――オルフェウス号の呪いが解かれ、人々の魂が解放された今。
残された問題は、如何にして元の世界に戻るかということである。が…
「……ところで、俺たちは一体いつまでこの状態が続くんだ?」 「…え?」
遊作の問いかけにわらしの意識が現実に戻る。辺りを見回せば、雲一つなく続く真っ青な空と、下は無限の大海原。どこにも陸は見えず、落ちたら助かりそうもない。
「……えっと?」 「考えたくもないが、ずっとこのままこの場所に居続けることになったら…」 「そ、それは困るよね。何とか帰る方法を探さなきゃ…」
とはいえ、今の二人に何が出来るというのか。そうこうしているうちに、二人を包む光の粒子が消えて行き、それまで守っていた力が無くなってしまった。 あ、と思う間もなく、二人の体は重力を受けて鉛直運動を開始する…。
「なっ…」 「っひゃぁ…!」
多少の空気抵抗を受けながらも海面に向かって一直線に落下していく遊作とわらしの体。 思わずギュッと身を寄せ合うと、次の瞬間カッと強い光と共に鉛直上向きの力が掛かり、二人の体は再び空中に静止した。「うぇっ」とわらしが情けない声を上げた。 落下距離は半分程だろうか。遊作が見上げれば、わらしのリュックサックをラーイが小さな爪で必死に掴んで飛んでいた。
「お前…」 「な、何…ちょ、苦しいんだけど……何が…」 『大人しくしててよ、二人とも重いんだから』 「その声…ラーイ!?」
久しぶりに聞いた相棒の声に、わらしの口からは驚愕と歓喜の声が漏れる。彼女は背後の姿を確認できないまま、矢継ぎ早に質問をした。
「大丈夫なの?」 『あの船が消えたからかな。急に力が戻ってきたんだ』 「良かった…!」 『とはいえ、早々楽観視もできないよ』 「え?」 『ボク一人じゃ、二人を支えているのが限界だからね……結構まずいかも』
その言葉通りに、二人と一匹は次第に高度を落としていく。自然落下は免れたものの、これではいつ大海原に放り出されるかわからない。
「ちょっと、頑張ってよ!」 『そうは言っても、この状態で二人同時には…』 「ラーイ!」 「頑張れ、ライトニング」
遊作とわらしの励ましを受けてラーイは小さな羽を必死に動かす。だが所詮は子征竜。完全体と違って、使える力はそこまで大きくはない。 海面に向かって蛇行しながら飛行を繰り返しているラーイは『…今のボクにはこれが精一杯だよ』と声を漏らした。そこに突風が吹き、体が浮く。
「っ、」 「きゃ――」 『!』
唐突に。二人の体は垂直抗力を受け、衝撃を感じた。冷たい水の中ではない。温かく脈動する何かの上にいる。 恐る恐る目を開ければ、そこには赤くゴツゴツした分厚い皮膚に覆われた一匹のドラゴンの姿があった。遊作とわらしを背中に乗せ、大きく逞しい羽で力強く空を飛んでいる。海面はあっという間に遠くなった。
「え、っと…?」 『いやぁ、久し振りですねぇ、わらしさん。間に合って良かったです!』 「その声……ブラスター?」 『そうですよ、私です』
戸惑うわらしの声に、《焔征竜−ブラスター》が頭だけを二人に向け、にっこりと笑った。
「ブラスター…お前も征竜か」 『えぇ。初めまして、藤木遊作くん。わらしさんの今のパートナーはライトニングですがねぇ、一応私もライトニング同様わらしさんとの繋がりがあるんですよ』
その台詞に、遊作の脳裏にはかつてのラーイの言葉が蘇る。征竜はわらしを監視しながら正しい方向へと導く存在。わらし自身にその自覚はないが、征竜はいつだってわらしのことを見ていた。例えどんな世界にいたとしても、それが本当にわらしの為になるとは確信できなくとも。
「……助けて貰ったことには礼を言う」
素直ではない遊作の言葉をブラスターは気にした様子もなく、二人を背に遊覧飛行を続けながら隣を泳ぐラーイを気遣った。
