SUMMER VACATION!−14

扉を開けて真っ先に目に入ったのは、木製の大きな本棚だった。空っぽで、本一冊もない。室内にはいくつも同じ本棚が並んでいるがどれも同じ状態だった。整理中という言葉に相応しく、どこかに移動したのだろう。
室内には二人の職員がいるが、彼らは残り僅かとなった書籍を確認している最中だった。足元に本を移動させるためのキャスター付きボックスがある。中にはハードカバーの本が数冊。普通の本だ。
独特の匂いがする室内を進めば、途中で会った初老の職員に怪訝そうな顔をされた。

「おや? 今日は一般の人は入れないはずだが?」
「こ、こんにちは」
「受付を通ってるってことはいいんだろうけど…、とにかく仕事の邪魔だけはしないでくれよ。本には触らんでくれ。わからなくなる」
「わかった」

職員の男はそう言って手元にある本を再び検分し始めた。遊作とわらしの存在が気にならないと言えば嘘だろうが、邪魔をしないのなら無視することに決めたようだ。
二人はそのまま書庫の中を見渡したが、本と呼べるものがほとんどない状態で何をどうして良いのかわからかなった。ただ二人の職員の邪魔にならないように歩き回り、それらしい本を探した。

(てっきり本が沢山あると思ったんだけど、全然ないね)
(あぁ。残っているのはボックスの中のものだけだな。確認してみたいところだが…)

遊作が若い男性職員の足元にあるボックスを覗き込むと、そこには古びた本が一冊だけ入っていた。タイトルは書かれていない。

(これ、もしかして…)

二人は直感的にこの本が探していたものだと判断したが、同時に職員の男性もまたこの本を見ていた。顎に手を当てて何やら考え込んでいる。題名不明の本に困っているのだろうか。

「あの…」

さりげなくわらしが話しかけると、男性職員はそれまで覗き込んでいた本から視線を外し二人を見た。職員でない遊作とわらしに対して眉間に皺が寄る。

「どうして一般の人間がここにいるんだ? 受付を通ったのか? 今日は休館日のはずだ」
「えぇと、少しだけって約束をして…」
「…まぁいい。くれぐれも邪魔はしないようにしてくれ」
「はい。……あの、その本なんですけど」

視線で名も無い本に意識を促す。

「少しだけ、お借りするって……できませんか?」
「…今日は貸し出しを行っていない。そもそも、ここにある本は貸し出し図書ではないんだ」
「そう……ですか」
「わかったらさっさと行ってくれ。こっちは仕事をしているんだ」

男性職員はそう言うと二人をその場から追い払ってしまった。それから再び顎に手を当ててボックスの中の本を見ている。どうやら余程あの本について頭を悩ませているらしい。
二人は声の届かない場所で話し合った。

「あの本…だよね? オスカーが言ってたのって。どうにかして手に入れられないかな」
「何とか注意を引ければいいが、ここにはそんな物はないな」
「話しかけようにも妙にピリピリしてるみたいだし…、どこかに連れ出すのも難しいよね」
「そうだな…、」

ちらりと職員の様子を窺っている遊作の横で、わらしは足元にあったボックスの中に手を伸ばした。欲しい本ではないが、それなりに興味を惹くタイトルが目に入ったのだ。重量のあるそれの表紙をパラパラとめくっていると、ふいにわらしの行動に気付いた男性職員が慌ててすっ飛んできた。怒っているようである。

「おい、君!」
「え! は、はい!?」
「何をしている! 勝手に本に触るな!」

職員はわらしの手から本を奪うと、それを持ったまま先程より二人に近い位置に立った。手にした本をボックスの中には入れず、二人の方を見ている。明らかにわらしを意識している。

