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05
こはるびよりの
きんもくせい


夏のような濃い青空が抜け、澄み渡った湖のように淡く碧い、晴れやかな快晴の秋の空。
空気は熱気が薄れ、これから訪れる冬の気配を感じさせるような。しんと澄んだ冷気をはらんだ気温を感じさせる。

そんなどこまでも澄み渡った天気とは裏腹に。私は、この世の終わりのような絶望した表情のまま、喫茶店のカウンターに突っ伏していた。

馴染みのお客さんたちが来店する度に、私の姿を見かけては肩をはね上げ、みなさん心配して声を掛けてくださる。が、私はいつものように快活に答えられなかった。
あはは、と濁った笑みでなんとか応対するが、そんな状態がしばらく続けばもちろんお店の営業に影響が出てしまい…


「…先輩、いい加減話してくださいよ。真子ちゃんも半泣きで心配してましたよ?」
「すみません…」

見かねた店長さんが、ずっとこんな調子では仕事にならないからと気を利かせてくれて、私とあいちゃんは二人で休憩をとることとなった。
店長さんが持たせてくれたサンドイッチと紅茶を持って近くの公園に赴き、ベンチに腰掛け渋い顔をするあいちゃんからの尋問を受ける。
申し訳ないと同時に、悩みの種が人に説明するにはあまりにも恥を忍ぶ内容で話していいものか迷うが、いつまでもこの調子ではますます迷惑を掛けてしまうしな…と考え込み、あの、と重い口を開く。

「実は先日…」
「はい」
「………し、しまして」
「なにを」
「…し、しろうさんと」

ぶっ、と盛大に飲んでいた紅茶をあいちゃんが吹いた。
気管に入ったのかげほげほと咳き込むあいちゃんの背中を慌てながらさすり、ハンカチを渡すが手で制される。荒く呼吸を整えながらごめんなさい、とがびがびの声で謝られるが、今のは私のほうが悪かったと肩を縮める。
ぜえはあと呼吸がまだ荒いものの、顔を歪めてあいちゃんがそれで?となにか言いたげなのをぐっとこらえた様子で促す。

「そ、その…私、全然知らなかったんですけど…神父さんて、そういうの、禁じられてるところもあるみたいで」
「はあ…」
「結婚とかも、だめとからしくて…いえ、それはまあ仕方がないとして…さすがにそういうあれが、ダメとは知らず私はシロウさんとしてしまって…」
「………」
「私は信徒ではないのに、もしシロウさんにだけ罰が下るようなことがあればと考えたら…自分のしたことが間違っていたのかと…」
「ええからしゃきっと話しなさい!」
「はっはいぃ!」

沈んでいた背中を力強く叩かれ、活を入れられた背筋が伸びる。
しどろもどろになっていた私の様子を見かねたあいちゃんが、腕を組んで「先輩は神父さんとしたことを後悔してるの?」と問う。

「いえ、そんなまさか!」
「そのことを神父さんは気落ちしてます?」
「い、いえ…」

ぎくしゃくしながら、ここ最近のシロウさんを思い出す。
あの日の翌朝。普段通りに起きて、おはようございますと晴れやかに笑いあって。それからしばらくしても、普段よりも心が落ち着いた様子で過ごしていた。私がたまたま知って青ざめた時も、「なまえさんが気にする必要はありませんよ」と優しくなだめてくれたけれども。私の思い違いでなければ、シロウさんは罰を負うことにためらっていた様子はなく、なぜだか割り切っていたという様子でもなかった。

今度は淀むことなく説明すると、あいちゃんは「じゃあそれでいいじゃないですか」とけろりと言った。

「で、でも…」
「先輩は神父さんが好き、神父さんも先輩が好き。そのことを咎める人は誰もいないし、まして神父さん以外の教会の人っていないじゃないですか。誰が罰するんですか」
「そうなんですけど…」
「先輩、ちょっとわがままがすぎると思いますよ」

あいちゃんの思わぬ冷えた指摘に、体がぎくりとはねる。
どういうことだろうかと、指摘を受けても尚思い当たらないという顔をする私を見て、あいちゃんはため息をついて見せると手に持っていた紅茶をベンチに置く。

「なんでもかんでも好きな人の全てを受け入れようとするのは、わがままです。どれだけ仲が良くって隔てのない家族であっても、自分以外は他人なんです。その人自身が負うべきものは、その人にしか負えません。なまえ先輩がどれだけ案じても、それは神父さんが受けるべきもので、神父さんが決めることです」
「それは、わかってます…」
「わかってないです。だって先輩、もし神父さんが罰せられることになったら、自分がかわりに受けようとか思ってません?」

ぴしゃりと言い放つあいちゃんの言葉に、否定出来なかった。

「それが、わがままなんですよ。神父さんが気にしなくていいと言ったなら、それでいいんです」

サンドイッチをぽいと口の中に放り込み咀嚼すると、紅茶で流し込みベンチから立ち上がる。
座っているせいでいつもよりも高く見えるあいちゃんの背中を呆然と見つめていると、振り返って困ったように笑う。

「せっかく、好きな人と恋して、身も心も結ばれたんですから。そんな間違ってたとか、やっちゃいけなかったとか。一人で考えるのはやめましょ。…そんなの、悲しいじゃないですか」

くしゃりと笑うあいちゃんの言葉が、重たい。
あいちゃんに感服してしまう。私一人なら、そんな風に割り切る考えは出来ない。いつだって迷いながら進んでしまう。竹を割ったようなその踏ん切りの良さが、羨ましい。

惚けて見つめる私の視線に照れくささを感じたのか、自身の頬を撫で付ける。

「…まーあ?言うて私も信仰とか分かんないですから適当言っちゃってますけどね。でも神様ならともかく、同じ教会の人なら、もしバレちゃってもそん時は町のみんながごまかしてくれますよ」
「そ、それはさすがに大げさじゃないかな…」
「いやいや。結構みんな本気で乗ってくれますよ。橘のおじいちゃんやてんちょーなんか特に」

だから一人で心配してないで、さっさと仕事に戻りましょう、と。いつもの調子で軽やかに言う彼女のそのさっぱりとしたところが、ますます好きになった。
ありがとうございます、とお礼を言えば、あいちゃんは手を振って何もしてないと、こちらを気遣って茶化してみせた。


――――

…とはいうものの。シロウさんの心配する必要はない、というあの言葉だけが気掛かりだ。

あの後心配してくれたお店の人たち全員に謝罪して回り、お仕事を終え迎えに来てくれたシロウさんと一緒に買い物をしながらふと思い返す。

「今日の夕飯は、秋刀魚ですか」
「はい、旬のものは脂がのってて美味しいですし、焼魚にでもしようかと思いまして」

しげしげと籠の中に入った品物を見つめて顔をほころばせるシロウさんの横顔を見つめる。
改めてシロウさんを観察しても、本当になにも気にされていないようだ。
いつものように何か手でもあるのだろうか。しかしてそれが何か私には見当もつかず、首は捻りっぱなしのままだ。

買い物を済ませて帰宅し、冷蔵庫に保存食をしまいながら夕飯のメニューを聞いてからにこにこしてるシロウさんを横目にうーんと考え込んでいると、ふいにそうだ、とシロウさんが私の背に声をかけてきた。

「おまたせしてすみません、ようやく用意できたんですよ」
「用意?」

ちょっと待っててくださいね、と一言いれるとシロウさんがぱたぱたとキッチンを出ていった。
用意、とは。いきなり一体なんの話しなのか思い当たる節がなく、なんだろう。と、冷蔵庫を閉じ夕食に使う野菜でも切りながら待とうとしていると、おもったよりも早くシロウさんが戻ってきた。
にこにこと後ろに何かを隠しながら、それはそれは嬉しそうに笑って私をイスに座らせ自身も向かいに座る。

「どうしたんですか?すごい上機嫌ですけれど」
「ふふ。はい、これを」

後ろに隠していたのは一枚の封筒。中から出てきたのは、一枚の紙で。それを私の目の前のテーブルに仰々しく置いて見せる。
よく見えず紙を手にとって見ると、そこには「戸籍謄本」という文字と、家族構成の欄に見覚えのない名前の文字が羅列していた。
なんだこれ、と思っていると。綴られた名前の一番下に、私の名前があった。
目を点にし、呆けてシロウさんを見れば、悪戯が成功した子どものように嬉しそうに笑っていた。

「こっ…これ、私の戸籍ですかっ?」
「ええ。色々と必要なものが多かったので、お時間掛かってしまいましたが。ないとこの先不便と思いまして、勝手に作らせて頂きました」
「…え、いやでもちょっと待ってください……戸籍って、本人以外がそう簡単に作れるものでしたっけ?」

そもそも私は、こちらでは国籍も戸籍もない人間だ。
まったく何もないところから両方作るのは難しい筈だし、ここに書かれている家族の名前に覚えはないのに、私が当たり前のように組み込まれているのはおかしい。
一体どうやってこんなものを、と思って聞けばシロウさんはただにこにこと笑うだけで、『あっこれ教えてくれないやつですね』と悟る。かの聖人は二度目の生で随分策士的になってしまったらしい。歴史の教科書に詳細を載せたほうがいいのではないか…。

「璃正殿…義父が私を養子に迎え入れてくれた時のように、言峰の姓に入れるほうが簡単だったのですが、その…仮でも兄妹というのは避けるべきかと思いまして」

苦笑しながらこぼすシロウさんに、確かにと頷く。
町の人にもし漏れればいらぬ誤解を招きかねないし、なによりも恋仲なのに、兄弟間として同じ家族構成に加わるのは、…私も、ちょっと嫌だ。

シロウさんの配慮に感謝しつつ、これで今まで出来なかった手続きが出来ることに安堵すると同時に、ようやく地に足のついた生活を送ることが出来るのかと思うと、なにか感慨深いものがある。
ただのなんでもない紙なのに、食い入るように見つめる私をシロウさんが優しく見守る。

「ありがとうございます、シロウさん」
「いいえ。いずれこちらで必要になるものでしたし、このくらいなんて事ありません」

封筒に入っていたのは、戸籍謄本だけではないらしい。
こっちが本命とばかりに、シロウさんが先程よりもゆったりと封筒からもう一枚取り出し、目の前に置いたのは。戸籍謄本よりも、もっと大きな紙。
屈んで覗き込んで、目が飛び出そうになった。

「しっしろう、さん…っ?あの…これ…」
「はい」
「いやはいではなくて。これ、…こ、婚姻届じゃないですか…っ」

シロウさんが見せてきたのは、婚姻届。
せっかく手にした戸籍謄本を手の中でぐしゃりと潰してしまいそうになるのをぐっと堪え、問いただせばシロウさんは変わらず微笑んで「ええ、そうですよ」といけしゃあしゃあと仰った。
あまりの思い切りのよさと気の早さと、何を考えてるんだこの人はと困惑する私を見て、シロウさんは苦笑しながら肩を竦める。

「気が早いということはありませんよ。なまえさんの状態を鑑みれば、妥当な考えかと」
「いや!それは分かりますが!で、でもその…出来ないじゃないですか!」
「ああ、年齢ですか?そこも時間は掛かりますが、なんとかなりますので問題は…」
「そうではなくて!神父さんは、結婚出来ないじゃないですか!」

いつまでもはぐらかすシロウさんに、事の本題を突きつける。
前に私がぼそっとコトミネなまえってどうですかと呟いたことを拾ってくれたことへの嬉しさはある。そんなことが可能なら、正直。したいけれども。
でも、神父であるシロウさんにそれは出来ない。なのにどうして平然とそんな事を言うのか分からなかった。

つい大声をあげてしまい、シロウさんが目をきょとんとさせ私を見つめるので、なんだか居たたまれなくなり咄嗟に視線を逸らした。
肩にのしかかる重たい沈黙に、これが所謂天使が通った状態なのかと片隅で思いながら自己嫌悪してしまいそうになっていると、くすくすと。シロウさんがおかしそうに肩を震わせて笑った。

何がおかしいんだと目だけちらりと見つめていると、シロウさんはひとしきり笑った後わざとらしく咳払いをし、すみません、とまず謝罪を述べた。

「なまえさん…まだ、気にしてらしたんですね」
「だって、罰せられることがあるとか聞いたら、気になるじゃないですか…」
「大丈夫ですよ。聖堂教会に、そういった戒律はありませんから」

…はい?

ど、どういうこと?と思わず顔をあげ、今度は私の方が目を点にしてシロウさんを見つめれば、シロウさんはまだこみ上げる笑いをにじませながら微笑んだ。

「聖堂教会は確かに信仰を持つ組織ですが、基本は異端を排除し、神秘を正しく管理することが目的です。そういった普通の教会と性質が違い、完全に独立した宗派になりますので、戒律も一般に敷かれているものとは異なるんですよ」
「う…うん…?」
「ですので、神父だから結婚出来ない、という戒律は聖堂教会は存在しませんので、問題ないのです。義弟も結婚してますしね」

ぴしり、と体に亀裂が走ったように止まる。

にこにこと笑って説明してくれたシロウさんの言葉に、自分がずっと空回っていたことを次第に理解していく。
みるみる顔が沸騰するほど熱くなっていき、昼間とは違った意味でテーブルに勢いよく突っ伏した。がん、と強烈な音がしたが気にしていられない。穴があるなら入りたい。いやいっそ消えたい。
シロウさんはくすくすとまたおかしそうに笑うと、突っ伏したままの私のそばに来て、頭を優しく撫でる。

「私を案じてくれて、ありがとうございます」
「…ホントにすみません…後生だから今のは忘れて頂けませんか」
「ははは。嫌です」
「お願いします」
「嫌です」

楽しげにきっぱり断るシロウさんの言葉に、ますますテーブルに顔を押し付ける。この聖人ひどい。
そもそも聖堂教会がそういうのと違うなんて聞いてない。独立した宗派とはどういうことだ。私の心配は一体なんだったんだ。

いつまでも落ち込んでいる私の頭を撫でる事に満足すると、シロウさんはなまえさん、と名前を呼んで促す。一度は無視するが、懲りずに再度なまえさん、と呼ばれる。さすがに二度も呼ばれれば渋々顔を上げるしかないと、テーブルから離すと、嬉しそうに笑うシロウさんの顔が間近にあった。
その癪に障る顔を見て、つい口を尖らせる。

「…私、シロウさんがもし罰せられることになったら、自分が代われないか、って考えてたんです。でもあいちゃんが、それはわがままだって。すごい怒られて、反省して。それなのにフタを開けてみたらこれで。もう自分が情けないです…」
「確かに誰かの代わりに罰を受けるのはわがままかもしれませんが。私はなまえさんのそういう考えなしに優しいところ、嫌いじゃないですよ」
「褒められてる気がしません」

ふん、と頬をふくらませると、シロウさんはくすりと笑って私の膨らんだ頬をぷにぷにと突く。

「なまえさんは、もっとわがままでいいと思いますよ」
「もう、充分わがままです」
「いいえ、もっと言っていいんです。たとえば私に。夫になってほしい、とか」
「………シロウさんの、ばか」

茶化してそんなことを口にするシロウさんに、ますます頬をふくらませる。
プロポーズ紛いなことは、もうあの日を超えてから度々受けている。色々と、シロウさんの中で吹っ切れたことでためらいがなくなったのだろう。その度に、照れくさくてまともに返せた試しはないけれど。
でもシロウさんが吹っ切れたのは、素直に嬉しいことなのでそこはいいとして。ひとつだけ釘を刺しておかねばならない。

「…じゃあ、わがまま言っていいですか?」
「はい、なんでしょうか」
「二人に関わることは、ちゃんと教えてください。それと隠れて、一人で決めないこと。……一人で、悩まないこと」

むくれた顔で言えば、シロウさんは目を丸くした後、ふふっと笑みをこぼしながら、はいとしっかり頷いて見せてくれた。

もうシロウさんが隠していることは、差し障りない細かい話しくらいで、ほとんどないだろう。
ならもう、お互い遠慮は無用だ。
私のことを背負い込ませない、シロウさんのことを背負い込むことはしない。でも、二人でずっと共にいたいから、大事なことは二人で決めて行きたい。
私には誓う神はいないけれど、それでも。私は何かにそう誓った。

どちらともなく口付けを交わし、へらりと笑い。
ふと、いいことを思いついた。

「…シロウさん、シロウさん」
「どうしました、なまえさん」
「…んー…んふふっ」


意味ありげに笑みをこぼす私に、シロウさんが小首をかしげる。
気恥ずかしかったが、それでもためらいながらも「ご飯にしましょう、あなた」と呼べば。
想像していた以上にシロウさんはみるみる顔を真っ赤にし、「なまえさんの不意打ちは、心臓に悪いです」とぼやきながらも。私のことを、力いっぱい抱きしめてくれた。