ディーラーと遊作の間に割って入ったわらしは、ディーラーのハンドと遊作のハンドを見比べて首を横に振った。
「レベルがそのまま数字として扱われてるって考えて良い?」 「あぁ」 「だったら遊作くん……インシュランスして」 「だが、確率的には…」 「ダメだよ。ハンドで勝負しようとしても、これは…」
わらしは珍しく難しい顔をしている。遊作が戸惑っていると、ディーラーから声が掛かった。
『あら。勝負の世界に割り込んでくるのはルール違反じゃない?』 「ごめんなさい…、つい」 『…まぁいいわ。あなたたちは二人でチップを共有しているみたいだし。でも横から口を出すのはこれっきりよ』 「はい…」
消え入りそうな声でわらしは謝った。それからディーラーは遊作に向き直り、改めてインシュランスするかどうかを聞いた。
「インシュランスは………する」 『そこのお嬢さんの助言を聞き入れるのね。ではチップを』
遊作は無言でチップを置いた。ディーラーが伏せてあるカードをめくると、レベル10の《究極封印神エクゾディオス》だった。
『!』 「インシュランス…成立ですね」 『……やるじゃない』
女性ディーラーは最初のチップだけを回収すると、インシュランスで賭けた分の2倍のチップを渡した。結果的にプラマイゼロだ。インシュランスをしていなかったらマイナス10枚の損失だった。いくら確率的な問題でインシュランスが不利とはいえ、ゼロではないのだ。
『…じゃぁ、次のカードを配るわ』
女性ディーラーが新たなカードを配ろうとした時、遊作が席を立った。
「その前に、交代をしていいか」 『そっちのお嬢さんが私の相手をするって言うの?』 「あぁ」 『たった一回ナチュラルを見抜いただけで、随分強気ね』 「そんなことはない。彼女は俺の幸運の女神だ」
遊作は言いながらわらしを席に座らせた。わらしは自分がゲームをすることになって少しばかり戸惑っていたが、目の前に配られたカードを見て集中した。ディーラーの前に配られたカードを見る。1枚はオープン、1枚は伏せられているがあれは…。
『ルールを簡単に説明するわね。これは普通のブラックジャックとは少し違うから』
わらしがディーラーからルールの説明を受けている傍らで、遊作はわらしがなぜ先程インシュランスに固執したのかを既に理解していた。 あの時、伏せられたカードは遊作にもディーラーにもわからなかった。確率的に考えてプレイヤー側は普通はインシュランスを選択しない。しかしわらしは絶対的にインシュランスを勧めていた。まるで伏せられたカードがわかっていたように。否、わらしには伏せられたカードが何なのかわかっていたのだ。
(マインド・スキャン…だったな)
デュエルモンスターズのカードであれば、相手が手にしているカード、または伏せているカードが何なのか分かってしまう、わらしの能力の一つだ。強制的に発動する効果ゆえに通常のデュエルではデュエルにならないチート能力だが、積極的に利用しようとすればこれほど心強い能力はない。わらしは伏せられたのが《究極封印神エクゾディオス》だと知り、遊作がインシュランスを辞退するのを止めた。むざむざと負けるのを見過ごせなかったのだ。
「ルールはわかりました。こっちのエクストラデッキは私も使えるんですね?」 『そうよ。汎用性の高いモンスターを投入してるけど、簡単に出せるとは限らない。無条件で出しやすいのはリンクモンスターだけれど、それも場に出せるのは一体だけだから注意して』 「わかりました」
わらしが頷いたのを見て、ディーラーはゲームを開始した。わらしの前に配られているのはレベル4の《コーリング・ノヴァ》とレベル8の《神獣王バルバロス》、合計値は13である。21にはまだ遠い。
「ヒット」
ディーラーが無言でカードを配る。レベル5の《モリンフェン》。こんな時くらいにしか見かけないバニラモンスターだ。
『どうする?』 「………」