「まったく…困るんだよ、勝手なことされちゃ!」
「ご、ごめんなさい…」

怒られてしゅんとしたわらしは謝った。遊作はそんなわらしが可哀想に思えたが、上手い慰めの言葉も浮かばない。優しい手付きで軽く背中を叩いてやるだけだった。
職員は少し落ち着いたように見えたが、まだ二人のことを見ている。ふと遊作はあることを思い付いた。

「わらし、こっちへ」
「え? う、うん…」

遊作に呼ばれるがままついて行った先には、同じような空の本棚が並んでいるだけだった。男性職員からはギリギリ見える位置である。
足元にはまたボックスがあって本が入っていた。同じ轍は踏まない、と考えていたわらしだったが、あろうことか遊作がボックスの中に手を伸ばした。赤いハードカバーの本を取り出す。途端、職員の男が飛んできた。

「君!」
「え、は、はぁい!?」

わらしが情けない声で返事をしている最中に、遊作は手の中のものをわらしに押し付け素早くその場から離れた。

「ゆ、遊作くん? え? な、なんで…?」
「言ったそばからまた…!」

わらしは遊作の行動と職員の怒りに混乱したまま動けない。どうしたら良いのかとその場で狼狽していると、その内に職員は再びわらしの手の中から本を奪い取り、睨み付けるようにして離れた。訳がわからない。何故こんなことに…。
少し離れた位置から尚もわらしを見ている職員に対して恐怖を抱きながら、わらしは一人その場に立ち尽くした。職員からの視線が痛い。一緒にいたはずの遊作もいない。困っていると、職員には見えない本棚の影からわらしを呼ぶ声があった。

「わらし…」
「! 遊作くん…!」

わらしは速足でその場から去ると、遊作の胸に飛び込んだ。怖かったのだ。

「びっくりした、なんで、あんな…、置いていっちゃうなんてひどいよ…!」
「悪い」
「ほんとにもう、遊作くんがあんなことするから私あの人にまた怒られちゃったし…」
「だがそのお陰で、欲しいものが手に入った」
「え?」
「これだ」

わらしが遊作の体から離れると、遊作の手の中には二人が探していた古びた本があった。あの男性職員がじっと見つめていた題名もない本である。
驚いたわらしが目を丸くしていると、遊作が簡単に説明した。

「あの男がわらしに意識が行っている内に、本棚を回って回収してきたんだ」

書庫には空とはいえ大型の本棚が立ち並んでいる。背後に回れば死角などいくらでも作れた。

「それで、わざとあんなことを…」
「あぁ。本を手にすれば、あの男がこの本から離れるはずだと思った」
「そう…、そういうことなら納得したけど。だったら、一言いってよ。遊作くんが突然どこか行っちゃうから、私どうして良いのかわからなくなっちゃった」
「ごめん」
「ほんとにもう、焦ったんだから…」

わらしは不満そうに頬を膨らませて抗議した。

「…それで、中には何て書いてあったの? あの石について…」

少し声のトーンを落としてわらしが聞いた。

「それはまだわからない。これから中を調べるところだ」
「そっか」

神妙な顔になった遊作につられてわらしも表情を変えた。散々振り回されてきた石である。遊作とわらしだけでなく、多くの人間に少なからず影響を与えてきた。その全貌がついに明らかになる…

「…、大丈夫、だよね」

わらしは遊作のことを心配している。青い石が遊作に対して悪い影響を及ぼさなければ良いのだが。そんな思いがひしひしと伝わってくる。
遊作はわらしの手をとると不安を隠しきれていない顔を見つめた。心配するな。目でそう告げると、古びた本の表紙を開いた。






表紙をめくった途端、二人の姿は図書館から船内のプールへと戻っていた。赤い月が消えている。室内は暗いまま、先程までの明るさはない。オスカーの姿は消えていた。

「戻ってきたの…?」
「…あいつはどこに行ったんだ」

遊作はひとまず本をしまうと、先に辺りを探索した。水のないプールから出てプールサイドへと上がる。そこからデッキテラスに出ると、暗い空には未だ流星群が流れている。壁にもたれかかるオスカーの姿はない。
再びプールに戻り、昼間通ったロッカーへの扉に手を掛ければ不思議と抵抗なく開いた。どうやら施錠は解除されたようである。

