Boredom can kill you.

 暇は人を殺す。誰の言葉だったか忘れたが(イギー・ポップが広めた慣用句、だったろうか)今なら頷ける、確かにそうだ。
 昔、その言葉を知っている時点で俺は既に制約がありながらもどこへでも行けたし、何もすることが無いなら無いなりに暇つぶしの道具を持っていた。
 しかし、俺は本物の“暇”と“退屈”をこの歳(見た目年齢0歳)になって初めて知った。こんなに暇なら出来れば知りたくなかったというのが本音だ。だってマジつまんない。
 小児にはすることがない。生後五カ月ほどの俺ははいはいや腹這いくらいしか出来やしないし、それは移動するのにも大変な体力を労する。しかも一度ベッドに入れられると柵付きで出られない。というか、いくらイギリスに留学していてもイギリス人の喃語が分からないので双子の兄がいてくれてとても助かった。(普通に母音だったけれど)
 今はあんまり暇すぎて、暇な人間はどうして暇になるかというのを仮説をたてて証明するという暇人しかしない(もしくはマニアックな教授のみの)思想に没頭している。もう一度はっきり言おう、暇だ。世界で一番暇な人間を選ぶコンテストがあったら一位になれる自信がある。
 季節は夏、それでもイギリスは快適だ。世界一過ごしやすいと言われるCfbなだけある、だからヨーロッパにはずっと昔から人々が移り住んで産業を発展させていったのだ。

「ただいま!」

「ただいまー」

「おかえり。ビル、チャーリー」

 ウィリアムとチャーリーが外に遊びに出掛けていた。汚れた手を洗う彼らを見ていると(うがいは欧州の方では習慣になかった気がする。ホームステイ中は奇異の視線で『ソレってなんなの?』と聞かれた)バチリ、とビルと目があう。

「ママ、ロンとロットと遊んでもいい?」

「怪我させないようにね」

「もちろん」

 掃除に洗濯と忙しい彼女はそう言ってまた自分の仕事を始めた。ぼんやりしている俺達がかまってもらえないのはそういうわけだ。家族は大人数、しなければいけない家事は沢山。だから0歳の子供は暇になる。(幼児としてかまってもらっても微妙な気分になるだけだけれど。それにしてもロナルドは俺と違ってまっさらな赤ん坊だから、人と接触しないと人間性が歪になる)

「ロン、ロット」

 柵付きのベッドに手をかけ笑顔で俺の頬を人差し指でちょんちょんと押すウィリアムの腕を、喃語を口にしてぱしぱし叩いた。その手を人差し指でちょいちょい構うので握ってやった。俺の行動というより体の本能だ。勝手に力が入るのだ。あと、気付いたら背後にいるロナルドのように物を口にくわえている。(今、ロナルドが口にしているのはオモチャだ)気付いた瞬間にはっとするが、まあ小児の本能だ。俺はそうそうに諦めてそんな羞恥プレイを続行することにした。
 いやだって仕方がないだろ!

「ロン、どうした? 眠いか?」

 うるりと涙目(小児はみな涙目だ)でチャーリーを見るロナルドは動こうとしない。視線では追っているが反応は極薄い。この年頃の子供には時として反応をあまり返さない者も多い。気が乗れば動くが、気が乗らないときは微動だにしないのだ。
 それは嬉しいとは言わないが、悪くない。二つ上の双子のベッドを共有でおさがりとして使っている身としては、あまり動いて欲しくないのが本音だ。
 それにしても、少しだけ暇から解放されて気分が楽になる。彼らが外へ繰り出し遊んできて(遊びは子供の資本だ)、時々気付いたように遊んでくれるだけでなんとか一日を終えた気分になる。

「うー、あー……」

 オモチャを口から離したロナルドは喃語を口にして、それから小児独特の締まりのない笑みを見せてからあぶあぶ言いながら寝始めた。
 子供が可愛いのは生物として生まれつきだ。加護してもらうために動物の赤ん坊は可愛いのだ。実はこれ、お伽噺ではなく本当だ。犬だって猫だってみんな、加護してもらえるために可愛くなる。
 俺が可愛いかはさておき、ロナルドも将来こにくたらしいイギリス代表みたいなガキになるとは考えられない可愛らしさをもっている。今は。

「あ、ロンが寝た」

 完全に目を閉じてこてんと転がったロナルドを見てチャーリーが笑った。

「ロットをロンから離すか。いつ泣くかわからないし」

「いつも泣かないだろ、ロットは」

「いつもはね。でも二次災害でロンが泣きだしたら今日の夕食は囚人食だ」

 ウィリアムが言った言葉にチャーリーが笑いながら同意した。それは、あれか。海藻を馬鹿にしているのか。日本人にはなじみ深い海藻だが欧州では囚人食として出るくらい地位が低い。
 だからお前らは! カボチャジュースなんてものを! 飲めるくらい! 濃い味のものが好きなんだ!!

「ロット、おいで」

 チャーリーが柵の向こうから手を差し出した。追視するとにこやかに笑んでいた。その隣でウィリアムが奇を衒ったように「ロット」と俺の名前を呼んでにっこり笑った。彼の腕は隣のチャーリーのように俺に向かって伸ばされている。

「あぁ、ぶー」

 日本語にも英語にもならない羅列を並べ、二人の手を交互に見比べる。チャーリーは唇を尖らせて怒っているようで、ウィリアムはそんな彼を知らんぷりしている。
 俺はよたよたと腹這いのはいはいの中間のようなもので移動し、二人の前に来た。肉付きのいい小さな手を、俺は、ウィリアムに伸ばした。

「僕の方が最初に伸ばしてたのに!」

「選んだのは僕が向けてる愛だよな、ロット」

 フランス人のようなことを言うウィリアムに俺はじっと彼を見詰めた。彼は「まだ分かんないか」と苦笑し俺の額をぐるぐる撫でた。
 隣で恨みがましそうな目でチャーリーがウィリアムを睨んでいる。だって、チャーリーの方が加減を分かっていないというか、危なっかしい。どうせだったら安全な方に身を任せたいのが全幼児の願いだろう。

「ビルばっかり……!」

「起きたらロンを抱っこすればいいだろ。な? ロット」

 俺の顔を覗きこんで9歳児ながらイケメンを披露する兄は俺をゆっくりと左右に揺さぶった。

「ぅうー、あぁ」

「だってさ、ロットも」

「そんなこと言ってないよ!!」

 叫んだチャーリーにウィリアムは驚いて揺らすのを止めた。しかし、それ以上に驚いた人物がいた。俺じゃない。ロナルドだ。彼はチャーリーの大声に起き、起きぬけに大絶叫を始めた。ベッドが近いだけにもの凄く耳が痛い。あ、破裂する。鼓膜破裂する。
 眉を顰めているとまたウィリアムが顔を覗きこんだ。しかし、俺の顔を見てから「図太いな、お前」と笑った。あ、泣くところだったかも。
 泣くのに羞恥もなにもない。泣くのは赤ん坊の仕事だ。夜泣きはロナルドがしてくれるのでしないけれど。というより夜泣きするために起きておくなんて冗談じゃない。同じようにたかだか9つや7つ、5つばかりの子供に抱き上げられるのも別に羞恥心を感じない。要は、慣れだ。年月が過ぎればなくなる行為なのだし。

「どうしたの! 泣いてるのはロン!?」

「ママ、ロンが泣いちゃって!」

「チャーリー、寝ているときに大声を出さないの!」

 アナタの方がよっぽど声が大きいよ、モリー夫人。とは口にしようともしないし英語にも日本語にも出来ない。ていうか泣いてからの大声だから問題ないのかもしれない。俺は不思議そうにチャーリーを見詰めて、目があって苦笑した彼に小児独特の締まりのない笑みを見せてやった。
 チャーリーはやっぱり苦笑していて、俺を抱いているウィリアムは状況を楽しんでいるかのように笑って再び俺を揺さぶり始めた。
 それでもやっぱり、明日も退屈が待っているので俺も久々に泣いてみようか、なんて思ってみたり。



11.12.5


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