『お疲れ様です、ライトニング。ここまでよく頑張ってくれました』 『……別にボクは何もしていないよ。全部わらしと遊作がやったことだ』 『いえいえ、あなたの導きがあったからこそ、ですよ。ともかく、これで長い旅も終わりました。ようやくお二人を元の世界に戻せます』 『……。っていうか、そもそも何でボクたちがこんな世界に飛ばされたの? 原因は? そうだ、《暗闇を吸い込むマジック・ミラー》…あいつのせいで…』 『そうですねぇ。それについては、まぁ、彼女に説明してもらった方が早いでしょう』 『え?』
ラーイが首を傾げると、ややあってブラスターの頭上に魔法陣が現れ、そこから一人の魔道法士が飛び出してきた。ちょうど羽の付け根あたりに着地し、遊作とわらしを前に長い髪をなびかせる。 突然現れたジュノンの姿に、二人はまたもや目を見張った。
「ジュノン!」
わらしの声に魔導書を携えたジュノンは軽く目礼し、静かに言葉を紡いだ。
『数日ぶりですね、わらし、遊作。…ライトニング』 「あぁ。…だが何故あんたがここに?」 『そうだよ、このタイミングでオマエが現れるってことは、やっぱりオマエたち魔導が原因だったってことだよね?』 「ちょっと、ラーイ…」 『前にも言いましたが、あなたたちがこの世界に飛ばされた件に関して、私に直接的な関与はありませんよ。ただ、あなたたちが来て都合が良かったことはあります』 『はぁ?』
相変わらずジュノンに対して喧嘩腰のラーイをなだめつつ、わらしは「どういうこと?」と聞き返した。ジュノンが目配せすると、彼女の背後に隠れていたものが現れる。それは、手に持つには少し大きいサイズの、不気味な装飾が施された鏡だった。それを見て二人と一匹が「あ!」と声を上げる。
『《暗闇を吸い込むマジック・ミラー》!』 「俺たちをこの世界へと飛ばした…」 「それが、何でここに?」
遊作たちが矢継ぎ早に質問を繰り返すと、マジック・ミラーは困ったようにあたふたと震えてジュノンの影に隠れてしまった。それを見たジュノンが代わりに話を進める。
『あなたたちを直接この世界に呼んだのは、間違いなく彼ですよ』 「それはどうして…」 『…あの船の呪いを解いたあなたたちにはもう、わかっていますね。船に囚われた人々の魂と、それを食らおうとする邪悪な力の存在を』 「……あぁ」
赤い石の存在を思い出しながら遊作が頷いた。
『あの船の魂は、そこに囚われた人々の魂ごと、いずれ解放されるはずでした。ヘンリーという男の息子、リチャードによって』 「!」 『けれどその男は選択を誤り、船は呪われたまま永遠の航海へと旅立つことになってしまったのです。果てしなく、終わりのない旅へと…』 「選択…。そういえば、ヘンリーさんが選択がどうのって言ってた気が…」 『えぇ。本来、リチャードが選択を誤らなければ呪いは解け、彼らの魂もずっと船に縛られることはなかったのです。ところがリチャードは死に、船の呪いを解く者はいなくなりました。終わらない悪夢に魂は嘆き続けます。その声を、《暗闇を吸い込むマジック・ミラー》はずっと聞いていました。…彼は元々その船に住み着いていたのです』 「え…!」 『人々の魂の叫びを聞き続けた彼は、何とかして船の魂を解放してあげたいと思っていました。けれど私たち精霊が直接手を下せる程にはこの世界への干渉は弱く、船の呪いもまた、私たちの力を弱めていました。そこで彼は、どうにかして船の呪いを解くことのできる人間を探したのです。精霊との繋がりが強く、呪いの影響を受けない、リチャードに代わる存在……それがわらしでした』 「私…?」 『えぇ。彼は以前、精霊たちの噂で聞いたことがあったようです。今は数少ない、精霊と繋がることのできる人間であるわらしのことを。わらし、あなたは昔から色々な精霊と関わりがありますね』 「えっと……そうだね、ドラゴン族が一番多いけど」 『ドラゴン族にも闇属性は多いものです。そこから精霊界にあなたの話が広まっているのでしょう。彼はモンスターカードではありませんが、鏡ですからね。話の出どころは沢山あるでしょう』 「つまり、マジック・ミラーは私のことを知ってて、それで私たちがこの世界に…?」 『えぇ。遊作は最初あなたの付属品扱いだったのでしょうが、結果的には一緒で良かったのでしょうね。性別が同じ遊作の方がリチャードの成り代わりとしては都合が良く、何よりライトニングのいないわらしのストッパー役になっていたようですから』 「う…」