「鍵が開いている…」
「良かった! これでもうここから出られるんだね…!」
「あぁ。誰の仕業だったのか結局わからなかったが…、まさかヘンリーではなくオスカーか?」
「あの子が? 何で?」
「…赤い月が出るまで、俺たちのことを引き留めたかったのかもな」
「私たちが、あの本を手に入れる為に…、?」

そこまで言うとわらしはハッと気付き、遊作に本を出すように言った。まだ中を確認していない。
遊作は鞄から古びた本を取り出すと、それを目の前でパラパラとめくってみた。中身は何かの伝承のようで、分厚い紙の上に手書きの文字が連なっている。微かにインクの匂いがした。

「これは…、読むのに一苦労しそうだ」
「赤い石のことが書いてあるんだよね?」
「そうだと思うが。読んでみないと何が書いてあるのかわからないな」
「んん、ちょっと……面倒だね」

二人はその場で読むのを諦め、再び本を鞄の中にしまった。読書をするなら落ち着いた場所でするのが望ましい。

「本に関しては後回しにするとして、アーサーのところに寄ってからゲストルームに戻るか」
「カジノは?」
「そのつもりだったが…、そんな気分ではないだろ」
「?」
「……疲れてるだろ?」
「……、!」

ちらり、と遊作が気遣うような視線を寄越してきたので、わらしはそれが何を意味しているのかようやく理解した。理解すると同時に、少しだけ恥ずかしくなって視線をそらす。

「あ、えっと…、行けなくもないけど…」
「そこで遠慮するな。…無理させた自覚はある」
「う、ん…」
「今日は帰って休もう。途中休憩したとはいえ、時間が時間だ」
「そうだね…」

わらしが遊作に抱かれる以外にも、遊作が悪霊に憑りつかれるなど色々なことがあった。遊作自身、わらし同様に疲れているに違いない。
わらしはそうやって自分を納得させると、遊作についてプール前の通路から甲板、階段を通って大食堂前通路にやってきた。特別ゲストルームに戻る前に大食堂でアーサーに会うと、彼は二人が天魚のプレートを手に入れたことを既に知っていた。

『あと二つだ…この鍵を使うがいい』

そう言って渡された鍵には、調理室と書かれたネームタグが付いていた。調理室はこの大食堂から行くことができる。鍵が掛かっていたせいで通れなかった扉の先だ。

「これを持っていたのなら最初から渡して欲しかったが」
『……物事には順序がある。急いてはいけない』
「あんたの理屈はわかった。俺たちも早く帰りたい。ここは明日にでも行って調べる」
『あぁ。頼む…早く見つけてくれ』

アーサーは懇願するような声で遊作に言った。

それから二人は特別ゲストルームに戻り、わらしは最低限の洗濯とシャワーを済ませるとさっさとベッドに潜り込んだ。遊作にはカジノに行ける体力がまだあると言ったが、思っていたよりも疲れていたようだ。柔らかいシーツに包まれていると心地よい眠気が襲ってきた。
遊作がバスルームを使っている間に少しでも本を読み進めておきたかったが、最初の二ページで陥落した。バスルームで水が流れる音を聞きながら、うつらうつらと微睡の中を漂う。遊作が寝室に戻って来た時には、既に半分夢の中だった。
遊作の重みを受けてベッドの半分が沈む。

「…寝てるのか?」
「んー……まだ、起き、てる…」
「眠そうだな。寝てていいぞ」
「ん…」

遊作はわらしの横に滑り込むと、後ろからバスローブごとわらしの体を抱き締めた。髪に顔を埋めると良いにおいがする。そのままお腹の部分で腕を絡ませ、ぴったりとくっつき体温を分け合う。その態勢で密着していれば、遊作がどんな状態なのか、寝ぼけ眼のわらしにもわかった。腰のところに熱い塊がある。
もぞ、と頭を動かし遊作の顔を窺う。

