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04
よあけの
あさがお


昼間の暑さが嘘のように、夏の夜にしては涼しい風が窓から吹いてくる。
あれだけ賑やかだったのに、夜になれば音まで夜の暗さに飲まれたようにしんと静まり返っている。いつもこの静かさが好きだけれど、今では早鐘をうつ心臓の音がより響いて聞こえて、少しだけ恨めしい。

こんこん、と扉のノック音が静かな部屋に響いた。
緊張していた体がびくっと跳ね上がり、慌てて扉に駆け寄ってノブを引く。扉の先にいたシロウさんが、いつものカソックではなく寝衣の姿で、私同様幾ばくかの緊張の面持ちで立っていた。
私も寝衣を着た姿で、しばし重い沈黙のまま向かい合った後。どうぞ、と部屋へ招き入れる。
大したものを置いていない部屋なので、必然並び合うようにベッドに腰掛けることになる。これからシロウさんの話しを聞くというのに、今更私の部屋でよかったのだろうかと迷ったものの、思案するシロウさんに自ら言い出してしまったからには、後には退けない。

「すみません、おまたせしてしまって…眠くはありませんか?」
「いえ、大丈夫です」

いつぞやの時のように黒い服を着ているシロウさんが、こちらを心配そうに覗き込む。
淡く差し込む月の光がシロウさんの瞳に吸い込まれ、煌めいて見える。一瞬声がつっかえそうになったが、首を振って見せれば、シロウさんは安心したように微笑んだ。
緊張から何度か居住まいをただしながら、どこから話しましょうか、とこぼすシロウさんの横顔を見つめる。

「なまえさんは、歴史については詳しいですか?」
「ええ、ある程度は」
「では。”聖杯戦争”という言葉に、覚えはありますか?」

ここしばらく、久しく聞いていなかった魔術用語に目を見開く。
聖杯戦争。私が所属していたカルデアの所長、マリスビリー・アニムスフィア。彼も参加していた、歴史の英雄たちを七人召喚し、サーヴァントとして七つのクラスに現界させ、彼らを用いて万能の願望機として作り上げられた規格外の魔術礼装を奪い合う。奇跡をかけた戦い。
ここは私が知っている冬木と違うとはいえ、少なからず類似している箇所を何度も見てきたのでもしやと思っていたが。こちらでも聖杯戦争は存在するらしい。

言葉の意味を理解している私を見て、シロウさんはより硬い表情になると、ゆっくりと、口を開いた。「では、まずそこからお話しましょう」

「これまで冬木では三度、聖杯戦争が執り行われました。いずれも聖杯を獲得したものはおらず、勝者が現れないまま。三度目で起きた、大聖杯が奪われるというアクシデントにより、『冬木』の聖杯戦争は終結しました」
「奪われた…?」
「ええ。三度目の聖杯戦争は、世界大戦の直後でした。その際、一人のマスターが外部の軍を引き入れ、大聖杯を奪ってしまったのです」

しかしその軍も、そのマスターに騙され聖杯は二度奪われてしまいましたが。

シロウさんの説明で、だからここの地脈は、聖杯が奪われてしまったことで日照りをうけた湖のようにほとんどなかったのかと、合点がいく。

今や『冬木』の大聖杯はいずこにあるのか分からず、誰かが意図的にシステムのことを漏らしたせいで、世界の各所で亜種聖杯戦争という、冬木の聖杯を真似た小規模の聖杯戦争が行われているということらしい。小規模とはいえ聖堂教会としては容易に看過出来るものではないため、時折その監督役として、シロウさんが任命され出向くことがあると。

なるほど、と頷く。
こちらでは一度目の聖杯戦争でマリスビリー所長が無事勝者となったが、勝者が現れなかった場合は後々にそういった強引な手段を用いる者が現れてしまうのか。シロウさんが度々出向く理由にも、ようやく納得がいった。
そこでふと、疑問が湧く。

「では聖杯はいまもそのマスターが…?」
「ええ、おそらく。いまだ聖杯が起動した様子は観測されていませんので、もしかするとどこかの地脈に固定させているところなのでしょう」
「じゃあ…まだ誰も聖杯の力を得られてないのですね」
「…ええ。ですが、その第三次聖杯戦争の際、一人だけ。聖杯に触れることが出来たものがいます」

一人だけ?
訝しげに見れば、それまでずっと私の目を見ていたシロウさんが、一度視線を外し、口を噤む。思案するシロウさんの表情は、覚悟したもののためらっているような。怯えているような表情で。私は大人しく、続くシロウさんの言葉を待つ。

意を決したように、シロウさんは一息つくと。
私の目を正面からまっすぐ見据え、口を開いた。

「その聖杯に触れ、受肉したのが……私です」
「え…?」

受肉…?
口がそう言葉にしたはずなのに、言葉は空気しか吐き出さなかった。シロウさんの言った言葉の意味を理解するのに追われ、その間苦々しい顔をしている彼を見つめる。
受肉したとは、それはつまり過去聖杯戦争に参加した参加者であり、サーヴァントということ。でも、それって。

「私が召喚された時、その聖杯戦争に関わっていた監督役が、言峰璃正でした。私がこの世界で生きられるよう、義父となって私を養子にし、新しい名前と身分を与えてくださったのが、彼です」

沈痛な表情のまま、今まで閉ざしていた事を次から次へと明かしてくれる。
呆然としていても脳は少しずつ噛み砕きながら理解していくが、心が未だ追いついていかずちぐはぐな感覚に混乱が止まない。
シロウさんが、サーヴァント。過去の、英雄。新しい、名前。

シロウさん、シロウ、しろう……
―――――四郎。

「それじゃあ…」

混乱しながらも、一つの答えに行き着いた私に、シロウさんが苦笑する。

「察しがお早い…ええ、私は……真名を天草四郎時貞と、申します」

天草四郎、時貞。
口の中でゆっくり咀嚼しながらつぶやく。

天草四郎時貞とは。
島原の乱と呼ばれる、農民たちによる江戸時代最大の一揆。その指導者。
自身を崇める信徒や農民たちのために弾圧と戦った、奇跡の人。それが目の前にいる、シロウさんの本当の素性。

奇跡を成す聖杯ならば、過去の英雄に血肉を与え、第二の生を得ることは理論上不可能ではない。でも、でもそれは。理論上であって、前例はなくて。その初めて目撃した例が、よもや目の前にいる彼だなんて。

しばし言葉を失ったまま、混乱する頭をときほぐす。
ゆっくりひとつひとつ、飲み込むように。ゆっくりと理解していく私を、シロウさんは黙って待ってくれる。

これで、彼がずっと口を閉ざし、今まで明かしてもらえなかった意味が、ようやく分かった。
彼ほど非業の死を迎えた人ならば、むしろこの早さで明かしてもらえたのは、それこそ奇跡かもしれない。
…そうか、私は。彼の人に、信じてもらえたのか。

落ち着いて、深呼吸を繰り返し。息をつく。

「……ありがとうございます…貴方のような方が、打ち明けるのは…さぞ…苦しい、決心だったでしょう」

歴史におきた全ての真偽は分からない。その時の彼がどういう思いで生涯を遂げたのか、全てを推し量ることは出来ない。それでも、ただ一つだけ分かることがある。

彼は、その身に受けるには…あまりにも大きな絶望を受けた。
民のために戦い、最後は自分に信じてついてきた者たち全てを殺され、自身も首をはねられ。ただ、明日を生きるためにしたことをすべて斬り伏せられた。それはとても、言葉に出来ない絶望と…地獄の光景だろう。人を、この世を憎く思ってしまうほどに。
優しいこの人でも、殺してしまいたいと思うほどの、憎悪が。きっと。

それなのに、私に打ち明けてくれた。私を愛していると、言ってくれた。
私なんかが想像つかないほど、よほど辛く。人を嫌いになってしまうほど、非業を迎えたのに。それでも優しく、共にありたいと思ってくれたことは――なんて、奇跡だろうか。

両手で包むシロウさんの手に、ぽたり、と溢れ、それが自分から溢れていることに驚く。

目から溢れた涙が止まることなくぽろぽろと落ちてシーツに染みを作っていき、シロウさんが辛そうに眉根を寄せ、指先で私の涙を拭う。

「…っ、あ、あれ…ごめんなさい。私が泣くのは…おかしいのは、分かってるのですが……」
「…いえ。ありがとう、ございます」

こつん、と額が合わさり、ぽたりぽたりと頬を伝って落ちていく涙を、シロウさんが何度も何度も指先で拭う。優しく、何度でも。奇跡を成したその手は、私のような小娘の涙を拭うためだけに今使われている。
恥ずかしいと思いながら、されるがまま従う。

「なまえさん……私は、まだ聖杯を諦めていません」

視線を合わせれば、シロウさんの金色の瞳の奥には決然たる意思が見えた。

英雄は、聖杯にかける願いがある者のみこの世にサーヴァントとして現界することが出来る。彼が一度サーヴァントとして現界したことがあるということは、そういう事なのだろう。

「どんな望みか、聞いてもいいですか」

シロウさんから離れ、袖で涙を強く拭い向き直る。

「…この世すべての、人類の救済です。私は、自分の一生と。先の聖杯戦争で、自分に誓いました。必ず。人々の嘆きも、悲しみも、死も。全てのことから、皆を救うと」

途方もないほど、人が願うにはあまりにも漠然と。遠い、夢。
けれどシロウさんは、それをはっきりと口にした。誰かがこの世の悪意に嘆き、そうあってほしいと願うような刹那的願いではない。確固たる意思と、確信を持っている。

これは、無理だ。
正しいか間違いかの判断は凡庸な私では出来るものではないし、この夢は。私一人で、どうこう言えるほど容易いものではない。
押し黙る私に、シロウさんは続けて口にする。

「だからもし、聖杯がまた現れれば……私は、私のために泣いて下さったなまえさんよりも。聖杯を、優先します」
「……」
「それでも貴女は、私でいいのですか」

昼間の問いと意味が違う。
今度こそ、本当の意味でこちらの覚悟を問われる。

今ならまだ、私は冬木の教会の、ただの神父である”シロウ・コトミネ”を好きになっただけで済む。けれどももし、天草四郎という人間ごと、愛するということは。もしかするとこの先想像も及ばないほど、互いに苦しい未来が待っているかもしれない。

私は、この聖人を縛り付けていいのかと悩み。シロウさんは、私という偶然知り合っただけの女を、愛して打ち明けてよかったのかと悩むだろう。もしかしたらシロウさんは、私という枷を作ってしまったことで、道を外れてしまうかもしれない。私という人間など、最初から出会わなければよかったと、いつか思うかもしれない。

そうだったら、いいな。
それぐらい、愛してもらえたら。きっと私は、どうしようもなく。幸せ者だ。

私は涙でぐちゃぐちゃになった頬を叩き、へらりと笑って見せる。

「ありがとうございます、シロウさん。…答える前に一個だけ、お願いしてもいいですか」
「…なんで、しょうか」
「もし聖杯が現れたら、その時は。私だけは、救わないでください」

全てを救うと言ったシロウさんに、矛盾ともいえる願いを口にする。
想像通り、シロウさんはどうしてですか、と焦燥の滲む声で問う。口にしなければ、先程打ち明けてくれたその願いの中に、私を組み込んでしまっていただろうことは明白だった。
でも私は、そんなのいらない。

「シロウさん、言ってましたよね。私を死なせる気はないと。でも私は、もう充分勝手気ままに生きました。それに今の暮らしで、もう満足しているんです。それ以上望むのは、贅沢です」
「ですが……生きたいと願うのは、贅沢な事ではありません…っ」
「ええ。当たり前の願いでしょう。でも私の場合は、そうではない筈です」

死ぬはずだったのに、死にかけのまま。気力だけで生きているような、死に損ないの私は。亡霊と言ってもなんら変わりない。それにここは、私のいた場所ではない。この世界の理からすでに外れた人間は、対象にはなれない。
そうでしょう?と笑いかければ、シロウさんは私の指摘に一度押し黙り、ですが、と物言いたげに続ける。笑みを絶やさず見守れば、口を何度か開こうとして、やがてはぁ、と言葉のかわりにため息をついた。

「…なまえさんは、ずるい人です。そんな酷な願いを、私に与えるなんて」
「すみません。言っておかないと、いけない気がしまして」
「私が守る保証はありませんよ」
「ええ。でも、私はシロウさんを信じています」

我ながらずるいことばかり言えるな、と感心しながらそう言えば、今度こそシロウさんは肩を落として大きくため息をついた。案の定、ずるいです、とぼやかれたが、笑顔ではねのけた。
私の涙を拭ってくれた手を優しく包み、にっこりと”四郎さん”に笑いかける。

「一緒にいられる時間は短く……何も出来ない私ですが。あなたの傍に、いてもいいですか」
「…何も出来ないなんてことは、ありません。あなたがいてくれるだけで、私は、…幸せです」

包んだ手を握り返されると、優しく体を引き寄せられ、唇を寄せ合う。
少しも離さないとシロウさんの体が私を包み込み、そのままベッドに倒される。
シロウさんの口付けは優しく、けれど与えられる唇は、今までで一番熱く。胸が満たされる。
指先を絡め、頬を寄せ。微笑みをかわしながら。何度も。何度も、繰り返す。

ちゅ、と惜しむように口付けをすると、ゆるりとシロウさんが離れる。

「なまえさん。その…」
「…はい」
「…よろしい、ですか」
「はい……お手柔らかに、お願いします」

とくとくと心臓が暴れだす。きっとシロウさんも、私と同じ気持ちだと嬉しい。

ぎこちなく私の頬を撫でると、また口付けを落として。たどたどしくも、私を大事に壊さぬようにと愛す彼に、私は精一杯抱きしめ返した。