20




「はじめまして人殺し。これで会うのは2037回目だね。僕の名前はセドリック」

 朗々と語る声の主はにっこりと笑った。
 その目に宿るのは憎悪、嫌悪、怨念、嫉妬、仇視、軽蔑、側僻、恐怖、欲望、吐瀉感、殺意、鬱憤、畏怖、絶望、忌諱、遺恨、僻心、邪僻、拗戻、寂寥、瞋恚、悪意、無慈悲、怨恨、呪詛

「のろわれろ」

 彼ははっきりとその白皙の肌から、青い唇から、五文字の日本語を吐きだした。正に呪詛。You should die.You must die. He cursed me.

「のろわれろ」

 ここは暗い。

「のろわれろ」

 あたりにはなにも見えない。

「ノろワレロ…のろわれろのろわれろ呪われろ……君が助けてくれれば僕が死ぬことなんてないのに。なあ、そうだろう? なあ、なあなあなあ。一言、たったひとつ助言をくれるだけで僕は死なない僕は勇猛果敢にアレと戦った英傑になってもし戦わずともこれからは17年で人生を終えることもなく多くの人を笑顔にして多くの人と幸福を築くことが出来るのにそれなのにお前のせいで誰をも幸福に出来ない人殺しのせいで…………死ね。死ねよ。頼むから死んでくれ。むしろ何故生き続ける。理解できないお前は死んでいるべき存在だ。肺呼吸以外死人でい続ける醜悪さを以てして僕まで殺すなお前が僕を殺すんだお前が僕を2036回殺したんだ。お前なんて死んでいたべきだお前なんかが生きているのは間違いだなぜお前が存在する? お前はなんだ? なんのためにいる? 何故息をする? よくも抜け抜けと恥ずかしげもなく息をしていられるな。お前は存在そのものが間違いであることを生まれたときから知ってたじゃないか。なのにどうして生きているんだい」

 今夜は然程も辛くない方だ。それでも心臓が統御を越えて大きく拍動する。


 どっ   と。


 ひとつ心臓がはねた次の瞬間に、俺が何もしなくとも目の前でセドリック・ディゴリーは死んだ。まるで傍観者がページを捲るようにいとも容易く。
 ここは懸念が暴力を奮う。惜し気もなく憤悶が哄笑し平時のように小賢しい理由を論理的と称して身を守れずにひたすら打ち砕かれるためだけのところだ。


 片手で頭を覆い、石のように硬く目を瞑る。
 ここはくらい。だからきっとおそろしい。
 こつり、と背後から靴の音が聞こえた。
 ここはひろい。だからきっとさむい。

「こんばんはロット、こんばんは我が家のコッペリア、こんばんは兄弟殺しのカイン。僕達の役割は反対だね、僕が弟のアベルで君が兄のカインだ。こんなことを言うのはもう2556回目だ」

 ふれっどがわらった。
 頭に直接言葉をふきこまれる。だからむしできない。だからおそろしい。

「いつもそうやって見下してるよな、僕達のこと。お前は部外者だ、ただの部外者だ。なのに超越者のつもりなのかい、全部知ってるからって? 傍観者気取りのメアリー・スー。……いや、男だからマーティー・ストゥーかな? お前が知ってるのはただかの主役が送る未来の一端に過ぎない。だというのにお前はカミサマにでもなったつもりで僕達を見下しているんだな。お前の意思や言動で僕達の全てが変わると断言して紙上のキャラクターに仕立て上げて悲劇に涙を流して憐れんでるだけだろクズ。おお!その御顔から流れ出る清らかな涙はなんとウツクシイのです! って? なにもしないで口先動かして自分はこんなに悲しんで辛いから許されるって思ってるだけだろ」

 ちがう。と。
 そうさけんだのはいつだったろうか。
 ぼくはただのおくびょうものだから。ぼくはただのきべんかだから。ぼくはただのしほんしゅぎしゃのかたまりのなかの、いっかいのぼんぷだから。ぼくは。だからぼくには。はっきりと実証出来ないものなんて嘘にしか見えないだろうと勝手に思い込んでしまうんだ。だからなにも出来なくて、身動きが取れずにいる。
 こんなに雁字搦めになったら、俺なんかではどうにも出来やしないよ。ほんとうさ。毎日嘔吐感を知らないフリして過ごしていたら可笑しくなっちゃったんだ。もうそうやってしか生きていけない。俺なんかきらいだ。佐伯暢なんてきらいだ。ロータス・バッコス・ウィーズリーなんてきらいだ。
 だから。だから、だからねえだから。

「ころしてください」

「嫌だよ。自分で死ね。お前なんかが他人に殺されるだけ許されるものか。ウィーズリー一家の中で黒髪で顔も似てなくて、そのくせクイーンズイングリッシュなんか話して寡黙を気取ってて、魔法の体質も人と違って11歳前に高校を卒業して魔法なんてなんだって唱えられる本まで出しちゃうような天才なんかにはオソレオオクテさわれないね。そのサイノウを肥溜めに捨てたので許して下さいって言いたいなら自分でやれよ」

「Please pl eeeee ea s e ki l l」

「……You could die.」

「If I could do it, I would.」

「You could if you would.」

「No.no no no」

「fibber!」

 だれかがさけんだ。そうしたらほかもさけんだ。

「You are not fibber. You big liar!」
「You big liar!」
「You big liar!」
「You big liar!」
「You big liar!」

 セドリック・ディゴリーが。フレッド・ウィーズリーが。ルーナ・ラブグッドの母親が。クィリナス・クィレルが。バーサ・ジョーキンズが。フランク・ブライズが。バーテミウス・クラウス・ジュニアが。ブロデリック・ボードが。シリウス・ブラックが。アメリア・ボーンズが。エメリーン・バンズが。イゴール・カルカロフが。ハンナ・アボットの母親が。アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアが。チャリティ・バーベッジが。アラスター・ムーディが。ルーファス・スクリムジョールが。バチルダ・バグショットが。ゲラート・グリンデルバルドが。ダーク・クレスウェルが。テッド・トンクスが。ピーター・ペティグリューが。ビンセント・クラッブが。リーマス・ルーピンが。ニンファドーラ・トンクスが。セブルス・スネイプが。コリン・クリービーが。ベラトリック・レストレンジが。トム・マールヴォロ・リドルが。
 全員が、足踏みを揃えて俺を糾弾した。俺を囲んで声高に叫んだ。蹴られる、殴られる、唾を吐きかけられる。痛い。でも、先程まで醜態をさらしたが、ここまでくればもう頭がすっきりしてきた。拍動が唸るだけで、いかにもすっと爽やかな気分にさえなれた。俺は口許に下手くそな微笑みを湛えた。そうすればこの悪夢が、いつか過ぎ去ってくれる気がした。
 けれどいつだって、その思惑は上手く運ばれない。いつだって俺が責任転嫁でも逃亡でも塞ぎこむでもなく糾弾に耐えようと心構えすると、底抜けに明るい笑い声がこの暗くて広くて寒い空間に響きわたるのだ。
 アハハハハ、と高らかな若い男の笑い声がした。やっぱりきたよ、と俺は産毛立つ全身を抑えて声の発信源を辿った。

「被害妄想乙!」

 黒髪の、日本人だ。佐伯暢によく似ている。違うところと言えば佐伯暢はこんな大衆の前で大口を開けて笑わないところだろうか。奴の目元がにんまりと細まる。口許が裂けるように広がる。そしてもう一度「ご立派な自己犠牲精神の被害妄想でステキな自己陶酔だ!」と俺を責め立てた。
 じわり、と涙が滲む。更には今まで耐えきっていた堤防が土砂降りによって決壊し、大きな氾濫を秒読みにしたような恐怖が俺を襲った。駄目だ。今は泣けない。泣いたら全部がしっちゃかめっちゃかになる予感がした。悪寒がした。生まれたばかりの小鹿のような、震えるばかりの存在に成り下がる気がした。
 涙を抑えると今度は脂汗が滲み、体が震え、胃をひっぺがすような嘔吐感に見舞われた。

「ホントすげえ、毎日よく飽きないよな」

 「コンプレックスでもあんの?」耳元で、舐めるように喜悦を孕んだ仄暗い声がした。声と一緒に吐息さえも感じて身の毛が弥立つ。震えが止まらない。

「あーあー、男のくせにまた泣いてる。泣きゃ済むと思ってんの?」

 優しい声で頬を伝う液体を指先で払われ、目と鼻の先でにんまりと笑われた。

「適応しようとしても合理的解決どころか近道反応も出来ず、防衛機制を働かせようとしてる最中に我に返るとかドマゾかよ」

 がち、と歯の根の合わない音がした。がちがちがち、とまるで幼稚な音楽のように歯が鳴り合った。腹から揺れる体は体験したこともないような大地震にあったようだった。視界がぐらぐらと揺れた気がした。
 おそろしい。
 目の前のコイツがいると平生の理性的さをなんとか取り戻しながらも、それさえ非難される意図にぐずぐずと根元から腐っていくような恐怖を感じる。いやだ。ごめんなさい。ごめんなさい俺が悪かった全部俺が悪いんです。殺人が起こるのも盗難が起こるのも強姦が起こるのも詐欺が起こるのも全部俺のせいですごめんなさい。悔い改めます。贖罪します。世界を幸せにする努力に身を投げ出します。死んでもかまいません。だから、だから――

「ゆるして」

 目前のソイツはにっこり笑った。あたかも交際相手にやるような、安堵と愛情を示すソレに見えた。



「まずなんで許されると思ってんだよ、バァカ」



 あたかも交際相手に見せるような、嗜虐に満ちた親近感をソレに聞いた。







 深夜も深夜、ファザー・クリスマスからプレゼントを貰えるようなガキはもうとっくに寝てる時間。よい子ではない我が家の居候は寝てるだろうか、それとも毎度のように本を読んでいるだろうか。
 我が家の居候、ロータス・ウィーズリーは六年をも過ごした俺の家を出てもうすぐホグワーツ魔法学校に行く。俺達の奇妙でいて微妙な距離を移ろいだ23歳も年の離れた友好関係はもうすぐ終焉を迎えようとしていた。そんなことに少し感慨深く思っていたら、唐突に杖屋『Wand Wanda』の主人が言っていたことを思い出したのだ。『入学前にまた買え。これだけは間違っとらん。それから、そのとき柳は買わんほうがいい』という台詞を。
 杖は一本買ってやった。だがもう一本必要だとアレは言った。ならばもう一本、適当になんでもいいから俺が買ってやりたいと思った。彼の体質から考えれば、もはや柳以外だったらどんな杖だって構いやしないだろう。いや、むしろあの酒場の部屋で魔法を積み重ねた彼にしてみれば柳の杖をももう使えるかもしれない。 そういう考えからくると、つまり彼は俺が買ってやった既存の杖だって普通に扱えるのかもしれないが、ただ俺が可能性を考慮した上で買った方がいいと思ったのだ。……いや、少しばかり嘘をついた。俺が友人にハナムケとして何かを送りたい、ただそれだけなのだ。
 多少照れくさくなりながらも俺はイスから立ちあがって読んでいた本をテーブルの上に置いた。それからテーブルの上で音楽を流していた懐中時計をポケットになんとなしに仕舞い込む。彼はどうせ学校なんて行ってない身だ、本を読んで起きていれば僥倖だが叩き起こして杖を買いに行く日を決めたって誰も困りはしまい。
 立ちあがって彼に宛てがっている部屋に行こうとしたとき、テーブルに置いた本の表紙が目に映り込んだ。――ロータスの本だ。前・後巻の本の他に、俺が激しく薦めて彼が自由に書き連ねた魔法について考察した一冊の本だ。作者の名前はEleutherios・Liber、エレウテリオス・リベルという。
 俺の友人は才のある人間なんだ。そう思って少し誇らしげに、口許に自然と微笑みを刻んだ。その才は自惚れこそ許されても羞恥をいだくようなものでは決してないのだ。俺は弛んだ口許に少しだけ気恥かしさを覚えてきゅっと結び、彼の部屋に足を動かした。

「ロータス、起きてるか? 入学前に新しい杖を合わせに……」

 部屋の中は真っ暗だった。少ない家具の中、ベッドの枕元に置かれたスタンドは光を灯していない。少しの罪悪感を持ちながらドアからすぐの電灯のスイッチを付ける。ロータスは部屋の隅で身を縮こめて眠っていた。

「うう、ぐ、うう」

 寝ている姿に安堵を覚えたのも束の間、突如として獣のような唸り声が聞こえた。痛切に響く声にぎょっとして彼に近寄れば、彼は瞑られた目から涙を流していた。もがくようにシーツを掴み、恨むように震えていた。体の芯から響くような唸り声は俺をもってしても憐憫を抱かせるに十分だった。その小さな小さな矮躯に詰め込まれた痛々しさを日常で見ることがなかったというのもあるだろう。
 しかし、俺は彼が成人した姿であってもはたしてここまで憐憫を向け力になりたいと思ったであろうか。俺はもしかして彼のその小さな体に含まれた特異性、生産性だけを気にしていたのかもしれないと初めて危惧を覚えた。

「ロータス、大丈夫か? ロータス」

 あまりに苦しそうなのでその丸く小さな肩を揺さぶると、彼は唸るのを止めおぼつかない視線で俺を捉えた。小さく白い手が俺の服を弱弱しく、凭れかかるように掴んだ。

「ゆる、し……ゆるして、ください」

 その小さく瑞々しい紅唇で喚くようにそう言った。ぷりーずふぉおぎぶ、ぷりーずと零れる声に、俺は彼と初めて会った時アーサーが言った『ロットは、ああ見えて実は弱い子なんだ。夜によくうなされている。だが、人に見せたがらない性質だ、出来ればそっとしておいてほしい』という言葉が脳内で繰り返された。
 これを、そっとしておけと。そうか、確かに親ならば出来るかもしれない。親は手助けする者であり見守る者であるくらいが丁度いい。だが、俺には無理だ。俺の性質上の問題。そして俺は彼の親でもなんでもない。

「ロータス」

 静かに呼べばぴくりと衣服を掴む手が動いた気がした。

「誰もお前を責めてなんかいない。お前は許されざる過失なんて起こしてない、そうだろう?」

 俺の家に来たのが5歳。アーサーの言葉に従えば、うなされ始めたのは5歳より前の出来事の所為だ。俺の家に来てからはそんな過失は起こっていない。さすがに通常の子供よりは聡明な彼が、皿を割っただのという瑣末なことでこんなにはならないだろうし、大きなことであれば保護者を買う俺の耳に絶対に届くはずだ。そして5歳より前のことなど今やそう覚えていないだろうし、思考の確立がされていないのだから一々の出来事に罪悪感を覚えるはずがない。
 だから、明らかに彼は必要のないことに悩んでいるはずだ。俺は彼の頭を慣れないながらも震えるように撫でた。

「You big liar.」

 意識がおぼつかないのならここまではっきりとした声は出せないであろう、そんな声で彼が言った。しかし彼の目はぞろぞろと彷徨い寝ぼけているように見えた。俺は嘘吐き呼ばわりされていることなど二の次に、その矮躯に胸を痛めた。たれぞ彼をここまでさせるのかと。
 暫くの沈黙が流れる。彼は再び寝入る動作も見せずに壁をただじっと見詰めていた。俺は眉を顰めて俯き、ポケットの中から懐中時計を取り出した。ぱかりと開けるとマザー・グースのCock Robinが飛び出してきた。それを窓枠の縁に乗せる。すると彼は壁に向けていたような視線を懐中時計に向けた。

「これは元々父親のものでな」

 秒針が昇りつめ、もうすぐ降下する時計を眺めながら溜息をつくように言った。

「古来から人を幸せにするアンティークだそうだ」


Who'll make the shroud?
I, said the Beetle,
with my thread and needle,
I'll make the shroud

誰が作るか。死装束を作るか。
それは私よ。カブトムシがそう言った。
私の糸で。私の針で。
私が作ろう。死装束を作ろう。


「しあわせ?」

 寝ぼけた思想から一気に覚醒したのか、ロータスが皮肉げな声で笑った。

「こんなお歌がシアワセか。素敵な世界だな」

 俺の服を掴んでいた手をすると離し、寝ぼけ眼の顔を髪ごと手の平で掻きあげて彼は目を細めた。そのまま懐中時計をパチリと閉じながら口ずさんだ。

Who'll dig his grave?
誰が掘るか。お墓の穴を。

I, said the Owl,
それは私よ。フクロウがそう言った。

with my pick and shovel,
私のシャベルで。小さなシャベルで。

I'll dig his grave.
私が掘ろうよ。お墓の穴を。

「……俺は、鳥みたいにお前のために泣かないからな」

「それで充分だ。俺だって弓で死んだりしない」

 皮肉げな嘲笑を苦笑に変え、ロータスは「それで、わざわざ叩き起こした本懐はなんだ?」と言った。俺は首を振って「また明日にする」と返した。彼は眉根にくっきりと皺をつくったが俺は素知らぬ顔でこの先の話題を払いのけた。

「寝ろ、今度こそよい夢を」

「多少夢見が悪かっただけだ」

 バツの悪そうな顔をする彼に俺は微笑ましさに口許を緩め、それを隠すように部屋の電気を消した。

「おやすみルパート。今度の夢ではツグミのようにお前が歌ってくれることを願うよ」

「讃美歌(psalm・サーム)はサム(sam)に歌って(sung・サング)貰えたら一番いいんだよ」

「つまんねえダジャレ言ってる暇があったらお前もとっとと寝ろ!」

 吼えるような怒号に俺は酷く愉快になって声帯をも震わせて腹を抱えて笑った。すると耐えきれなくなったようにひとつ遅れてベッドの上の彼も大声で笑った。頭を抱えるほどに愉快な出来事に、俺はやはり父親の形見が幸せを運んでくれるものだと深く頷いた。そんな幸せを分け合う人間がもうすぐいなくなる哀惜が、彼の六年間での成長を懐かしむようで、俺は随分まるくなったものだとまた只管に愉快になって狂ったように笑い転げた。



12.12.27
加筆修正14.1.26


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