「遊作くん……、したい?」
「……したくないと言えば嘘になるが、別にいい。さっきしたからな」
「ん。じゃぁいいよ、私あんまりできないから、遊作くんに任せることになるけど」

遊作が身を引いたのに対し、わらしは許可を出した。会話がかみ合ってない。
わらしは腹部に巻き付いた遊作の手を取ると、自身のバスローブの中に導いた。柔らかい果実の上に滑らせる。遊作の胸がどきりとした。

「わらし…?」
「遠慮、しなくていいよ……遊作くんにされるの、好きだし」

恥ずかしがっているのか、遊作に背を向けたまま答える。表情とは裏腹に行動は大胆だ。
わらしがその気になっているとわかった遊作は、上体を起こしてわらしの体をベッドに押し付けた。バスローブをはぎ、俯せになっているなだらかな背中を二、三度撫でる。それだけで高揚するうなじに吸い付きながら、優しくのしかかった。

「すぐに済ませる…」
「そんなこと言わないで…たくさん愛して欲しい」
「…、あんまり可愛いこと言うな」

遊作はそう言うと、後ろからわらしの蜜壺に指を差し入れた。時間が経っているとはいえ内部はまだ柔らかい。遊作の指をすんなりと受け入れた。
慣らすのは簡単に済ませて、すぐに屹立した遊作自身を滑り込ませる。「あっ……」わらしの口から震えた声が漏れた。

「あぁ……っ……ぁ…あ……ぁ…」
「……っ、…は……」
「ぁん…、っあ……あっ…ん…っ……あぁっ…」

疲れているわらしの体を労るように、遊作はゆっくりと抽挿を繰り返した。小さな尻を掴んで左右に広げる。本日三回目の挿入にも関わらず、わらしの中はきゅっと遊作を締め付けた。雌としての本能が遊作を逃すまいとその先を促している。ベッドが二人分の重さを受けて揺れた。

「…あぁ…、あっ……あ…っ……あん…、…あっ……」

甘い声が響く。わらしは目の前の枕に縋りついた。

「わらし、はぁ、好き、だ、わらし…」
「あっ……いぃ、わたしも…っ…好き…、…んっ」

遊作の愛を一身に受けながら、わらしは快感を逃がす為に自ら体を揺らした。けれど動けば動くほど追い込まれ、奥を探られ追いかけられる。狂おしいほどの愛欲を孕んだ律動に、体の底から愛おしさがあふれ出した。求めずにはいられない。

「…わらし、……っ、く……」
「あ…っぁん、あん、遊作く、あっ……あっ…、あ…っ…!…」

何度も何度も、二人は互いの熱をぶつけ合った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


“運命と二つの石の伝承”

古びた本の表題紙に書かれていたタイトルである。表表紙には何の記載もなかったが、ひとたびめくった先にはこのように書かれていた。
本の中にはいくつかの伝承が綴られている。短いものもあれば、数十ページにわたって書き連ねられているものもある。その全てに共通するのが、赤い石と青い石についての記述だ。
まとめると、以下のようなことがわかった。

古来より、人は何らかの見えざる力によって己の人生が定められていると考えてきた。全てを左右するその力は、「運命」と呼ばれている。そして件の二つの石は、その運命を操ることができる。
「赤い石」は、運命の力を蓄える器であると伝えられ、人の命を捧げることでその石は持つ者の運命を変える力を持つという。石の力を得た人間、そのある者は一国を支配する王となり、またある者は莫大な富を手にしたという。