わらしはディーラーのカードを見て考えた。表になっているのはレベル6の《サイバース・ホワイトハット》、一方伏せられているのはレベル9の《アポクリフォート・カーネル》である。
(レベルの合計値は15…ディーラーは17以上になるまでヒットしなければならないけど、この状態でヒットするのはリスクが高い。たぶんヒットする前にどちらかのモンスターをエクストラデッキ経由で処理するはず。それなら…)
わらしはエクストラデッキに手を伸ばした。中を確認し、元に戻す。自身のカードの合計値は既に18である。リンク召喚はせず、ステイを宣言した。
『では、私のターンね』
ディーラーは伏せられていたカードを表にした。すぐにはヒットせず、わらしの予想通りエクストラデッキへと手を伸ばす。レベル6の《サイバース・ホワイトハット》でリンク1モンスターを呼び出そうと考えているようだ。 しかし、エクストラデッキを見た女性ディーラーは中を確認すると、驚愕の声を上げた。
『な…、何なのよこれ!』 「?」 『なんで……どうして……、一体どういうこと…!?』
声を荒げて狼狽する女性ディーラーに、遊作は何があったのかと表情を顰める。平然としているのはわらしだけだ。
「何があった?」
遊作が尋ねれば、女性ディーラーは震える手でエクストラデッキの中身をテーブルの上にぶちまけた。全て紫色のカードで統一されている。レベル12の融合モンスター《F・G・D(ファイブ・ゴッド・ドラゴン)》だ。場に出す為には5体のドラゴン族モンスターが必要となる。
『一体どういうこと!? 私が用意した《副話術士クララ&ルーシカ》も《トロイメア・ゴブリン》も無いなんて…!』 「さぁ。どうしてでしょう」 『あ、あ、あなたまさかイカサマをしたの!?』 「そんなまさか。第一15枚もあるカードをいっぺんに入れ替えるなんて、普通できませんよ」 『でも、現に…』 「疑うなら調べてもらっても構いません。何も出てこないと思いますけど」 『くっ…!』
女性ディーラーは悔しそうに舌打ちをすると、メインデッキからカードを一枚引いた。出たのは罠カードの《出たら目》。合計値は25となり、バーストだ。わらしの勝ちである。
「私の勝ちですね」 『そんな……こんなことって……』
ディーラーは悔しそうに項垂れながらもチップを配り、わらしはそれをそのままそっくり、新たに20枚のチップを賭けた。
「次、お願いします。イカサマはその場で見抜けない限り罰することはできませんよ」 『わかってるわ……そんなこと…!』
わらしは真っ直ぐに前を見据えると、次のカードが配られるのを待った。
カジノ・オルフェウスのブラックジャックのルールは特殊である。普通とは一味違った楽しみ方ができるが、その分奥が深い。慣れていないとあっという間に負け越してしまう。 しかし、もしその特殊なルールをプレイヤー側だけが享受できるとしたら、形勢は簡単に逆転する。数値の調整が可能なプレイヤーと、従来のルールしか適用されないディーラーでは後者が圧倒的に不利となるからだ。ただカードを引いて置くことしかできないのは、さしずめドローゴーと言ったところか。 そして、それを可能にしたのがわらしのマインド・スキャンとリ・コントラクト・ユニバースである。前者は相手のカードを読み取り、後者はカードを書き換えてしまう力である。わらしは自分がステイをする前に必ずエクストラデッキに手を伸ばし、そこにあるカードを全て《F・G・O》に書き換えた。ディーラーにエクストラデッキを利用させない為だ。
正直、イカサマ以外の何でもない方法だが、二人には手段を選んでいられるような余裕はなかった。負ければチップを失うだけでなく、ここにいる従業員たちを成仏させられないのだ。もしかしたら引換券はまだ他にもあるかもしれないが、それを元手に再びチップを増やすのも至難の業である。ならば出来る限り迅速に、無慈悲に、彼らを打ち負かせてやらねばならない。勝負の世界とはそういうものである。