ジュノンにまで軽薄な行動の数々を見透かされているような気になって、わらしは言葉が出なかった。苦し紛れに「事情はわかったから、私のことは良いとしても…遊作くんを巻き込むのはやめて欲しいよ」と呟いたところ、マジック・ミラーがわらしの前に出て必死に鏡を倒したり上げたりしていた。まるで人間が頭を下げているようである。
『…悪かった、と彼も謝っています。許してあげてください』 「それは…別に、許さないって言ってる訳じゃないけど…」 『それに、わらしと遊作がセットでこの世界に来たことは、私にとってもある意味好都合でした』 「うん…?」
わらしが首を傾げると、ジュノンは穏やかな表情で彼女を見据えていた。
「さっきもそんなようなこと言ってたけど、それってどういうこと?」 『あなたたちがこの世界に来て、船の呪いを解くこと……それ自体にまた、意味があったということです』 「?」 「何を言っているんだ…?」
ラーイたちが不思議そうな顔をしている一方で、ジュノンはわらしに向けて腕を伸ばした。すると、リュックサックに入っていたはずの彗星の本が飛び出し、宙を浮いてジュノンの手に納まる。
「あ、それ…!」
ジュノンの手の中で本は淡い光を放ちながら粒子に分解されていく。ポロポロと原形を無くしていく不思議な光景に一同がポカンとなる中、ジュノンは最後掌に残った一枚の羊皮紙をわらしに手渡し、静かに言った。
『これを』 「何これ…どこの言葉…?」 『――昔、ある方からあなたに渡して欲しいと頼まれたのです』 「ある方?」
わらしは聞き返すが、ジュノンは薄く微笑むだけで答えない。どうやらその人物については答える気がないようだ。 本から生み出された、否、本来の姿を取り戻したそれには、数行の短い文章が書かれていた。しかし残念ながらわらしの知っている言語ではなく、横から覗いた遊作もまた顔をしかめていた。
「何て書いてあるんだ…?」 『…読めるかどうかは重要ではありません。それを、あなたが手にすることが重要なのです』 「どういう…」
わらしが質問を投げかけようとした時、与えられた羊皮紙はポッと青白い炎をあげて手から離れた。
「きゃっ!」 「!」 『わらし!』
そのまま跡形もなく消えてゆく羊皮紙。
「な、何? 今のは…」
突然のことに狼狽するわらしに、ジュノンは『心配ありません。役目を終えただけです』と宥める。
『この世界に来て私が手に入れたかったもの…それがあれです』 「今のが…?」 『結局それは、あなた自身の手で得ることになった。私は最後の手助けをしただけ。きっと、最初から私の手はほとんど必要なかったということでしょうね』 「ジュノン? 何を言っているの…?」
わらしの問いかけに、ジュノンは返事をしない。ただ、ラーイだけが難しい表情で『それがオマエの役目だったってこと?』と呟いた。
『そうですね…これが、私に課せられた運命でした』 『じゃぁ、もう用はないよね。さっさと魔法界にでも帰りなよ』 『そう邪険にしなくても、そうしますよ。…わらし』 「うん?」 『私はこれでお別れですが、私の力が必要な時はいつでも頼ってくださいね。レベル3ではどうしようもないことでも、レベル7だったら何とかなることがありますので』 「あ、うん」 『ちょっと! 馬鹿にしないでよね! ボクだってなろうと思えばレベル7になれるんだから…、わらしも返事しないで!』