もう一つの石、「青い石」について伝承は多くを語っていない。ただ青の石は赤の石の対極にあるという言葉が残されるのみであり、赤い石のように所有者に何らかの影響をもたらすという記述はなかった。そもそもが本の中の伝承はすべて、赤い石を巡って起きた物語なのである。
その中で、伝承は強き運命を保ち続けるために守らねばならない事柄にも言及していた。一つは、あまりに多くの命を器に注いではいけないということ。そしてもう一つは、赤と青の石を決して重ねてはいけないということ。

その二つが破られた時、運命は何をもたらすのか…その答えを伝えるものは、何一つ残されていない。全ては謎である。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ぅ……ん……」

深い微睡から目を覚ましたわらしは、重い瞼を押し上げて視界を開いた。全身が気怠い。ぼうっとする頭で隣を見れば、枕を腰に当てて本を読んでいる遊作の姿が目に映る。遊作は目を覚ましたわらしに気付くと、本を閉じて優しく頭を撫でた。その表情は柔らかい。

「おはよう」
「……、おは…よう」
「体、つらくないか? もう少し休んでいていい」
「ん…。でも、今日はカジノ行かないといけないし」
「それだったら俺一人でも何とかなる」
「んー…」

遊作の提案はわらしにとって不本意だったが、同時にありがたくもあった。二人の情事は昨夜遅くまで続いた。体が休息を求めている。ホテルに泊まっていた時も似たようなサイクルだったが、あの時では状況が違う。身体的にも精神的にも疲れがたまっているのだ。
わらしは未だ重い瞼を落とすと、うとうととした口調で呟いた。

「ちょっとだけ…、ちょっとだけ、待ってね。ちゃんと起きるから…」
「あぁ。大丈夫だ」
「うん……待って、て……」

それだけ言うと、再び短い寝息を立てて夢の中に落ちていった。これだけの会話で眠ってしまったのだ。相当疲れていることが窺える。
遊作はベッドから起き上がると、バスルームへと向かう。わらしはあぁ言ったが、実際目覚めるまではしばらく掛かるだろう。あと一時間か、二時間か。昨日手にした本は既に読み切ってしまった。他にすることもない。ならば、少しでも早く現実世界に戻る為に出来る限りのことはしておいた方が良い。

シャワーを済ませた遊作は、服を着るとサイドボードにメモを残して特別ゲストルームから出て行った。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


夢の中でわらしは叩き起こされた。

『わらし! 早く起きて!』
「んんー……、ラーイうるさい……もうちょっと寝かせてってば…」
『何呑気なこと言ってるんだよ! このままだと遊作が…遊作が…』
「…遊作くんが、なんだって…?」
『身ぐるみはがされて裏社会に売り飛ばされちゃうんだって!』
「………んん?」

ラーイの突拍子じみた台詞に、わらしはようやく反応した。寝ぼけ眼をこすりながら起き上がり、ベッドの上でラーイと向き合う。のんびりしているわらしとは対照的に、ラーイは焦っていた。

「遊作くんが身ぐるみはがされるって……どういうこと? っていうか、何でラーイがここにいるの? 実体化はできないんじゃなかった?」
『ここはわらしの夢の中だよ。実体化ができなかったから、わざわざ夢の中で接触したんだ』
「…、ラーイってそんなことできたの?」
『普段はできないよ。この世界がわらしとボクの繋がりを深くしてくれてるから可能だったんだろうね』
「あ、そうだったんだ…」

ラーイの説明に何となくそういうものか、と納得してわらしは頷いた。

『そんなことより、遊作だよ。早くしないと大変なことになっちゃう』
「大変なこと?」
『ギャンブルに負けた人間の行く先は一つしかないってこと』
「ギャンブル……ってまさか、カジノ!?」

