夏も終わりとうとう秋になったのだろうか。ふと見上げた空は見慣れた空よりずっとずっと高く見えて、思わず手を伸ばした。すると指の間から覗くうろこ雲。決めた、今晩は魚料理だ。
そうと決まれば使い古しの釣り道具を掴んで川へと向かった。そして今日はどこで釣ろうかなと、川に沿ってずっとずっと歩く。しかしここだという場所が見つからず、気がつけば森のだいぶ奥深くにいた。ああ、でもいい。今日はここで釣ってみようか。
見知らぬ場所だったけれど新鮮な空気だったのが気に入って、そこにバケツを置いて釣竿を握り直した。それから沢山釣れますように、と小さく呟くと餌をつけた釣り針を川へと投げ込んだ。
それなのに今日はついていなかったみたい。どれだけの時間が経とうとも糸はぴくりとも揺れず、あまりの暇さについその場にに腰かけてうとうととしてしまった。だけどそのとき、ふと知っている気がする甘い煙草の葉の匂いがした。
誰だろう、最近も嗅いだ気がした。煙草といえばとムーミンパパの顔が思い浮かぶ。だけどトレードマークのあのパイプから揺蕩う紫煙は、もう少し重くどっしりとした香りだった気がする。
誰がそこにいるのかな、と眠気を吹き飛ばして振り向いた。するとそこにすっと高い鼻に猫のような目をした、真っ赤な三角の帽子に深い色のポンチョを身につけている男がいる。そう、全く知らない顔だった。

「見かけない顔、お名前は?」
「全く釣れていないようだね」

だから思わずびっくりしながら訊ねたのに。その質問はすり抜けて行って消えてしまった。まあいいけど。どうでもよくなって、小さく頷くと彼は楽しそうに笑って懐からぴかぴかのりんごをひとつ取り出した。そしてそれをひと齧りして、少し離れたところに寝転がる。何を期待しているのかしら。振り向かずに話しかけた。

「見ていてもつまらないと思うの」
「ぼくがここにいたいからここにいるだけさ。気にせず続けるか、ここにいたくないのならすきなところに行くといい」

するとそんな答えが返ってきた。勝手なひと、それなら勝手にするわ、とそこに座り続けて魚を待ち続けることにした。だけどそれからはやっぱり釣れず、日が暮れる前にわたしは片付けをして立ち上がった。
少し離れたところには三角帽子を顔の上に乗せてうとうとと居眠りをする男。黙って帰るのも気が引けて、彼に近寄ると揺り起こして話しかけた。

「そろそろ暗くなる。泊まるところがないのならいいところを紹介する、そこの家の人たちときたらみんな気がいいからきっとあなたも気に入ると思うの」
「・・・もうそんな時間か」

すると彼は少しとろんとした目を擦って半身を起こした。そして結局空のままのバケツの中身をみるとわたしの瞳を見つめた。またあの甘い匂いが鼻をくすぐる。

「釣れないってのに、きみはずっとここで釣っていたんだなあ」
「魚を探していろいろ場所を変えたり追いかけるのって、わたしはあまり好きじゃないの。わたしが魚を食べるべき時ならきっと向こうから来るだろうし今日は多分食べたらよくないことが起こる日だったのよ、だから」

するとそれを聞いた男はなにやら満足そうに口角を上げてうんと伸びをするとゆっくりと立ち上がった。

「今日泊まる場所は自分で探すよ」
「そう、お気をつけて。またどこかで会えるかしら?」
「きみが変わらずにずっとこの谷にいるのなら、そうなるべきときにまた会えるかもね」

掴みどころのない人。小さく笑った。すると彼は踵を返して森の中へ消えていく。その背中を見て、ふとあの匂いの持ち主を思い出した。
あの人が、深い緑色をしたポンチョのポケットから取り出す小さな銀の缶。その中にはたっぷりと嗅ぎたばこの葉が詰まっている。そしていつもそれを右の手の甲の親指の付け根のあたりに乗せるから、彼の手が顔の近くを掠める度にあの甘い匂いがしていたのだ。

「・・・スナフキン」

ふと名前を呟いてしまった。そうか、同じ煙草やってるんだ。なぜだか無性に彼に会いたくなりながら、目を細めて男が消えていった方を見つめていた。

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