「レベル10の《ユベル》、ランク4の《鳥銃士カステル》、レベルレベル8の《青眼の白龍》、レベル7の《ダイナレスラー・パンクラトプス》……これでブラックジャックです」 『……、あなたの勝ちよ。1.5倍の配当を受け取って』
女性ディーラーはチップを渡しつつ、カードを回収した。わらしは女性ディーラーのエクストラデッキを封じることで順風満帆に勝ち続けた。時には運の悪さが際立って負けてしまうこともあるが、基本的にはわらしの方が絶対的に有利である。既に戦意を失いかけている相手を畳みかけることはそう難しくない。気付けば、目標の220枚まであと15枚というところまで迫っていた。
「たぶん、これで最後ですよね。私はチップを20枚賭けます」 『……、カードを配るわ』
わらしの目の前に置かれたのはレベル3のチューナー《灰流うらら》とレベル7の《焔征竜−ブラスター》だった。
(こんなところでブラスターに会うなんて……偶然だとしても凄い確率)
征竜はわらしと最も関りの深いドラゴン族モンスターである。
『どうする?』 「ヒットで」
配られたのはレベル4の《召喚僧サモンプリースト》だ。一部で強力なシナジーを発揮するコンボが運用されることもあって、かつて征竜同様冥界に送られそうになった経緯を持つカードだ。今では精霊世界で比較的平和に暮らしているそうだが。
(合計値は14か…、あんまり良くも悪くもない。でもここでヒットするのはちょっと怖いし……)
考えた末、わらしはエクストラデッキからカードを一枚抜き出して書き換えた。
「私はレベル4の《召喚僧サモンプリースト》にレベル3の《灰流うらら》をチューニングして《ブラック・ローズ・ドラゴン》をシンクロ召喚します」 『! また私の入れていないカードを…!』 「そしてレベル7の《焔征竜−ブラスター》と《ブラック・ローズ・ドラゴン》でオーバーレイネットワークを構築。ランク7の幻征竜……じゃなかった、《幻獣機ドラゴサック》をエクシーズ召喚します」
エクストラデッキ内の適当なカードを《幻獣機ドラゴサック》に書き換え、自分のハンドに加えた。これでわらしの合計値はリセットされた。
「ヒット」 「………」 「もう一度ヒット」 「………」 「! (ジュノンのカードが…)ヒット」 「………」 「ヒット」 「………」 「……、レベル2チューナー《ゾンビキャリア》とレベル3《トリックスター・マンジュシカ》でリンク召喚。《水晶機巧−ハリファイバー》を出します」
わらしのハンドは《幻獣機ドラゴサック》、《魔導法士 ジュノン》、《レッドアイズ・ダークネスメタルドラゴン》、《水晶機巧−ハリファイバー》の4枚。合計値は11または12だ。エクストラデッキを経由して何とか数値を調整しているが、それも難しくなってきた。場に出せるモンスターはあと2体。既にリンクモンスターである《水晶機巧−ハリファイバー》を召喚している為、これ以上エクストラデッキによる調整は厳しい。あと1、2回のヒットでステイに持ち込むしかないだろう。
わらしは表情を硬くしたままヒットを宣言した。配られたカードは…《風征竜−ライトニング》 だった。
「え…?」
目を丸くしてそのカードを見つめる。なぜラーイのカードがこのタイミングで。《風征竜−ライトニング》のレベルは3。合計値は14または15だ。勝負に出るかどうか悩ましいところである。 けれどわらしは、ラーイのカードを見た瞬間心は決まった。
『どうするの?』 「……ステイで」 『あら。勝負に出ないのね』 「えぇ。…だってこのカードは、私にとって一番のラッキーカードだから」 『ふぅん。……まぁ、そういうの、あるわよね。わかるわ。私にもあるから…』
ディーラーが伏せカードをオープンするとレベル1の《ジェスター・コンフィ》だった。最初から表だったレベル5の《THE トリッキー》と合わせて6または16と換算できるが、ディーラーには16以下の時必ずヒットしなければならないというルールがある。彼女は迷わず新たな1枚を引いた。出たのは魔法カード《ダブル・アップ・チャンス》だった。
