもそも、何故自分がこのように追いかけられなければならないのかと、わらしは全力で叫びたい気分だった。
(ファンクラブなんて、何で私にそんなものができるのよ…! おまけに「公認にしたいから説明会に来てください」って…ありえないから! 何で私がそんな集団と一緒に活動しなきゃいけないの! 訳が分からない!)
「屋敷さん、さすが駿足…!」 「しかし絶対話を聞いてもらいますよ! お前らもっと頑張れ!」 「「「「おう!!」」」」
『わらし、こっち行った方が良い』 「っ了解…!」
ラーイのナビゲートでわらしは男子生徒たちから逃げ続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
教室で帰り支度をしていた遊作の耳に、クラスメイトの会話が耳に入ってきた。知らん顔で聞き耳を立てる。
「おい聞いたか。なんか今屋敷先輩とファンクラブがおっかけっこしてるらしいぜ」 「おっかけっこぉ? 何でまた…つーか屋敷先輩って、確か二年に転校してきたあの美人の先輩だよな? ファンクラブあったのか」 「出来立てホヤホヤだとさ。で、ちゃんと公認にしたいから、屋敷先輩に直談判しに行って…屋敷先輩は断った、と。だけどファンクラブのメンバーたちは諦めきれなくて」 「あー、なるほど。それでおっかけっこか」
(……。あの人が追いかけられてる?)
ふと教科書を鞄に入れる手が止まった。他人のことならいざ知らず、わらしのことは一応知らない仲でもない。何となく気にかけてしまう自分がいる。
『えー! あの子が追いかけられてるって、ソレ一大事じゃん! 助けに行かないと!』
Aiはクラスメイトの会話を聞いて騒ぎ立てた。どうやらわらしのことは初対面からお気に入りらしい。
(…だが、俺には関係ないことだ)
結局、いつも通り目立たず干渉せず過ごそうと、反対するAiを黙らせて遊作は教室から出ようとした。そこにたまたま、クラスメイトで、先日部活仲間にもなった島が通りかかって、帰ろうとする遊作に声をかけた。
「藤木、聞いたか? 屋敷先輩の噂。ずっと校内逃げ回ってるらしいぜ」 「そうだな」 「そうだなって…お前ってほんっと何にも興味なさそうだよな。つーか、もしかして屋敷先輩のことも知らないんじゃないか?」 「…そうだな」 「やっぱり!」
島の話に付き合うのが面倒臭くて、遊作は適当な返事をした。すると島は何も知らない遊作の為に、わらしがいかに美人で人気がある転校生なのかを、あれこれと説明し始めた。好きな食べ物、得意な教科、ヘアスタイル、身長、推定スリーサイズなど…。 その内容に、遊作も少し引きぎみに感心した。
「お前、どこでそんな情報を手に入れたんだ…」 「屋敷先輩のファンクラブだよ。何を隠そう、この俺もメンバーなんだぜ!」
そう言って遊作の前に掲げた会員証には、一桁台の会員ナンバーが載っていた。
『うわぁ…』 「………………」
Aiはドン引き。遊作も言葉がなかった。
「……そうか」 「そうそう。って、これ見て何か言うことないのかよ!」 「別にないな」 「なっ…!」
島は素っ気ない遊作に食い下がろうとしたが、すぐに諦めてお手上げのポーズをした。
「はぁ、お前ってほんと、そういう奴だよな。別にいいけど」 「それはどうも」 「いや褒めてないからな」
遊作の言葉にツッコミつつ、島は会員カードをしまった。 島の話が終わったので、改めて帰ろうとする。
「じゃぁな」 「あ、おい待てよ! 藤木、気になんねぇのか? 屋敷先輩のこと」 「……その先輩は足が速いんだろう? 逃げられて終わりだと思うが」 「ちっちっち、それがそうもいかねーんだな」 「何?」 「ファンクラブのメンバー何人かで、この後挟み撃ちにすることになってんだ。屋敷先輩が疲れて足が止まった頃にな。当然、俺もその場に行くことになっている」 「………」 「藤木もファンクラブに入りたかったら、俺に声をかけてくれよな。取りなしてやるから」
おっともう行かねーと、と言って島は先に教室から出て行ってしまった。
「…………」 『おいおいおいおい、これわらしちゃんピンチじゃね? どーすんだよ遊作! このまま放っとくのかよ!?』 「…うるさい、黙れ」
先程よりギャンギャン騒ぎ立てるAiを無視して、遊作はついに動き出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「屋敷さーん!」 「と、止まって……、お願いしまっ…」
わらしとファンクラブの鬼ごっこが始まってどの位が経っただろうか。校舎内に残っている生徒は大分減り、野次馬も減った。けれど肝心なメンバーが諦めてくれないので、わらしは足を止める訳にはいかなかった。 ラーイが階段を指差す。
『わらし、この先の階段で一階まで降りちゃおう』 「うんっ」
現在位置は四階。一階まで降りて、校舎を出てしまえば校門まで一直線だ。学校さえ出てしまえば、さすがの彼らだって追い掛けるのを止めるだろう。 わらしは階段に向かって廊下を走る。角を曲がって、直線上にある階段へ……その階段で罠が待っているとも知らずに。 しかし、いくつかの教室を通りすぎた時、誰かがわらしの腕を掴んだ。