わらしは慌てて周囲を見た。しかしここはわらしの夢の中なので、遊作がいてもいなくても結果は変わらない。

「遊作くんは一人でカジノに行っちゃったの…?」
『そうだよ』
「でも、遊作くんなら大丈夫でしょ? 駆け引きとか上手だし…」
『……ルーレットはともかく、あの女の人はわからないよ』
「え?」
『わらしたちが話したあの女の人からは沢山の精霊の気配がした。あの人を相手にするならゲームはきっとカードに関するものだろうけど、到底普通のゲームだとは思えない。あんなにごちゃごちゃな気配がして、デュエルですらないかも…』
「……、遊作くんにも難しいかもしれない、ってこと?」
『可能性はあり得るよ』
「そんな…」

事態を理解し始めたわらしがどうしようと狼狽えていると、ラーイはそんなわらしの頭を尻尾で軽くたたいた。

『落ち着きなって』
「で、でも…遊作くんでも負けちゃうかもしれないんでしょ? さすがに身ぐるみはがされるってことはないだろうけど、勝てなければ影の人たちを成仏させてあげられないし…」
『そう思うなら、まずはとっとと目を覚ますことだね。急げばまだ間に合うはずだよ。カードに関してはわらしのサポートが役に立つかもしれない』
「う、うん…」

わらしは頷き、深呼吸する。それからふと思い至ってラーイを見た。

「それはわかったけど……、どうやったら目覚められるの?」
『…………』

ラーイはやれやれ、と頭を振った。




「―――ひぁぁっ!」

ドシン、と大きな音を立ててわらしはベッドから転がり落ちた。シーツにまみれてひどい状態である。間抜けな顔をして乱れた髪を指で軽く梳く。心の中では、ラーイに対する恨みが募っていた。

「ラーイってば…ひどい……」

夢の中で、わらしは現実世界で目を覚ます為にラーイに手伝ってもらったのだが、その方法がベッドから転がり落とすという何とも荒っぽいものだったので、納得いかないところがあった。何でも、ラーイ曰く夢の中のわらしは現実世界のわらしとリンクしているらしい。夢の中でベッドから落ちれば現実世界でも同じことが起きると踏まえ、ベッドからわらしを転がり落とした。これなら確実に目を覚ますだろう、と。
とはいえ、少々乱暴な行為であったと言わざるを得ない。わらしは落下の際にぶつけた腰を擦りながら、ラーイを恨めしく思った。

「痛い……ってそんなこと言ってる場合じゃない。早く遊作くんのところに行かないと…」

ベッドの脇から立ち上がり、バスルームへと駆け込む。眠気はさっきより軽くなった。少し疲れてはいるが、これくらいなら動いている内に抜けていくだろう。
身支度を整えながら、わらしはそんなふうに考えた。






『……さて、今回も私の勝ちね。残念』
「………」
『続けて勝負する? それとも…』
「まだ続ける」
『そう。なら、次こそは幸運の女神が微笑むことを祈るのね』

女性ディーラーはカードをシャッフルすると、遊作の前に配った。

わらしが特別ゲストルームで眠っている間、遊作は一人でカジノにやってきた。大食堂とロッカールームで手に入れた引換券でチップを増やし、それらを元手にして最初は男性ディーラーのいるルーレットに挑戦した。男性ディーラーは淡々とした口調で、その態度からは中々手を読み取ることは出来なかったが、ディーラーが球を投げるほんの些細な癖を見抜くとあっという間に連勝してしまった。そしてチップが100枚を超えたところで支配人の男に声を掛けられたのだ。

『大した運をお持ちのようですね…あなたのような方を待っていました』
「………」
『奥のテーブルへどうぞ。ここからは本当の勝負です。さて、彼女に勝てますかな? ククク…』

遊作は支配人に言われるがまま、奥のテーブルに向かった。そこには先日話を聞いた女性ディーラーの影があり、テーブルの向こうで遊作を待っていた。ディーラーらしく背筋を正し、不遜な態度は取っていない。どうやら遊作のことを客として認めているようだった。

