13

 デイジー・ドッダリッジ創業のマグルのロンドンとダイアゴン横町を繋ぐパブ・漏れ鍋を潜り抜けると、そこは一種異様な格好ともとれる男女がひしめいていた。黒いロングコートに三角帽子だらけ。ルパートはまるでマグルを体現した服装を隠すためにコートを羽織った。俺は事前に黒い服を着ていた。しかし、それでも目立つ。いいや、嗅ぎつけるといった方が的確だろうか。どうやら純血らしい魔法使いたちはじろじろと俺を見てはルパートを見て、興味がないとでもいいたげに視線を逸らしていった。
 後味の悪い嫌悪の視線が残る。
 マグルはマグルとして別種族と捉えている魔法使いも多いが、魔法を使うマグルには反感を覚える魔法使いが少なくない。財産――あらゆる魔法――の侵害、彼らが憤慨しているのはそれだろう。漏れ鍋の存在を知らないとマグルは確かに存在するパブを見つけることも出来ない、つまりマグルなのに魔法の存在を知っているという時点で彼らにとって充分不快なのだ。
 俺は噛み殺した溜息にうんざりしながらルパートの顔を窺った。ルパートはいつものように眉ひとつ動かさずただ前を見据えていた。数年で、この男は元々無表情だった顔の状況を更に深刻化させた。HSBCに勤める銀行員の長男もそう言うのだから間違いない。教師である彼の姉はひっそりと俺に「アナタに似たのかもね、ロータス」と言って笑った。皮肉的だと肩を竦めれば彼女は真面目な顔をして「あら、ほんとよ?」と言った。「ルパートは他人の影響は受けないタイプだけど、アナタたちの顔は数年前よりずっと似ているわ。まるで能面のようよ」と。
 expressionless face、のっぺりした顔だと言われたのは久しぶりで少し笑ってしまうと、彼女は笑顔の方が可愛いわと頭を撫でてくれた。役所の受付をしている二男が言う、「一人暮らしをしていたときより無表情になってるなんてどういうことだ!?」彼はいつもケラケラ笑って土産に安いワインとハムやチーズ、夕食の材料を買ってくるので夕食後は口が軽い。(彼はここから100キロも離れた所に住んでいるので来たときは泊まりが確定している。そして彼は兄弟の中で特別魔法を好かない)
 自立し、もう三十路に足どころか腰まで突っ込んでいる彼の兄姉たちがこの家に来る頻度は、少し異常だ。長男はHSBCに勤めていて暇なわけがないし、教師だって休みがそうないのは自明の理だ。それから100キロ離れたところから三カ月に一回は来るというのも骨が折れる作業だ。それでも誰も、文句は言わない。ルパートが望んでいるから来ているのではないのは見ていてすぐ分かる。彼らが望んでいるのだ。
 多分、罪滅ぼしなのだ。自分のやりたいことを見つけてそれぞれ方々に散った自分たちが末の弟に“魔法”という厄介な存在を押しつけてしまったという過去についての。現在についての。

 しかしまあ、第三者としては取り越し苦労だと思わないでもない。二男のもってきたワインで口が軽くなっているルパートがこぼした「俺は然程、魔法が嫌いじゃないけどな」という言葉を覚えている。「やりたいこともなかった。元々何かに真剣になれるタイプじゃない。漠然とした目標を支えに生きるより、決まった道の方が断然楽だったさ」安いワインを口に含んで微笑むように穏やかに笑ったルパートの言葉に知らないふりをして、俺は吐息も頬も赤ワインの彼をベッドへと急かしたてた。兄貴たちは馬鹿だよな、目頭に皺をつくる彼に俺は言ってやった。「それを言ってやらないお前も馬鹿さ」と。

 ぼんやり過去のことを思い出していると、彼の知り得るオリバンダー杖店以外の杖店に辿りついたようだ。大きくも小さくもない木看板に『Wand Wanda』と彫られていた。ワンド・ワンダ。日本語に訳するならワンダの杖、といったところだろうか。別段、日本語に訳する必要はないけれど。
 俺は作中では出てきた杖店を思い出して、皆あそこで買っているようだから(キャラクターは全てあそこで買っていたような気がする)杖専門店では食っていけないだろうと考えた。それはまったくもって寡占だが、資本主義が蔓延しているイギリスでそれをどうにかするのは無理なことだし、魔法使いに寡占という概念がそもそもあるのかと俺は考えた。まあ、ないだろう。労働基準法もお粗末な世界なのだから。彼らは本当に、視野が狭い。その分特化しているとも言えるが。良い悪いを断定するのは面倒くさいので俺は目を瞑ることにした。そういった社会的働きが、マグルよりずっとゆっくりなのは確かだ。あまりに狭い世界だからか、それとも魔法があるから誰も不満に思わないのか。マルクス主義はここではなんの意味も持たない。暴力的革命と言えば魔法使いの世界では“例のあの人”くらいだ。