ジュノンの台詞にラーイが必死になって抗議している様子をブラスターが『ライトニングは相変わらずジュノンさんのことが苦手なんですねぇ』と呑気に呟いていたが、遊作はブラスターはブラスターで達観し過ぎている気がしなくもなかった。わらしは笑っている。
『それでは』 「うん。またね、元気で」 『えぇ。……どうか、大局を見失わずに』 「え?」 『あなたは、中心ですよ』
その言葉を最後に、ジュノンはマジック・ミラーと共に魔法陣の中に消えて行った。
「ジュノンの……最後の言葉は何だったんだろう」
首を傾げるわらしに、遊作は「さぁな」と返した。ラーイは無言を貫いている。
「ところで、真相がはっきりしたところで、どうやって元の世界に戻るんだ? まさかこのままずっと海の上を飛んでいる訳じゃないだろうな…」 『あぁ、そこはご心配なく! ちゃんと迎えが来てますよ。えっと、そろそろ……あっ見えて来ましたね! あれです、あれ』 「あれ…?」
ブラスターの進行方向を見据えれば、奥の方に何やら空飛ぶ船のようなものが見えた。次第にはっきりしてくるそれは、船と呼ぶには生物的で、生き物と呼ぶには随分と見た目が毒々しい。赤いボディと鋭い爪を持った恐竜の仲間のようである。
「あれは…」 『《異次元の狂獣》さんと、そのトレーナーさんです!』 「それって…」 「……《異次元トレーナー》だな」
闇属性悪魔族、レベル1の通常モンスターである。攻撃力はたったの100だが防御力が2000と高めなのが救いか。不気味な生物の上に手綱を持ったゴブリンが乗っかっている。 その姿を間近に見たわらしは、やや引きつった顔で「他に適任はいなかったの…?」と呟いた。遊作も同意している。
「せめて《亜空間物質転送装置》でもあったら良かったんだかな…」 『あぁ、あれは人数制限があってお二人を運ぶことはできないんですよ〜』 「そうか…」 『大丈夫ですよ、あぁ見えてあの人たちはプロですからね!』 「あ、安全運転でお願いね…」 『もちろんですよ!』 『………』
ブラスターとの会話をラーイがやれやれ、と言った目で見ている。彼にとっては帰りの手段などもはやどうでも良い部類に入るのだろう。 ブラスターは《異次元トレーナー》の前に二人を着けると、背中から彼らを引き渡し、バッサバッサと羽をはためかせながら最後の挨拶をした。
『それではお二人とも、お元気で』 「ありがとう、ブラスター」 「世話になった」 『またお二人と会える日を楽しみにしていますよ。残念ながら私はお二人の世界では中々力が奮えないのですが。その分、ライトニングがいますからね。ライトニング、頼みましたよ』 『……わかってるよ、もう』
征竜の中でも最も力の強いブラスターに念を押され、ラーイは面倒臭そうに返事をした。ブラスターは『全く、あなたと来たら…』と少々呆れているようだが、彼にとってもいつものことである。 挨拶が終わると、トレーナーのゴブリンがキィッと一声上げ、そのまま亜空間に突入した。長い間眺めていた海が消え、ブラスターの姿が見えなくなった。わらしは少し寂しい気持ちになったが、隣にいる遊作と身を寄せて今までの思い出を振り返る。 この世界に飛ばされた日のこと。列車に乗って、クレアと会った。初めてオルフェウス号に乗った時は、亡霊に襲われて怖い目にもあった。それから、色々な人の人生に関わって、それで…。 結局、誰として生かして救うことはできなかったけれど、その魂は救うことができた。クレアから貰ったオルゴールはその証。船で過ごした日々のことは決して忘れない。
(さよなら、船で出会った人たち…)
『えぇ、何なのそれ。どうにかならないの?』
無言のまま、それぞれがここ数日の思い出に浸っていると、トレーナーのゴブリンと話をしていたラーイが迷惑そうな声を上げた。
「どうしたの? ラーイ」 「問題でもあったのか」