「!?」
驚く間もなく引っ張られ、強引に腕が伸びてきた教室へと連れ込まれる。そこは照明が切られた空き教室で、すぐに扉が閉ざされる。引っ張られた勢いを殺せずに、わらしはその腕の持ち主の胸元に飛び込む形になった。
「や、何す…!」 「静かに。すぐ済む」 「!」
頭上から聞こえてきた声に、わらしはすぐに遊作だと気付いた。広い胸板に頬が触れる。 一体何故、遊作がここに。どうしてこんなことを。 混乱するわらしをよそに、わらしを腕の中に抱いた遊作は外の様子を気にしている。 ややあって、先程のメンバーたちの「どこに行った!?」「おかしい、こっちには来てないぞ!?」「上手く誘導したはずだったのに!」と慌てる声が聞こえてきて、わらしはそこで初めて自分が罠に嵌められるところだったことを知った。 怖くなって、思わず身をちぢこめる。遊作の手が優しく背を撫でた。
「遊作くん…助けてくれたんだ」 「…偶然だ。あんたが目の前を走っていたから」 「うん…。偶然でも良い、ありがとう。ちょっと本当に困ってたから、嬉しい」
そう言って、安堵からか、わらしは遊作に身を預けるように全身から力を抜いた。ラーイが一緒だったとはいえ、緊張が絶えなかったのだ。これ以上安心できる場所はない。 けれど同時に、いつまでここにいられるのかという不安も生まれた。
「…ね、遊作くん。ここすぐにバレない? 大丈夫かな」 「デュエル部の部室だからそうそう入っては来ないだろう」 「あ、ここが…。でも、そしたら私たちが勝手に入っちゃうのも、いいのかなぁ。今は緊急事態だから、居させてもらいたいけど…」 「俺がいるから問題ない。俺もデュエル部の部員だ」 「へ?」
遊作の言葉に、間抜けな声を出して顔を見上げる。遊作はちょっときまずそうに視線をそらしている。
「でも、遊作くん、前にどこの部にも入ってないって…」 「…。色々あって、入部することになった。あんたに会った後のことだ」 「そうだったんだ…」
わらしは納得した様子だった。しかし少し残念な気持ちも抱いていた。よりによって、デュエル部か…と。 けれど助けられたことは事実なので、今は気にしないことにした。 廊下では未だにメンバー達の慌てふためく声が響いていたが、その後すぐに、今度は教師の怒鳴る声が聞こえてきて、彼らは連行されたようだ。この鬼ごっこにもようやく終わりが訪れた。
「行ったか…」
遊作がわらしの体を離し、そこでわらしは今までの体勢を思い出して急に恥ずかしくなった。けれどその腕が離された時、そこにあった確かな安心感と、遊作に対する不思議な感覚を手離し難くて、引き止めずにはいられなかった。 遊作のネクタイを引っ張り、互いの顔を寄せる。
「待って」 「!?」
遊作が驚愕の表情を浮かべる。
「あの、あのね…。こんなこと言うの自分でも変だと思うんだけど、私、前から遊作くんのこと知ってるような気がするの。私たち、前にどこかで会ったことがない?」 「……。思い違いだろう」
否定の言葉が返ってくる。
「でも、この瞳……どこかで…」 「何を…」
至近距離で瞳を覗き込む。 エメラルドグリーンの双眸にはわらしが映っている。不思議なことに、わらしはそのことで安心感と満ち足りた幸福感を得ていた。まるで、こうあることが当然のように。
(優しい色。この瞳に見つめられているのが、凄く嬉しい…)
両者の顔がさらに近付き、呼吸が触れあう程傍に来た時、愚かにもわらしはその先を望んでしまった。それが何を意味するのかを考えずに。この感情がどういうものなのかもわからずに。 ただ、感情の赴くまま。ほんの僅かに踵を浮かせるだけで、二人の距離はゼロになった。
(−−−、)
この瞬間、わらしは確かに満ち足りていた。ーーーが。
「っ、」
唐突に。わらしの体は遊作から引き離された。そうしたのは、他ならぬ遊作自身だった。
「あんた、今何を…」 「え…」
驚愕と羞恥心を露にしている遊作を前にして、ようやくわらしは正気を取り戻した。かっと感情が沸き上がる。遊作以上に顔に熱が回った。
「ご、ごめんなさい!」 「、」 「私、どうかしてる…こんな、こんなつもりじゃ……」
わなわなと唇を震わせ、必死に謝罪の言葉を述べるも遊作は目を合わせられない。 やがて遊作が「もういい…、」と言い出した時には限界で、わらしは謝りながら教室を飛び出してしまった。羞恥心に耐えられず、一刻も速く遊作から離れたかった。
「本当にごめんなさい…っ!」
口元を押さえて出て行ったわらしの瞳は潤んで、大粒の涙が今にも零れ落ちそうだった。 しかし遊作はそんなわらしの表情をすれ違い様に見送るのが精一杯で、一人残された部室で触れてしまった唇を覆う。わらしは何故あんなことを…。 羞恥心と混乱、そして多少の興奮が遊作の中で渦巻き、それを鎮めるには多大な努力が必要であることは明白だった。 遊作をからかうことを楽しみにしているAiでさえも、今回ばかりは声を掛けることはできなかった。
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