『待ってたわ。少しはまともな勝負が出来るのかしら』
「俺が勝たないとあんたたちは満足できないんだろ?」
『そうね。あなたにその技量があるかどうか…、あの女の子はいないけど、いいの?』
「あぁ。俺だけで勝負する」
『わかったわ。では、始めましょうか。ここでのゲームはブラック・ジャックよ。ただし、普通のブラック・ジャックとは少しだけルールが違うわ』
「?」
『あなたのチップは110枚。倍…つまり220枚になったらあなたの勝ち。代わりに、賭けられるチップが無くなった時点で私の勝ちよ。その場合はまた私に挑戦する為に、チップ100枚をルーレットかスロットで稼いできてね』
「あぁ」

遊作の了承を得て、女性ディーラーはカードを取り出した。それを見た遊作が目を見開いて驚く。

『使用するカードはこれ。デュエルモンスターズのカードよ』
「……、数字をレベルで代用するということか?」
『察しが良いわね。その通り。レベル1は1か11の数字として代用、レベル2から9までのカードはそのレベルの数字として代用、レベル10から12までのカードは10の数字として代用する……ここまでは普通のブラック・ジャックと同じね』
「存在しないレベル13はどうするんだ?」
『魔法カードと罠カードで代用するわ。つまり、これらのカードが適用される数字は10ね』
「使用するのはモンスターカードだけではないのか?」
『えぇ。メインデッキに入れられる全ての種類のカードを使用するの。覚えておいて欲しいのは、場に出されたカードは効果が無効になるということ。《アステル・ドローン》のように、“エクシーズ召喚に使用する場合、レベル5モンスターとして扱う事ができる”……なんて書かれたテキストなんかもね。《アステル・ドローン》を素材にしてランク5のモンスターをエクシーズ召喚することはできないわ』
「……待て。それはつまり、エクストラデッキも使用可能ということか?」
『そういうこと。ブラック・ジャックは通常、配られたカードだけで勝負するけど、ここではそれに加えて融合やシンクロなどによってレベルの調節が可能になるわ。この時融合魔法カードは必要としない。シンクロ召喚にはチューナーが必要だけど…ほとんど必要ないでしょう。シンクロモンスターじゃレベル調整をする意味がないから。融合、シンクロの数字に関してはメインデッキのモンスター同様にレベルを換算する』
「エクシーズモンスターやリンクモンスターは?」
『それらのカードはレベルを持たない。でも、エクシーズモンスターに関してはそのランクに該当する数字を加算ではなく減算する』
「!」
『バーストしそうな時はエクシーズを狙ってみるのも良いかもしれないわね』

エクシーズモンスターはレベルを持たないが、カードに書かれているランクの記号はレベルを逆から表示したものである。加算ではなく減算にする理由はそこにあるのだろう。

『リンクモンスターもレベルを持たない。その数字はリンク以下の任意のものを選んで加算することができるわ』
「…リンク4のファイアウォール・ドラゴンだったら、1から4までの好きな数字を選べるということだな?」
『えぇ。便利な分、減算はさせないし変動値も小さい。そしてリンクモンスターは自分の場に一体しか存在できない』
「……なるほど。他には?」
『ヒットはデュエルモンスターズにおける特殊召喚と考えて。最初に配られた2枚のカードだけが通常召喚扱い。ヒットは基本的に何回でも可能だけど、場にモンスターが6体いる時にはできないわ』
「モンスターゾーンが埋まってると考えるのか」
『そういうこと。同様に、魔法・罠カードが合計5枚になってもヒットはできないわ。その中にもしフィールド魔法カードがあれば別だけど……魔法か罠が2枚あるだけで合計値が20ですもの。よほど高ランクのエクシーズモンスターを複数並べていない限り、そんな愚かな真似はしないわね。ペンデュラムモンスターはレベルか魔法どちらかを参照して良いわ』

言いながら、ディーラーはデッキをシャッフルする。分厚い山札は横に並べられ、一枚一枚ディーラーが配れるよう専用のケースに入れられた。

『私は合計値が17以上になるまでヒットを続ける。17以上になったら必然的にステイ。ただしエクストラデッキを経由して合計値が16以下になった時には再びヒットする。メインデッキに含まれるカードは通常のカードと同じ枚数、つまり確率的には普通のブラック・ジャックと変わらない。属性・種族についてはランダム。エクストラデッキには私が選んだ15種類のカードが1枚ずつ収めてある。メインデッキに触れるのは私だけだけど、そちらはあなたも自由に使っていいわ。共用だから、私はあなたが使わなかったカードだけが使える』
「互いにバーストした場合は?」
『その場合は私の勝ち。ナチュラル21同士ではプッシュ(引き分け)ね。あなたがインシュランスしようとなかろうと、イーブンマネーになるのは決まってるから。ダブルダウンは宣言できるけど、スプリットは使えない。…そんなところかしら?』

ディーラーから一通りの説明を受け、遊作は頷いた。要はブラックジャックとデュエルモンスターズを混ぜたようなゲームだ。自分でデッキを構築できないのは不利だが、それは相手も同じ。いかに合計値を21に近付けつつそれを越さずに相手を負けさせられるか。運以上に確率と心理戦がものをいう。

『あなたがどんな手を出してくるのか…楽しみだわ』

目の前で笑うディーラーの期待を受けつつ、遊作は勝負に出たのだったが…。





『こんなに簡単に勝負がついてしまうなんて、私の期待はずれだったかしら?』
「………」

使用済みのカードを回収しつつ、女性ディーラーは溜息でも零しそうな口調で言った。

『ルーレットでは簡単にチップを稼いだって言うから、期待してたんだけど…』
「…御託は良い。早く配ってくれ」
『そう粋がっていられるのも、あと何回かしら』

遊作はチップを10枚掛けた。初回から同じ枚数だ。普通に考えれば10回はプレイできるが、負け越しているせいでチップも残りわずか。最低な結果を導けばあと3回しかプレイできない。
女性ディーラーは淡々とカードを配った。

「!」
『あら? これは…』

遊作のカードはレベル7と8。合計値は15だ。対するディーラーのカードはレベル1。もしも伏せられているもう1枚のカードがレベル10以上のモンスターカードまたは魔法・罠カードだった場合、ディーラーのブラックジャックが成立する。つまりナチュラル21だ。

『インシュランス?』
「………」

遊作は考えた。遊作がナチュラル21ではない状態でディーラーがナチュラル21だった場合、無条件で遊作の負けである。この場合、ディーラーのハンドがナチュラル21であると予想しインシュランス(保険)を賭けることによって、それが的中した時全体の収支はプラマイゼロになる。最初の掛け金が没収されてもインシュランスの賭け金は没収されずに、さらにインシュランスで賭けた倍のチップが渡される為だ。
インシュランスに賭けられるのは最初の掛け金の半分。ただし外した場合、インシュランスに賭けた分は没収された上で二人の今ある二枚のハンドで勝負を決める。遊作のハンドが15なので、ディーラーの伏せカードがレベル3以下なら遊作の勝ち、レベル4で引き分け、レベル5以上で遊作の負けである。

(どうする? インシュランスはプレイヤー側が不利だ。インシュランスをするだけチップが無駄になる…)

ディーラーがナチュラル21を成功させる為には、伏せカードがレベル10から12のモンスターカード、または魔法・罠カードである必要がある。各カードの枚数は通常のブラックジャックと同じであるから、確率は4/13。ブラックジャックになる方が難しい。
考えた末、遊作はインシュランスを辞退することにした。今までと同じようにハンドで勝負する。顔を上げてディーラーを見た。その時。

「インシュランスはしな「待って!」

奥のテーブルに、わらしが飛び込んできた。

>>SUMMER VACATION!−15

戻る


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -