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 どうもこんにちは、佐伯暢です。インド系宗教でよく見かける単語、『生まれ代わり』をしてから約五年が経ちました。幾ばくの羞恥プレイを乗り越えて、ようやっと大きくなりました。
 魔法の世界ということで、最も感謝したのがおむつを替えるときに魔法を使うということだ。流石にあの歳で下の世話なんてされたくはない。25歳のいい大人が、未だ意識的には他人に、しかも異性の方に世話されるなんて羞恥以外の何物もわいてこない。
 最初の数週間は赤ん坊であることに悩んだし、夢ではないだろうかと期待もしたけれど、物事はいい方にも悪い方にも転がらず現状維持を続けたので、諦めた。苦慮したり悶えたりする代わりに思慮した方が良いだろうと、諦めました。
 有り体に言えば俺は元来興味も好奇心も薄い。努力せずともそこそこの評価が貰えたので自堕落で、情緒もナニもない、端から他者と深く同調する努力をしない人間としてのクズだ。オルポート先生も匙を投げるだろう。
 それがつまり何をされてもなんとも思わない、と評価されるのはどこか不適切な気がする。驚きもするし悲しくも思うが、他人より自分はソレらが十二分に不十分らしいのだ。その上、他人にあまり自分の驚きや悲しみが伝わらない。コミュニケーションをとるための伝達力、つまり感情を表情に映す能力が極端に乏しいのだ。要するに他人からすれば笑顔と真顔の二択ぽっきり。最初からいつでも最悪の事態を予想し、最善や未来への希望を見出そうとしない、言わば閉じこもり。引きこもり。
 いつ自分を見直しても溜息しか出ないので、あまり考えないようにしている。そうやって逃げ続けて生きてきた。そうして苦痛を昇華する術を覚えられないまま不完全に社会と同化した。出来たのはこんなんだ。
 けれど、就学前の子供というのはやることが少ない。やっぱりよしなしごとや自分について、周りの状況を考えるようになる。起きてから寝るまでにすることは食事、生理現象の処理(いや、まだ髭の手入れはしなくてもいいが。トイレとか風呂とか)、双子の兄ロナルドにチェスの仕方を教えたり、外で駆けずり回ったり(三歳までの運動量で運動神経というのは決まる。それに体づくりと体力の資本は幼少期が最も重要だ)。
 それらを終えたら一日に余る時間は案外多い。思慮を重ねることを避けるとなれば出来ることは限られているにも関わらず。
 いくつも上の兄達が読んだ本を黙々と読みあさり、泣くこともせず笑うことも少ない、ひねた腐ったガキを笑顔で、他と変わりなく育ててくれたウィーズリー夫妻にどれだけ感謝したことか。しかも俺自身は赤毛の一家に生まれた黒髪なので、性格以外にもなにか嫌悪や懸念をしたことがあったろう。祖父が黒髪らしいので隔世遺伝だと考えているようなことは言っていたが、赤毛はフェオメラニン、黒髪はユーメラニンたっぷりの正反対の性質だ。赤毛はmc1r(メラニンをつくる皮膚などの細胞に存在するタンパク)の突然変異、しかも劣性遺伝なので、深く考えれば深く考えるほど、俺という存在は恐ろしい。あのオシドリかかあ天下の夫婦が浮気をするとも考えにくいが。
 そして俺もまさか、家族全体で王室縁の名前をつけられているのに自分は違うのだとか何年もぶちぶち考えていられない。悩むべき問題は山積みなのだ。
 まあ二人共、人間、こちらで言うところのマグルの生物学(一応魔法使いも体の基本的構造は同じらしいが)には詳しくないので、深く考えることもなかったかもしれない。これは予想ではなく俺の希望だが。
 つまり、空恐ろしいのは俺のみで、この家で押し潰されそうなのも、周りが俺を押し潰そうとしているのではと妄想を働かせるのも、俺の被害妄想の成れの果てだ。けれど苦しいものは苦しい。だから(精神的には)『他人』に我儘を言うのは常時気がひけていた俺も、ひとつ奇策に出てみた。

『マグルの学校に行きたい』だ。

 理由はマグルと魔法使いの橋渡しをしたいと言えば充分ないい子だろう。ウィーズリー夫妻は純血だがマグルに偏見はない。むしろアーサーなんてマグル厨だ。
 クリスマスが近づくと「欲しい物は?」「マグルの学校に行きたい」という子供に夫人は困った顔をしていた。けっして年齢的問題だけではなく、金銭的問題もある。ウィーズリー家は収入が多いわけではないのに、大家族で、子供たちの学校で使う物を買うのにだって結構な金がいる。ひもじくはないが貧しい。そんな生活をしているのに、果たして5歳から子供を学校に通わせられるかということだ。
 勿論公立学校は金もそうかからないが、居住先・食事代その他諸々生活用品(マグルの服も買わなきゃいけないし、日常生活だって魔法で事足りる物をわざわざ買わなければいけない)。そう簡単に叶う筈もないと思っていが、充分に考え、俺の本気を試し、信用し、行かせてくれるらしい。
 嬉しくて顔が紅潮した。その時、今なら庭小人にキス出来ると思った。多分その後奴らに唇を引っ剥がされるだろうけど。
 嬉しさに一瞬微笑を銜え、二番目の兄チャーリーの持ち物である本を捲る。今年の秋で2年生になるチャーリーは、既にクディッチとドラゴンにお熱だ。クリスマス休暇で帰ってきて、物憂げにしているからなんだと思ったら「ドラゴンの仕事をしながら、クディッチを出来ないかなあ」なんて、頬を染めていた。
 ハリー・ポッターは全巻読んだし映画もテレビ放送をさらっと見たけれど、未来の彼はクディッチを捨てたようだった。取捨選択、ドラゴンの研究をしていると、2巻でロンが言っていた。