途端に焦り出した遊作とわらしに、ラーイは表情を曇らせる。最後の最後で、何かあったのだろうか。
『いや、問題っていうか…そこまで大した話じゃないんだけど』 「?」 『次元を超えた影響で、元の世界を離れた時間には戻れないみたいなんだ。ちょっとズレが生じるって』 「ズレってどれくらい?」 『ゴブリンの話じゃ、せいぜい数時間だってことだけど…』 「数時間」 「それって早く着いちゃうってこと? それとも遅く?」 『ちょっと待って。……。あぁ、ボクたちが現実世界を離れてから数時間後ってことみたい』 「そっかぁ。微妙なところだよね。飛行機は確か最終便だから、ギリギリいけそうな気がするけど…パレード始まっちゃってるかな」 「それより、荷物を預けているロッカーの場所を覚えているか? そっちの方が曖昧だ」 「あ、そうだよね。もう何日も経っちゃってるから…」
『キィ、キィ』 「え、何だって?」 『もうすぐ着くよって』 「も、もう?」 『ボクたちが離れたあたりで落としてくれるから、気を付けろって』 「待て。降ろす、ではなく、“落とす”と言ったか…?」 『キィィッ!』
ゴブリンの掛け声と共に二人と一匹は狂獣の背中から勢い良く振り落とされた。
「ちょ、わ……!」 「っ、わらし…!」
咄嗟にわらしの体を抱えて亜空間の終わりに飛び込む遊作。すぐに重力の影響を受け、着地した衝撃が襲う。上手く足を付けなかったわらしは尻もちをついていた。ラーイは実体化が解けていたので影響は受けていない。
「いたたたた…」 「平気か」 「何とか…」 「……ライトニングの姿は見えない。ここは現実世界で間違いないな」 「あ、そういえば。…ラーイ?」
わらしが呼びかければ、薄暗い空間の中にうっそりとラーイの姿が浮かび上がる。わらしの目には確かにラーイが見えているが、遊作には実体化していない姿を認識することはできない。 「そこにいるのか?」という問いに「うん、ちゃんとここにいるよ」と返して確認は終わった。
「良かった。これでようやく……ようやく戻ってこれたんだね! 私たちの世界に…!」
感動して抱き着けば、遊作もまたわらしの背中を擦って同意した。
「あぁ。長かったな…」 「うん…。っていうか、ここ、もしかしてホラーハウスの中かな。暗いから全然周りが見えないし、時間も確認できないよ。時計はズレちゃってるだろうし…」 「一度外に出よう。……平気か?」 「え?」 「怖いの苦手だろ?」 「うーん、それはそうなんだけど…、ね」
遊作の腕から離れて、わらしは苦笑した。
「さすがに何日もあんなことがあって……あれ以上怖いことは、ない、と思うよ」 「そうか」 「うん。あんなに怖い思いをするのはあれで十分だから…」
もう大丈夫。そう言いかけた時、通路の角から幽霊役のキャストがスッと現れ、わらしの視界でニタリと笑った。途端、わらしは悲鳴を上げて駆け出した。
「っきゃ―――――!!!!!」 「!?」
遊作をおいて一人出口に向かっていくわらし。遊作はその様子をポカンと眺めていた。散々生死の境を彷徨うような恐怖体験したというのに、わらしは相変わらず嘘の恐怖に怯えさせられていた。ここのキャストに脅かされたところで、危険なことは何もないのに。
「…あれのどこが平気なんだ」 『全くだよね』
呆れ気味に呟いた遊作の耳に、同意するライトニングの声が聞こえたような気がした。
「ひぇっ」
「わぁっ…」
「いやぁぁぁ!!」
ホラーハウスの中で散々脅かされたわらしは、遊作のことを置いて気付けば一人出口から飛び出していた。勢いよく走り抜けたせいで、ちょうど前の人の背中にぶつかってしまった。
「うわっ」 「おっと」
渋い男性の声である。ハッと我に返ったわらしは、慌てて謝罪の言葉を口にした。
「ご、ごめんなさい。あんまり怖かったものだから、つい…」 「はっはっは。構わんよ。それより怪我はなかったな? お嬢さん」 「いえ、大丈夫で…」
