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灰の水曜日


『彼女の命は、そう長くはない』

彼、レオナルド・ダ・ヴィンチが告げた言葉に。私は耳を疑った。


――――


ふと。買い物に出る程度でしかなまえさんと一緒に外に出ることがないことに気付き。ふたりきりで出かけてみたいと、淡い願いを抱いた。
柄にもなくためらいがちに誘えば、困惑しながらも彼女は誘いに応じてくれて。同じように楽しみにしていてくれていたのか、約束の日の朝、私から贈った服を身につけていることに気づいた時は、言いようのない喜びを感じた。

彼女と歩く道のりはとても穏やかで、なんでもないことを話しているだけの変哲もない時間なのに、尊く。
胸が締め付けられるような、やさしい一時に安らぎを感じて。もしかすると受肉してから初めてかもしれない、と笑った。

彼女はその時、私に自身のことを話してくれた。
迷うように、選びながらの言葉だったけれど。ずっと願いのために抗い続けてきた半生の一端を、私に打ち明けてくれた。
言葉の端々に、出会った当初に感じた冷たさの正体が分かり。ああ、彼女も私と同じ。願いを潰された人間なのだと、悟った。

彼女は、自分を浅ましいと言った。
けれど、彼女は、願いのために戦っただけだ。人として当然の、願いのために。
彼女は誰よりもそうあろうとしただけのこと。
それを、周りが否定した。
邪魔な杭だと。努力する彼女を笑い、見下し、馬鹿らしいと否定した。
彼女を自分よりも下だと思い込みたい、そんな悪意によって。彼女は傷つけられた。
誰も、彼女に寄り添わなかった。

それは、どれだけ悲しいことだろうか。

親にも、兄弟にも。誰からも理解されず、ただひとりで戦い続け。
そして最後には、捨てられて。

背中を向けていた彼女が振り返り、いつものようにやわらかく笑う。
裏切られ、見放され。そうして今のやさしい彼女があり、今こうして笑っている。
普通なら、泣いて縋るだろう。己の悲運に膝を折るだろう。なのに、笑っている。穏やかに、それでも他者を慈しむように。
どれだけ虐げられても立ち直る強さが、とても眩しかった。

どうか、彼女に幸せが訪れてほしいと願った瞬間。
ふいに彼女が、倒れた。

急いで駆け寄り抱き起こすと、あの日のように青ざめた顔で意識を失っていた。
何度呼びかけてもあの時のように目を覚ます気配はなく、異常な事態に手の先が冷えていく。

「なまえさん…!なまえさんッ!」
『…ちゃん…なまえちゃん…ッ!』
「ッ、念話…っ?」

瞬間。砂嵐のような雑音が聞こえたかと思えば、脳内に彼女の名を呼ぶ女性の声が響いてきた。
一瞬念話かと思い目を見開くが、似ているだけで原理と魔術の質が異なるようだ。
何が起きているのか理解し切らぬままでいると、声の主に「急いで安静にできる場所へ移して!」と促され、彼女を抱え急ぎ教会へと戻った。
道中、声の主はかのレオナルド・ダ・ヴィンチだと名乗り。
その時、彼女がこちらとは異なる次元から来たことと。魔術師になり得なかった人間だと、知らされた。


――――


青ざめた顔で床に臥せたまま、目覚めないなまえさんの手を握り。さきほどのダヴィンチ殿の言葉を繰り返す。

「長くはないとは、どういうことなのですか…」
『言葉通りの意味だよ。このレイシフトは、まだ未完成なんだ。足りない理論がまだ残っていたのに、このままでは無茶なレイシフトで体が汚染されてしまうと分かっていて…あえて彼女で実験したんだろう」

犠牲になると、分かっていて。彼女を?
理解出来ない。確実に彼女は汚染されるだろうという実証理論を確固とするためだけに、人を踏み台にするなんて。私が忌み嫌う、それだ。

『本来なら無理に多次元に跳躍した瞬間、存在証明が出来ず消滅するはずなんだが。彼女は運良く自分の蓄積魔力のリソースを割くことでそうして生きていられるんだろう。…だからもし、それが尽きれば』
「…彼女が、死ぬ」

愕然とした。
つい先程まで、彼女は笑っていたのに。
顔を赤らめながら、今日を楽しみに胸を躍らせていた、彼女が。ただ霊脈のあるところから離れただけで倒れてしまうなんて。
その命が短く、消えそうなほどか細いなんて。

浅く呼吸を繰り返すなまえさんの指先は白く、冷たい。
自身に比べたら折れてしまうほど細いけれど、この手がどれだけ人にやさしくあろうとしたか。
どれだけ虐げられても、悔いて、正しくあろうとしてきたか。短くとも、それを私は見てきた。

どうして。どうして、主は。この方にばかり試練を与えるのですか。
私や皆だけではなく。この方まで見放してしまうのですか。
彼女は悔い改めた。それでも、まだ足りぬというのですか。
その命まで、捨てよと言うのですか。

「…あと、どれほど生きられるのですか」
『もって、15……早ければ10年も待たずに』
「15年…」

持たせれば、15年。
それまでに聖杯が現れれば。もしかすると。

『…しかし、妙だな。君はもしかして特殊な回路でも持っているのかい?ここまで生き延びれているのも、彼女の魔力だけじゃなく。君にもなにかあると、私は踏んでいるだが…』
「私が…?いいえ、そのようなことは…」

疑念を抱くダヴィンチ殿の言葉に、一度は否定したものの。ひとつだけ、思い当たる節が過った。
私の腕にある、変質する魔術回路。それが無意識になまえさんの体にアクセスし、彼女の延命に関与しているんだとしたら。
ーーもしかしたら。

念話の向こうで、ダヴィンチ殿が息を呑む気配がした。
警戒されてしまっただろうか。ならば、安心していただかないと。
私がこれからすることは、何も間違っていないのですから。

平常通り笑みを浮かべるが、警戒心は解かれることはなかった。
それどころか敵意まで向けられ始め、思わず肩をすくめる。

『シロウ・コトミネ…君は今、何を考えている』
「もちろん、彼女を救う方法です」
『そんなもの、ありはしない。…魔力を供給すれば、延命は出来よう。でもそれにだって限界がある。いくら水を足しても。ひび割れたコップから水をそれ以上こぼさないようにするには、別のコップに移し替えねばいけないように。こちらの次元に戻す以外、彼女が救われる道はない』
「それは、今すぐに可能なことなのですか?」

私の指摘に、ダヴィンチ殿は息をつまらせ。
いいや、と否定した。

『…今は、あいつがまだ指揮しているから、難しい。でもいつかは、必ず私が…』
「いつか、を。永遠と待ち続けるほど悠長にしていられる状況ではないでしょう。それに、そちらに戻ったところで彼女への仕打ちがよりひどいものになるだけです」
『そうだが…そうだけれども…っでも、それ以外の方法なんて、』
「いいや、あるさ。それを成すための奇跡を、俺は知っている」

そう、聖杯ならば。私を受肉させたように、聖杯ならば彼女を生きられるように作り変えることが出来よう。
私が望む人類救済の願いを持ってすれば、同時にそれが叶えることが出来る。

もし、あの時持ち去った聖杯を地脈に固定させているんだとすれば。聖杯を所持していることを彼が宣言するのも、遠くはない。
彼はプライドが高く、自身を未来のない一族と定義した魔術協会に必ず離反し、自らこそが聖杯にふさわしいと。勝利した上で聖杯を使うでしょう。
彼が生きていれば、必ずそうするはずだ。そうなれば、勝機はある。

そう、だからそれまでは。何としてでも彼女を生かし続ければいい。

安心させるようにそう伝えるが、それでもダヴィンチ殿の敵意は晴れることがなく。
まあ、やはりそうなってしますよね、と落胆するよう一息つき。なまえさんの腕に指先を滑らせた。

『…お前…まさか…っ』
「ありがとうございます、かの天才よ。これで彼女を救済する理由が、またひとつ増えました。…そして、貴方はもうご退場いただいて結構ですよ。貴方がいると、なまえさんの容態に差し支えるようですから」
『待て、シロウ・コトミネ!ッ、なまえちゃんっ!!』
「さようなら」

彼女と自身を辿る魔力の正体は、すでに把握している。
彼女の魔術基盤へとこの手の回路を通し、彼女の内部につながれていた糸のようなものを断ち切れば。脳内を支配していた声が、掻き消えた。
やはりなまえさんの魔力を少なからずとも消費していたのか、断ち切った瞬間苦しげだった彼女の顔がほんの少しだけ和らぎ、ほっと胸を撫で下ろす。

目にかかる前髪をゆっくりと払い、指の背で頬を撫で彼女の目覚めを待つ。

起きて、話せばならぬことを話そう。それから彼女を延命させる方法を、探そう。
さすがに魔力供給だけでは心許ないですし、私が傍にいられない場面がもしかするとこの先出て来るかもしれない。保険はあったほうが、いいでしょう。

早く目が覚めないでしょうか。貴女にはお伝えしたいことが、たくさんあるのです。
私のこと、あなたのこと。全て。
あなたに早く、聞いていただきたいのです。

まるで一日の出来事を母に伝えることを、待ち焦がれる子どものように。
私はながらく平穏だった胸を躍らせながら、早く目覚めてくれないかと、白い指先にそっと力をこめて待ち続けた。


――――


やわらかくまばゆい日差しが、瞼を通して伝わる。
ずいぶん前の夢を見たと、覚醒しきらぬ頭で考えながらゆるやかに瞼を開くと。すでに日がのぼり始めており、ああ、しまったとのんびり思う。
少々の仮眠をと思ったつもりが、すっかり寝入ってしまったらしい。

ふと、自身の腕の中でまだ安寧と眠る彼女の寝顔を見つけ、表情が和らぐ。
服をまとわずにあのまま眠ってしまったせいか、少し寒がりの気があるなまえさんが自身にぴったりと寄り添うように眠っている。
その姿がまるで小動物のようで、愛らしい。

よどみなく魔力が溶け込んだおかげか、顔色がまた少しよくなったことを確認する。
やはり彼女の体温が傍にあるとつい眠ってしまうな、と。心地よいまどろみを甘受しながら、眠っているのをいいことにするすると頬を撫で。額と瞼に口付ける。
ん、と小さく彼女が呻く。
早く目覚めないだろうかという、私の浅ましい願いを聞き届けたかのように。彼女の瞼が、ゆるやかに開かれる。
まだ夢うつつでぼんやりとしているのか、私の顔を見てしばし瞬きを繰り返すと、ゆっくりと体を起こす。
ふたりを覆っていたシーツがするりと滑り落ち、むき出しの肢体が朝日に晒され、色々な意味で眩しい。

「んぅ…あえ…し、ろうさん…?」
「おはようございます、なまえさん」
「んー…おはようございます…」

まだ瞼も開ききっておらず、ゆらゆらと頼りなく頭をふらつかせるのでつい笑ってしまう。
体を起こし、滑り落ちたシーツで再び互いの体を覆い、彼女を抱き締めて朝の口付けを贈る。
ふわふわと夢心地だったなまえさんの目が、ゆっくりと焦点があっていき。次第に目を丸くして、私の顔を見つめた。

「…あ、あれ…お、おは…おはようございますっ…」
「はい、おはようございます」
「あ…あの…私、…っ服…」
「ええ、昨晩あのまま眠ってしまったみたいで。ベッドの下に落として、そのままです」

目を覚ました彼女にありのままの事実を伝えれば、昨晩のことが頭によぎったのか顔を赤くしてうつむく。
そのうつむいた先に、シーツで覆われたふたりの姿が目に入ったのか、わぁ!と慌てて顔を起こすので、たまらず口元が笑ってしまう。
予想どおりといいますか、裏切らない反応といいますか。思っていた通りに驚愕するなまえさんに、くつくつと笑いをこらえてみせるけれども。時すでに遅かったようで、赤い顔のままじとりと睨まれてしまった。

「…い、今…何時ですか…」
「まだ見ていませんが、おそらく五時前ぐらいでしょう。少し早いですし…どうです。このまま昨晩の続きでも、いたしますか?」
「し、しません!ばか、えっち!」

寝直します!とシーツをそのまま奪われベッドに逆戻りするけれども、亀のように丸く埋もれた先から少しだけ顔を出し、むくれた顔のまま指先でつん、と手を突かれる。
彼女を見遣ると、自身の体を晒さぬ程度にシーツを少しあげ、手招かれた。

「…寒いです」
「明け方ですしね」
「…早く入ってください」
「…では、失礼して」

ここで服を着ればよいのでは、という無粋なことは言わない。
外気に晒された体を再び温めるように横になり、なまえさんの柔らかな体を抱きしめる。
心地よい温かさになまえさんの頭をゆるやかに撫でながら目を閉じれば、胸元に擦り寄るようになまえさんも一層ぴったりと体を寄せてきて、口元が自然とやわらかく弧を描く。

「裸のまま寝るなんてお恥ずかしい…」
「まあ、昨日あれだけすれば仕方ありませんよ」
「し、シロウさんが襲ってきたくせに!」
「ええ、なまえさんが喜んでくださるので、つい…これで今夜の召喚が上手くいかなかったら、どうしましょう」

うっかり枯渇しまうのでは、と暗に悪戯に口にすれば。盛大なうめき声と共に、胸元をぐりぐりと押され、言葉のない抗議をされる。
心配なさらずとも大丈夫ですよ、と寝癖のついたやわらかい髪を撫で付け頬を寄せれば。ゆるゆるとまだ赤みのさす顔をあげて意地悪、と小さくぽつりと返され、胸の内で可愛いとこぼしながら苦笑する。
そうしてじゃれ合いながら、肌を寄せ温め合っている内に次第に睡魔がやって来たのか、瞼をとろんとさせなまえさんがあくびをする。

「ちゃんと起こしてあげますから、眠って構いませんよ」
「はい。……ねえ、シロウさん」
「はい、なんですか」

「なにかこわい夢でも、みました?」

突然の指摘に、なまえさんの頭を撫でていた指先がぴくりと止まる。
どうしてそんなことを、と疑問を口にすると、ゆるやかに瞼を瞬いて「だって、なんだかつらそうな顔をしてたから…」と。奥底に眠らせていた思いを突かれる。
本当にやさしい人だと、苦笑し。やわらかい体を抱き締めて口付ける。

「大丈夫。貴女が心配なさるようなことは、なにもありませんよ…」
「…そう、ですか。でも…なにかあればちゃんと、言ってくださいね…」
「ええ」

私の答えに、あまり納得いっていない顔をしつつも迫る睡魔には勝てず。
そうしてなまえさんはゆるゆると瞼を閉じ、静かに寝息をたて始めた。
起こさぬよう頬にかかる髪を払えば。いつかの時の頬の傷は、もうない。
ここには彼女を傷つけるものは、もういない。

…ああ、そうだ。心配することはなにもない。
すべて、成してみせる。


「……明日から、忙しくなりますから。今だけはまだ、少しだけ…お寝坊させてくださいね」

なまえさんに習うようにあたたかい温もりに身を委ね。どうか、彼女がやさしい夢を見られるようにと願いながら。
迫る始まりまでの猶予を堪能するように、自身も瞼をゆるやかに閉じた。