(《ダブル・アップ・チャンス》は魔法カードだから適用される数字は10。《ジェスター・コンフィ》を11として換算するとバーストしてしまう。必然的に1として数えなければならない。そうすると、合計値はまたしても16…ヒットせざるを得ない)
『あんまりツイてないわね…、次で最後のカードよ』
わらしがエクストラデッキを支配しているので、ディーラーはどんなカードを引こうと次が最後の一枚となる。レベル1から5のカードを引ければディーラーの勝ち、それ以上のカードを引いてしまった場合はわらしの勝ちである。果たして、引いたカードは…。
『! これは…』
《闇の支配者−ゾーク》……レベル8の儀式モンスターだ。ディーラーはバーストし、わらしの勝利が確定した。
「勝った…!」 『そんな……ことって……』 「?」
女性ディーラーは《闇の支配者−ゾーク》のカードを手に取ると、脱力したように項垂れた。しばらくして、乾いた笑い声をあげる。
『フフッ…まさか最後の最後にこのカードを引いちゃうなんて…』 「……何か、思い入れのあるカードなんですか?」 『…これが…このカードこそが私にとってのラッキーカードなの』 「!」 『皮肉ね。自分が信じたカードに裏切られるなんて……ううん、違うか。このカードは私に引導を渡してくれたの。死んでもずっとカジノから離れられない私に…』
《闇の支配者−ゾーク》は、自分メインフェイズにサイコロを振ることで出目に応じた除去を行うことのできる、いわゆるギャンブルカードと呼ばれるものの一枚だ。運任せの要素が強い為通常のデッキには投入しにくいカードではあるが、カジノのディーラーには相応しいものなのかもしれない。彼女は配当のチップをわらしに渡すと、天を仰ぐようにして肩の力を抜いた。
『フフフ……負けるなんてね…。久しぶりに楽しい勝負だったわ…』 「…あの、ごめんなさい。私、本当はエクストラデッキを…」 『その先は言わないで。どんな手を使ったかはわからないけど、見抜けない私が未熟だったの』 「……、」 『最後にあなたとゲームが出来て、良かったわ…』
そう言うと、女性ディーラーの影は《闇の支配者−ゾーク》のカードを抱いたまま、静かに泡となって消えていった。
女性の影が消えると、それまで室内を照らしていた派手な照明が消え、流れていた音楽も止まった。突然静寂を取り戻した室内で、わらしは戸惑いを隠せないまま辺りを窺う。薄暗い室内には女性ディーラーと男性ディーラー、そして支配人の男が残したと思われる紫色の球体が、それぞれ彼らのいた場所に留まっていた。
「成仏……できたんだよね?」 「あぁ…」
わらしの呟きに遊作が応じる。二人は球体を回収すると、誰もいなくなったカジノから出た。あれだけ明るく陽気な雰囲気を醸し出していたカジノはもう無い。また一人、船に囚われていた魂が解放されていったのだ。
「…あのね。私ずっとあの人と対峙してたけど、パートナーの精霊は見えなかったの。あんなに大切にしていたカードだったのに……死んだ人からは、大切にしていたパートナーもいなくなっちゃうんだね…」 「……俺はそうは思わない」 「え?」 「あの人自身が言っていただろ……自分のカードが引導を渡しにきた、と。きっと、俺たちには見えないところでカードの精霊はずっとあの人の傍にいたんだ」 「そう…かな」 「あぁ」 「……、うん。そう、だね。きっと…」
普段からカードの精霊が見えているわらしだけに、目に見えているものが全てだと信じていた。けれどわらしの目は万能ではないし、ラーイのように精霊の気配を感じ取ることはできない。遊作の言う通り、わらしの目には映らない場所で精霊はずっとディーラーの傍にいたのだろう。それが奇跡を起こした。
わらしは気を取り直すと、静寂の漂う通路で静かに笑った。
「なんか……急に静かになっちゃった気がするね」
奇妙な喪失感はあるが、それが前に進んでいる証だと思うと弱音も吐いていられない。遊作はそんなわらしの肩を抱いて、「わらしが来てくれたおかげで助かった」と礼を言った。思い出したように、わらしも遊作に向かって口を開いた。