そこで顔を上げたわらしは、目の前の男性の顔を認識して驚愕を露わにする。彼女がぶつかった相手はなんと、あのMr.ハートランドだったのである。
「え? え? うそ…」
恐怖から一転、驚愕と歓喜に打ち震えるわらしに、Mr.ハートランドはいつもの笑顔でウィンクした。
「はっはっは。驚かせてしまったかね? いや、なに。実は私も好きで、たまにこうして遊びに来ているんだ。このホラーハウスにね」 「そうだったんですか…」 「あぁ。それに、このホラーハウスはこのハートランドの目玉だからね。リニューアルしたのはいいけど、他にまた何か新しいアイデアが浮かばないかなと考えながら…、んん?」 「?」
言いながら、Mr.ハートランドはわらしの顔をじーっと見つめた。急に見つめられてわらしの頬に赤みがさす。
「…君のことはどこかで見たことがある気がするが…、残念ながら思い出せないな。まぁいいだろう。そうだ、折角だからこれを君に」 「何ですか?」
Mr.ハートランドに手を差し出され、思わずわらしも手を差し出してしまった。その掌に、小さなキーホルダーが乗る。ハートランドのマスコットキャラクター、ハートランドラコのものだった。
「これ…!」 「私に会えた記念品だよ、お嬢さん。良ければまた遊びに来てくれたまえ」 「あ、ありがとうございます…!」
わらしが礼を言うと、Mr.ハートランドは満足したように頷いて行ってしまった。彼の行く先には大通りのパレードがあって、煌びやかな電気装飾と賑やかな音楽と共にキャストたちが行進している。外はいつのまにか夜だ。そして件のMr.ハートランドは颯爽とそこの中心に参加し、人々の脚光を浴びていた。
「素敵…」
一人、大通りから少し離れた場所からそのパレードを眺めていると、後ろから肩を叩かれた。振り返れば遊作がいた。
「遊作くん」 「勝手に先に行くな。心配するだろ」 「あ、ごめんね」 「全く。……何を持っているんだ?」 「あ、これ? さっき貰ったの。Mr.ハートランドに」 「会ったのか?」 「うん。ホラーハウスを出たところでちょうどね」
そう言って嬉しそうに笑うわらしに、遊作はしょうがないな、とばかりに笑った。わらしの行動が読めないことはいつものことだ。
「それより、やっぱりパレード始まってたな」
遊作の言葉にわらしも頷く。
「凄く綺麗だよね。このパレードが見たくて、飛行機も最終便にしたんだ」 「それなら良かったな。間に合って」 「うん。遊作くんと見たかったの」
にこにこ、と笑うわらしの表情はとても穏やかで、彼女自身、あの終わりなき悲しい船の旅から解放されたことが窺える。あの船での出来事はつらいけど、それもやがて思い出になるだろう。今はただ、戻って来て幸せを分かち合える喜びに浸りたい。
「……わらしを守ることができて良かった」
命がけの世界で、遊作はわらしを守ることに躍起になっていた。それは、彼女のこれまでの行動を考えれば無茶無謀をするのは明らかで、過去にLINK VRAINSで助けられた時にはもう戻ってこないのかとさえ思ってしまった程だ。それ程心配した。 あの頃はまだ二人は付き合ってはいなかったが、恋人となった今では、彼女のことを守るのは遊作にとっては当然のことである。大切な存在だ。
「? 今何か言った?」
パレードの音楽にかき消された遊作の声を拾い損ねて、わらしが聞き返した。遊作は優しく答える。
「パレードの後で何か食べようと言ったんだ。ずっとまともな食事をしていないだろ」 「あ、そういえば…。じゃぁホットドックでも食べて、最後にちょっとお買い物して空港に向かおうか。アトラクションは…もういいよね」 「十分だ」
頷き合うと、二人はふっと笑って手を繋いだ。平和で穏やかな日常。全てはこの瞬間の為にあった。
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