Dependent 1/2
※自傷行為表現あり、常に暗い、手籠め表現あり



自分のことを不幸だなんて思っていない。そんなこと思ったって自分が卑屈になるだけだと中学生の時に気づいたからだ。
父親がDVばかりで、弟は反抗ばかりで、母が家から出て行ったとしても、不幸だとは思わない。思ったら負けなのだ。

母との記憶はもう薄れていっている。確か小学低学年のころに父さんの暴力に耐えられなくなり、茉優たち子供を置いて出て行ってしまった。その時から父さんの標的は子供たちに変わり、茉優は弟を守るために頑張っていた。頑張っていたと言っても、特にすることはないのだが。弟である左近は、幼いころは泣きつきながら茉優の後ろに隠れていたが、中学生になってから荒れ始めた。窃盗、喧嘩、など様々だ。そのころから父さんも家に帰ってこなくなった。

茉優が高校2年生の今、左近は高校1年生だ。学校には不定期で通っているのに左近は頭がよく、茉優と同じ高校に入るのも大したことはなかったらしい。中学で左近と同じ学校のとき散々な目にあったから、高校ではやめてほしいと思っていたが何故か左近は同じ高校に入学してきた。だけどあまり学校には来ていないようだ。
左近のことが嫌いなわけではない。少なくとも小学生の間はいつも一緒にいたし、左近が頼れるのは自分しかいないのだと思っていた。だから頑張って生きてきたのだ。だけど左近は、そんなことなかったらしい。向こうが離れていったのだから無理して追いかける必要もない。と、思う。本当に大事な弟なのだけど。

だから、茉優は一人だ。家族も、友達もいない。こんなにめんどくさい家庭を持つ茉優に友達などいるはずもなかった。友達との付き合い方もわからないので、茉優はそれでよかった。
よかったはずだったのだが、最近になって気になる男子が現れた。気になるといっても、きっとこれは恋愛感情ではない。あちらが気にかけてくれるから、こちらも気になっているだけだ。
その男子の名は、石田三成といって、成績優秀、容姿端麗という怖いほどにできた人間だ。少し性格に難があると思うが、何故か茉優を気にかけてくれる。最初は島左近の姉、という印象だったと思うのだが、最近は島茉優として見てくれているのだ。それが怖くて、うれしくてたまらない。


教室の隅の席で本を読み時間をつぶす茉優に気づくと、石田君はいつも寄ってくる。いつもと変わらぬ仏頂面で、だけど目は輝いていて、自分の濁っている目とは違う。たまらなく羨ましくなる。
そして、覗き込んでこう言うのだ。
『何の本を読んでいる?』
毎回その言葉から会話が始まるので、なんだかおもしろくて笑ってしまった。笑った茉優を見て、石田君は顔をしかめる。ごめんなさい、と謝れば、謝ってほしいわけじゃないと言われた。これもいつものことだ。

「今日は、死んだロックスターの伝記」
「貴様はそういうものが好きだな。暗く、気鬱だ」

悲しそうな顔でそんなことを言うので、また面白く感じてしまう。

「そうだね。うん、好きかもしれない」

そう言えば今度は嬉しそうになった。
石田君の表情は微々たる変化なので、ちゃんと見ないとわからないことが多い。怒ってる、と思えば喜んでたりするし。でもその変化もわかるようになってきたということはそれなりに一緒にいるということだ。少しうれしいかもしれない。

「ああ、そういえば、これ…」

手に持っていた(持っていたことに気づかなかったが)、この前貸した本を差し出される。ああ、と受け取り、面白かった?と聞いた。石田君はすぐに頷いてくれる。

「とても面白かった。島は、私の知らぬ書物をたくさん知っているな」
「まあ、本読むしかすることないし…今度また違うの貸すね」

こうやって繋ぎ留めておくのだ。実に幼稚で、実に脆い関係の糸。いつ断ち切られてしまうかわからないから、茉優は次の約束をする。すると石田君は、少し微笑んで頷く。なんて綺麗でなんて残忍なひとなのだろう。茉優は胸が苦しくなった。