「ロット! ロンはどこ!?」

 夫人が喚きながら汚れた洗濯物を抱えていた。魔法で綺麗に出来るが、その前にオイタをしたロンを叱るらしい。
 「見ていないよ」と言えば、「そう」と憤慨しながら歩いて行く。自分の口が英語を重ねるたびに、日本語が恋しくなる。それと同時に、自分が使う英語は、酷くこの家では浮く。
 『生まれ変わる』前、というか。ホストファミリーがクイーンズイングリッシュを使っていので、自分も知らない内にその英語に馴染んでた。意識とは真逆に口から出るようになるまで。
 豪邸というわけではないし、そこの旦那さんが貴族階級も持っていないので普通の家だと思っていた。hotの発音やtomatoの発音よろしく、イギリス英語とアメリカ英語の違いだろうとばかり最初は思っていたが、帰国後ふと気になって調べてみたら、自分が発するようになった音は正統派クイーンズイングリッシュだった。
 正統派クイーズンイングリッシュ、しかも王室内で使われる英語だ。それを話すのは夫人の方だった。旦那さんの方も正統派ではないがクイーンズイングリッシュだった。5つ年下のそこの息子は夫人と同じく話した。クイーンズイングリッシュはイギリス英語というわけではない、国内でも上品な喋り方だ。貴族階級や王族が多く用いる、悪く言えば気取った喋り方。気付いたときには時既に遅し、慣れたものを直すのはとても難しい。イギリスに20年住んだアメリカ人だってイギリス英語を常日頃から話すのは難儀だ。
 つまり俺はもう、そのときに慣れてしまっていたのだ。
 辟易したし、大学や院の留学生には少し煙たがられた。イギリス嫌いのアメリカ人には鼻つまみ者にされた。道を聞かれたときだって答えれば一瞬眉をしかめられた。
 後でよくよく考えれば、ホストファミリーの夫人はその時の女王と顔が似ていたし、マナーも完璧だった。旦那さんも貴族院の政治家に似たような顔をした人物がいるような気がした。

(……駆け落ち?)

 考えもしたが、聞いたところでたかだかホームステイの留学生に教えてくれたりはしないだろう、そう思って聞かなかったのを悔やんだことは鮮烈に脳内に記憶されている。帰国してからの手紙には、ちょっとばかしの嫌味に『アメリカ人には僕の発音を不思議そうにする人がいます』なんて書いてみたものだ。
 それに。それに、今だったらもっと特別悪辣な嫌味を書いて手紙を送れる。ウィーズリー家に、例え純血だと言えどもウィーズリー家にクイーンズイングリッシュを話す人間が存在するだろうか。いや、誰しも答えを知っている。
 ノーだ。
 大きくなって物事を考えられるようになった双子の兄達にもからかわれたし、どうしてだろうと夫妻が話すのも知っている。ロンは自分と俺が違う発音をするたびに首を傾げている。
 耐えがたい。耐えがたい現実だ。
 けれども、今では約束された事実が待っている。俺はマグルの世界へ! これで冗談だったと言われた日にはウィーズリー家のいい子ちゃんは荒ぶれた凶悪な息子に変貌することだろう。今まで正統派クイーンズイングリッシュを話していたいい子ちゃんは突然コックニーを喋りはじめ、家の中の物を引っ繰り返す。なんて夫人が慌てふためきそうな内容だろうか。

「ロット、なによんでるんだ?」
「面白いか? なあ」

 本に影が落ち、顔を上げればまだ学校に通っていないフレッドとジョージがにやにやしていた。俺はぱたんと本を閉じた。

「なんだ、よまないのか?」

「今丁度読み終わったところ。チャーリーのだから棚に戻しに行く」

 就学中の兄の名前を出せば、双子はふーんと言って俺の手から本を取り上げた。

「ドラゴン全集!」
「そりゃチャーリーが好きそうな本だ!」

 けらけら笑う双子に肩を竦めれば、「つまんないの」とフレッドが唇を尖らせた。俺は見えないふりをして「バイザウェイ」と言った。目の前で二人揃って同一に首を傾げる動作が少し怖い。

「どっかでロン、見た?」

「ママに怒られてたぜ!」

 こりゃ傑作と笑う双子に俺はもう一度肩を竦め、屋根裏お化けがどしどしギャーギャー頭上で言っているチャーリーの部屋に足を向けた。
 双子がムッとして「Rubbish!」と言ったので、俺はひとつ「sorry」とだけ言っておいた。



11.7.17


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