「そういえば遊作くん。私、待ってて、って言ったよね。それなのに一人でカジノに行っちゃうんだもん…」 「悪かった。あんまり良く寝てるから、起こしたくなかったんだ」 「……おかげでラーイにベッドから落とされちゃったんだよ」 「ライトニングが?」 「夢の中で、遊作くんが身ぐるみはがされて裏社会に売り飛ばされるから早く助けに行けって…」 「……、あいつの発想はたまにとんでいる時があるな」 「ほんとにね。一体どこでそんなこと覚えてくるのか、私にも分からないんだけど」
以前わらしがデンシティ・ハイスクールに転入する際にも突拍子のないことを言っていた。今回もまた、わらしが消し忘れたテレビを夜中に見ていたのだろうか。そういったラーイのズレた言動を耳にするたびに遊作はこっそりAiのことを思い出すのだが、それを口にすることはなかった。
「…まぁ、遊作くんのピンチには間に合ったから良かったかな」
わらしはそう言うと、ふぅ、と短い息を吐いた。
カジノを後にした二人はその足で大食堂へと向かった。わらしの疲れもだいぶ取れていたので、このまま先を調べることにしたのだ。 大食堂から続く扉に鍵を差し込み、調理室に入る。中は相変わらず暗いが、照明のスイッチはすぐ傍にあった。室内に光が灯ると、思ったよりも閑散とした状況に首を傾げた。そこは確かに調理室であるが、調理器具や食材といったものが一切ない。元々ある大型のオーブンやコンロ、冷蔵庫、シンクが並んでいるだけである。備え付けの棚は空。中央には大きな調理台があった。
「何も無い……な。あそこの影以外は」 「うん。これじゃぁ料理なんてできないよね。冷蔵庫の中身も空っぽだし」
奥にいる男性の影に話しかけると、彼は意気消沈した様子で語り出した。
『俺はこの船の航海士だった。この下には俺の部下たちがいる…』 「この下?」 「…、船員室のあたりか?」 『そうだ…。あいつらは自分が死んでいることにさえ、気付いてはいないんだ』 「!」 『俺は連中を置いていくわけにはいかない…』
そう言うと、航海士の影は悲しそうに首を振った。そして二人に向き直り、横にある大型の機械を指して言った。
『そこにあるエレベーターを使えば、下に行けるはずだ。頼む……あいつらを救ってくれないか…』
男の心からの願いに、遊作とわらしは頷いた。その姿は二人が最初に会ったこの船の船長を思い起こさせる。彼もまた、船に残った魂の行く末を案じて成仏できなかったのだ。
「お前の部下は必ず成仏させる」 「任せてください」 『ありがとう…』
航海士は二人に礼を言うと、一歩下がって成り行きを見守った。遊作がエレベーターを調べると、それは二人の腰のあたりまでの高さしかない運搬用エレベーターだった。人が乗れない訳ではないが、詰めて入る必要があるだろう。
「だ、大丈夫だよね? 定員オーバーとかになったりしない?」 「運搬用だから重い荷物も想定して作られているはずだ。問題ない」 「じゃぁ入るけど…」 「この下は船員食堂だ。船員室は食堂を出た先の通路から行ける。部屋が幾つかあるが…、まぁ何とかなるだろう」 「うん」
遊作はわらしが入った運搬用エレベーターに乗り込むと、中から腕を伸ばして昇降用スイッチを押した。素早く手を引っ込め、狭い箱の中で身を縮こめる。鈍い機械音が響いてエレベーターはゆっくりと下降していく。真っ暗なエレベーターの中でわらしは少し緊張していた。 やがてエレベーターは船員食堂に着き、二人は狭い箱の中から這い出た。辺りは薄暗い。照明のスイッチはカウンターに仕切られた向こう側にあるようだ。遊作とわらしがいるのが食堂の調理スペース、カウンターの向こうが飲食スペースである。
「暗くて見づらいね…」 「気を付けろ。テーブルや椅子で足を引っかけるなよ」 「うん」
二人は照明を付けるべく、調理スペースと飲食スペースとを繋ぐ扉に手を掛けようとした。その時。
『グォォ…』 「!」 「な、何!?」
遊作とわらしの背後から、突如亡霊が現れた。
「あ……悪霊!?」 「まだいたのか…!」
二人が目にしたのは、今まで成仏させてきたエリナや女性の霊とはまた別の、新しい亡霊だった。赤いローブを身を纏い、王冠を被った男の霊。手には杖を持っている。 どこかで見たことのある姿だと思いながら、二人は咄嗟に距離を取り運搬用エレベーターの方に向かった。しかしその途中で、見えない力によって妨害される。
「やっ……」 「前に……進めない…ッ」
調理スペースと飲食スペースを繋ぐ扉の前は亡霊が陣取っていて照明スイッチを入れに行くことはできない。ならば一度上の調理室まで戻るべきだと判断したのだが、亡霊の力によって前に進めども戻される。
「引き込まれる…!」
徐々に亡霊との距離が詰まる中、遊作は亡霊に引き込まれそうになるわらしの手を取って引っ張った。
「前に…!」 「っ、ダメ、これ以上は行けないよ…!」 「いいから足を動かせ! あいつに捕まる!」 「遊作く…きゃぁっ!」
さらに強い力でわらしが引き寄せられた。亡霊が手招きをしてわらしを見ている。その表情はかつてのエリナたちと同じように不気味に笑っている。やはり生きている人間が憎いのか。
「っうぅ……だめ、遊作くん、手、離して…」 「馬鹿なことを言うな! 頑張れ!」 「で、でも…」
遊作はカウンターにしがみつきながらわらしを叱咤した。みすみす恋人を犠牲になどできない。何とか手はないのかと辺りを見回すが、手助けになるようなものは何もない。そうこうしているうちに、亡霊の手がわらしに触れそうになり…
カチッ
「!」
室内は唐突に明るくなった。
引き寄せられる力がなくなって、わらしが床に膝をつく。亡霊は消えた。 一体誰が照明のスイッチを入れたのかと周囲を確認すれば、カウンターの窓口から一人の男性が姿を現した。初老に差し掛かったあたりで、ウィリアムよりは若干若い。白髪の生えた頭からは苦労した様子が滲み出ていた。
「あんたは…」
遊作は男の面影から、すぐに誰なのか見当が付いた。
「………。ここまで……来てしまったのか、リチャード…」 「やはり、あんたはヘンリー…」 「…、え、ヘンリーさんがいるの? そこに?」
難しい顔をしている遊作の横で、わらしが立ちあがる。初めて目にした男を前にわらしは不思議そうな表情を浮かべたが、ヘンリーの方はわらしには見向きもしなかった。ただ遊作を見据えて、時折視線を逸らすように俯いたり頭を振ったりして戸惑いを表していた。何か伝えたいことがあるのかもしれない。
「…あの時、お前に手紙を送った時から私の心は揺れていた」 「……待て、そもそも俺はあんたの息子のリチャードではない。それは理解しているのか?」 「……。あの頃、あの少女に出会った頃の私はもういないのだ…」 「何を言って…」
遊作の質問に何故か数瞬躊躇った後、ヘンリーはくるりと踵を返した。二人に背中を見せ、静かにその場を後にする。
「赤い石…ウィリアム…私は何を求めて……」 「どこに行く! 待て…!」
飲食スペースから続く扉を開き、ヘンリーは出て行ってしまった。慌てて後を追う二人だったが、扉の向こうは暗い船員室前通路で、先程の亡霊に遭遇する危険を冒してまで進むことはできなかった。扉を閉じ、安全な船員用食堂の中で話し合う。
「今の…が、ヘンリーさん…だよね?」 「恐らく」 「歳を取ってたから少し分かりにくかったけど、面影が残ってたもんね。あの人が、あの時列車の中にいた…」 「あいつは…俺が自分の息子ではないと分かっているのかもしれない」 「え?」
遊作の唐突な推測に、わらしが目を丸くした。