家に帰ってもやることはない。食べて、風呂に入って、眠る。その間に本を読むか、ぐらいだ。家に誰もいないので会話をすることもない。
茉優は自室のベッドに倒れこんだ。そして、石田君との会話を思い出した。
前までは弟である左近が生きる意味だったが、今は石田君がいるから生きているようなところもある。こんなこと、石田君が知ったら気持ち悪がられるだろうけど。
自分のために生きるなんてできっこないから、誰かにすがって生きていくしかないのだ。すがる人物がクラスメイトの男子だなんて笑えてしまう。まあ、気づかれなければ問題はないから、大丈夫だ。

微睡の中、玄関が開く音で目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。
誰だろう、と体を起こす。たぶん左近だ。でも顔を合わせるのは気まずいので茉優は毛布を被ってもう一度目を閉じた。きっと左近も自分の部屋にこもるのだろうと思っていたのだが、自分の部屋のドアが開く音がして茉優また起き上がった。お金か、と気づいた時には、部屋の前に左近が立っている。
久しぶりに見た。何週間ぶりだろう。少し髪が伸びている。睨むように見られるが、目は合わない。左近がこちらをちゃんと見てくれないからだ。

「お金、リビングの棚に入ってる」
「…あ、そ」

返事とも言えない返事を返され、そのままリビングに行ってしまった。本当に会話なんてこのくらいだ。お金の要求だけ。お金は出て行った母が銀行に毎月何十万か振り込んでくれるのでそれでやりくりしている。左近はそのお金を使ったり、きっと女の子にもらったりしている。顔とスタイルはとてもいいので大勢の女の子が左近を好きなんだろう。
茉優は部屋のドアを見つめて、また毛布にくるまった。








毎週同じ繰り返しで過ごしているが、死ぬ勇気もないためこの日常から抜け出すことはできない。いつも醜い自分の心と葛藤して生きているのだ。夕日がさす教室には茉優以外の人間の影はない。一人は好きだが、暗い気持ちになってしまう。それもいつものことだから、慣れたけど。
窓の外の景色を眺めて、奥に続いている空に想いを馳せる。あの空の向こうに行けたら、自由になれるかもしれない。そして、俯けばコンクリートの地面。あそこに落ちれば、今まで馬鹿にしてきたやつを見返して消えることができるのかも。
どちらも、茉優にはできないのだが。いつか死ぬのだからまだ死ななくてもいいだろう。左近も、心配だし。自分が死んだら左近はどうするのだろう。泣いてくれるだろうか。そのあとどう生きるのだろうか。そこが不安だ、だから死ねないというのもある。…それも言い訳だけど。

「島」

後ろから呼ばれ驚きつつも振り向くと、目を見開いて教室の出口に立っている石田君がいた。なんであんなに驚いてるんだろう。怖くなったのでできるだけ明るく、声を出す。

「どうしたの?」

石田君は目をそらして、こちらを見た。そしてゆっくり向かってくる。横に並んで、窓の景色を見始めたので茉優は石田君の綺麗な横顔を見つめる。思いつめたような顔をして、夕日を浴びている石田君は何を考えているのかわからない。

「島、」

また名前を呼ばれ、少し緊張しながら返事をした。石田君の声色だけでは何を考えているのか全く読めないのだ。
ふと、右腕に触れられ、触れる左手がゆっくり移動して指先を触られた。冷たい体温にどきりとして、それだけじゃないと気づく。石田君に触られているから胸が高鳴っている。

「…措いて行くな」

震えるような声が、石田君の口から出た。意味が分からなくて、でももう少し深く考えればわかってしまいそうで、怖い。返事ができずに俯いてしまう。こんな綺麗な人に、なんてことを言わせてしまうのだろう。これ以上聞いていられなくて、でも何も言えない。

「私は…」
「うん、おいていかない…」
「…そうか」

石田君の言葉を遮り返事をすると、石田君は悲しそうに目線を落とした。彼が悲しいとすごく胸が痛むが、仕方ないのだ。これ以上聞いたら耐えられなくなる。もっと、死にたくなる。
すべて彼のせいにするのはいけないことだし、自分が卑しくて嫌いだけど、自分の心をまもるためにはそうする以上ないのだ。近くにいたいのに、近くにいたら自分が耐えられない。
なんて、自分勝手で馬鹿なんだろうか。この触れている指を離したら一生会えない気がするのに。








その日もご飯を作るのが面倒でコンビニで弁当を買って帰ってきた。テレビを見る気も起きず、静かなリビングでテーブルに弁当を広げて味のしない野菜を食べる。
一人で食事をするようになって、あまり味がわからなくなった。料理を作るのだって元々は好きだったのに、美味しいと言ってくれる人間がいなくては作る気力もなくなる。

ふと、幼いころの屈託のない左近の笑顔を思い出して、ゆるく頭を横に振った。
あの頃の左近はもういないのだ。親の暴力におびえながらも、必死で茉優についてきた左近は。茉優が殴られて血が出れば、左近は静かに泣いてその血をぬぐった(泣きわめけば父親がまだ怒るので声をあげて泣けなかった)。家の中に家庭があるはずなのに、それがないこの家で左近はいつもにこにこしながら茉優の隣にいた。お姉ちゃん、と舌足らずな声で読んで笑っていた。
弟という存在がとても大切で、大事だった。大好きだったのだ。だが今は無効に拒否されてしまったし、こちらも是が非でもそれを貫き通せる強い心はない。

玄関の扉が開く音にハッとして、また頭を緩く振った。こんな早い時間に左近が帰ってくるなんてめずらしいな、と顔をあげると廊下には左近の姿はなく、久方ぶりに見た父さんがいた。背中に戦慄が走り、固まる。父さんは笑っていて、その笑顔にまた恐怖を感じた。
前に会った時よりずいぶん太っていて、きっと酒の飲みすぎで腹も出ているし肌もすごい荒れている。そして今でさえ顔が赤く、寸前まで酒を飲んでいたのだろうと簡単に予想がついた。
茉優は顔を引きつらせながら笑って、立ち上がる。様子を見て部屋に行こうと思ったのだ。

「お父さん、ひさしぶり…だね、」

返事は返ってこず、荒い鼻息が聞こえるだけだった。逃げなきゃ、殴られる、逃げなきゃ、わかっているのに体が動かない。なのに父さんはこっちに来ていて、もう目の前にいた。そして腕を掴まれる。殴られる、と思ったのだが拳はおりてこず、思わず閉じた目を開けた。

「見ない間に、大人になったなあ、かわいいなあ」

暴力じゃない、と気づいた時にはもう遅く、服の中に入ってきた手が胸やらなにやらをまさぐっていた。ボタンを破られ、口を舐められ口の中に舌が入ってきた。気持ち悪くて、寒気がする。抵抗をしても殴られるかもしれないという恐怖でうまく抵抗できない。父さんの自分を見る目がおずましげで動けなくなる。
水風船を思い切り投げて割れた時のような大きな音が、耳元でした。一発頬を殴られて、もう完璧に動けなくなったのだ。恐怖が体を支配して、何もできなくなる。殴られた反動で床に転がり、体の上に乗られた。もうあきらめよう、別に何も問題はないんだ、そんなことを思っていた。
また、玄関が開く音がした。父さんは気づいてないようだ。左近だと思うけど、この状況を見ても助けてくれないだろう。それに見られるのがすごく恥ずかしくて、羞恥心でどうにかなりそうだ。
だが、歩いてきた左近は襲われている茉優を見て目を見開いて驚き、すぐにこちらに駆け寄ってきた。そのまま父さんを蹴り上げ、罵声を浴びせながら腹を蹴っている。胸ぐらをつかみ、顔を何度も殴っている。痛そうだ、痛そう…あんなに暴力ができる子だったっけ、左近は。呆然としながら起き上がり左近の名前を呼ぶと、左近はこっちを見て泣きそうな顔をしながらもう一発父さんの顔を殴った。

「出てけ!!!二度とこの家にくんな!!」

父さんに向かってそう叫ぶと、顔を血で真っ赤にした父さんはよろよろとしながら家を出て行った。
左近もよろよろと立ち上がって、きょろきょろとあたりを見渡している。何かを探しているのかと思ったが、こちらに来るかどうか悩んでいるようだ。大丈夫だ、と言おうとしたら体がよろけた。左近はハッとしてこちらに来て支えてくれた。大きな手が優しくてうれしくて涙が出てくる。

「な、なんで泣いて…どこか痛いのかよ」
「ううん、ごめんね、左近、ごめんなさい…」

これ以上恥ずかしい姿を左近に見られたくなくて涙をぬぐって立ち上がろうとすると、左近が茉優を抱きかかえて立ち上がった。思わず悲鳴を上げて左近のシャツを掴む。驚いている茉優を気にも留めず、左近は茉優の部屋に向かった。

ベッドに寝かせて、破れた服の上からTシャツを着せ、左近はリビングに行ってしまった。と思ったら、湿布をもって戻ってきて、それを殴られた頬に貼ってくれた。いつの間にか涙も止まっていて驚いた顔で左近を見つめると、左近はごみを握って何かを言いよどんだ後、口をつぐんだ。

「左近…、」
「大人しく寝てろよ、俺ももう寝るから…、…」

そう言って立ち上がり、そそくさと部屋を出て行ってしまった。いつもは部屋のドアを閉めずに出ていくのに、今日は(少し乱暴だが)ドアも閉めて出て行った。
あの左近が、助けてくれて、手当までしてくれて…。
茉優は扉を見つめ左近の姿を思い出して、笑みをこぼした。左近に嫌われていないかもしれない。その事実がどうしてもうれしくておかしくてたまらない。ベッドに寝っ転がり、毛布を抱きしめた。
父さんから守ってくれた、あの左近が。今まで思ってきたことが覆された。やっぱり、なにがあっても、弟なのだ。大事な、弟なのだ。




頬の腫れた傷はどうにもすることができず、名残惜しいが左近が貼ってくれた湿布をはがし新しいものを貼った。
朝起きても左近は居なく、もうどこかに行ってしまったのだろう。寂しさと、昨日のうれしさ半分といったところで家を出て、学校に向かった。
校門のところでだるそうに歩いてる生徒の中にとびぬけて背の高い石田君を見つけた。声をかけようか悩んでいたとき、石田君がこちらに気づいた。そして目を丸くして、駆け寄ってくる。その勢いのまま腕を掴まれ、頬に触れられた。

「怪我を、しているではないか」
「あ、ああ…昨日ぶつけちゃって」

それでそんなに慌ててるのか、いや石田君が慌てる必要は全くないのだが。誤魔化してみるが、石田君は表情を険しくして腕を握る手に力を込めた。

「そんなところどうやって怪我をするのだ。誰にやられた、教えろ。島」
「えっと…大丈夫だよ、石田君」

すごい剣幕でそんなことを言うものだから思わず身を引いてしまう。なんでこんなに他人のことで怒れるのだろうか。茉優には理解できなかった。
石田君は眼を巡らせて、また茉優の目を見つめた。悲しそうだけど、それよりも怒りのほうが勝っている表情をしている。大丈夫なのに。…根拠はないけど。
そのとき、後ろから肩を掴まれた。振り向くと私服姿の左近がいるではないか。
左近は驚いている茉優には見向きもせず、石田君を見つめている。茉優が声をかける前に、左近が石田君に口を開いた。

「アンタにさぁ、教えたところで、どうにかできんの? できないじゃん。そういうのって困らせるだけっしょ」
「さ、左近…」
「貴様には関係ない。できるという問題ではなくやらねばならぬのだ。逃げている人間に指図されるほど私も馬鹿ではない」
「石田君、」

周りの目が痛くなってきた。わざわざ石田君にそんなことを言う必要があるだろうか。こんなことを言うためにわざわざ学校に来たのだろうか。まさに一触即発といった感じで睨み合う二人の間にいる茉優はどうすればいいのかわからなかった。

「そうやって詰め寄ってなにがあるわけ? 困ってることにすら気づかないなんて相当馬鹿だよね」
「逃げるより詰め寄るほうが余程ましだろう。私に指図するな」
「いや、指図じゃなくて。困ってることに気づかないの?って言ってるだけ。勘違いも甚だしくね」
「困っているのなら慄き、離れていくはずだ。島は個人の人間として向き合ってくれているのだ、邪魔をするな」

なんでどちらも気が強く口も回るのだろう。そして左近が茉優のことを援護していることにも驚く。前の左近はこんなこと言わなかった。
左近の変化に驚きつつも感動して、このままでは授業に遅れることに気づく。石田君に掴まれてる腕を引っ張り、目を合わせると気まずそうに目をそらされた。

「授業おくれちゃうから、いかないと…左近も、えっと、」
「俺、たまたま見かけただけだから。別にわざわざ来たわけじゃねーから。帰る」
「あ、そう…気を付けてね」

くるっと方向転換をして目も合わせずに学校を出て行ってしまった左近の後姿を見つめていると、掴まれた腕から引き寄せられて体がくっつく寸前のところで静止した。石田君の顔が近くに、本当にすぐそこにあって、動悸の音がおかしい。瞬きを何度もしても、石田君の綺麗な顔がそこにある。

「…見苦しいところを見せてしまった」
「いや、ごめんね、ありがとう。石田君は…やさしいね」

誤魔化すために言ったことではあるが、これは心から思っていることだ。石田君は他人に対して優しすぎる。だが石田君はそんなことないとでも言いたげに、首を振った。その驕りが茉優の心を蝕んでいくとも知らずに。








石田君は見た目に反してずいぶんと可愛らしい性格をしていると思う。例えば、こうやって上目遣いでデートのお誘いをしてくるところだとか。
茉優はわざとらしく悩むそぶりを見せた。そのたびに石田君は、不安そうに唇を震わす。

「行きたいところ? 特にないけど…」
「どこでもいいんだ、どこでも…」

そうやってまた、気のあるふりをするんだ。
きっと石田君だって茉優の心を見たら離れていくのに。石田君は優しいからこんなわたしにも構ってくれる。茉優は心からおかしく思えて、腹を抱えて笑いたくなった。たまにあるのだ、こんなにわたしの心は汚いんだよ、とさらけ出したくなる時が。
茉優は大笑いしたくなるのを誤魔化すように微笑んで、考えるそぶりをした。行きたいところなんてない、けど。

「じゃあ、あれがいいかな、ブックカフェ」
「ブックカフェ? そこでいいのか。わかった」
「待って、急にどうしたの?」

言葉にしてくれないとわからないのだ。言葉でさえ信じられないというのに…。
うまく言葉にできないのか、石田君は目線をさまよわせながら俯いた。

「土曜…一緒に…そこに行ってくれないか」

頷かないわけがないのだ。そんなに顔を真っ赤にして、恥ずかしそうな石田君の誘いに。茉優は笑いながら頷いた。うまく笑えてるか不安だった。




そして当日家にある洋服とメーク道具をかき集め、なんとか見れる格好になった。鏡の前で何回も髪を整えたり、メークを直したり何十分もたたかった。これでいいのかどうか全くわからないけど、しょうがない。
洗面所からリビングに戻り、めずらしく家にいる左近の隣に置いてある鞄を取った。着飾った姿を左近に見られるのが恥ずかしいので、さっさと家を出ようと思ったのだが、左近が腕をつかんできたので動けなくなった。動けなくなるどころか、バランスを崩して左近にもたれ掛かってしまう。

「ご、ごめん左近、」
「どっか行くの?」

腕を引っ張られ、顔がますます近くなる。左近からはいいにおいがして、それに気がとられて頭が回らない。しかも何故だか責められているような言い方でますます口が動かない。

「聞いてんの?」
「カフェに行くの」
「誰と?」
「石田君……」

左近は、石田君の名前を出した途端に顔をゆがませた。

「あ、そ…、じゃあね」

ぼそぼそと口を動かし、腕を離した。茉優は身を引いて、左近を少し見つめたが左近は顔を逸らしたままこちらを見ないので、おずおずとその場を後にした。
興味のない姉でもどこに出かけるかぐらいは気になるのだろうか。




駅で待ち合わせなんて不安で仕方ない。けど、駅前のオブジェで完璧なスタイルを全く隠さず佇む石田君を見てしまえば、そんな心配なんてどうでもよくなる。
数分、どうにも石田君が綺麗で動けなくなり駅出口から見つめてしまった。駅を歩く人に体が当たって我に返り、意味のない深呼吸をしてから石田君のほうへ歩いた。グレーのニットコートの中にホワイトシャツ、紺のウィンドペンテーとパードシャツにキャンバスシューズ、といったコーデを着こなせるのは石田君しかいないのではないだろうか…と考えながらゆっくり歩く。
なんて声をかけようと歩きながら考えていると、不意に石田君が顔をあげ目があった。お互い驚き、お互い黙る。近くまで寄って、会釈をすると頷かれた。そのまま俯いてしまうので、やっぱりこの服装はダサいのだろうか(格好は、ホワイトのプリーツスカート、グレーのニットT、真っ赤なパンプスだ)とか、具合でも悪いのだろうか、とか意味の分からないことばかり考えてしまう。
何をしたらいいのかわからず、目線をきょろきょろとさせていると石田君がゆっくり顔を上げた。顔を覗き込み、いつも白い肌が真っ赤なことに驚く。

「大丈夫…?」
「あ、ああ、大丈夫だ。」

日差しにあたりすぎたのだろうかと本気で心配したのだが、目をそらされたままなので、ずっと心配されるのもうざったいかと心配するのをやめた。内心はとっても心配なのだが。だって普段あまり外に出なさそうだし、だからあんなに肌が青白いのだろうし。
じゃあ行くか、と石田君が小さくつぶやき、頷いて共に歩き始める。石田君は足が長いから一歩一歩がとてもはやいのだが、この日は鈍くさい茉優に合わせて歩いてくれた。ありがとうと言うとすごい勢いで首を振られ、なんだか犬みたいだなと思った。

カフェに行く前に、入院している友人の見舞い品を買いたいと石田君が言うので、何を買うの?と聞いたところ、その友人はもう入院を何回も繰り返していて、だから花はもういらないだろうが何を持って行けばいいのか分からない、と言われた。少し思案して、花がだめなら本はどうだろう、長期入院なのだったら暇だろうし、勤勉にもつながる、と言ってみたら、「本当に本が好きだな」と呆れられたような気がした。
このあとブックカフェに行くというのを忘れていたのだ。




本の良さとは、心と時間の調整になることだと茉優は思っている。
人生に必要になる知識を与えてくれることもあるし、人間の感情や心というよくわからないものを事細かに書いてくれるから尚のこと受け入れることが容易い。
心の整理もしてくれる。壮大な物語を読めば自分がちっぽけに思えてどうでもよくなるし、悲劇を読めば同情ができる。そして、それと比例して時間も調整できるのだ。
とても便利なものだ。自分でも自分の心は荒れていると思うし、そういう部分を考慮しても本はやはり大事なものなのだ。
だが…今だけは本に集中できない。だって、石田君が目の前、ほんとにすぐそこにいて、その石田君が本を読んでいる。そしてたまに本から顔を上げて目が合うのだ。

石田君の友人の見舞い品は、カフカの『短篇集』とプルーストの『失われた時を求めて』になった。現代のお伽噺と言われるカフカの短篇集は読みやすいし、プルーストの『失われた時を求めて』は岩波版のほうを購入していたが、茉優もそちらのほうが時間をかけてプルーストの素敵なみずみずしい世界が読めると思っていたので賛成だった(そして石田君は全巻一気に買っていた)。
本を購入した後ブックカフェに行ったのだが、木と本に囲まれた店内がとても素敵で今度個人的にもう一度ここに来ようと決めた。それは素敵だったからという理由もあるが、石田くんと二人でいるから落ち着いてここにいることができないのもある。
ただでさえ接点が少なくて、ここに一緒にいられることさえ奇跡のようなものなのに、こんな至近距離にいたら本に集中できるはずがない。顔を見られたくないので、本で顔を隠して読み進めているのだがきっとその姿もかなり滑稽で、それを思うと自分が哀れに思う。
どうしても石田君が気になって本から顔を覗かせて見れば、石田君が顔を上げて目があった。そして、面白おかしそうに微笑むので、胸が痛くなって泣きたくなって、顔を慌てて本で隠したのだが、何を考えたのか石田君はその本を取ってしまったのだ。それはさながら悪人に捕らえられたかわいそうな本を救う神のようで、でも実際茉優は顔を隠すものを取られたわけで、頭が混乱した。

「貴志祐介、青の炎か」

表紙を見て、中身を飛ばして読んでまた微笑んでいる。

「うん…最後のシーンが印象的だよね」
「トラックに飛び込むシーンか。そうだな…自殺でしめるとは」

これといった特徴のない主人公が憎き父親を殺すために思考錯誤する物語なのだが、その主人公は最終的に警察に捕まることを恐れ自殺する。最後にその現実が突き付けられた時は驚いたものだ。

「推理小説を嗜むのか」
「たしなっ…嗜むって程じゃないけど。読むだけだよ」
「大体の人間はそうだ」

満足したのか、本を返して石田君はコーヒーを飲んだ。本を受け取ったまま石田君の手元を見ていたが、白いカップが石田君の肌と遜色なくてショックを受ける。カップをソーサーに置く動作までも上品で、ますます自分は何でこの人とこんなところにいるのだろうと思った。




時間がたつのは早いものでカフェを出たらもう8時を過ぎていた。駅の腰掛に座り、流れる人と夜景を見ながら今日のお礼を言った。

「今日、ありがとう。すごく楽しかったよ」
「私もだ。……」

頷きながら、お金いつ返そうと考える。すると手を握られ名前を呼ばれたので、不思議に思い横を見ると、首を支えられ唇を重ねられた。
時が止まったように茉優は動けなくなり、握っている手も震えた。石田君って薄そうな唇してるのにこんなに柔らかいんだとか、人の口ってこんなにあったかいんだとかいろいろ頭を巡って、ゆっくりと唇が離れた時にはお互い無言で見つめあった。いつも鋭い石田君の瞳は潤ってキラキラしている。都会の光も相まってとても綺麗だ。
悲しそうに眉をひそませて、だけどこういう時に限って目をそらさない。首を支えてた手がもう片方の空いた手も握って、石田君が口を開いた。

「わかって、くれたか」
「………え…」
「まだ言葉にしないと、わからないか」

その言葉が、なぜだかわからないけど胸に刺さった。見透かされていたのかという気持ちだろうか。だがそれより、どういうことだろう。これ以上考えたら答えがわかってしまう。だめなのに、言葉にしないからこの関係は続けていけるのに。
茉優は目をそらして、今すぐにでも逃げ出したかったがそれだけはできず、震える手をなんとかおさえることしかできなかった。
なんて答えればいいの? わからないって言えばきっと石田君は答えを口にする。わかったと言えば、答えに気づいたことになる。なんて、答えれば。

「気づいていないふりはもうやめてくれ。本心で話してほしい」

ますます口を開けなくなる。本心なんて石田君にも誰にも言えるわけないのに。なのに今ここで言えって目の前の人は言うのだ。茉優はこれから投身自殺でもするのかというくらい心臓がうるさいことにイライラしていた。

「本心、なんてそんなこと言われてもわからない、嘘はついていないし…」
「建前と本心は違うだろう。」
「建前なんかじゃ、……。」

言い返せなくなり茉優は黙り込んだ。確かに建前だ。そんなことまで石田君に見透かされていたのか。でも、だって仕方ないことだ。こんなわたしといたら石田君は離れていく。なら初めから近くにいないほうがいいのだ。そんなことわかってるのに。
地面と石田君の靴が擦れる音で我に返った。石田君はまたこちらに近づいてきていた。なんでわたしなんだろう、今この状況でも思う。

「いいんだ、別に、想いが通じ合うとかそういうのは。ただ本心が知りたいだけで…」
「見せられ、ないよ…そんな、簡単に…言わないで」

石田君はいつも本音で、いつも正直で、いつも嘘をつかない人間だけど、茉優はそうはいかない。いつも嘘ばかりで、いつも何かに後ろめたさを感じていて、いつも心苦しさを感じている。だからこそ石田君にはわからないだろう。茉優の気持ちなど。
握られた手を握り返して、目を見て微笑む。石田君は悲しげに息を吐いた。

「ごめんね。わかって、ほしいな、…だめだって」
「なにが、っ…私は貴様のことが…!」

慌てて手をはなして、立ち上がる。これ以上石田君に言わせないために。口をつぐみ、忌々し気に、だがうら悲し気に茉優を見上げる石田君を見て、また微笑む。

「今日は楽しかった…ありがとう、またね」
「島………」

そんな風に名前を呼ばれても駄目だ。これ以上は本当に駄目なのだ。
茉優は足早にその場を駆けて、駅構内に入った。そして、柱の陰に隠れて深呼吸をする。そういえば今朝もこうやって深呼吸をしたっけ、時間がたつのは早いなあと思ってみる。
すぐそこにいる石田君のことを思えば、耐え切れずに泣いてしまいそうだから考えないように必死に顔を手で覆う。さっさと家に帰って泣こう。左近もいないだろうし。
茉優は鼻をすすって、歩き始めた。




家に帰っても案の定左近はいなくて、茉優は部屋に直行してベッドに頭を埋めた。唸り声が出るぐらい顔を毛布に押し付けて、何分も経たないうちに涙が毛布に滲み始める。
悲しい、誰にもわからない、この気持ちは。一緒にいたいのに、一緒にいたら自分が惨めすぎて嫌になる。自分のせいなのに、今日石田君のせいにして逃げた。ほら、また醜いことをしている。なんで自分はこうなんだろう。
石田君はきっと優しくしてくれる茉優が好きなのだ。そんなことわかっているし、好きだなんて言われたら石田君から離れられなくなるに決まってる。それを石田君はわかっていない。わかってほしくないけど。
ああ、来週からどうやって石田君と顔を合わせればいいの。もういっそ消えてしまいたい。死んで、らくになりたい。死んだって誰かが悲しむわけじゃない。このまま自分が苦しいのは嫌だ。

茉優は、震える足を無理やり立たせて、棚の中をあさった。他のものが床に落っこちて散らばっているがどうでもいい。目当てのものを見つけ、またベッドに戻った。
剃刀を握り、左手首に当てる。切る前は、怖くてやめたくて仕方ないけど、切ってしまえばなんてことはないのだ。ゆっくりスライドさせて、肉を切った。じわじわと痛みが腕に広がって、血が流れる。いっぱい切れば死ねる...。茉優は何度も何度も腕を切った。涙と共にぼたぼたと血も毛布に垂れ、滲みていく。
ごめんなさい、と誰に言うでもなく謝って、泣きじゃくった。
玄関の音など気づくはずもないのだ。嗚咽を漏らして泣いてる茉優に、帰ってきた左近は気づいたようだけど。
息をのむ声が後ろで聞こえて、バタバタとこちらに何かが駆け寄ってきた。腕を掴まれ、剃刀も取られる。混乱しながら顔を上げると、浅い息を何度も繰り返している左近がいた。左近も混乱しているように思える。

「返して、左近……」

止まらない涙を放っておいて、剃刀に腕を伸ばせば左近は震えるように首を振って剃刀を遠くに投げ捨てた。それを追いかけようとすれば、左近が茉優の胸ぐらをつかんだ。

「な、なに、なにして、血が、腕…」

まとまらない言葉が左近の口から出る。血なんて見飽きてるはずなのになんでそんなに恐怖することがあるんだろう。
胸ぐらをつかむ力も弱くて、振り払えば剃刀を取りに行けるのに左近が絶望した顔で目の前にいるからそれもできなかった。

「なんで、左近が怖がってんの」
「誰に…なんで? なんで……意味わかんねえよ」

意味が分からないのはこっちなのだが、左近がぼろぼろと涙を流し始めたので口に出せなかった。左近の涙を手で拭って、頭をなでる。ハッとしたように左近は呼吸を止めて、また浅く呼吸をし始めた。

「やめて……死なないで、死なないでよ…、」
「左近………?」
「死んだら、どうすればいいの俺…、俺は、」

鼻を赤くして泣きじゃくる左近は、小さいころと全く変わらない。変わってない。小さい頃もこうやって鼻を赤くして表情をゆがませて泣いていた。今目の前でそうやって左近が泣いている。どうしよう。いつもどうやって泣き止ませていたっけ。
腕がじんじんと痛かったはずなのに、そんなことより左近が泣きじゃくっているほうが大事で、茉優は左近を抱きしめた。確かこうやって泣き止ませていた。大丈夫、大丈夫だよ、って。

「大丈夫だよ、左近…」

口から出た言葉に、腕の中にいる左近は大きく震えて、胸ぐらから手をはなして背中に腕を回した。弱弱しく抱きしめ返されてどうしようもない愛情があふれる。こんなに弱い存在だったんだ、左近は。
背中をぽんぽんと撫でて大丈夫、大丈夫、とまるで自己暗示のように口に出せば、左近は深く息を吐いた。それが胸元のシャツにかかって、生暖かい。

「お姉ちゃん……、」

弱弱しい声を聞いた瞬間に、その言葉が聞きたかったんだと今気づいた。何年間も気づかなかったがようやく気付いた。左近の口から出るその言葉が、聞きたかった。
緩んだ涙腺がまた涙を流し始めて、茉優も泣きじゃくる。
左近がいればいい。左近がこうやって理解してくれるから。左近だけなんだ。
このまま二人だけになればいいのに、とぐちゃぐちゃの頭の中でそう思った。




- - - - - - - - - -

(石田お前出すぎじゃねーの?という疑問は置いておいてください...。そして石田と島を喧嘩させてすみませんでした。仲のいい石田主従がわたしは大好きです!)
(続きます)


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