ふっとひとつため息をつく。
今日はなんだか、昼間からずっともやもやしていた。気晴らしにお気に入りの茶葉で紅茶を淹れてみたりもしてみたけれど、だいすきなはずの味はどこか霞んでいる。またひとつため息。そして紅茶からふと視線を逸らすとほとんど空っぽのバスケットが視界に飛び込んできた。
今日は森へベリーを摘みに行った。そこで見かけたのだ。並んで歩くスナフキンとアリサ。ふたりは友だちなのだから、駆け寄って声をかけるべきだった。でもそうしなかったのはなぜだか自分でも分からなかった。
少し呆然としてしまったあと、つい逃げ出すように踵を返してしまったのだ。
おかげで、バスケットの中身はほとんど空のまま。本来ならば今ごろ、オーブンから漂っているはずのベリーとバターの甘いパイの香りもなかった。 またため息。
ため息一度につき金貨1枚が貰えるなら、あっという間に億万長者に違いなかった。
そんな馬鹿げたことを考えながらすっかりとぬるくなった紅茶をポットからカップへ注ぐ。そのときだ、こんこんとノックの音が響いた。
慌てて立ち上がり、ドアのそばの姿見に駆け寄りくるりとひと回転。ひどく憂鬱そうな姿をしているだろう自覚はあった。でも周囲に迷惑をかけたくなかったので、鏡に向かってにっこりと笑って胸を張ってみせる。やや疲れた感じはあるが、まあ誤魔化せるだろうと思った。
そこでようやくはあいと返事をして、ドアを開ける。しかしそこでせっかく取り繕った笑みを失いそうになった。緑の山高帽とポンチョ。このムーミン谷の誰よりも深い緑色。スナフキンがいた。

「・・・あら、いらっしゃい」

ちょっとびっくりしたものの、すぐにまたにっこりと口角をあげて彼を招いた。出来ればいま会いたくなかったけれど、追い返したくもなかった。
そんな初めての気持ちとは裏腹に、スナフキンはやあ、といつも通りの挨拶。でも手には見慣れない小さなバスケット。
なんなんだろう、と思いながらも部屋のソファまで案内しつつ、放ったらかしにしていたバスケットをキッチンの戸棚の中へ隠して冷めた紅茶を入れ直すため挽いたコーヒー豆が入った缶を手にした。

「コーヒーでいいかしら」
「うん、ありがとう」

その返事を聞いて、ポットに水とコーヒーをいれて火にかける。
コーヒーはほとんど飲まないので、この地に越してくるまで淹れ方なんて知らなかった。むかし、ムーミンママにコーヒーの淹れ方を教えてと頼んだきっかけはなんだったっけ。カップをソーサーの上に置きながらぼんやりとむかしを思い返した。

「レディ」

しかしふと名前を呼ばれて振り返る。ソファに座ってもらっていたはずのスナフキンがそこに立っていた。
どうしたの?と小首を傾げれば彼は持っていた小さなバスケットを差し出す。

「昼間、森で偶然出会ったアリサがおいしいベリーのたくさんなっている場所を教えてくれたんだ。ぼくは使わないけど、きみは喜ぶかと思って摘んできた」

そのバスケットを受け取ると胸いっぱいにベリーの甘酸っぱい香りが溢れる。今日嗅ぎそこねたはずの香り。わざわざ摘んできてくれたんだ。そう思うと、現金だけど自然にこころが浮かんでしまった。

「そうなの、ありがとう。スナフキン」

思っていたより明るい声が出て自分でも驚く。なんなんだろう、本当に。自分の心なのになんだかさっぱり読めなかった。
でもさっきよりは自然に笑えている自分に安心する。

「明日、午後のお茶の時間に間に合うようにパイを焼くわ。一緒に食べましょう」
「ありがとう、じゃあまた明日もお邪魔させてもらうよ」

浮いた気持ちのまま、そう提案すればスナフキンは微笑んで了承してくれた。
それからわたしたちは、並んでソファに座っていろんな話をしながらゆっくりとコーヒーを飲んだ。そのときふと、思い出した。普段ろくに飲みもしないコーヒーをおいしく淹れたいと思ったのは、コーヒー好きの彼とこんな時間を過ごしたいと思ったからなのだ。
ようやく手に入れた心地よい時間を、わたしは心から堪能するのだった。

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