 大衆が結果主義より動機主義の世界は、まあ、資本主義ではないだろうなあ。俺も何年も前に勉強した倫理を思い出した。倫理を習うのと習わないのは生き方が全然違ってくるが、楽に生きれるのは倫理を勉強しなかった道だろう。行きかう人々を視界の端に収めながら歩いているとルパートが腰をかがめて手で壁をつくってひそりと声をあげた。
 ルパートは店に入る前に小声でこの店の情報をくれた。Wandとあるが杖専門店ではないこと、Wandaというのは店主の初恋の人であり妻である女の名前であること、その夫人は十数年前に亡くなったこと。
 俺が適当に頷くとルパートは本当に分かっているのか、というように左目を眇めた。俺は左肩だけを竦めてみせた。
 店に入ると、ベルの音がからんとなった。それに伴って店内の人間が此方を見る。それは文房具を眺める少年少女と(どうやら兄妹らしい)、窪んだ淵に青色の目を嵌めた骸骨のように細く白い老成した男だけだった。ぎょろぎょろした目が此方を捉えた。

「ルパート。ヘクターのところの末息子だな」

 随分しわがれた声だった。しかし小さなわけではなく、この店全体に円満に響いていた。

「ああ、そうだ。スクイブでありながら魔法大臣までしたバカの末息子だ」

 俺は初めて聞いた事実に驚きながらも外面的にはまたたきを幾度かするだけだった。どこかでルパートという精神的にはそう離れていない存在にみっともないところを見られるのは嫌だという幼稚な考えが、少なからずあった。俺が俺でいられる、数年住んでいるあの家に彼と短くも一緒に居たからかもしれない。俺自身は“大人しい”とは言えるが“大人”ではないのだ。
 そう考えると少し肩の荷が――それが具体的になんなのか分からないが――下りた気がした。
 勿論、ウィーズリー家が悪だとか、気分が悪くなるとかは言わない。第二の故郷のような心情であるし、あそこに夏休みや冬休みに帰るとほっとするのも確かだ。俺はウィーズリー家の血縁者には深く感謝している。
 ただ、フレッドを見ると時折吐き気がする。彼にではなく、自分にだ。人非人だと指差されてもいい、俺は彼を助ける気はないのだ。今から詫びる方法を考えている俺にはきっと救えやしない。彼を救ったときに他の誰かが換わりに死んだら、どうやって詫びればいいのかなんて考えている自分には。
 俺は、フレッドの方にはあまり辛辣な口を利かないことにジョージが不満に思っていることを知っているけれど。
 だって、もし、フレッドを助けたとする。それでもしネビルが死んだら、お前はどうする?
 それ以前の話で、シリウス・ブラックを助けて“最も忌むべき魔法”に対抗する精神が出来あがらなかったハリー・ポッターをつくってしまったら、お前はどうする?
 嗚呼、なんて世迷いごと。繰り言ばかりを吐いて、読者はきっとうんざりしているだろう。最も、俺が主人公なんかの小説があったら俺はきっとツマラナイと言ってその本を捨ててしまうだろうけれど。ああもっと、簡易で略式的な生き方をしていた、考え方をしていたあの頃に戻りたい。前は、前はもっと――
 どうして俺はこうなった?

「ルパート、知り合いか?」

 こきり、首を傾げて世間話をしていた2人に声を掛けた。ルパートは頷いた。

「父親の友人だ」

「アイツと友人なんて冗談じゃない、ルパート」

「だ、そうだ。父親の知人で、俺の持っている杖もここで買った」

 数回使われただけらしい杖を思い出してへえ、というふうに頷くと「興味がないなら聞くな」と言われた。俺が苦笑すると彼も苦笑した。そんな俺たちを繁々と観察していた店主はカウンターから出て来て「杖を見るなら別室だ」と歩きだした。
 俺はその背を追いながらハリー・ポッターが杖を選ぶシーンを思い出した。確かに、破壊されるならひとつの部屋だけの方がいいだろう。
 ついて行った部屋は、先程の雑貨と見本の杖が飾られていた所とはまるで異世界のように薄暗かった。カビの匂いはしないが妙なシミがあり、遠くの喧騒を聞いているだけでここはノクターン横町ではないかとさえ思った。

「ユグドラシルにユニコーンのたてがみ、30センチ」

 言われて手を差し出すと、しっかりと持たされた。「振るんだ」ルパートに耳打ちされ振ると、その杖が入っていた箱にヒビが入るだけだった。店主はさも当たり前のように杖をヒビの入った箱に納め別の杖を取り出した。

「ユグラドシルは、トネリコ?」

 他の杖をふりながらルパートにそう聞くと店主の方が「そうだ。だが違う」と言った。(ちなみにこの杖は杖自身が勝手に一回転した)

「ユグドラシルは希少な世界樹として認められているが、トネリコは確かにその形をとっていても普遍的だ。あれはただの落葉樹。名前が違えば力も違う。呼ばれ方が違えば持つ力も違う。日本で言うところの“コトダマ”だ」

 店主は一回転した杖(箱に柳と書いてあった)をしまうと「ふむ、日本か」と呟いて再び他の箱を取り出した。

「ユグドラシルは好きか?」

「人並みに」

「ふん、お前はワシが見た中で一番つまらんガキだ。ユグドラシルに白鯨の髭、27センチ」

 肩を竦めながら杖を振ると先程の箱にはいったヒビが直った。その箱の周りにはよく分からない半透明でピクシーのようなものが浮いていたが、いつの間にか消えた。しかし店主は「中途半端」と言って箱にしまった。それから何本も変えたが杖が決まることはなかった。ルパートは「難儀な性格だな、ロータス」と言っていつもはポケットに入っているだけの杖を振り家のイスを呼びよせて座った。店主も時間が経つにつれて顔を顰めた。
 何十本も試している内に、店主が幾つか同じ杖を差し出していることに気付いた。痴呆か、という言葉は口にしないでおいた。嫌な未来は見えている。それに大なり小なり先程とは違う反応を見せるものばかりだ。柳の一回転した杖は、今度は部屋の窓を叩き割った。ユグドラシルに白鯨の髭も少し効果が違った。
 その内店主が大きな溜息をついてルパートに言った。

「難儀な性格どころか難儀な体質だ。このガキは金がかかるぞ、ルパート」

「俺の子じゃない。それで、なんだって?」

「体の中の魔力が変動する体質だ。魔力の量は一定だが質が変わっとる。時間による変化は微弱だが、柳は振り易いからこそソレが顕著だ」

 ルパートは眉を顰めて「つまり?」と言った。

「数年に一度杖の買い替えが必要だ。もし自分にピッタリあった杖を御所望ならな」

「それはつまり、魔法の習い始めの内は上手くいかなくてもそこそこ上達すればどの杖でも適当にふれると、いうこと?」

 二人の間に割って入れば店主は嫌な顔はせず小さく頷いた。だが多分、習い始めの内は自分が思った効果と発揮される効果に差があるから上手くはいかないだろう。
 どの杖でも適当に使えるというのはそう珍しいことではない。そんな内容が少しだったが読んだ文献にもあったし、作中でも他人の杖を使うシーンは七巻でよくあった。ロナルドだってよく杖を変えていた。

「学校に入る前に買っておくのは進めんが? どうせ入学してから習うんだ。その時には杖に魔力が合わなくなっとる。つまり最初の授業から物は浮かせられん、最初の授業だからこそかもしれんがな」

 「どの学校でも最初はウィンガーディアムレビオーサから始めるんだ」説明したルパートに頷くとルパートはまた聞いているのかとでも言いたげに左目を眇め、それから店主と向き直った。
 感情表現はしているつもりだが、やはり人に伝わりにくい。元来の自分の性質を憎むばかりだ。

「今使うんだ、今あう杖をくれ」

 イタズラっぽく笑ったルパートに店主は一瞬驚いたが独り言のように「あそこか」と言って溜息とも鼻で笑っているともとれる息をついた。

「入学前にまた買え。これだけは間違っとらん。それから、そのとき柳は買わんほうがいい」

 そう言った店主は箱を重ねて元の場所に戻していった。最後に残った箱にはユグドラシルと書かれていた。

「ユグドラシルに白鯨の髭、27センチ。これが今一番あっとる」

 中身を渡されルパートを見ると、彼はいつのまにか呼びだしていた杖を入れる上質の皮の袋を俺に渡した。それに杖をいれてから「ありがとう」と店主に言うと、「杖選びに時間を食ったのは久しぶりじゃ」と少々嬉しそうに言った。

「15ガリオン」

「割高だな」

「ふん、苦労をかけられた分だ」

 笑ってジャラリとなる袋を手渡したルパートに、中身を確認した店主は「結構」と言ってポケットにそれをいれた。ルパートは「買ったことをアーサーに伝えようと思ったが、なしだ。しない。知らないふりをして入学前にまた買ってもらえ」と言って、我々はその薄暗い部屋を出た。
 部屋を出るとやはりそこはダイアゴン横町の明るさを持っていて、少年少女がカウンターで装飾のされた羽ペンと羊皮紙を持って待っていた。会計を済ませて店を飛び出す兄妹を目で追っていると背後でルパートがインク瓶に長い羊皮紙(パーチメント)とベラムを買っていた。ベラムを見て本でも書くのか? と言えばいい笑顔で足を踏まれた。
 店を出るときに店主に声をかけられた。

「もう杖は選びに来るなよ」

「雑貨は買いに来て欲しいってさ、ロータス」

 ルパートの言葉にハハ、と笑うと店主は満更でもない顔で、しかし皮肉げに笑った。

「お前らはここからどこに行く?」

「酒場、オールドトムだ」

 もう分かっているような顔で聞いた店主に、にっと笑ったルパートがそう言った。(日々が無表情なだけで彼はどんな顔も要所要所見せる)店主は鼻で笑って「お前は公務員をやめちまえ」と言って我々に背を向けた。我々も苦笑してその場を後にした。ポケットに入った杖が、少しだけ邪魔で歩きにくかった。



11.11.29


prev next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -