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割れた運命の果実


あの日は、やさしすぎるほどの好晴だった。

目が覚めて、前後の記憶がよく分からない私をシロウさんが笑顔で迎えてくれて。手慣れた手つきで林檎を剥きながら、ずっと傍で待っていてくれた。


「―――…私、死ぬんです、か?」
「ええ。このまま、何もしなければ」

大事な話しがあると、目覚めた私にシロウさんが言って聞かせてくれた言葉は。緊迫さを感じさせないほど穏やかな口調に反し、恐ろしい宣告だった。

薄々とだが、そんな気はしていた。
きっと私は先が長くないだろうと。何かが止まってしまった体と、着実に常人よりも早い速度で死へと衰退していっている感覚が、否応なしに自覚させてくれた。

出来ることなら。
ほんの一時、許される間だけでも。シロウさんの傍にいられればと淡い願いを持っていたけれど。その宣告は、ここしばらく浮足立っていた胸を凪ぐには十分だった。
もう。ここらが、潮時なのだろう。

冷静に伝えてくれたシロウさんの様子に胸がずきりと痛みながらも、努めて明るく振る舞う。

「今まで、ありがとうございました」
「…改まって、どうされたんですか」

しゃりしゃりと、軽快な音と共に林檎の身がむき出しになっていく。
それを横目に見ながら「私、ここを出ます」と一言告げると。軽快な音が少しだけ鈍り、シロウさんのトパーズのように煌めく金色の瞳が、私を見つめた。

「どうしてですか?」
「どうして、て…」

とても不思議そうに、シロウさんは首を傾げた。
どうしてもなにも、これ以上、シロウさんに迷惑を掛けられない。
そう伝えたいのに、濁りのない穏やかな瞳は私に否と言わせる気概を失わせる。言わなければいけない筈なのに、ここで甘えて寄り掛かってしまう訳にはいかないはずなのに。どうして。

しばし硬直したまま見つめ合っていると、穏やかに降り注ぐ日差しのように、シロウさんの口元がやわらかく微笑を描いた。

「その必要は、ありませんよ」
「え?」

しゃり、と剥き終えた林檎を割る。
傍に置いてあったお皿に林檎とナイフを置き、私の手をとると両の手でやさしく包まれる。
ふわりと香る林檎の甘い蜜の香りに、くらりとめまいがした。

愛おしげに、待ち焦がれていたかのようにシロウさんの顔が綻ぶ。

「心配なさらなくとも、あなたがここを去る必要はありません。これからも、ずっとここににいていいんですよ」
「でも、そんなわけには…」
「お仕事もやめて、私のそばにいてください。…もうなまえさんを危ない目には、合わせませんから」

ゆっくりと指先を絡めて、つながれる。少しずつ、少しずつ。指先の力を込めて。
シロウさんの言葉は、とても有り難い。
けれどもそこまでしてくれても、私には返せるものがない。どんなに良くしてくれても、いつか私は死んでしまう。それではこの人は、損をしてしまう。無駄なものを背負ってしまう。
そんなのダメだ、と。勇気を出して「ごめんなさい」と、やっとの思いで振り絞って伝える。

「その申し出は、受けられません。あなたに、私を背負わせるわけには…いきません。あとわずかで死んでしまうのなら、尚更」

シロウさんのことは、好きだ。
とてもやさしくて、やさしすぎて。それゆえいらぬものまで大事にして、自分を苦しめてしまう。
私みたいなロクでもない人間を、なにも聞かず助けて、やさしくしてくれて。ここまで、助けてくれた。もうそれだけで、充分すぎるほど。私は、救われた。
だからこそ、もう。これ以上重荷になりたくない。嫌われたく、ない。

けれども、シロウさんは穏やかな表情を崩さぬまま即座に首を振って、私の意見を拒否した。

「いいえ、死なせません。…やっと。あの時守れなかったあなたを、救うことが出来るんです。今度こそ、あなたを。救ってみせます」

だから安心してください、と。再度。先ほどよりも強く告げられる。
シロウさんの瞳には、それ以外の未来は見えないと。決然とした意志だけが宿っており。もう、私の言葉は。シロウさんには届かなくなっていた。

きっとこれは、罰なのだろう。
私が軽はずみな行動をとったせいで、私とシロウさんの、在り方が変わるきっかけを作ってしまった。
恋や愛よりも先に、責任と義務を。シロウさんに与えてしまった。ずっと胸に残る杭を。私の、せいで。

「――…なまえさんは、天草四郎という男を、ご存知ですか?」

やおら、シロウさんが唐突に切り出した途端。嫌な予感がした。
頭のどこかで、踏切の警報のようにけたたましく警鐘が鳴る。
そこへ向かっては、ダメだと。その言葉は、その先の言葉は。聞いてしまっては、いけないと。

金縛りにあったかのように喉から声が出ず、応えられず硬直する私も気にせずシロウさんはいつものようにやわらかく微笑むと、そっと唇を重ねた。
今まで恐る恐る、壊れものを扱うような口付けをされたことはあれど。何かを覆うように、有無を言わせぬ口付けは、初めてだった。

ゆっくりと離れると、なまえさん、と。鼻先で、いつも夜毎聞かせてくれる甘やかな声色で名を呼び。

「お話しの前に…一緒に、林檎を食べませんか」

そうして私を。シロウさん自身も。戻れぬ道へと乗せた。


――――


残された不確かな感情のうねりを抱えたまま、教会への階段を登っていく。
酷く疲弊した体が、少しでも疲労をやわらげようと息を切らそうとする。今だけはそれを鬱陶しいと感じながら、一人きりでずっしりと肩に重くのしかかる銃を背負って登る。

あれだけ真っ黒に満ちていた空がすっかり白み始めており、行きよりも帰りに時間が掛かってしまったな、と。薄く見えなくなっていく星明かりを見上げながら空を見て息を吐く。

アサシンさんに、気づかれてしまった。

あの口ぶりだと、彼女からシロウさんに報告することはないだろう。私がシロウさんに明かすまで、ひとしきり私の醜態を鑑賞するつもりのようだ。悪趣味極まりない。
気が進まぬままはぁ、とため息をつき。重い体を押して教会の廊下を歩き、自室への道を辿る。

「ご機嫌麗しゅう!」
「きゃあっ!」

突然。物陰からいきなり、明け方の静かな澄んだ空気を吹き飛ばすほどの威勢と共に人が現れた。
反射的に後ずさったが、足に力が入り切らずもつれ。盛大に固い廊下に尻もちをついた。
おやおや。と、痛みに悶絶する私を前に、洒脱な風貌のその人は暢気にそう構えると、手を貸すわけでもなく失敬、と肩にかかる大きなマントをばさりとはためかせ一言で片付けてしまった。そればかりか、「しかし、リアクションが下の下ですな!」と、失礼な評価まで下した。
慎重に立ち上がり、修道服についた埃を叩いて払う。

「…あの、どちら様ですか」
「んん?マスターから伺ってらっしゃらないと?まあ、吾輩も執筆活動で書斎に篭りきりでしたからなぁ!これまた失敬!」
「は、はあ…」

またも仰々しく声高に静謐な空気を吹き飛ばし、自然と眉が歪んでいく。

しかしこの良くも悪くも人を惹きつける洒脱な風格の男性は、今しがたマスター、と口にした。
この教会にいて、尚且つ姿をいまだ現していなかった者で一人心当たりがある。たしか、

「…もしかして、キャスターさん?」
「ご明察!吾輩、赤のキャスター。ウィリアム・シェイクスピアと申します。以後、お見知りおきを!ああ、貴女のことはマスターから聞いておりますので挨拶はご無用!貴女は脇役らしく、右往左往と物語に振り回されるのがお似合いでしょう!」
「は、はあ」

矢継早しに繰り出される言葉の数々に、どこから対処すべきか分からず思わずぼんやりとしてしまった。

赤のキャスター。ウィリアム・シェイクスピア。
なるほど、かの劇作家である彼がなぜ今まで姿を見せることがなかったのか納得がいった。
生粋の魔術師ではない上に、キャスターはクラス上戦闘に不向きで。加えて彼は、物語を生み出すことにのみに貪欲だ。戦力、という扱いではないのだろう。

しかし、先程からかなりぞんざいに扱われているのは、一体どういうことだろうか。知っている、と言っても。聞いているといっても、初対面なのに。
まあ、慣れている事なので。今更別にどうともしないが。

「おっと、吾輩すっかり失念しておりました。ちょいと拝借いたします」
「え、あのっ!」

いきなり、ずっと重くのしかかっていた肩の重みが急になくなった。
かと思えば、するりとキャスターさんの手に銃が渡っており、そのまま霊体化されてしまった。ご丁寧に予備の弾も護身用の銃まで、いつの間にか。
いきなり人の物を取るとはどういうことだと、さすがに頭に来て懐に手を伸ばそうとすると、キャスターさんは大慌てで手を振って待ったをかけた。

「ああっ、物騒なものは出さないで頂きたい!吾輩、マスターの命によりシスターから没収するよう仰せつかっただけなのです!」
「――シロウさんから?」
「ええ、ええ!ご帰還された際にはいの一番に行くようにと、このキャスターめずらしく命を受けましてね!」

仕方なく懐に入れた手を戻せば、キャスターさんは目に見えてオーバーに安堵の息をついて見せ、「ちなみに、部屋にあったものも既に押収させて頂きましたので、あしからず!」と事後報告をしてきた。本当にどこまでも不躾な人だ。
…それにしても、シロウさんがそんな命令を出すなんて。

仕方ない。諦めよう、と肩を落とし。そのまま止めていた足を進めれば「おや。もうお部屋に?」と飄々と聞かれたので、ええまあ、と適当に返す。
ただでさえ朝から動き回って、クタクタで、アサシンさんに色々言われた後に、このキャスターさんだ。そろそろキャパオーバーで倒れてしまう。

彼の横を通り過ぎ、廊下に私の靴音だけが響き渡る。
背中から「やはりシスターには荷が重かったようですな」と、なにかわかった風に皮肉を言われるが、気にせず無視して突き進む。

「――貴女がどれだけ足掻こうとも、凡夫が舞台を導くことは、不可能だ」

ふいに。
背中に、ただ一言。そう投げかけられ、咄嗟に振り向いたけれども。作家は既に姿を消していた。

凡夫。彼は、私をそう評価した。その評価は、不躾であっても。間違いではない。

私はシロウさんの計画に、ただ付き従うことしか出来ない。
これからしようとする事も、シロウさんとの関係も、流されるままにここまで来てしまった。アントニーの言葉に動かされる群衆となんら変わりない。
けれども、足掻いてみようと思った。自分なりに、向き合ってみようと思った。たとえ自分に出来ることが、なにかは分からなくとも。答えが分からなくとも、なにかを。
導くだなんて、そんな大層なことを望んではいない。ただ。
ただ、私は。

反芻する自問を胸に押し込めながら、立ち止まり続けていた足をゆっくりと前へと進め。誰もいない廊下を、静かにあとにした。


――――


自室へ戻ると、私のベッドですやすやと穏やかに眠るシロウさんを見つけ、静かに目をぱちぱちと瞬く。
自分の部屋があるのに、ずっと待っていてくれたのか。

上着とブーツを脱ぎ、布団もかけずに眠っているシロウさんに、仕舞っていた毛布を取ってそっと掛ける。
明け方の冷えた空気がよほど堪えたのか、シロウさんは掛けられた毛布に素直に顔をうずめて丸くなり、ついふふ、と笑みがこぼれる。

私も着替えてシャワーを浴びたら少しだけ眠ろうかな、と。瞼にかかっているシロウさんの前髪を払っていると、ぱちりとその瞼がしっかりと開かれた。
起こしてしまった、と気づいたと同時にシロウさんに腕をとられ、悲鳴と共に毛布の中へと包み込まれる。

ふかふかと柔らかい布団から顔を出せば、お布団の柔らかさに負けないくらい、シロウさんの穏やかな笑顔が眼前に広がる。

「おはようございます」
「お、おはようございます。ごめんなさい、起こしてしまって」
「いえ、お気になさらないでください。そろそろ起きる予定でしたから」

「おかえりなさい」とあたたかく出迎えられ、「ただいま帰りました」と鼻先で告げれば。冷たい体を抱きしめられ、やわく唇を重ねられる。
とても、心地よい。

「なかなか帰ってこられないので、何度も迎えに行こうかと考えてしまいました」
「ご心配お掛けしました。疲れて、ゆっくり帰ってきていただけですから大丈夫ですよ」
「よく、あのアサシンが付き合いましたね」
「…ええ、まあ」

一足早くに帰っていったとは言えず、シロウさんの言葉に頷いて応える。
もし正直に言おうものなら、アサシンさんが怒られる。
そしてそのアサシンさんの怒りが私へ向けられるうえに、シロウさんは今後絶対自分が傍にいなければ外出させない、ということにまで発展してしまうだろう。それはとても困る。

気まずさでゆるやかに離れながら、ふとアサシンさんの言葉が脳裏を過る。
いずれ晒して、見限られぬといいな、と。彼女は笑った。

でもシロウさんは、なにがあっても傍にいると。離れて行かないと、言ってくれた。
その言葉を、信じるならば。アサシンさんの願う通りにはならない。
シロウさんなら、きっと。

「―――……シロウ、さん…」
「はい」

真っ直ぐな瞳に、言葉を詰まらせる。

果たして本当に、そうだろうか。心のままに打ち明けて、その先に拒絶が待っていないという保証はない。
だって、私は。シロウさんが嫌うそれを、してきた。拒絶されないわけがない。見限られないわけがない。

そう考えたらとても恐ろしくて、怖くて。
膨らみかけた勇気が、小さくなっていった。

「ーー…いえ、なんでもありません。シロウさんはまだ休んでてください、私はシャワーを浴びてきます」

振り払うように笑って見せ、起き上がろうとベッドに手をつく。
疲労と寝不足で頭の回転が正常じゃないのだろう。すべてお湯で流して、眠って、しまおう。

自分にそう言い聞かせ、毛布から出て立ち上がろうとすると。ダメです、と。私の心を読み取ったかのように、遮られた。
言葉と共に逃げられぬよう腰を引き寄せられ、ぴったりとシロウさんの体を密着する。
足も絡みとられ、慌てる私にシロウさんはあの時のような表情の読めない瞳でもう一度唇を重ねては、舌先を食んで捕らえ、私の上へと覆い被さる。
指先は不格好な形でシーツにしっかりと縫い付けられ、口付けの合間に酸素を求めてあえぎながら待って、と声をこぼす。

「あの、シャワー浴びてきますから」
「私はこのままでも構いませんよ」
「だ、ダメですっ。今日は動き回りましたから…」
「尚の事、今はかなり魔力が足りていらっしゃらないでしょう」

棘のない正論と、拒否を許さない瞳。制止の言葉など届かず、強引に衣服を乱されていく。
毛布の中で息を乱しながら、いつも胸に湧く言葉が蘇る。

これは、私を生かすため。生きて、シロウさんに救われるため。そのために必要なことで、こうでもしなければ私の命は保てない。
この口付けも、この行為も。恋仲だという、関係すらも。すべては責任と義務でしかない。
与えられているのは、ぬるい命だけで。そこに恋い焦がれるほどの熱情も、愛情も。あったとしても、常に裏腹に責務が存在する。
たとえそれが、こんな薄汚れた人間であっても。シロウさんは、救おうとして下さっている。ただ、それだけ。
わかっている。わかっては、いるのだ。けれども。

「お願いです」

シロウさんが私の首筋に顔を埋める。不格好に繋いだ手にぎゅうと力が込められ、少しだけ手が痛い。
耳元でなければ聞き逃してしまいそうな震える吐息に、瞼を閉じる。

「どうか。私を頼ってください」

やめて。そんな風に、切ない声で私を求めないで。
この関係は贖罪でも、作り物でもないと。期待してしまう。錯覚してしまいそうになる。
ただ傍にいられて、少しでもシロウさんの力になれたらと。綺麗な気持ちで抑え込んでいるのに、汚い私が顔を出してしまう。信じて、みたくなってしまう。

大事に、壊れないようにと。愛おしげに私に触れるシロウさんの熱から逃げるように、私は窓の外から差し込む朝日に瞳を向けて、心に蓋をした。