「それってどういう…」 「さっき、同じことをヘンリー自身に質問した時、ヘンリーは何も答えなかった。が、あの態度を見る限り何も知らないという感じではなかった」 「じゃぁ、遊作くんがリチャードさんじゃないって分かった上で、この船に呼び寄せたってこと?」 「船に呼んだのがヘンリーだとまだ決まった訳じゃない。だが、何らかの事情を知っているのは確かだな」 「そうだったんだ…。じゃぁやっぱり、私たちが元の世界に戻る方法も、ヘンリーさんに会って話を聞くしかないよね」 「そういうことになるな」
言って、遊作はマップを開きこの先のことを確認した。
「俺たちはこれから船員室を回って、成仏し損なってるやつを全員成仏させてやらなければならない。他に行っていないのは、オーナー室と機関室。より下層にあるのは、機関室の方だな」 「ヘンリーさんは地下に来ちゃダメだって、前に言ってたよね。じゃぁ、この機関室を目指せばいいのかな」 「その前にウィリアムと対峙することになるだろうが…、概ねそういうことだろう」 「ウィリアムと、ヘンリーさん…。少しずつ、近づいてるんだよね…」
わらしも真剣な顔をして頷いた。
それから二人は船員用食堂を調べ、太陽のレリーフをマップに書き留めるとさらにその先に進むべく船員室前通路に続く扉を開いた。通路は狭いが部屋が四つある。扉をくぐってすぐ近くの照明用スイッチを入れるが、おかしなことに明かりはつかない。
「!」
また配電盤が故障しているのか、スイッチ自体が故障しているのか。ちょうど通路の見回りをしていた航海士の影に話しかけると、懐中電灯を手にした男はこんなことを言っていた。
『ここは魔物が出る…早く戻った方がいい…』
明かりのない暗い通路は亡霊にとって格好の狩場だろう。T字路の形をした通路は逃げ道もなく、追い詰めてしまえば思うがままだ。どこかの部屋に飛び込めば何とかなるかもしれないが。
「魔物って……さっきの幽霊だよね。赤いローブを着てた…」
わらしが確認するように問えば、遊作も「他にいなければそうだろうな」と返した。
「…あの人って、多分、古城にいた王様だよね? ウィリアムの先祖に殺されちゃった…」 「恐らくな。悪霊になる条件も揃ってる」 「それって、赤い石の所有者に殺されたから、ってこと?」 「あぁ。どうやらあの赤い石は人間の魂を取り込んで所有者に力を与える代物らしい。本に書いてあった」 「あ、それ。私まだ読んでないんだけど、結局何て書いてあったの?」 「赤い石が所有者の運命を変える力を持っている。その力は石に捧げた人間の魂の量に比例するが、与え過ぎてはいけないとあったな。青い石の方は赤い石の対極にあるというだけで、特に何か所有者に力を与えるという記述はなかった」 「良かった。それをずっと心配してたから……遊作くんに害がなければ良いんだ」 「大丈夫だ。それより、理由は分からないが赤い石と青い石を重ねるなと書いてあった。そっちの方が気になる…」 「一体どういうことだろうね…」
話し合いながら他の照明スイッチを見付けて入れてみるが、こちらも明かりが付くことはなかった。恐らくスイッチの故障ではなく、配電盤かその大元が駄目になっているのだろう。 とりあえずどこかの部屋に入って調べてみようということになって先程の船員とすれ違うと、彼は『あいつ…何してる……早く来てくれ……』と呟いていた。誰かを待っているのだろうか。
「幽霊が出るってわかってて巡回しないといけないなんて…私なら絶対にできないよ」 「誰だって嫌だろう。あれは」 「うん…。なんとかして照明を付けてあげられると良いんだけど。私たちの為にも」
言いながら、近くにあったシャワールームの扉を開いた。が、入って早々にあの王の亡霊が出て来た為、二人は慌ててドアを閉めた。どうやらここを根城にしているらしい。
「び、っくりした…」 「…あんな密室で遭遇したら厄介だぞ。逃げ場がない」 「で、でもスイッチだけは入れてきたから……電気さえ通れば…」 「その前に他で会いそうだけどな」 「う…」
言っているそばから今度は二人がいる通路に亡霊が現れ、先程とは違う部屋に飛び込んだのだった。
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